継続される不穏
「よぉ、おはようさん。……ハーフエルフの嬢ちゃんも起きてたか。あの守銭奴なら6時に来るって言ってたからまぁもう少し待っててくれや。」
自室から起きて来たフェタンさんはわたしたちに挨拶を交わし、ルファーさんの側に置いていた銀の杯……水が霊薬に変わるという神具を持ち去っていった。彼もルボミー……ヴラド曰く〝死神商人〟と〝取引〟をしている。長い付き合いであろうことは昨日の会話で察する事が出来る。おそらくその正体も知っているだろう。
となるとわたしたちに〝彼女との契約だけは破るな〟と忠告してくれたのは、純粋な善意だったのだろう。しばらくベッドで座っていると機械の駆動音が聞こえてくる。
「どうも~、お迎えに上がりました。」
相も変わらず目の奥が笑っていない笑みを浮かべ、質素な服を着た茶髪の少女……ヴィニフレート=ルボミーがやってきた。わたしたち2人が無事かどうか確かめもしないのは、この男の腕を信じてのことか、それとも別の意図があってかは解らない。
「約束の聖杯から採った霊薬だ、確かに見たこともない反応をしてるな。癒しの霊薬だって純度が高すぎれば毒だぜ?本当に売れるのか?」
「おお!予想以上の聖気、素晴らしいですねぇ。これは治療よりも白の教会に聖水として売った方が良いかもしれません。ご安心下さい、損は嫌いですからしっかり売り抜きますとも。」
「それは知ってるよ。ほれ、2人とも龍相手に出来るくらい無事だ。後は好きしな。」
「はいはい。……さて、リリアさん、ルファーさん。〝取引〟の内容はお忘れで無いですよね?」
「……ええ。」
自然体に接しようとしたが、目の前の少女が人に有らざる存在であるという原始的恐怖が肌を撫でる。身体は自然と硬直していた。
「私の槍ば、そのまま質流ししてけれ。3日も時間潰す余裕さ無くてな。」
ルファーさんは私と対照的に、凛とした眼差しを向け言い放った。ルボミーはそれでも微笑みを絶やさない。
「ええ、わたくしも得しますし、それでも結構ですよ。その上で貴方達に天啓が御座います。わたくしの次の行き先ですが……カリフとなりました、あなた方が荷台の中で何度も行きたいと言っていた場所ですよね?話しが合うようでしたらご一緒することも吝かではありませんよ?」
昨晩、ヴラドの言っていた忠告を思い出す。
『恐らくルボミーという死神は、貴様らに価値を見出したのだろう。言い方は悪いが〝死神に魅入られた〟というやつだな。もしヤツが宝の統轄者……又はその亜種ならば、執拗に関係を迫ってくるはずだ。今のヤツにとって〝宝〟とは〝貴様ら2人〟なのだから当然の理だ。
考えられるのはカリフへの道案内と同行だろう、厄介事をこれ以上抱えたくないが、見えない敵よりも見えている敵の方が断然良い。提案があれば乗れ、テコナの森からコトボへ1日で来たということは、一日半も走ればカリフへ着く。』
「……。」
「どうされましたぁ?」
わたしの心臓が破裂しそうな程に飛び上がり、鼓動が急速で高鳴る。ルボミーは微笑みそのままに、首を斜めにして鼻先までわたしに顔を近づけてきた。距離感が掴めない女どころではない、意図的にやっているとすればこれは牽制か?
「……どんな〝取引〟をするのですか?」
「うん、流石は黒魔導師様。見る目のない白の教会とは違いますねぇ……。まぁ皆まで言うこともありません。お察しの通りです。〝只の……では無い根無し草の行商人〟、嘘は付いていないでしょう?」
わたしから漂う不安・恐怖の匂いを餌として嗅いでいるかのよう。気味の悪さを払拭するように頭を振るい、再度ルボミーを見据える。
「時間が無いのです、〝取引〟内容を教えて下さい。こちらの要求は一刻も早くカリフへ到着すること。」
「これは失礼。〝時は金なり〟……商人の鉄則でした。〝取引〟内容は至って簡単、金貨10万枚、支払い期限はありません。」
「10ま……、あんたバカじゃないの!?」
家どころか城が建つ値段だ、それだけの支払い能力がわたしにあるはずもない。
「ですから期日はありません、所謂出世払いというやつですね。わたしはあなたに金貨10万枚の価値を見出しました、その対価にカリフまでお届けしましょう。ただそれだとぼったくりになりますので、〝カリフのその後〟までご一緒しても構いません。まぁ足や交渉事に使うくらいならば好きにしてください。」
「あなたと旅を同行するつもりは無いわ、お金が出来たとしてどうやって払えばいいのよ。」
「こちらをどうぞ。」
懐から物を取り出す動作に、思わず呪術をぶっ放す構えをしてしまう。しかし相手が一歩上、もしナイフだったら私はここで命を失っていただろう。……ルボミーが取り出したのはボタンが二つついた白い蝙蝠の死骸だった。
「通信蝙蝠という魔物で作った魔導工学品、【通信の式】です。今は高価ですが、場所が固定される疎通の術式と異なり、何処にいても特定の相手……対となる式を持っている者と会話が出来る逸品です。今後普及していけば、より安価で身近なものになるでしょう。」
「これであなたと楽しく会話しろって?冗談やめてよね。」
「ある程度騒動が沈着すれば、お互い別の道を歩みましょう。ただし、リリアさんはわたしに対して金貨10万枚の負債がある。リリアさんからまとまったお金が出来たと通信してくれても良いですし、わたしからも近況報告を求める通信をします。出られなくても通信が来た履歴が残るので、3日以内に返事を下さい。」
「……もし無視すれば?」
「あなたの性格とあなたの式がそれを許さないでしょうから、無為な質問です。」
「……じゃあ金貨10万枚を用意出来なければ?」
「魂を頂きます。」
ゾワリと肌が粟立つ。最早この女自分が〝不審人物〟であることを隠そうともしない、むしろいっそ清々しいまでに自身の不気味さを活用していると言うべきか。
「待っちくい!リリアがカリフの街さ行くんは私の不徳なんじゃ。〝取引〟だばリリアで無ぐ私に求めるんが筋じゃろうて!」
ルボミーの傾げられた首が90度横を向き、その双眸がルファーさんを捉える。仮面のような微笑をそのままに、カタカタと機械的・昆虫的な動きでルファーさんへと迫っていった。……自身の挙動が何を意味するか解らない女ではあるまい、計算された不気味さと賞賛すべきほど、一挙一足動が不快極まる動きだ。
「ルファーさんにも取引ということですか?」
「リリアば巻き込むなて話しだ。」
「それは難しいです。確かにルファーさんからもお宝の匂いがするのですが、わたくしは商人……。美術館に展示されている名画よりも、脂ぎった画商が集まる生々しい競りの場を生き甲斐とする人種ですから。」
「何を言ちょうかサッパリわがんね。」
これほど目を背けたくなる不気味なルボミーの挙動を前にしても、ルファーさんは微塵も臆することがない。その美しい顔立ちは引き攣る気配も無く、緑の瞳はしっかりとルボミーを見据えている。このままでは本当に命まで懸け兼ねないと逆に不安が募るほどだ。
「いいわ!ヴィニフレート=ルボミー、リリア=シュターレフの名の下に、あなたと〝取引〟を結びましょう!」
「リリア!」
「いいの、得体の知れない女ならその正体を見破ってやろうじゃない。それに……〝死神の加護〟だなんて黒魔導師として箔が付くわ。」
「〝加護〟かどうかは、リリアさんの今後次第ですがねぇ……。では条件は先程言った通り……1つ、〝今から最短でカリフへ到着する権利。〟2つ、〝今後わたしがリリアの近くに居た場合、交渉道具・足として活用する権利。〟
義務は3つ、1つ〝わたしからの通信の式には、3日以内に返信すること。〟2つ〝その生涯を懸けて金貨10万枚をわたしに支払うこと。期日は無し。〟3つ〝契約が履行されなかった場合、その魂を持って支払う事。〟……最後の警告です。本当によろしいのですね?」
先程までの不気味な動きはなりを潜め、清廉な商人といった風貌へ変わるルボミー。啖呵を切った以上、引き返すことも出来ない。ヴラドはこの契約に怒るだろうか?
「構わないわ、契約書があるなら今すぐ血判を押してあげる。」
「いいえ、契約書は不要です。では改めて、〝取引成立〟ですね。」
その笑顔は満面の……それこそ年頃の少女が思い人を前にしたような恍惚とした笑みだった。