その部屋の中へ
「いらっしゃいませ。オルビアさんですね。お待ちしていました。聞いていたよりもずっと綺麗な方でびっくりしてしまいました」
柔和な笑みを浮かべる女性に、オルビアは同じく穏やかな笑みを浮かべて応える。大人な対応だなと思いながら真一とネイロードは少しだけ動揺してしまっていた。
「ありがとうございます。古賀様もどこか面影がありますね。とても懐かしいです」
「あぁ、そういえば私のご先祖と会ったことがあるのでしたね。少し気恥しいです。本日はそのお二人でよろしいでしょうか?外国の方もいらっしゃるようで」
「はい。ご紹介します。私のマスターの武藤真一様です」
「初めまして。武藤真一です」
「そしてマスターのご学友のネイロード・パークス様です」
「初めまして、ネイロード・パークスです。英語喋れないので日本語でお願いします」
「あら、そうでしたか。ごめんなさいね」
ネイロードは見た目だけは完璧な白人であるために誤解されがちだが、英語が苦手な日本人だ。
外見に騙されてはいけないのだと真一はすでに学んでいるとはいえ、初見でそれを見抜けというのは無理な話だろう。
「では私も。古賀と申します。ここの霊装の管理をする一族のものです」
「えと・・・その霊装っていうのは・・・このノートのことですか?」
部屋の前に置かれた机、そしてその上に無造作に広げられているノートに視線を落としながら真一が問うと、古賀は薄く笑みを浮かべて肯定する。
「正確に言えばこのノートではありませんよ。こちらは普通に触れることができますから。ですがこのノートもまた霊装の一部であるのは間違いありません」
そういって古賀はノートを手に取って真一に渡す。確かにノートは間違いなく触ることができた。
だが霊装の一部という言葉に真一は疑問を抱いた。
「じゃあ、いったい何が霊装なんですか?この机でもないだろうし・・・」
「霊装はこの部屋そのもの。このマンションの706号室こそが霊装そのものなんですよ」
この部屋が霊装という言葉に、真一は一瞬何を言っているのか理解が追い付かなかった。そしてその事実を確認しようと扉の取っ手を掴もうとするが、その手はすり抜け、扉を開けることどころか触れることすらかなわなかった。
「うわ・・・マジか・・・!部屋が霊装って・・・そんなのありかよ」
「ふふ、初めてここにいらっしゃった方は大抵そのような反応をします」
「道理でこの建物だけ妙に古いままなわけだ・・・この霊装があるから改装とかができないんですね?」
「そうです。昔よりは技術が進んだために違和感も少なく済んでいるのですが、昔はひどかったんですよ?私が子供の頃は平衡感覚がなくなるような感じがしたほどです」
一部の部屋に影響を与えないように改築、補強をするのは通常の建築作業の中でも難易度の高い部類に入る。
昔は今ほど技術が進んでいなかったために、この部屋に影響がないように補強をするのも一苦労だったのだろう。
霊装が存在しているという存在的な違和感に加え、建物そのものがもつ物理的な違和感も合わさって体調にも影響を与えるほどだったのだとか。
「で、この霊装を体験させてもらえるって話なんですけど・・・どういう霊装なんですか?これって・・・」
「はい、一応系統としては収納と転移に属しています。発動に条件がいくつかありますが、それがこのノートというわけです」
「ノート・・・名前と・・・黒っぽいシミみたいなのがありますけど」
ノートを見せてもらうと、そこには誰かの名前とその横にある赤黒いシミがあるのがわかる。それがいったい何なのか真一はわからなかった。
「血を一滴たらし、本人の署名をすること、それがこの霊装を発動する条件です。また、この部屋の中で意図的な情報の伝達をすれば、強制的に部屋から追い出されてしまいます」
「情報の伝達・・・ってどのレベルなんです?」
「字を書いたり、言葉を話したりといったことですね。以前は一言喋っただけではじき出されてしまいました」
オルビアの追加説明に真一は眉を顰める。一言も喋ってはいけないとはなかなか厳しいなと。
もともと喋るのが猛烈に好きというわけではないが、ずっとしゃべるなというのはそれはそれで苦痛だ。
だがここまでの情報で真一は一つ思い出す。
「なぁオルビア、誰かに会うって言ってたよな?この部屋の中には今誰かがいるのか?」
「はい、いらっしゃいます。マスターにお会いしていただきたい方が。マスターがお会いしたいと思っているお方が」
「・・・もしかして・・・」
真一はその可能性に気付いた。そしてノートをめくって今まで来た人物の名前を一人ひとり確認していく。
そこにはその名前があった。もうかなり前のページだ。経年劣化のせいもあってかなり紙が痛んでいるが、それでもその名前と、その近くにある赤黒いシミはしっかりと残っていた。
そこに記されていた名前を、真一は口にする。
「五十嵐静希・・・もしかしてこの部屋って、タイムマシン的な何かなのか?」
「タイムマシン、と呼べるかは微妙なところです。この部屋の中で、縁のあるかたが、同じ部屋の中に入れるというものです。そして私は昔、まだ静希様にお仕えしていた頃、マスターにお会いしたことがあるのです」
過去、オルビアが真一に会ったことがある。
その事実に真一は少しだけ驚いていた。だが初めて会った時、オルビアは真一を初めて見た人間のように接していたはず。
「でも、初めて会った時は俺のこと全然知らなかったよな?」
「あの時、私はマスターの顔も、名前も知りませんでした。私が見たのは鎧姿のマスターと、マスターの手に収まっていた私の姿だけ・・・情報の伝達ができないのでそれが精一杯でした」
「鎧・・・ってことは、俺がそうなるってことはわかってたのか?」
「鎧を着ていただけなのでは・・・あるいはもともと所有していた能力なのではと思っておりました。あのような形になるとは思っていませんでしたが」
ただ鎧を着ていただけではどのような事情があるのかまではわからない。オルビアもまさか真一が奇形種の細菌を取り込むことによって疑似的に能力を発動しているとは思わなかったのだ。
そんなことを予想しろというほうが無理な話である。
「じゃあこれから、俺は『あの』五十嵐静希と会えるのか」
「そうなります。緊張しておられますか?」
「少しな・・・話だけはすごい聞いてたから・・・ちょっと待って、ちなみになんだけどその・・・相手は何歳くらいの時なんだ?」
入った時の年齢というのは重要だ。もし相手が老人の時に出会っていたら、どう反応したらいいのかわからなくなってしまう。
五十嵐静希がどれほどの年齢で亡くなったのかまでは真一も覚えていないが、少なくとも満足に話すこともできないとなるとある程度肉体言語での会話が必要不可欠になるだろう。
さすがの真一も敬老精神を全く失っているわけではない。老人を殴ったり蹴ったりするようなことはしたくはなかった。
「静希様がこの部屋に入ったのは、高校一年の春休み、ちょうど今と同じ時期ですね。そしてその十年後、静希様が二十六歳になった時に、同じく入られました」
「えっと・・・つまりあれか、この中に入ると十六歳と二十六歳の五十嵐静希と出会うことができるってことなのかな?」
この部屋の中が一種のタイムマシンになっているのであり、真一と五十嵐静希の間で一種の縁が結ばれているというのであればそういうことになっている。
だがオルビアは首を横に振った。
「それはおそらくできないかと思われます」
「ん?どういうこと?」
「はい、実は静希様が二十六歳の頃、この部屋に入った時にはマスターと出会わなかったのです」
この部屋の中に入った人物は時間的な差異を取り除き、同じ部屋に入った縁のある人物と出会うことができる。
それを文面通りに理解するのであれば真一は年齢の違う二人の五十嵐静希と出会えるはずなのだが、オルビアの言葉を聞く限り二十六歳の五十嵐静希に出会うことは難しそうである。
「どうして出会うことができなかったんだ?俺は十六歳の頃の五十嵐静希とは出会えるんだよな?」
「それは間違いないかと。私自身がその時にマスターと出会っていますから。ですが静希様が二十六歳の頃には、マスターとは出会いませんでした」
「んん・・・古賀さん、何か心当たりはありますか?」
この霊装の持ち主であり使用者でもある古賀に問いかけるが、古賀もそのような状況に遭遇したことがないのか首をかしげてしまっていた。
「私もそういったことは聞いたことがないですね・・・というか、私はこの部屋に入って複数、別の人物と出会ったというのは身内の方以外では初めてなのですが」
一族で情報を継承し、自らの子孫と出会うようにしている者たち以外、基本的に複数の人物に会うというのは難しい。
未来の自分、過去の自分と出会うことはできても、示し合わせなければ自分の子孫と出会うことだって難しい。
さらに言えば真一のように赤の他人と出会うということはかなり可能性が低い部類になるのだ。
古賀自身も、管理をするようになって何人もの人間がこの部屋の中に入っていったのを見てきたが、真一のようなタイプはかなり特殊な例であるといえるだろう。
「マスターの場合は私、そしてマスターの持つ『歪む切札』が静希様との縁となっていると思われます。血縁関係はないのは間違いないので、おそらく・・・という話ではあるのですが」
血縁者以外で出会う可能性。オルビア自身と霊装『歪む切札』が縁となっているのならば二十六歳の頃の五十嵐静希と出会えなければおかしい。
だが結果、過去オルビアは出会えなかったのだ。それこそが最大の疑問である。
「まぁここで議論していても仕方がないんじゃないか?とりあえず入ってみるのがいいと思うけど」
「それもそうか・・・えっと、血をたらして自分の名前を書けばいいんだっけ?」
「はい、刃物は何かお持ちですか?」
「えぇ、オルビア、頼む」
「かしこまりました」
オルビアは自分の本体を手に取り、真一の指先にわずかな傷をつける。
にじみ出るような血を真一はノートに垂らし、自分の名前を記入した後で首にアドレナリンの注射を行う。
一分ほどかかって形成された全身鎧を前に古賀は驚いている様子だったが一緒にいるネイロードは全く驚いた様子はない。
オルビアは跪き、自らの剣を真一にささげる。真一はオルビアの本体をトランプの中に収納すると、扉を開いて部屋の中へと足を踏み入れた。