表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異形の修道士は花を摘む  作者: かみ
船上ノ旅
39/40

賭けを好む師弟達の苦悩

 真上を昇っていた陽は傾き落ちて、西の水平線上に消えて行く夕焼けに船上の上で照らされる影が二つ。

 一方は年若い青年、もう一方の男は青年よりも一回りほど歳を食っているだろう年齢の男だ。

 ノア、そしてハーマン。それが彼らの名前である。

 甲板の欄干はきめ細かな装飾が施され、大変美しい造形をしているというに、彼らはそれを眺める事は無い。ハーマンに至っては不躾にも背を預け、微かな夕陽を身に受けて過ごして居る。

 斯様な時間を幾許続けていただろうか。

 海面を切って進んでいく船の潮風が身に染みる程か、見えぬ地平線を目指して飛ぶカモメも夜の闇に羽を休めに赴く程か。徐々に徐々に、緩慢ながらも確実に東の空は深い藍色を引き連れてやってくる。

 解決すると豪語した筈の事件が牙を剥き、ハーマンの服を血に染め抜かんとした今一歩の所で、修道士(賭けの対象)が間に入り、代わりにその身を貫かれた。

 出血量を最小限に留めるべくその身を動かさぬ様に気を遣い、涙を引っ込めたアウロラに医者を呼ばせ、呆然としていたノアを怒鳴りつけて調理場の男と共にダナの身柄を再度抑えさせ……ご老輩二人には後々に証言を乞う形で一旦部屋に帰し、給仕の女性には船長への報告を向かわせ、死ぬかも判らない修道士を前に、ハーマンは気を確り保てと声を張り上げ続けていた。

 人は皆自分が一番とするだろう。人は皆我が身が一番可愛いだろう。自己より他者へ矛を向ける事は容易いものだ。

 幾度危ない目に遭ったか数える事も忘れる程、人間は愚かで儚い存在だ。

 ふと、海を臨んでいたノアがハーマンへと向き直る。


「先生」

「……なんだい、ノア」

「あの修道士の方は、無事でしょうか」

「……それは、……神様しか、知らないんじゃないかな」

「あの……、…ハーマン先生について往く様になって、俺は色んな事を見聞きしました。凄惨な事件現場もまた、何度も。あの人のように、鋭いナイフなどで刺された人を数度みました。深く、貫通して刺さっている姿も、何度も。でも皆死んで、」

「ノア」

「……すみません。先生」


 声が震えている。何かに怯えている。

 医者が確かに言っていた、修道士の男を無理に動かすと、そこから血が多量に流れてそれこそ死んでしまうと。食堂は明日の朝までは使えそうにないのだと。

 首を横振りながら告げる医者の言葉は、裏を返せば、今宵の内に修道士は亡くなるだろうと暗に述べている。

 ――親が子を思うように、私もあの子を大切に思っています。

 ノアの脳裏に、穏やかに告げた修道士の姿が浮かぶ。腕にべったりと張り付き、まるで親を慕う子の如くくっついていたあの女の子は、この先どう生きればよいのだろうか。

 寝て起きた時、平然としている我々と、物言わぬ亡骸となってしまった修道士を見て、彼女は何を思うのだろうか。


 どうして見殺しにした!! どうして母さんが死ななければいけないんだ!! どうして、どうして、どうして!!!


「どうして俺が生きてるんだ……」


 思い悩むうち、ふと過去の記憶がまざまざ蘇って、意識せず口から言葉が吐き出てくる事がある。優しい本質を持っている青年故に、忘れる事の出来ない青年が故に、ノアのこれは初めてでは無い。

 ぴくりと眉を動かすと、ハーマンは物憂げに耽るノアの肩を横から小突く。


「ノア」

「……! ぁ、すみません、……本当にすみません」

「いや。いいや。……ベラと言ったかな、あの少女は。物珍しい色の髪をしていた。ウルバノにはあまり居ない髪色だね」

「え、えぇ。でも、変人と有名な先生の事務所を出入りしている子だし、先生よりはまともな子だろう、みたく皆普通に接してくれるのではないでしょうか」

「君って存外に失礼な奴だよなぁ」


 からりとした笑いが空に小さく木霊する。

 ごつごつとした装飾を背にしているハーマンが背筋を伸ばし、それからやや後ろに反って空を仰ぐ。心地良い夏の空、遙か遠くで渦を巻く雲が瞳に映る。

 ノアを弟子として迎えた過去の空も、確かこんな景色だったか。

 太陽が夜に追われて西へと逃げ延び、迫り来る深い色が空を覆い尽くす。星が点々と瞬いて無骨な空に花を添え、何処からか風に吹かれて千切れた雲がぽつりぽつりと寂しげに漂っている。

 果てなく広がる空の下、止まらない時間の中、人間の息吹が一つ消えた所で、この光景は変革せず淡々と続けられる。

 移ろう空を見上げているように、この世界を創造した神とやらもまた此方を見下ろしているならば、尊い命の一つ救いあげるなんて造作も無かろう。

 それとも、そんな命すら砂粒以下にしか目には映らないのであろうか。

 らしくないものだとつい首を項垂れて、ハーマンは帽子のつばを持って目深に被る。その仕草の意図に気付いたノアもまた、帽子を目深に被って眼元に影を落とす。


「神という存在がこの世におあしますれば……」

「……………」

「彼の遺した儚い命を、どうか見守らせて頂く事をお許しください」

「……それが、せめてもの、慈悲として賜らせてくださいますよう」

「……願いたく」


 人間の彼らは、人の生き死にをようよう見てきてしまった。深く、暗い海の底でも覗く様に。

 あの傷では助からない事を知っている。修道士を庇える事が出来ず居た自らの愚かさもまた知っている。

 胸のすかない事件とは幾つも対峙してきた。これが初めてではない。時に依頼者から罵られる事もまた多くある職業だ、見えない心の臓を抉られる思いは慣れているつもりだった。

 西の空へと伸びる暗がりが、いつの間にか船の頭上を通りすがっていた。

 夜がやってくる。

 きてしまう。


「……先生、そろそろ、様子を見に行っても、よいでしょうか……?」

「……ああ、そうだね」


 鬱屈とした表情を振るい落とすように、ノアは顔を左右へ揺らす。肯定を示したハーマンが、反らせていた背筋を伸ばして息を飲む。

 手を尽くしてはみる。陽が落ちるまでは入るなと医者に釘を刺されていたが、もう良い頃合いだろう。

 彼らが甲板から船内へ戻ろうと踵を返した直後、激しい足音を立てて甲板へと走り上がってくる誰かの足音が聞こえた。男の物に比べれば軽く、子供の物に比べれば重い、女性の足音だ。


「探偵さんいますか!!!


 耳慣れた女性の声が、陽の沈んだ空へと木霊した。

 困惑の色を顔に浮かべ、眼元を腫らしていたその姿は、紛れもなくアウロラだった。

 同じ景色を二度見た。きっともう一度、この景色を拝む機会があるのだろうとハーマンが誰にいうでも無く胸中に呟いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ