召喚術師リリアという少女
――――お父様 お父様 置いていかないで!
――――ああ、お父様 わたくしはあなたを どの兄姉よりも敬愛しているのです
――――お父様 お母様 師匠さま
―――― ああお父様 お母様 師匠様 わたしを わたしを
―――― わたしを 一人にしないで……
『随分な寝汗だな、また悪夢に魘されていたのか。』
「あなたが起きているってことは……。まだ夜中の3時くらいかしら?」
「我が輩はもう眠い。昼間に死ぬなよ、いざとなれば柩を開けろ。……貴様に死なれると、我が輩もよろしくない影響を受ける。」
本人曰く柩……マスコットのような式は、わたしの小さな手のひらで持てるちょっと高価なお菓子の箱にしか見えない木箱へと戻っていった。
またあの夢だ、わたしは二度寝をする気も起きず早めに体操をして歯磨きと湯浴みをする。わたしは……親に捨てられた。
10年前、まだ6歳だったとき、博愛を説く白魔導の大司教であった父は〝自分の子を捨てた〟。わたしはこの世に神様なんて居ないと確信し、〝博愛〟なんて言葉がどれほど薄っぺらい戯れ言かを、おそらくこの王国最年少で理解した。
「こんなものかしら。」
わたしは腰まで伸ばした髪を後ろに束ねる。わたしの家は代々国教を司る白魔導の教会で、聖人を多く排出してきた由緒正しい家系だった。……そんな家系が、〝悪魔の素質を持つ少女〟を産み出したなど言えるはずもなく、そんなお家事情でわたしはスラム街へ捨てられた。
立派なスラムの孤児としてスリやゴミあさりで生きてきたわたしを拾ったのは、皮肉にも両親からすれば怨敵ともいえる黒魔導の司祭だった。
……とはいえ元の家のように大司教というほどではなく、草臥れた教会で細々と少数の信者に説法を説き、時折黒魔導で他者を呪う仕事を請け負う程度の小さな教会。
師匠……黒真珠のような美しい髪に、赤渕の眼鏡を掛けた司祭は、こんなわたしを我が子のように愛してくれた。10歳を越える頃、わたしは師匠から黒魔導を学び、1年で師匠の腕を上回った。
〝あなたならば、召喚術さえも習得出来るかもしれない〟
師匠は驚きながらそう言ってくれた。だが……師匠はわたしに〝召喚術〟を教える前、流行病であっさりあの世へ逝ってしまった。わたしはまた一人になった。師匠の愛情は、スラムの孤児だった時分よりも数千倍の寂しさを遺してくれた。
師匠の小さな教会は、11歳のわたしが引き継いだ。幼女に説法を受けるなどごめんだろうと当時は思ったものだが、信者さんたちは足繁く教会にきてくれた。何故か男性の信者が若干増えた。
物心がついたときから〝黒魔導〟は人を不幸にする異教徒と教わっていたが、師匠の側で、信者さまの側で黒魔導や呪術を学んでいると、その考えはすぐに訂正された。
白の教会が〝善行と純潔と改心〟を説くならば、黒の教会は〝救済と述懐と受容〟を説く。……罪を背負った人間は枚挙に暇が無い。その絶望から〝救う〟か〝受け入れてもらう〟か……。白と黒の違いなど、そんなものだった。
わたしは司祭として説法しながらも、人を呪う仕事は請け負わなくなった。……師匠を否定するつもりはない。ただわたしにその覚悟が無かっただけだ。【人を呪わば穴二つ】という。
そして悪意から呪いを振りまこうとしたとき、墓穴はふたつどころか両の指でも足りない代物であることもこの10年で知った事。
師匠も呪術の依頼を受けたときは、依頼人に復讐の虚しさを説いてから実行していた。
わたしは……人を呪うことで、自分の心まで蝕まれる気がしたのだ。
心が強くあらなければ、正義だろうと悪だろうと執行することは叶わない。わたしは師匠に腕前では敵っていたかもしれないけれど、覚悟や強さという点では大きく劣っていた。
そして先月のことだ、いつか師匠が言っていた〝召喚術〟に成功することが出来た。着手すること4年。魔導書を漁り、術式を組み立て、式を召喚する魔導陣を組み、わたしは意を決した。
……思えばわたしは相反するふたつの意思を抱いていたのかもしれない。
〝正義となって、困っている人を助けたい〟
〝何もかもが憎くて、すべてを滅茶苦茶にしたい〟
黒魔導を習得しながら人を呪う仕事をしなかったことも、逆に呪いで助けることをしなかったことも、この卑怯極まる心境からだったのだろう。
【召喚の儀】が執り行われるとき、わたしは遂に決心をつけた。召喚術は神や悪魔・神獣やそれらに類似する高位の魔物を召喚し、式とする黒魔導でも最高峰に位置される技術。
もし善なるモノが召喚されたならば、わたしは正義の使徒となろう。その生涯を人助けに使おう。戦後間もないこの国には人も魔物も悪が多すぎる。
もし悪なるモノが召喚されたならば、わたしは悪魔の化となろう。この世界全てを呪いで覆い尽くす化け物になってやろう。
聖なる供物と悪なる供物……そしてわたしの魂の化身である血液。わたしの本質は〝悪〟なのか〝善〟なのかがこれでわかる。
〝我リリア=シュターレフは貴柱を迎え祀る。我の勧め請いに応じ、我と契約を結ばん〟
供物は魔導陣に吸収され、光に包まれる。感じるものは〝聖〟とも〝邪〟とも思える複雑怪奇な神気だった。目も開けられないほど強い紫の光は徐々に一つの形を成し……、わたしは意を決してその正体を見やる。
「……え?」
『なんだ?このナリは!?』
そこに居たのは丸顔に丸い胴体、一本線の口に三角形の威厳無い八重歯、襟を立てた赤い裏地に黒地のマント。可愛いぬいぐるみにも似た……、全身が綿玉で出来たかのような、それでいて膨大な力を有する【吸血鬼】……のようなナニカだった。