水の義眼
わたしは思わぬ場所へ、招かれてもいない状態で、望まぬ形で迷い込んだらしい。
状況はこうだ。
・この森は昔、神獣の生息地帯だったが、人間によって狩り尽くされた。
・それ以降森は人間を拒絶し、人間には不可視の結界を張っている。
・その結界は強力で、存在すら感知されず侵入などありえない
・神獣を狩り取った人間は魔導師であった。
・……わたしは黒魔導師である。
そうルファーさんからすればわたしは超弩級の不審人物なのだ。……にも関わらず、ルファーさんは私が金色竜王の餌になる刹那、槍術をもって助けてくれた。
考え方によっては一度生かして、理由を拷問にかけて吐かせることも考えられたが、食べ物・飲み物に手を付けないわたしにルファーさんは率先して毒味までして歓迎してくれた。
ここは【テコナの森】、ヴラドが夜中にもかかわらず机の上で病人のように横たわっている。なんでもこの森には〝聖気〟が満ち溢れており、曰く森全体がヴラドの弱点……〝聖なるもの〟であるらしい。
「でもヴラド、聖気って……白の教会が吹聴してる白の教徒の内部や、聖遺物に宿るものじゃないの?ヴラドだって何回も接したことがあったと思うけれど。」
『噴飯ものだ、聖遺物……やつらが〝奇跡〟という名の略奪で得た神獣の亡骸や、切り倒した神木には確かに聖気が宿っているが、人間に宿ることなど早々ない。それよりリリアは〝聖気〟を感じ取れぬか。』
「ええ……魔力とも神気とも違うのね。不甲斐ないことに、全く何も。」
白の教会が作り売っている〝魔除け〟の最高値を、『下らん』とその綿玉のような手で破壊できるヴラドがこれほどまで弱っているのだ、〝聖気〟なる気配が充ち満ちているのであろう。しかしわたしには、どう目を凝らしても、感覚を集中させても普通の森でしかなかった。
「私の経験じゃが、人間に〝聖気〟を正確に感じ取れるモンはおらんよ、魔神さん。」
『ヴラドと呼べ若造、それにわたしは……魔神と少し違う。』
「ははは、若造ば言われるんは久しぶりじゃな。しかし方法は有らったよ。……【水の義眼】」
ルファーさんがわたしの顔に手を伸ばし、独特な魔導を施した。あまりに流れるような自然な動作で、避けることが叶わなかった。これが即死の魔導だったならば、命はなかっただろう。わたしは一瞬目に違和感を覚え、ゆっくりと目を見開く。
……直後、わたしの景色は一変した。虹色に揺らめく風、外の木々は煌々と神秘的で淡い光を放ち、成っている実は宝石のように燦然と輝いている。木々の上では、ガラスで出来たかのように透明な金糸雀が囀っていた。
「これが【テコナの森】じゃ。」
「あれは……?何やら不思議な生物だらけ。」
ルファーさんの家を出て森を見渡すと、嘶く天馬の幼体、地を泳ぐ一角の稚魚、銀に輝くイルカ……幼い神獣たちが水を求め泉に集まっている。
「この300年で大分成長ばしてくいた。成体さなるまで、あと700年といったとごだいね。」
「ルファーさん、その……。ここまで森の秘密を打ち明けていいのですか?わたしは人間で、魔導師なのですよ!?」
「だはんで、迷い込んだんだべ?なら仕方ねぇじゃ。」
その目はとても純粋で、わたしが悪事を働いたり、森の秘密を他者に打ち明けることを、全く疑ってなかった。エルフとは聖者の集まりなのか?それともルファーさんの危機管理能力に欠陥があるのだろうか……。いや、わたしの心が汚れすぎて邪推しているのだろうか。
「そういえばルファーさんのお母様も……黒魔導師だといっておりましたが。どのような存在かはご存じですか?」
「ああ、父は〝私達と全く異なる術の使い手〟さ言っとった。」
……やはりその言葉に警戒心や憎悪は感じ取れない。
「わたしは、森の〝神獣狩り〟を行った人間の一族なのですよ!?怪しまないのです?」
「すったば事言わいでもなぁ……、やったのが君なら槍で貫くばって、違ぇけ?それに……君はなんだか母とアリスさ似とる。悪人ではねぇじゃろ。」
「アリス?」
「ああ、200年前に……わぁがまだ50歳位の時 君と同じように迷い込んできた魔導師じゃ。」
『恋人か?』
「どんだべな、私にとっての〝特別な人間〟ではあらったよ。」
ルファーさんは何処か寂しげな表情を浮かべ、何かを回想しているようだった。
「あの、今更ですが……。ルファーさんって男性なのですよね?」
「私はちょいと変わっててな、森賢人でもあらし、人間の血も混ざっとる。男でもあって女でもある。」
わたしの頭に疑問符が大量に浮かび上がる、グッタリしたウラドはその意を汲んだようだ。
『ハーフエルフにして半陰陽か、随分と数奇な存在だな。』
「半陰陽?」
『やつが言った通りだ。あやつは〝男でもあり、女でもある〟……。信じたければ、下着を脱いで見せて貰え。』
「よっと。」
「いえ!いいですルファーさん!?あれですよね、要するに……男女両方の生殖器を有しているということですよね!?」
中性的で男女の区別が付かない容姿だと思っていたが、まさか本当の意味で中性とは思わなかった。そしてそんな存在がいることも。
慌てふためくわたしを、ルファーさんは面白がっている。……そんな和気藹々とした空気を壊したのは、ガチャンとガラスの割れる音だった。
「何事!?」
先程まで木々に留まり囀っていた金糸雀が、木から落下し、粉々に砕けていた。ルファーさんも表情を一変させ、緊迫の様相を呈している。
「……結界が破られちょう、それに。」
ルファーさんは目を閉じ、信じられないといった顔をして首を横に振った。
「風の言葉が聞こえない。」