英雄の末路
---何故自分は鉄の檻に捕らわれている?
それは思考と言うには余りにも儚い、修羅の熱にかき消される夜這星の浅情だった。淡い思考は燃えたぎる破壊衝動に打ち消されて上書され、自らを縛り付ける檻を破壊せしめんと動き続ける。そこに感情は既に無い、あるの胎児が抱くような曖昧な不快感だけだ。
【氷牙の英雄】と呼ばれたかつての魔導剣士、国の敵を討伐し続け、いつしか護った人間よりも殺した人間の数が上回り、その絶対的な力から国に疎まれ毒殺された--そんな何処にでもいる英雄の末路だった。
◇ ◇ ◇
「わたしのガルーダの速度に張り合うなど、面白くないな。死神、やはり降りろ荷物になる。」
「勘弁して下さいよ~。わたくし条件が整わないと力を発揮できないのです。」
「リリア、今すぐ〝取引〟とやらを破って死神に追いかけられろ。邪魔で仕方がない。」
『ふん狭量なことだ。我が輩が飛ぶ半分の速度も出せていないではないか。テグレクト一族自慢の式というのも、存外大したこと無いな。』
「……夜にしか力を発揮出来ん欠陥悪魔の貴様に言われたくはない。ここで蚊蜻蛉の様に堕ちたくなければ口を噤め。」
わたしの周りをふわふわと飛ぶ拳大のぬいぐるみと、赤いショートカットの幼い少女……どちらもわたしが逆立ちしても敵わない程の実力者であり、どちらも実力に見た目が追いついていない系の似たもの同士だ。
わたしは今ヴラドの能力で蝙蝠へ変化し、ルファーさんを乗せテコナの森へ向かっている。ルボミーはウィリアムさんの召喚した大きな神鳥に乗っている、何故付いてきているのだか……。
「森づ見えではった。」
ルファーさんが興奮するように報告をしてくれる。蝙蝠に変化している間は視角が失われるので、ヴラドかルファーさんにナビゲートしてもらわなければ遠方へは飛べない。
「あれが神獣の聖地、テコナの森か。わたしでさえ見抜けなかった結界を破壊するとは、大した人間だ。」
『今は鉄串に貫かれ人柱となっているがな。まぁ我が輩が手を掛けなくても遅かれ早かれ、身の丈に合わぬ魔石の代償に命を落としていただろう。』
「あれが氷の悪魔と……。なんじゃ、網の中の魚ではないか。あとはまな板に乗せ捌くだけ。こうも旨い餌ばかりぶら下げられると罠を疑うぞ。」
『ああ、存分に疑ってくれたまえ。疑心暗鬼に踊る愚昧とは実に滑稽だ。しかし我が輩が倒せば、屍は瘴気となり森を侵食する。結果的に森を破壊されたも同然、思うつぼだ。全く忌々しい。』
「……。」
『どうした?』
「なに、〝串刺し公〟〝人食い伯爵〟ともあろうお方が、見た目も中身も丸くなったと思っただけじゃ。首縄を掛けられる相手ではなかろうに、リリアという少女も存外見た目に似合わぬ術師かもしれんな。-- 着いたぞ。」
わたしは変化を解き、人の形を取り戻す。日の出まであと3時間と言ったところだろうか。目の前には数日前も見た悪夢……木々よりもなお高く聳え、蒼いマントを翻し、手には冷気で覆われた剣を持ち、噎せ返るほどの邪気を孕んだ存在。
「そう堅くなるな小娘、ここまでお膳立てされているのじゃ。すぐに終わる。」
わたしより小娘のウィリアムさんが、内心を読み通したかのように断言し、直後彼女を纏う空気が虹色に揺らめき始める。
「一二三四五六七八九十の理 御奉り、四柱神を鎮護し、慎みて五陽霊神に願い奉る、思業式神六根清浄御神留恐みたるに、急急如律令を願給うなり。」
無数の赤い紋章が数珠繋ぎとなって縄と化し、氷の悪魔を呪縛。魔導陣の縄はどんどんと数を増やし、やがて動きを完全に封じた。そして赤い紋章は球体となって肥大し、氷の悪魔を覆い尽くして……。
「調伏完了。」
そこにはヴラドの築き上げたドーム上の鉄串のみが聳えるだけだった。
「あん、悪魔ば一瞬で……。」
「おお、流石です。」
呆然と様子を見つめるルファーさんと、笑顔で拍手をするルボミー。わたしは完全にルファーさんと同じ顔をしているだろう。ヴラドは特に驚く様子も無い。
「流石も何も、言ったはずじゃ。悔しいが網に掛かった魚をまな板に乗せ捌いたに過ぎん。召喚術の調伏は〝網に掛ける〟までが大変なのだ。そこにおるマスコットの事後処理に過ぎんよ。--ふみゃあ!」
「あいがど!おおなんぎだんし!ヴラドもリリアもテグレクトも、皆森ん恩人だは!」
ルファーさんはテグレクトさんに熱い抱擁をしている。
「途中命を助けたわたくしも中に入れて欲しいですねぇ。さて、これで終わり!とはなりませんよ?ルファーさん。」
「なんだは?」
「当然お礼を形で示さねばなりません。そして客観的な論功が必要でしょう。わたくし末席ながら宝の管轄者、社会的動物の命たる〝価値〟に意義を見出す死神です。私情を挟まず客観的な審判に役立ちますよ?いかがでしょう。」
「囀るな、人の〝欲〟に漬け込む下等の死神風情。掌で泳がせるのは結構じゃが、相手を見る目を養うことじゃな。」
「あら?ウィリアム様がわたくしを連れてきたのは、テコナの森に宿る神獣の取引にわたくしめを活用するためでは?」
「違うな、上澄みのみを盗み取ろうとしている能なしの悩なしの泥棒死神が企みが外れ消沈する滑稽な様を見たかっただけじゃ。ほれ、その阿呆面じゃ、手前勝手 我儘気儘言いたい放題の付け上がった馬鹿に薬をつけてやったのだ。どうした、笑顔が硬いぞ。」
いつも目の奥が笑っていない微笑を湛えるルボミーも、流石に苦笑を浮かべている。この女が着いてきた時点で良い予感はしなかったが、ウィリアムさんはそれもお見通しだったようだ。何を思ったのか、ヴラドが鼻を鳴らす。
「すがし、ルボミーの言うことも一理あらった。森ば救っで貰いで甘げでばかりもいらんね。テグもヴラドもリリアも、何でも言ってけれ。」
「全くお人好しじゃな。相手は力で貴様の護るべき神獣すら奪える奴なのだぞ。」
「すったら事しねぇぐれぇ解る。」
「……では。わたしはテコナの森に住まう幾つかの珍獣を研究させてもらいたい。硝子の金糸雀、地を泳ぐ水龍、風の精霊も独自の変化を遂げているな興味深い。復興も幾分か手伝ってやる、懐いたらくれると嬉しい。」
「ああ、そいだばよろこんで!リリアは?」
「わたし!?ええっと……どうしよう、ヴラド?」
『〝水の義眼〟……貴様の魔導を強く宿した片眼鏡を作ってくれ。今後リリアは無謀にも白の教会と対峙する。役に立つだろう。』
〝水の義眼〟……テコナの森の神気やそれまで見えなかった神獣を見る力を宿してくれた魔導だ。確かに〝白の教会〟がどのような罠を張ってくるか解らない。わたしは黒魔導師であり、白魔導は門外漢なのだから。
「よろこんで。……さで、ルボミーは?」
「「はぁ!?」」
「ちょっとルファーさん!ルボミーとの恩のやりとりはわたしの〝取引〟で終わったの!これ以上この女に関わる必要は無いわ!」
「んだばって命の恩人じゃ。リリアん中では終わっても私の中では終わっでね。……ただし、〝約束〟もなんもね、くれてやる。見返りはいらん!好きなモン選び。」
真っ直ぐな視線を浴びたルボミーはこれまでみたことのない、困惑の表情を浮かべ……
「いいえ、何もいりません。商人たるもの、無償で物を受け取る訳にもいきませんので。」
諸手を挙げて降参した。おそらくその表情こそこの強欲死神商人にさせたい顔だったのだろう、テグレクトさんがルファーさんを無言で小突いた。




