勇猛なる撤退
【敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。】
その来歴故兵法を諳んじる事が出来るヴラドと違い、戦術論には無知なるわたしだが、それでも知っている有名な語句だ。……そういう意味では〝敵の正確な情報も掴めず〟〝自分たちが置かれている事態も理解出来ていない〟現在、百戦百中全てがが危うい状況と言えるだろう。
『我が輩も本気を出す。』
そう豪語し、変異したヴラドの姿は拳ほどの大きさのマスコットから、等身大の着ぐるみ様に大きくなっただけで、色々ツッコミたい所は多いのだが……。なるほど内包する【神気】【邪気】……ヴラドの特異的な相反する能力が桁違いに増幅している。
『まずは……。』
ウラドはそのまま宙を舞い、神なる大樹よりも尚見上げるような巨躯……氷の悪魔サウロンの目線に対峙する。そして森の木々を圧倒するほどの巨大な鉄の串を地面から射出させる。
『……責任をとり、人柱となって貰おう。』
数千の鉄串の内、数百が土偶化された結界の破壊者……。自称東王国の革命集団を貫き、滝の様な血を撒き散らせながら、鉄串は曲線を描いて四方八方から氷の悪魔に襲い掛かる。巨大な剣で防御をおこなうも、数十本は悪魔を貫き、流血させ……サウロンはその傷を氷結させることで止血を施した。
『見ていろリリア、能力とはこう使うのだ。』
ドーム状に変異させた鉄の串、それを丸々暗雲が包み込む。そして雷鳴が轟き、電熱であろう赤い線が幾つもサウロンを切り裂いた。氷の剣からはバチバチと花火かと錯覚するような火花が散っている。
しかし森の聖気と拮抗した邪気が晴れる様子はない、あの悪魔は未だ抗い続けている様だ。直後、兵士達の甲冑に使われていた魔導銀が流体となり、ウラドを包み込む。一瞬わたしは血の気が引いた、日光・銀・流水・大蒜・花弁・聖気……ヴラドの弱点は枚挙に暇が無い。その中でも触れることさえ拒絶する銀を纏わされたのだ。
『流石元英雄、頭が回る。』
しかし、流体から固形に変わった銀は蝙蝠の群れと共に飛散した。
『だが我が輩を止めたければ、テグレクトのように銀字塔を建て上げ、城の中に埋めて見せろ!』
飛散した銀はそのままサウロンへ刺突される。
安堵したのもつかの間、わたしは光と共に絶望を覚える。……朝日だ。燦然と輝く太陽が雲に隠れる様子も無く顔を出し、ヴラドにとって、そして今のわたしにとっては限りなく忌まわしい日の光を照らし出す。
同時に暗雲は晴れ、ただ鉄串のドームに包まれ身動きが取れなくなっているサウロンだけが残された。直後、小さな柩がわたしの髪後ろへ入り込み、一枚の紙を落としていった。
「リリアさん、大丈夫だが?」
満身創痍のルファーさんが、立ち籠めるほどの白いオーラを出しながら、槍を杖代わりにして歩いてきた。……ヴラドの言っていた〝神獣を式にする〟行為の結果だろう。
「ルファーさんこそ!?」
どう考えても大丈夫ではない、治癒魔導には疎いが、骨が二桁単位で折れている。
「森ば捨てて逃げねばなんねぇ、ヴラドの言った通りじゃ、【死人は誰も救えない】。」
その表情は余りにも複雑で、わたしには心境を読み取ることは叶わない。〝森の守護者〟が〝森を捨て撤退を選ぶ〟……どれほどの屈辱であろう、掛ける言葉も見あたらない。ただ解るのは、ここに居ても事態は好転しないという現実だけだ。
「そん手紙……、何て書いちょる?」
……どうやらルファーさんは王国語の文字を読めないらしい。200年も森にいれば仕方がない。わたしはルファーさんを担ぎ、案内を受けながら、森を抜けるよう走り手紙を読む。それは血で綴られた、簡潔な手紙であった。
【森の封印と拮抗が解けるまで10日、それまで厄災は森で留まる。我が輩は3日目覚めぬ、カリフの街に行け。】
「カリフの街?」
ルファーさんはわたしに問いかけるよう目線をくれるが、わたしも解らない。
「……兎に角、タイムリミットは10日。ヴラドが目覚めることを考えると7日、それまでに悪魔を倒す手段を考えましょう!」
まずはルファーさんを治療するところからだ……。治癒魔導は〝白の教会〟の専売特許、既に大難題とも言える試練が待ち受けている。