ある騎士の憂鬱
テコナの森の騒動も一段落が付き、わたしはエルフの秘術を用いた片眼鏡を報酬として貰い受け、ルファーさんとテグレクトさん、そしてあの忌々しい死に神行商人と別れる事が出来た。本来は魔導工学の街と名高いカマトへ行く予定だったのだが、昼間に未熟な黒魔術師であるわたしが一人歩きをするのがどれだけ危険であるか、今回の事件で肌身に染みた。ので……
「完全に昼夜逆転生活ね……。まぁ安心なんだけれどもさぁ。」
『何を迷う。我が輩とてリリアに死なれるとそれなりに困るのだ。』
ヴラドの進言もあり、昼間は宿で眠り、夜に黒魔術の研鑽・移動を行うようになった。ヴラドはわたしの式だが、実質わたしはヴラドの庇護下に居るようなものなので、あまり反抗出来ないのが辛い。今は日も沈んだ夜だが、カリフの安宿でのんびり黒魔術の研鑽をしている。
『それに昼間も休んで居たわけではあるまい?』
「ヴラドが居ないと魔力が漏れ出すから鬼神学を書物で読んだだけ。カリフだとこんな黒魔術丸出しな書物でも捕まらないのね。」
『ふん。あの童が相当影響力があるということだろうな。白の教会聖騎士からすれば異端審問に掛け処刑する対象だが、何千死者が出るか解ったものではない。』
「そうね、どっかの誰かと違って昼間もちゃんと能力を発揮しますし。……痛い!」
『ふん!』
わたしはヴラドの八重歯に噛まれた人差し指を舐める。鉄の味が口腔に広がり、眉を顰める。
『それで?何か新しい施術は身に付けられそうか?』
「大体は会得しているけれど、新しいとなると、意図的に覚えていなかったものばかりね。女性を魅了する魔術とか……。」
『十分ではないか、他者を魅了させる術式はこれ以上無い効果を見込める。それも恋慕となれば効果は想像も出来ない。』
「ええぇ~~。」
『選り好みや先入観は旅や戦で一番の敵だ。甘えを捨てろ。』
「はいはい、わかりました……。」
黒魔術において召喚は最高位の術式であり、悪魔召喚はその中でも最難題とされている。悪魔から魔導の奥義を聞きだそうにもはぐらかされ、その魂を地獄へ導かれるとされているためだ。そういう意味ではヴラドは悪魔と違うのだろう、むしろこちらが反発したくなる。
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白の教会有権者の会合に、東西統一王国国王の名代としてやってきているのは、現王国騎士団団長アレイスター=クロウリー。アレイスターは、最早生理現象くらいに慣れてしまった胃痛が叫ぶ腹部を撫でる。
「国王陛下は、今こそ法王猊下と国が手を取り合い、【東西融和】というスローガンの下、団結するべきとお考えです。」
東西連合王国は……いや、西デラス王国は彼の大戦から国の体裁が大きく変わってしまった。戦争という怪物は国民を嬲り殺し、建物を破壊するだけでは飽きたらず、王国の歴史・伝統・倫理観・価値観までもを狂わせた。
最初に懸念されたのは戦争の爪痕が残る東部と、戦勝国西部の国力差から発生する対立……最悪、内戦であった。しかしその懸念は杞憂に終わった。……白の教会というより大きな爆弾を抱えることによって。
その国と白の教会が持つ勢力差は、仮にも国王が名代を立て、教会本部へご機嫌伺いに行かなければならない現状からも明らかだろう。
「我々は王室へ忠誠を捧げる身。当然の事に御座います。」
白髪交じりの大司教が冷たい視線を送りながら、言葉を返す。だが白の教会の神官や司教達が、秘密裏に【打倒国王】を掲げて、白の教会の聖王猊下を国のトップとする青写真を描いていることは明白だ。今更になっても隠し立てしようとする厚顔を少しは分けて欲しい。
「……国王陛下は此度の戦後復興に、皆様のお力が必要不可欠であると強く話されておりました。現在王国が薄氷上にあることは、皆様もご周知の通りと、わたくしは確信しております。」
その一言で、会議に参加する南部の有権者たちは身体を強ばらせる。国と教会は若干対立しつつも、明確な対峙はしていない。これが平和的理由ならば世界はどれだけ素敵だろう。王国と白の教会、両勢力にとって、より大きな問題があるために過ぎない。
〝黒の教会〟……黒魔術師の存在だ。東西戦争に置いて華々しい功績を挙げたのは確かに白の教会だが、暗殺・暗号解読・疫病蔓延・家畜伝染病・蝗害……etcetc
黒の教会が挙げた功績はとても口に出来ないが、酷く恐ろしい……そして有効なものだ。そして、黒の教会は法王猊下の姿さえ不明であり、戦勝時も〝何も要求しない、だから何もしないでくれ〟と声明を出したのみだ。だが相反する白の教会を英雄として以降、全てのバランスが崩れた。
「王家から神官・司教の皆様に対し、王室が持ち合わせる徴税権、軍事保有権、領土権限、司法権限をある程度譲歩すると言付かっております。」
「そんな、歴史有る王室から我々如きが受け取ることなど出来ません。」
「まったくです。ですが王家が疲弊している現在、一時的に我々が僭越ながら代行を行わせて頂くことは吝かでは御座いませんが。」
「そうですな。我々が法の執行人となった暁には、あの忌まわしき黒の教会を異端審問に掛け、瓦解させてしまえばいいでしょう。」
騎士たる自分には解らないが、身を乗り出し目を輝かせているあたり、権威を欲する者として余程魅力的なのだろう。言動が全く噛み合っていない。
大幅な規制の緩和であり、白の教会神官連中は更に富と地位・威勢を確かなモノにするだろう。
……もちろんアレイスターはこんな真似、一時的な時間稼ぎにしかならないと解っている。今まで王家と敵対する手筈を整えていた相手に強権を与えるなど、大博打を通り越し、自殺行為だ。しかしこのまま指を咥えて待っていれば白の教会と黒の教会が本格的に戦争を始めかねない。蝙蝠は最初に殺される。
どちらかに肩入れしなければ、折角の東西統一王国構想も画餅で終わってしまう。そして王家は白の教会の手を取った。アレイスターは未だ納得出来ていない。
民の暮らしもどうなるか解ったモノでは無い、重税や賄賂・冤罪裁判……腐敗の温床を自ら造り上げるようなものだ。だが、代案も出ない。代案無くして反対するほど王国には時間も猶予も残されていない。
(我が国は終わりに向かっている……。もし我が国が内部から腐敗すれば、裁く者は……。民は……。)
アレイスターは最悪の想定を脳裏に浮かべ、強烈な胃痛から身体をくの字に歪めた。




