根無し草の行商人
逃げた、ルファーさんを背負い、わたしは逃げた。
一心不乱に、無我夢中で、後先顧みず。
ヴラドさえも仕留め切れなかった大悪魔を背に、ヴラドの作ってくれた隙を縫ってただただ奔走した。
わたしよりやや背丈の長いルファーさんだが、ハーフエルフという種族だからなのか、体重は異常に軽い。疲労困憊のわたしでも背負って森を抜ける事が出来たのは不幸中の幸いだ。これでヘヴィーな肉体だったら申し訳ないが、縄で縛って引きずらせて貰っていた。
ーーールファー、死なないで
ーーーお師匠様、死なないで
ーーー癒しの魔導、白の教会
ーーー黒魔導師 穢らわしい
ーーー死ぬことこそ 禊ぎ
ーーーねぇ、薬草はどこ
ーーーお師匠さま お師匠様
呼吸も絶え絶え、足が感覚を失って久しい、脳に空気が足りていないのか、過去と現実が混在して脳裏を想起しグチャグチャに掻き回す、わたしの脳内は混迷を極めている。そうだわたしは絶望を覚えて尚走り続けたことがあった、血が染み出る程に、今尚……心が硬変を発症させているほどの……、だめだ、森は抜けられたが、そこは広がる草原。
このままでは二人とも……。
◇ ◇ ◇
ガタガタと車輪の揺れる音がする。荷馬車?いや馬車にしては聞き慣れぬ機械音が鳴り響いている。
「おやぁ、お目覚めですかぁ?」
後ろを振り向いてのは、荷台を引いた巨大な駆動機械を運転する茶色い髪の少女だった。手にはTの字型をした、変わった金属の棒……その両端を手でつかみ、3つの不思議な車輪で動く駆動機械の向きや速度を変化させている。
「……あなたは?」
横にルファーがいる事に安堵しつつも、警戒しながら少女を見やる。この女が人攫いや奴隷商人でないとも限らない。
「見ての通りタダの……ではないですが、行商人です。いやぁ、道を進んでいたら倒れている黒魔導師とハーフエルフなんていう、どう考えても面倒事にしかならないだろう存在がいたもので、思わず拾ってしまいました。」
少女は商人らしい柔和な……それでいて瞳の奥は笑っていない笑顔を向けそう言った。
「面倒だというなら、財布や売れそうなものだけかっぱらって去れば良かったじゃない。」
「わたしは商人です、旅人や盗人ではありません。……それに面倒事というのはお金を産むものです、火の中に飛び込まねば栗は拾えません。」
「……わたしたちがその荷台を強奪することは考えなかったの?」
「馬車ならば天秤が釣り合わないと、そうしていたかもしれませんね。しかし幸運なことに、荷台を引いているのは、カマトの最新駆動機です。駆動の鍵となる魔導はわたししか知りませんし、使えません。また癒しの妙薬や水・食料・財産の入った金庫も50万×50万通りの暗証番号を入れなければ開かない。……わたしを殺しても、何処ともわからない路中で途方に暮れるだけですよ?」
「まるで自分の命なんてどうでもいいかのような発言ね。」
「命を懸けるのは、冒険者や騎士の特権では無いのですよ。あの草原に出没する魔物にやられるような腕前とは思えない。なのに、まるで大厄災に巻き込まれた様相を呈している。恩を売れば、見返りも大きそうだったのでね。……とはいえ、いきなり襲いかかって来る蛮族でなく安堵しています。」
よく見れば少女の運転している駆動機とわたしたちのいる荷台の間には、魔導硝子が遮っている。いざとなれば荷台を切り離して駆動機で逃げる算段だったのだろう。
「申し遅れました。わたくしはヴィニフレート=ルボミー、根無し草の行商人です。お二人は?」
「わたしは……リリア。横のハーフエルフがルファーと言うわ。」
ヴィニフレートなる少女は、わたしたちを見定める様な目で見つめている。
「まぁ〝今のところ〟フルネームを交わす仲でもありませんからね、いいでしょう。……さて、ここで取引です。この荷台は医療と薬学の街コトボへ向かっています。丁度そこで死にかけているルファー様の治療に最適でしょう。そして満身創痍のあなたも。」
「ちょっと待って!?わたしたち、これからカリフという街に行かないと……。」
「ではここまでの運賃……、そうですね、二人でこの走向距離ですと、銀貨8枚が相場でしょうか。それだけ置いて荷台から降りて下さい。何度も言うようにわたしは商人、慈善事業者ではありません。」
「それに……あなたも知ってるでしょう!?治癒魔導は白の教会が独占してる、やつらに蛇蝎が如く嫌われている黒魔導師が受けられるものではないわ。それにやつらは、ハーフエルフ……亜人も嫌う。」
「ですからコトボは最適な場所だと言ったのです。あなた旅慣れしていませんね?わたしの目的地……金庫に積んでいる通信の式20対を売る場所がコトボなのは、天啓と言える程運が良い。」
「……どういうこと?」
「コトボは東西戦争で東王国から西王国へ寝返った地区。それ故、東王国民が多く、白の教会の影響力が大きくない。そして白の教会が扱う〝治癒魔導〟と異なる、独自の医療魔導・薬学が発展していて、〝毒薬・劇薬・麻薬〟に関しては門外漢な白の教会より、黒の教会が重宝されることもある。両教会の対立が激しい街ですが、黒魔導師=邪教と斬り捨てる他の街と異なります。」
「じゃあ……。」
「ただ、白の教会の影響力が0ではない。よそ者で流れ者の亜人と黒魔導師がいきなり治療させてくれと正規の治療院へ行っても門前払いでしょう。……腕の良い闇医者を知っています。値は張りますが、そこならば治療を受けられますよ?」
治癒魔導というのはそもそもが金貨単位で支払いの必要が生じるものだ、まして闇医者となれば、わたしの全財産をはたいても手の届かない金額となるだろう。……そこで少女の言葉を思い出す。
「……取引っていうのは?」
「そこで横たわっているルファーさんがお持ちの神木……それを質入れしてくれれば、治療費二人分を出しましょう。純正品の神木……聖遺物といえば、白の教会にとって喉から手が出るほど欲しがっているもの。どれほどの儲けになるか、想像も付きません。」
「……それは。」
「ですから〝質入れ〟です。治療費と手数料、その相応金額を期日までに捻出してくださればお返しします。」
「春でも売れっていうの?言っておくけれど、ルファーさんはその辺かなり特殊よ。」
「それも手ですが、お二人ならばもっといい手があるでしょう。……コトボの周辺には一流冒険者ですら二度と戻らない毒の山がある。そこで麻薬・劇薬・毒薬の材料となる樹木や薬草を集めれば、金貨の200や300簡単に捻出出来ましょう。」
どうも何を考えているのか解らない女だ。しかし倒れているわたしたちから財布も神木も、価値を知りながら奪わず連れて乗せる辺り、何も考えていない訳ではないのだろう。
ガコンと荷台と運転席を繋ぐ魔導硝子の小窓が開く。
「取引に応じるのでしたら、神木をこの中へ。応じないのでしたら銀貨8枚と銅貨4枚を入れて、降車して下さい。」
「……構わなねぇ、あの小娘嘘さ言っておらん。今はその話しば信じよう。」
「ルファーさん!?」
何時から意識を戻していたのか、ルファーさんは全身で呼吸をしながらも声を絞り出していた。
「……風の言葉、戻ったのですか?」
嘘を見抜くエルフの秘術……。テコナの森では一度失った能力だ。
「森に居たとき程はっきりとは聞こえねぇばって、あの悪魔が居たときよりはずっとマシさなっとる。」
何を考えているのか解らない、何かを企んでいる少女……。不甲斐ないことに、命の恩人でもあるのだ。ならば今は運命に託すしかない。わたしはルファーさんの懐から神木の槍……変異前の短筒を取って、小窓へ入れた。
「では、交渉成立ですね。…………。」
ヴィニフレートが小声で何かを呟くと、バン!と金庫の一部が開いた。
「これからあなたたちはわたしの〝取引相手〟です。相応のおもてなしをさせていただきます。」
開かれた金庫には癒しの妙薬・水・食料が並べられていた。