賭けを好む師弟達への難儀-2
宣するハーマンは、先ず室内の様子を覗き見るべく屯している人の波を散らすようアウロラに促す。指示を受けたアウロラと、目許の赤さを残す給仕の女が、人々を客室へ誘導すべく部屋を後にした。
現場を見るに辺り一番怪しく思えるのは、まず同じテーブルに着いていたであろう男女だ。
青ざめた顔のまま座り込んで放心している彼らの様子を胡乱げに思いながらも、ハーマンはいの一番に彼らへと声を掛けた。
「如何なる過程でこの女性が命を終えたのか、教えて貰っていいですね」
ハーマンの声に、男は睨み上げる様にして顔を上げ、女はいつまでも俯いたまま、亡骸を見下ろして頷いた。
横目に修道士と女の子、老夫婦、調理場前の扉にいる青年の様子を窺い終え、彼らの聴取をノアに任せると指で示す。
「お願いします」
亡骸の顔に自らの上着をそっと掛け、淡とした声でハーマンは乞うた。
先んじて口を開いたのは男の方であった。
「僕は亡くなった女性と二つ目の港を降り、荷馬車で山一つ越えた場所にある街へ向かう予定だったんだ。
亡くなった女性は僕の婚約者で、一緒に居るこの女性は、彼女の妹だ」
「私は……姉さん達を港で見送った後、三つ目の港で降りて、旅に出るはずで……でも、こんな事になるなんて……」
「婚約者は、食事の最中に急に苦しみだしたんだ、泡を吹いて、目を剥いて、苦しみ抜いて倒れ込んで、……後はご覧の有様と言うか……」
「何らかの病気を患っていたご様子はないですか」
「ありえません! 姉さんは!! …姉さんは……いつも、元気で、明るい笑顔が、眩しい、姉さんで……」
「……。街で待っている両親に、なんて説明すれば良いんだ……これでは、我が神の祝福も受けられない……」
「……………」
憔悴しきる男と女の様子に違和は見受けられない。テーブルの上をふと見遣ると、グラスに注がれた酒が二つ、切り分けられたケーキが人数分、囓りかけの砂糖菓子。
男と、亡くなった姉の結婚を祝う会食の最中であったんだろうか。損傷の一切無い亡骸から察すると、他殺として妥当なのは毒物の使用か。
何らかの病気、発作による死亡という考えも浮かんだが、女の言葉で直ぐに掻き消えた。
「……殺人、事件……か」
ふと、脳裏に過ぎる言葉に瞬く。もっと情報を纏めて整理しなければ。
考えに耽るハーマンは、顔を覆ってさめざめと泣き啜る妹と、それを労る男から目を反らし、ノアが聞き込みに及んでいる老夫婦へと目を遣る。
困惑の色が隠せていない老夫婦達と、死者の出たテーブルは少し開きがある。有用な情報は余り引き出せないかもしれない。
残る目撃者は、直ぐ傍らのテーブルに着いていた修道士と女の子。それから、給仕の女、アウロラ、あの生け簀からたびたび魚を運び出していた調理場の男。
「ノア! その方達から話を聞き終えたら、次は調理場の人達に事情を伺ってくれ。彼女らが食べた物なんかは特に入念に聞いてくれ」
「! は、はい! わかりました、ハーマン先生!」
「それから、貴方がたも。キッカリと事件の全容を解決し終えるまでは、此処に居てくださいよ」
「はい……」
「……早く明らかにしてもらいたいものだ」
手帳へ筆を走らせるノアの背中に大声で伝え、ハーマンは入念にとばかり、男女へ告げる。
婚約者が亡くなったとなれば、気が立っている男の様子も無理はない。肩を揺する所作の末、ハーマンは女の子を抱える修道士の元へと歩み寄る。
「……先程は、うちの助手でもあるノアが世話になったようですねぇ」
「いいえ。此方こそ、彼には大変世話になりました」
「こんな時じゃなかったら、お茶でも淹れて話し込みたい所なんですけどね。お話を聞いても?」
「宜しいですよ」
ハーマン以上に淡々と喋る、一見して愛想の無い修道士の受け答えもまた、違和を見受ける箇所はない。
女の子を抱える修道士の手が、さり気なく耳元へと宛がわれている辺り、座に堪えない話を聞かせたくないのであろう。賢明だ。あの不思議な生き物の姿が見えないのが少々惜しい。
交錯する思考を切り替え、ハーマンは椅子を引いて、修道士の対面に腰を掛けた。
「亡くなった女性は、同席していた女性のお姉さんだそうです。位置関係からして、直前に何か変わった様子なんか無かったです?」
「……いいえ。私には、彼らが、ただただ。和やかに食事をしていたとしか、見えませんでしたね」
「そう、でしょうね」
「……ええ。食事中、突然女性が苦しみだし、息を引き取ったようにしか。私はその女性の背中側しか見えませんでしたから」
「そうですか。どうも、ご協力を……」
「――それと」
直ぐ傍のテーブルとは言え、背中しか見えていなかったのであれば、詳細はあの男女でなければ聞き出すには難しいだろうか。
頭を垂れ、間を置かずテーブルを後にしようとしたハーマンの所作を止めるよう、修道士の声が続いた。
「……この子達は、甘い物がとても好きでして。あのテーブルに置かれていた食べ物を見て、同じものをと、アウロラさんに願ったのですが。少々食べ物の様相が違っていたようです。
アウロラさんにも、戻ってきたら話を窺った方が宜しいかと」
「! そうですか、それは。貴重なお話を、ありがとうございます」
ハーマンを見て、いや、ハーマン越しか。何か躊躇うような、少々口ごもった風な物言いを気がかりに思う。
修道士の微かな表情の機微に目を細め、心に覚える引っかかりを気にしながらも立ち上がる。
いつの間にか戻ってきていた給仕の女も含めて、調理場の男と共に話を聞いているノアが目に映る。
「さて、………」
唯一の出入り口でもある扉へ駆け寄ると、ハーマンは内開きの扉に手を掛ける。
「ハー―――マンさーーーん!!」
「のわァッッ!!!」
それが思い切り開かれ、硬い木製の扉で勢い良く殴打を受ける形となったハーマンの奇妙な叫び声が響き渡る。
彼の名を呼んだ声の主は紛れもなくアウロラであり、そして、ハーマンを見事に殴打したのもまたアウロラである。
「あー!?! またやっちゃった……ぁ"ッ! じゃなくって! ハーマンさん、お客さんは全員客室に押し込……、…片付けました!」
「お部屋にご案内したと言え、アウロラ」
「アイアイサー船長!!」
賑やかに騒ぐ彼女の背後から荘厳な雰囲気を放つ、隻眼の男が呆れた物言いで言葉を続ける。
簡素な服飾のアウロラが着込む衣服と違い、肩や服裾には細やかな刺繍が施された布製のコートを着込んでいる。彼女が呼んだ通りの肩書きを持つ人物なのだろう。
「事を急かせるつもりはございませんが、宜しく願いますよハーマンさん」
「出張ってくるトコロが違いますよ、ベルリーニ船長」
幾度も乗船を重ねているハーマンはこの男、船長とも顔見知りではあるが、不名誉な事件に大分ご立腹している事だけは窺えよう。
客人皆に簡単な挨拶を済ませた後、船長らしくアウロラに何事か指示を与えた末、滞在時間は数分と持たず颯爽と室内を後にして行った。
「……さっさと事件を解決しろって、事ですかね」
言葉尻にかけて鋭い眼差しへ移り変わった、船長の目許に萎縮を覚えたまま、ハーマンは話を聞き終えたノアを呼びつけ、頭を抱えたくなる手でそっと拳を作っていた。




