賭けを好む師弟達への難儀-4
アウロラは室内に響きわたらせんばかりの大きな声量で、確かにそう言い放った。
ダナを指差す不躾な所作を伴う姿は一切の迷いすら滲ませず、だからこそか、生き生きとした目をしていた。
「アリアスティアは、花を咲かせた様に愛らしい顔で私に教えてくれたんです。私はもうすぐ殺される。醜い性根の男に殺されると……!」
「……ふざけているのか? 苦し紛れの言い逃れにすらなり得ない。アリアが何故君にそう言える? アリアがそう君に言った証拠は? 根拠は? そもそも部外者の君はアリアの何を知っている? それとも何かい、君は婚約者である僕の事をアリアは殺そうとしたとでも言いたいのか?」
「そうとしか言えないでしょう今の私の発言は!! アリアは、アンタに殺されるくらいならって自死を選んだのよ!!!」
「馬鹿馬鹿しい戯れ言を言うな。見苦しい」
「あーー!!! もう焦れったいです!! 黙って聞いてればムカつく事しかぁあ!!!」
状況は直ちに悪化へと向かっている。物凄い早さだ。
毒殺の証拠たる砂糖菓子を発見し、ノアは彼女を案じて心に葛藤を抱いていたのだが、もはや現状はそれ処ではない。
死人を前にしても構わず、啖呵を切って醜い言い争いへと発展してしまっている。
――仮にアウロラが毒を盛った犯人だとするならば、少し調べれば判るようなやり方をするだろうか。証拠の残存する室内へ、いの一番に俺を呼ぶだろうか。
ハーマンは変わらず訝しげな面持ちで彼らの争いを静観して眺め、給仕の女性も調理場の男も、第三者である老夫婦も修道士も、剣幕に圧されて口をつぐんでいる。
「………………あの」
激高する二人から放たれる罵詈雑言の隙間を縫うように、鈴の鳴る様な声で、ユリアが一言声を出した。
ぴくりとアウロラの睫が震え、ダナが眉を顰めて彼女を見る。
「………ダナさんは。もしかして、ご存知なかったかもしれないですね。婚約してまだ半年もありませんから。
姉さんは、旅が好きで。この船を使って、彼方此方の街へと良く出掛けて行ったんです。
だから、そちらのアウロラさんと親しくなって、誰にも言えない様な悩みを打ち明けても可笑しくは……」
「ユリア、君まで何を可笑しな事を言うんだ?」
酷く醒めた物言いをするダナに、ほんの一寸だけユリアの顔が動揺と怯懦に曇る。だが、それを払い退けるかの如く、彼女は一睨を向けて声高に言い放った。
「……世継ぎを成さなければと、真っ当な両親ではなく会頭という立場からの圧力に屈していたって、可笑しくはないはずなんです!」
死んだ女性の妹である彼女、ユリアは初めて声を荒げた。
アウロラとダナの繰り広げていた声の幾倍も部屋に響き、その後の空気をしんとさせる。
これ幸いにとハーマンは視線の行く先を、死んだ女性の着いていたテーブルへと改めて向けていた。
グラスに注がれた酒、人数分のケーキ、混乱の後に散乱したらしい食器類、……。囓られた砂糖菓子は二つ。もう一つのケーキに乗せてある砂糖菓子は手を着けられていない。
ノアの言葉通りなら、一片も欠けていないそれはダナという男の物。
「……失礼。ダナさん。貴方はユリアさんのお姉さんである、アリアさんとのご婚約は半年程であるとの事で。
この事件に関係が無いことかもしれません、その事をご承知置きの上で、故人となった彼女とのなれそめをお聞かせ願えますか?」
「…チッ。探偵とは随分、私情に探りを入れるような真似をしでかす輩なんだな。まあいいですよ。
アリア、彼女はある大商会の会頭の娘であり、僕はその商会へ出入りする御者の息子で。
言うなれば契約結婚の末に成り立つ間柄ですよ。元々顔見知りだったのは、ユリアでしたが」
「なるほど、そうですか」
――死んだ女性を助け起こす事もせず、熱心にアウロラと罵倒し合ったり、女性の妹であるユリアにどこか高圧的であったり、馬脚を現す所か晒しきった侭だな。
「アリアさん。アリアスティアさん。何処かで聞いた名前だなぁとは思っていたのですけれど」
「そうだろうとも! アリアの家はこの船にも品を卸して、贔屓にし合っていると聞いた事がある、無理もない」
「アリアスティア・ロベリア・カルデナ。カルデナ商会の華、ロベリアお嬢さん。ああ、なるほど。なるほど」
「ロベリア……」
ノアが独り言ちる。視線の先には、ケーキの上に乗せられた砂糖菓子の花があった。
特徴的な花弁を持つ、鮮やかなスカイブルー色の砂糖菓子だ。
「……まさかダナさん。商会の象徴を共に背負うだろうアリアさんの、ミドルネームを冠した花の存在すら、知らないなんていうのは、いやぁ。
俺の目から見ても、婚約者としては不相応じゃないでしょうかねぇ」
「…………ははは。さっきのはつい、気が動転して忘れていただけですよ。それに、」
「それに不思議ですねぇ。いや実に不可思議だ。結婚を祝う大切な場で、二人のために用意された折角のケーキはもとより、ご婚約者のアリアさんと同じ花芯の色をした砂糖菓子すら、ただの一口も食べていないなんて。
ユリアさんやアリアさんのお皿にあるケーキは半ば以上も無い上、紅茶もすっかりカップの底が見えている。それなのに貴方のそれらは一切手を着けられた様子が無い。
アウロラを執拗に糾弾して犯人に仕立て上げようとする様は、何かに急いて怯えているようですね。まるで誰かを殺した殺人犯のようだ」
「………へぇ。随分と言うじゃないですか、探偵風情が」
「せ、先生! ハーマン先生!」
失言を制止する様なノアの声に応えるでも無く、然し片眼を眇めて合図を一つ送る。
ノアの胸中に、不安の波が一気に押し寄せいく。
あの様に追い立てる発言をするハーマンは、些細な言動や状況から判断して得意の"勘"を頼りにブラフを用いて揺さぶりをかけているのだ。
冷静な判断を保てる人間であれば、或いは、潔白な人間であれば、動じる事などあまり無い。無い筈だが。
顔色を変えるダナの人相は、酷く歪んでいた。
「そう思えますか。事実を述べたまでですよ、ダナさん」
「はははは」
故に、ノアはそれ以上の口を挟む事は無かった。
乾いた笑い声が部屋に響いた。笑っていない目、異様に吊り上がった口角、虹彩から覗く影はあまりにも暗く澱んで見える。ダナの顔つきは異様と言って過言では無い。
がくんと肩を落としたかと思うと、ダナは靴を踏みならしながら散乱するテーブルへと向かう。近場にいるユリアを一瞥すると、途端に彼女の首根を掴んで引き倒した。
「いっ!!? や、やめて、いた、痛いっ…!」
「ちょ、ちょっと!!! ユリアさんを離しなさいよ!」
「!? ダナさん! 落ち着いてください! ユリアさんを、……」
「ユリアの名をそれ以上気安く呼ぶなぁああああああああ!!!!!」
地を這う亡者の叫び声すら、もっと人間らしい物では無いだろうか。
低く唸る様なそれは、強い憎悪と悪意に満ちて、さながら咆哮に近く、ハーマンの耳には届いたのである。
然るべき相手に向けた挑発の意が強いブラフは十二分の自白をもたらすが、このダナという男に限っては、明瞭な殺意を抱かせるに強すぎたかも知れなかった。
ユリアの首根を掴むその手は、へたり込む彼女の頭頂部の毛髪を強く掴んで無理に顔をあげさせた。
「馬鹿な女が勝手に死んだとぬか喜びをさせられたものだ! 疑惑の目を向けられた以上、どうにでも出来やしまいだろう! ああ、もう面倒だ!! 下らない!! もうどうでもいい!!
折角仕込んだ毒も無意味になった! アリアを殺し、妹のユリアと結婚して大団円とはいかないもんだな、ああどうでもいい!!
つまらない御者の家で一生飼い殺されるより、さっさとコイツも殺して僕も死ぬとしよう!!!」
喚き散らすと称すに相応しいその光景に、ハーマンが片眉を上げていたその瞬間、ダナのケーキに載せられていた砂糖菓子をユリアの口へと押し込んだ。
ノアが見せてくれた通りであれば、食せばたちまち身体を蝕み死に追い遣る猛毒入りの砂糖菓子だ。
懸命に咳き込みもがくユリアに構わず、男は彼女の喉奥へ菓子を突っ込み、水の入った瓶をテーブルからかっ攫って瓶の口を突き込み無理に水を飲ませた。
「アリアは俺も揃えて殺すつもりだったんだろう、嗚呼死んでやるとも、ユリアも道連れになぁ! はははははは!!!!」
「この外道が……!」
ノアと給仕の男がダナを羽交い締めに抑えつけ、アウロラと給仕の女性がユリアの背を叩いて必死に菓子を吐かせようとする。
ダナの手から落ちた瓶から水が溢れ出して小さな水溜まりを床の上に作る。食器の一つ二つもまたテーブルより滑り落ち、酷い惨状だ。
そんな最中だというに、その声は矢鱈よく響いた。
「ユリアさんは、死ぬ事はありませんよ」
聞き取り以来頑なに閉口していた修道士が、眉一つ動かさずそれとだけ述べた。
「ミっ!!」
食べかけのケーキごと床に落ちた皿の上で、自らの腹部らしい箇所をぽんぽん叩いた生き物が鳴いた。




