その木何の木
『おや、外出かね?』
喜吉学園の学園寮からの外出届を出した後、真一たちは学園寮の前にある大きな広場の前を通っていた。
私服に着替えての外出に反応したのか、真一たちに声をかけた者がいた。だがその姿はほとんどの者にとっては認識できないだろう。
それは仕方がない。事情を知らなければ幽霊か何かにでも声をかけられたのではないかと思ってしまうほどだ。
「あぁ、ちょっと人にあってくる予定」
『帰宅は何時ごろだ?さすがに休みとはいえ、門限を破るのは見過ごせないぞ?』
「わかってるよ。門限までには帰る。もし危なくなったら佐々木さんから寮監に言っておいてくれない?」
佐々木と呼ばれたその人物。いや真一やネイロードの視線の先にいるのは人間ではなかった。
そこには一本の木が立っている。その裏側に人がいるということもない。誰かが姿を隠しているということもない。
そう、真一たちが話しているのはこの木なのだ。
『ふむ・・・では今度腐葉土を買ってきてくれるかな?それで手を打とう』
「了解。栄養剤とかはいる?」
『あぁ、それもあると嬉しいな。あと最近私の枝に鳥が巣を作ってしまってね。彼らの巣を少し場所を変えてくれるとありがたいんだが・・・』
「あれ?どいてくれなかったのか?」
『あぁ・・・そこがいいんだそうだ。私としてはもう少し根元の方が安定してくれてありがたいんだけど・・・言っても聞いてくれなくてね』
「わかった、適当な場所に変えておくよ」
佐々木と呼ばれたこの木は、かつてこの学園の卒業生から寄贈された木の奇形種である。
人間の脳に限りなく構造の部位を持ち、人間と同じような思考を行うことができる。さらに言えば奇形種ということもあって能力を扱うこともできていた。
その能力が、こうして真一たちに声を届けている、いわゆる『念話』である。
近くに居る動物に対して自分の声や意思を届けることができる。その対象は人間に限らず動物なども対象となる。
相手の意思もある程度わかるため、疑似的に動物と会話ができているようなものなのだ。
かなりの勢いで成長したからか、本来の樹齢よりもかなり大きく育っているその木は、喜吉学園の学生寮のある種のシンボルにもなっている。
春には綺麗な赤い花を咲かせ、秋にはその葉を黄色く染める。奇形種だけあって特定の木のそれとは似ても似つかない不思議な木なのである。
真一も初めてこの寮に訪れた時驚かされたものだ。
「あ、そうだ佐々木さん、ちょっとアナウンスをかけてほしいんだけどさ」
『ふむ、誰宛だ?』
「寮の人間全員に。共用の冷蔵庫の食べ物、いくつか賞味期限が切れてたぞってオルビアが言ってた。自分のものがあるなら至急食べるように伝えておいて」
『む・・・わかった。伝えておこう。オルビアさんは今も君と一緒に?』
佐々木の言葉に呼応してトランプの中にいたオルビアが飛び出してくる。佐々木を見るや否や穏やかそうな笑みを浮かべていた。
「佐々木、食材の件は頼みます。特に菓子パンの賞味期限が切れそうなものが多いですね」
『えぇ、わかりました。伝えておきましょう。気にするようなことでもないように思いますが・・・』
「そうはいきません。食材を無駄にするような行為は避けるべきです。明利様のお言葉を忘れましたか?」
『いえ、いえ・・・忘れたことはありません。至急伝えましょう』
オルビアの言葉に佐々木はそれ以上反論できないのか、寮にいる人間全員に向けて念話によるアナウンスを流し始めた。
すると少ししてから寮の中で足音が多くなり始める。おそらく冷蔵庫の食材を確認しに行った生徒たちの足音だろう。
「オルビアって昔から佐々木さんと知り合いなんだっけ?」
「えぇ、彼が生まれた頃から・・・というか種だったころから知っています。彼を育てたのは静希様の奥方様ですから」
「へぇ・・・昔の佐々木さんってどんな感じだったの?今の大きなイメージしかないからちょっと気になるな」
今はそれこそ樹齢何百年クラスの立派な木になっているが、それこそ昔はもっと小さかったころがあるのだ。
そんな小さなころの佐々木を想像できないため、真一とネイロードは少し興味をひかれていた。
「小さかった頃の彼は芋虫や毛虫が苦手でしてね。あれは葉を食べますから。そういうこともあってよく明利様に虫よけをお願いしていました」
「へぇ・・・芋虫とか毛虫が苦手って子供みたいだな」
「実際子供でしたよ。人間と同じように思考ができるといってもそこは木ですから。最初は鉢植えに入れて育てられていたのであちこち移動できましたが、徐々に大きくなってきてからは庭先での生活になっていましたし、それにさらに大きくなってからはこの学園にきましたからね、ほとんど外の世界を知らないのです」
「だから話し好きなんだな。話して他の人の情報を知ろうとしてるってことか」
「彼にとって人と話すのは娯楽のようなものなのでしょう。なるべく話してあげてくださいね」
オルビアの珍しい表情に真一とネイロードは少しだけ驚いてた。指摘するときにするような厳しい表情でも、純粋に喜んでいるときのようなものでもない。どこか憂いを含んだ、母親のような表情だった。
「で、オルビアさんや、結局今日は誰に会いに行くんだ?」
学園を出た真一は、今日会いに行く人物について言及していた。結局誰かに会いに行くということはわかっていても、誰に会いに行くかは聞いていなかったのだ。
オルビアのことだから何かしら意味があるということは理解できる。今までもそうだったように今回もそうなのだろうと真一は勝手に納得していた。
「有名な方に会いに行きます。事情により、あまり公共の場で口に出すのは憚られるようなお方です」
「有名人か・・・それは楽しみだな。芸能人とかそういうの?」
「いえ、あの方はそういった活動はしておられませんでした」
「じゃあ政治家とか?」
「そうですね・・・多少それらしい行動はとっておられましたが、あまりそういった活動は好きではなかったようで・・・あくまで裏で操るといいますか、そういったことをしておられました」
「なんか聞けば聞くほど気になるな。名前は・・・聞かないほうがいいのか」
公共の場で名を告げることがはばかられる。おそらく何か事情があるのか、一般人に聞かせたらまずい理由でもあるのだろう。
電車に乗り込み、オルビアの先導によって移動をする真一とネイロードは窓から見える風景を見ながら近くに居るオルビアに話を振る。
「まぁ僕としても気にはなるよ。何となく予想はできているけどね」
「なんだよ、ネイロはわかってるのか?」
「行先を聞いたからね。そこがどういう場所だかわかっていれば多少の予測はつくってものさ」
「なんだよ、お前らだけわかってるのか。じゃあヒント、なんかヒントくれ。当てて見せる」
ヒントと言われてオルビアとネイロードはどうしたものかと悩み始める。具体的なヒントを出してくれと言われても、どういえばいいのか迷うところなのだろう。
ネイロードに至ってはある程度の予想はつくとは言え、正解を知っているわけではないのだ。
その正解を知っているオルビアと違って、出せる情報にも限りがある。その限られた情報の中でヒントとなる言葉を、ネイロードは考え続けていた。
「あぁ、なら僕からは一つ。これはたぶん確実に言えることだ。『君は、これから会う人物に会ったことがない』ということだよ」
「ん・・・有名人ならあったことがなくても不思議はないわな。テレビとかで出てるのを見るくらいか?」
「なるほど、なかなかうまい言い回しですね・・・でしたら、そうですね・・・私からはこのヒントを。『マスターはその人のことを良く知っています』」
「よく知ってる・・・かなり有名な人か・・・?なんかすごく曖昧になってきたぞ?有名人なら知っててもおかしくないし会ってなくてもおかしくないんじゃないのか?」
真一の言うことは大まか正しい。だが二人の言うヒントは口頭で告げている上辺だけの意味だけではないのだ。
真一はその意味に気付けていない。情報が限られすぎているため仕方がないともいえるだろう。
「行けばわかりますよ。とはいえ、何も教えないのでは心の準備もできないでしょう。もう一つだけヒントを『その方はマスターと会ったことがあります』」
「は?ちょっと待てよ。さっきネイロードは会ったことがないって言ったぞ?」
「あれ?オルビア、僕の考えているのとは違う感じなのかい?」
「ふふ、それは行ってのお楽しみということでどうか」
オルビアは楽しそうに笑っている。答えを知っている者と知らないものでは出す情報が異なる。
ネイロードの出した情報との矛盾に、真一は眉をひそめてしまっていた。ネイロードも頭を悩ませていったい何のことを言っているのだろうかと首をかしげている。
悩む二人を見てオルビアは笑う。その答えがわかるのはあと少し後の話だろう。
オルビアがした約束が、オルビアが頼まれたことが、こうして現実になる。
長かった。とても長い時間だった。
もうどれだけ会っていないだろうか、もうどれだけ声を聞いていないだろうか。もうどれだけその手に触れていないだろうかとオルビアは目を細める。
「なぁネイロ、とりあえずヒントもうちょっとくれ。何かわかんないと悔しい」
「お、名探偵の血が騒ぐのかい?それじゃあ真実を一つにしに行こうか」
「うるせえよ。何だったらじっちゃんの名前でも何でも賭けてやるよ。うちのじいちゃんもうボケてるけどな」
「んー・・・そうだなぁ・・・じゃあヒント追加。『その人には特定の場所でしか会うことはできない』かな」
「・・・なんかさ、聞く限り病院とか牢獄とかの面会みたいなイメージができてるんだけど、気のせいか?」
「あはははは。確かにそうかもしれないね。でも大丈夫。その人は多分犯罪はやってないと思うから」
「いえ、いろいろやっていましたよ?対外的には犯罪ととられかねない行動を」
「そうなの!?じゃあマジで監獄とかに行くのか・・・」
「まぁ、たいていはもみ消しましたが・・・良くも悪くもあの方の周りにはそういうことが得意な方がいたので」
「あれ?なんだかすごく不穏な感じになってきたぞ?今日会うのはモリアーティかな?」
「俺いつからホームズになったのワトソン君」
探偵続きで話が展開していく中、オルビアはそんな二人を見て微笑む。実際にあったときどんな顔をするのか、非常に楽しみだった。