01 絶望戦域/楽園幻想:Ⅰ
そういえば、俺、ライトノベルみたいな学園生活に憧れていたんだよな。
別に主人公じゃなくていい。友人キャラくらいが丁度いい。ドタバタラブコメを横目にヤレヤレって肩をすくめて、バカバカしくもキラキラした日常を、無責任に面白おかしく過ごしてみたかった。
<注意。敵性宙域です。注意。敵性宙域です>
でも、ガチで貧乏だったからなあ。あれも「お金の若者離れ」ってやつだったのかしらん。ライトノベルだって拾い物からハマっての図書館通いだったし。
一番のお気に入りも、二巻を読めずじまいだった。本屋では見かけたけれど。
<網膜を感知できません。至急、戦闘態勢を取りましょう>
ラブコメ。幸せな夢。飢えも病みもしなければ、事故も介護もない。
進学なんてできやしなかった。働いて働いて、それでも間に合わなくて、どうしようもなくなったところで……チャンスをつかんだつもりがこのザマなんだから。
<呼吸効率がイエローゾーンです。供給酸素濃度、上昇>
初めから存在しなければよかったんだ、俺なんて。
<警告。呼吸効率がレッドゾーンに至った場合、コクピット内気圧の上昇処置を実施します。これは血中酸素濃度を高めますが、船体のダメージコントロールに悪影響を及ぼします。予防のための電気刺激を実施するまで、五秒、四、三……>
戦闘補助AIめ。無駄にいい声しやがって。
働かざる者食うべからずで、戦わざる者死ぬべからず。死んだとしても……はいはいわかったよ。目を開ければいいんだろ。
<通知。主力艦隊司令部より進路修正指示あり。アイハブコントロール>
ヘッドギアに映し出される全周囲……無限に広がる暗黒。無数に散らばる星々。
宇宙。
そこを落ちていく。なすすべもなく。
<相対速度、高速進攻モードで固定。第一種射程圏内まであと三十秒>
無重力で有震動のコクピット。三重の意味での『棺桶』なんだから、こいつは。
<ユーハブコントロール。第一種射程圏内まであと十、九……>
容積一杯に横たわっている姿勢がまず早々と死体になった気分にさせるし、生還率が抜群に低いし、そもそもからして外観が黒い棺桶のようで嫌になる。
強襲索敵艇……そういう名称の特攻兵器。
マンホールのような搭乗口に施される封がレの字だから、通称マルレ。
<通知。上位接続による一斉発射を実施します……今>
衝撃。船底に抱えていた大型ミサイルが勝手に飛んでいく。長距離純粋熱核融合弾頭ミサイル。一発で宇宙コロニーを崩壊させるやつが何千発とぶちかまされた。
盛大な爆発光……あれに巻き込まれたなら楽に死ねるんだけどな。
<上位命令。斥候大隊、全機、敵群の突破を図るべし。人類守護の弾丸たれ>
勝手に唸りを上げるロケットエンジン。縦方向にかかる加速度。腹に風穴が開いたような不快感。まるで人生そのものだ。社会の都合で苦しまされるばかり。
そんな重圧に耐えて腰をひとひねり。下半身による操舵。軌道を変更だ。
<注意。大隊の戦術軌道から逸脱しています。修正してください>
嫌だね。状況はどうしようもないにしろ、指示に盲目的である必要はない。ほんの少しの工夫もしないでは、俺は俺ですらなくなってしまう。
「うあ、あああっ! 母さん! 母さあん!」
「痛っ、いだだ、ぎゃああああああ!!」
「喰われる! 喰われちまう! 冒されて……!?」
ああは、なりたくないからな。
明滅する光の内の半分くらいはミサイルの爆発で、残りは味方機の爆散を示すもの。真空が音を伝えなくともわかる。宙域に漂う汚らわしさ……瘴気を震わせて、人間の死に際の激情が響いてくる。誰も彼もが死んでいく。
ん、近場からも反応―――ああ、クソ。クソッタレ。
お前なのか、伍長。
「死角からなんて! 放電装甲……作動しない!? し、侵食が!」
ズームカメラ。索敵艇に同サイズの化物がしがみついている。忌まわしい『宇宙サソリ』。脚とも棘とも触手ともつかない何かが見る間に食い込んでいく。
深宇宙より浮上してくる敵……Debris floating from the abyss……DeFA。
こいつらは異様なほどに人肉を好む。統制を欠いて群がってくる。
つまるところ、俺たちは撒き餌でもあるから。
「助けて! 助けてください! ヤシロ准尉!」
無理だよ。その様子じゃ自爆すらできない。無残に喰われるしかない。
いや……女性は、場合によっては喰われる前にもひどい目に遭うと聞くから。
敵味方識別装置を切ったミサイルを一発、贈るよ。強力な指向性弾頭のやつを。見送りもしよう。爆光を目に焼き付けよう。
「ああっ、嫌っ! こんな、こんなのは……やだやだいやあああああ!!」
さようなら。
今のお前を絶対に忘れないからな、俺は。
<部隊壊滅に伴う緊急コードが入力されました。出力リミッター解除。現宙域からの一時的離脱を許可。母艦への帰還を自動申請中……キャンセルされました>
進路微調整。船首を敵群の最も濃い場所へ向けて固定。
加速。
加速。
加速。
点滅するレッドアラート。歪む視界。頭痛と耳鳴り。嘔吐物の酸いた味と血液の錆びた味。マウスピースを噛み潰す感触。
冒涜的な色の積乱雲へ、億千万と化物どもが群れるそこへ。
単機突入。
実体弾も光弾も体当たりも、全てを避ける。変則機動、えぐり込むように。敵の貪欲さを一身に集めろ。増速。危険密度の真ん中へ。増速。速度で可能性を収縮させろ。パターン化できている範疇にまで。
<警告。サイドスラスター、全基に過負荷。破損する恐れがあります>
FOX1。多連装ミサイルを散らかして時を稼ぐ。エンジンの温度も危ういか。だが加速だ。行く。深所へ。奥底へ。
<右舷前部に被弾。損傷軽微。船尾装甲板の一部が剥離>
うるさい。ダメコンくらいは役に立て。あと少しなんだ。
<ミサイル全種、残弾数、ゼロ。ガトリング砲残弾数、七秒……五秒……>
そら、見つけた。
化物をまとわりつかせた汚わいの大壺。百を超える下劣な赤眼。つまりは敵群の巣にして核たる、おぞましい『巨大甲殻イソギンチャク』。
こいつさえ潰せば……。
<目標捕捉。座標情報を取得。主力艦隊へ打電中……シグナル、受信しました>
よし。これでいい。あとは戦域からの離脱を……ん? あれ?
<警告。サイドスラスター、一番三番六番、破損。二番四番五番、操作不能。メインスラスターに異常。出力停止。再始動できません>
おいおい……嘘だろ?
そりゃないだろ。
方向転換ができない。退避できない。動けない。どうしようも、ない。
あ、来る。
閃光。荷電粒子砲の一斉射撃が、光の雨が降ってきた。暗黒を切り裂く輝きに、とても綺麗なやつに、焼かれる。主力艦隊のボタン押しどもに、戦争好きの老人どもに、意味もなく他愛無く殺される。
ああ、あああ……何てアホらしい終わり方なんだ。クソ。チクショウ。
使い捨てられる、俺。俺たち。ちっぽけでみじめな生と死。
寒い。ここは寒すぎるよ。独りぼっちじゃ。
く……あっ。
◆◆◆
「くあっ!?」
目から火花が散った? つまりは目があるってことだ。
うん。ちゃんと身体があるぞ。焼けただれてもいないしパイロット服でもない。制服だ。学園指定のカッコいいブレザー。
ああ、ここ、学園の図書室か。壁際の自習スペース。大人気のお一人様席。
俺、寝ちゃって、壁に頭をぶつけたってことか。
メガネずり落ちているし。ゲームパッドも床に落ちちゃって。ノートパソコンに表示されているのはゲームオーバー画面ときた。まあ第二のホーム画面か。超高難度シューティグゲーム『ASKAインフィニティ』。通称、飛鳥無限にとっては。
やれやれ。ゲームしていて寝落ちとか、笑える。何とも素敵に平和呆けている。
「先輩? すごい音がしましたけど」
ひょいと綺麗な顔が覗いてきた。グラスグリーンの静かな瞳。BBキャップからウェービーヘアーがこぼれ落ちている。モノトーンのキレカジ系もよく似合う。
七井。隣のスペースにいたんだっけか。
「ハイスコアですね。さすがは『全一』の矢城……あ、おでこ赤くなってます」
「このくらいはお前だって取れるだろ……何その招き猫みたいな手の動き」
「なんでもないです」
「ああ、触ってこようとしたのか」
「知りませんね」
プイと横を向きながら押し入ってくるとか、器用なやつ。
「え、狭いんだけれど」
「リプレイが見たいんです、私」
せやかて七井。衆目がある。変に誤解されたくない。誰かさんは人気があるから妬まれるんだ。多分、学園で一番の美人さんだしさ。
「……なんです、これ。最後に撃墜されてるじゃないですか」
「いや、まあ、生存得点なんて微々たるものだし」
「先輩の発言とも思えませんね。いつも生存第一だってうるさいくせに」
「ええと、時と場合によるというか……俺はいいんだよ、俺は」
「は? どういう意味です?」
「睨むなよ。『弘法も筆の誤り』的な『全一も操作ミス』だって。疲れていたんだ。うっかり寝ちゃってさ」
「眠いのなら帰ればいいのでは? 今日、サークルありませんし」
「ここが一番、居心地よくてさあ」
「先輩の部屋は物が多過ぎるんですよ」
俺のパソコンを勝手に片づけて、自分のコートを着て俺のコートを渡してきて、七井はすっかり帰宅モードだけれど。
「え? 俺、帰るの? っていうか、七井、うち来るの?」
「……ダメですか?」
「別にダメじゃないけれど……今日、俺、食い倒れ横丁で激辛担々麺と凄辛ジャージャー麺の食べ比べをするつもりだからさ」
「く……お、お供します」
「あ、行く? そして何なのその覚悟の表情。普通のメニュー頼めばいいじゃん」
何で俺と一緒にいたがるのか、とは聞かないさ。察しはつくからな。
独りになりたくないんだろ?
自分は自分でしかないはずなのに、どこか自信が持てない。平和な日常を送っているはずなのに、何かがズレているように感じる。正体不明の違和感と焦燥感。
「あ、これは」
「俺のだ。それも落したんだな」
七井が手を出すのに先んじて拾った、名刺サイズの菓子ケース。クールミント系タブレットをひと粒舌の上へ。味はないし食感もない。重さもないし、減らない。
ケースの裏には文字化けした意味不明と……荒いポリゴン。モザイクのような。
「よーし、それじゃ先輩としておごらせてもらおうかな」
「いえ、それは」
「知っているだろ? おごるの好きなんだ。豊かな気分になるから」
そう不安そうにするなよ。大丈夫。そのうち慣れるから。
三日もすればこの夢のような―――ライトノベルみたいな毎日に溶け込めるさ。三百年前の日本を模倣した、懐かしく穏やかな日々に。
「……ごちそうになります」
「ん。行くべ行くべ」
全てを忘れていて、いい。せめて今だけは心を休めておけばいい。どうせすぐに地獄へ……宇宙戦争の最前線へ落とされるんだから。
その時は、また一緒に戦おうじゃないか。世にも哀れなマルレ乗りとして。
七井―――ナナイ伍長。
俺たちの、まがい物に違いない魂が擦り切れて、消えてしまえるその日まで。