互いに求め、求める
康太がホテルなどを予約したその当日、文は康太と一緒に街に出歩いていた。当然のように、奏たちが選んだ服を着て。
それを持ってきたのが、その服を届けたのが、アリスだという時点で、文はすべてを察してしまっていた。
悪魔のような笑みを浮かべるアリスを前に、文はどうすることもできなかった。全ての気力を失った状態で、文はアリスの着せ替え人形のようにてきぱきと着替えさせられてしまっていた。
といっても、そこまで妙なコーディネートではなかった。淡い水色のシャツに、ホワイトカラーの八分丈のパンツ、手荷物として小さなカバンに、左腕には腕時計、右手にはブレスレット、そして長い髪は特徴的な髪留めによって一つにくくられている。
ハイヒールに近い踵の高いサンダルを履いて、もともと彼女が有している長い手足とその豊満な肉体を前面に押し出すかのような、そんなコーディネートだった。
ここだけならば何も文句はない。ここだけを見れば、文は何も文句はなかった。そう、問題なのは下着だった。
まさに勝負下着とでも言いたいかのように、過激な下着を身につけさせられたのである。
ただ表を歩いているだけなのに、恥ずかしさで顔から火が出そうなほどだった。このコーディネートがスカートではなくてよかったと、心底文は感謝していた。
だが体のラインがはっきりと出るパンツルックでは、下着のラインも出やすい。そういう意味で、この格好はさらに不味かった。
これを着替えさせられているとき、アリスによって康太が部屋を追い出されていたというのが不幸中の幸いだったといえるだろう。
その服に気付いているのはおそらくまだ自分だけのはずだと言い聞かせながら、文は平静を保とうとしていた。
「大丈夫か文、なんか早々にいろいろとされてたみたいだけど」
「大丈夫、大丈夫よ、あとでアリスはぶん殴るから」
真っ赤な顔で握りこぶしを作る文を見て、康太はそれは果たして大丈夫なのだろうかと疑問を抱くが、こんなやり取りはもう見慣れたものだ。アリスが文をからかうのはいつものことだ。今更気にしても仕方がないだろう。
「でも……その……あれだぞ?俺が言いだしたことだけどさ……無理しなくてもいいんだぞ?そんなに嫌なら」
「……違う、嫌じゃないの。それだけは違う」
康太が言いかけた言葉を、文は止めた。康太が、もし自分が嫌がっているように思えたのなら、それは絶対に否定しなければならなかった。文は、それだけは、そんな風にだけは思ってほしくなかった。
「前にも言ったけど、康太、私はあんたの子供が生みたい。あんたと結ばれたいし、あんたとずっと一緒に居たい。その気持ちは嘘じゃないし、あの時からずっと、今だってそう思ってる。だから、そんな風に思わないで……」
ハイヒール型のサンダルを履いているため、普段よりも近い康太の顔に迫るように、文はそう言い切る。
そしてそれを言い切ってから、自分が口にしたことを思い返して顔を真っ赤にする。耳まで真っ赤にしてうつむく文を見て、康太はつい笑ってしまう。笑っては悪いと思いながらも、それを止めることができなかった。
文に嫌がられているわけではないという安堵と、単純に、文の可愛らしい部分を見てしまったから、笑うのを止められなかった。
「そ……そういう……わけだから……」
「……その男らしさが何故今出るのか……文に告白されたとき、胸倉掴まれたのを思い出したよ」
「……うっさい。あの時は、いっぱいいっぱいだったの」
文は昔から、よくわからないところで度胸がある。そして、よくわからないところで乙女になってしまう。康太はそれを思い出していた。
「あの時、確かわけわかんなくなって風呂で取っ組み合いしたっけ」
「もう、忘れてよ。あの時のことは」
「まぁまぁ、だってあの時、俺もお前もわけわからなくなってただろ?一時のテンションというかなんというかさ」
その時のことは、文もよく覚えている。いや、よく覚えているが、よく覚えていないというのが正しいだろうか。
少なくとも、正常な精神状態ではなかったのは間違いなかった。
「文」
「何よ」
「今日、楽しもうな」
それはいったい何を、とは、文は聞かなかった。ただ一緒に買い物をして、食事をして、それだけでも楽しいのだ。
一緒に居れば、一緒に話していれば、一緒に過ごせば、それだけで、周りの景色も変わって見える。
それだけでいいと、文は思ってしまう時もある。
だが同時に、物足りないとも思ってしまうのだ。
触れた時に、匂いを嗅いだ時に、声を聞いたときに、もっと、もっと、もっと欲しいと、もっと近づきたいと、もっと満たされたいと、そう思ってしまう。
欲望といってしまえばそこまでだろう。その欲望を文は理性で押さえてきた。だが、文の我慢も、限界に近いのだ。
康太が限界だったように、文もまた、限界が近かった。こうなるのは必然だったのかもしれないと、文は、康太と一緒に歩きながら、そんなことを考えていた。
一緒に遊んで、一緒に休んで、一緒にホテルにつき、一緒に食事をして、他愛ない話をして、一緒に部屋に入ってからも、文は、何となく、そう、今までずっと足踏みしていたその一歩が、ようやく踏み出せるような気がしていた。
今までと同じ。追い詰められて、その場になってしまえば、何とかなる。どうにかなってしまう。
ここ一番の度胸は、アリスのお墨付きだ。問題は、そこに至るまでが、とてつもなく長いというだけのことで。
「文」
名前を呼ばれ、そして康太に体を引き寄せられ、文は康太の腕の中で、康太の胸に顔をうずめながら、その体を抱きしめていた。
康太のにおいが、鼻を通じて、肺を通り脳の中に染み込んでいくかのようだった。康太の体温が、文の方へと移っていき、その下腹部に熱を持たせていくのを感じていた。
文の体は細い。康太の細身ではあるが筋肉質な体と違って、柔らかい。康太が全力で抱きしめれば、壊れてしまうかのような体だ。
だがそんな体でも、康太は力いっぱい抱きしめる。この圧迫感が、文は好きだった。どうすることもできない、もがくことも、息を吸うことですら康太に支配されているかのような感覚が、文は好きだった。
「いいか?」
「……はい」
答えは短かった。だがそれでも康太には十分すぎた。だが文の体がわずかに震えているのを感じてか、ほんの少しだけ腕の力を弱め、文を安心させるように笑って見せた。
「大丈夫、ちゃんとアドバイスはもらってるから」
「アドバイス?」
「そう。女の子の初めては痛いだろうから、しっかりと前戯をするようにって」
「……それって、誰のアドバイス?」
「奏さんから。だからいつも以上にいじってほぐしていくからな。とりあえず、まぁ三、四回くらいかな」
そのアドバイスが、おそらく奏だけではなく、アリスからのものでもあるということを文は察していた。だからこそ、それが危険だということがわかる。
「ちょ、ちょっと待って、三、四回?待って待って!そんなにしなくても」
「大丈夫大丈夫、文の気持ちいいツボは心得てるから。任せとけって」
文は嫌な予感が止まらなかった。文が康太に奉仕をしている分、康太もまた文に奉仕をしているのだ。当然、文の感度の良い場所も心得ている。当然、そのあたりは、ずっと互いにしてきたのだ。わかりきっている。そして何より、康太はもう止まるつもりはないようだった。
文の体に押し付けられるその熱が、もう逃がすつもりはないと、そう主張している。
自分が恥ずかしい、過激な下着を身に着けていることなど、文はもう頭からなくなっていた。それよりも今は、自分が朝まで意識を保っていられるかどうかの方が、重要で、粗相をしないようにしなければならないと、そんなことを心配していた。
康太の腕に包まれ、唇を奪われ、唾液を交換し、そしてベッドに横たわった時点でも、まだその心配は頭にあった。
もっとも、その心配は結局のところ、康太の奉仕が始まって三十分程度で頭の中から消えてなくなったわけだが。




