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異形の修道士は花を摘む  作者: かみ
船上ノ旅
33/40

賭けを好む師弟達への難儀-1

 ノアと名乗った青年が食堂から客室へ伸びる廊下を歩いて行く。

 見知らぬ乗客とすれ違い、客室の扉が延々と続く廊下の突き当たり。清廉な貴婦人が白い小舟に乗った絵画が掛けられているその隣の扉の前に立ち尽くした。

 きょろきょろと辺りを見回し、後ろから着いてくる男を一瞥する。扉に鍵を差し込んで解錠すると同時、肩を落として扉を背に男へ体を向ける。それに口角を上げた男は、青年の傍へ歩み寄りながら帽子のつばを持ち上げて顔を晒した。

 

「先程の男性と、彼が連れていた少女、血縁関係はないようですよ。()()()()()()()()()()

「はっは。やっぱりな」

「なもんで。俺の、遠い親戚という予想はハズレでした」

()、だろ」

「……ハーマン先生、()()どうにもアナタが好かないですよ」

「はっはっは。賭けは賭けだからな。負けを認めるのは、立派な大人になるために必要だ」

 

 悪態を吐く青年ことノアは、着込む上着の裾ポケットから数枚の銅貨を揃えて手に取り、ハーマンと呼んだ男の掌へと置いた。

 一、二、三……六。計六枚の銅貨を数え終えると、ハーマンは自らの胸ポケットへと放り込む。乱暴な扱い方だと睨むノアにもどこ吹く風といった(てい)で、ノアの頭上に手を押し遣って扉を開けた。


「うわ!」


 寄り掛かっていたノアがバランスを崩して室内にもつれ込むと、より可笑しげにハーマンは笑った。悪く思う気など微塵も無く、ひっひっひ、と作ったような笑い声を零している。

 窓の無い室内は陰気くさい。一つ一つの灯りを全て点けて行くハーマンの背中を、床に背をつけて倒れ込む侭のノアが目で追い掛ける。

 通り掛かりの見知らぬ誰かに間抜けな姿を見られまいと、足だけを粗雑に動かして、扉を足蹴に閉めるのは忘れなかった。

 

「ノ~~ア~~く~~ん。いつまで床で塵の気分を味わってるんだ、俺はごみを弟子にした覚えはないんだがなぁ」

「ごみではありません。俺の予想は何故外れたのか、それを考えているんです」

「ほーう」


 入り口傍の壁に埋まる楼台、ベッドのサイドテーブル傍ら、小さなテーブルの上。それぞれの蝋燭へ火を灯し、暗い部屋を明るく照らす。

 飄々としているが、あの男は暗がりを子どものように毛嫌いしている。寝入る時ですらキャンドルランタンを灯していないと嫌だとごねるのだ。

 誰にも聞えない口の中で悪態を吐き連ねると、満足したのか、ノアは片腕を突いて立ち上がった。部屋へ運び込まれていた鞄を二つ取ると、丁寧に整えられたベッドの片側へ座り込む。鞄のうち一つは、もう一方側のベッドの上へと投げ遣った。

 乱暴な奴め。ハーマンの大きな独り言が、部屋に木霊する。


「まぁ、子連れが家族かそうでないかという賭けは博打のようなものに違い無い」

「……なら、銅貨六枚は高すぎやしませんか?」

「だがなぁ。あの修道士は絶対、あの女の子と血の縁が無いって、俺には感じられたんだよ」

「と言いますと?」

「ずばり……、……勘だ」

「……はぁ」


 ノアの溜息も木霊して響く。


「勘っていうのは案外と大事なもんなんだ。女の勘には勝らないが、ひと目見て"ぴんとこない"と言う感覚は大いに重要だ。人間は便利さを対価に、そういった鋭感が薄れてくる」

「……わかりました。はい。"なんとなく"で探偵稼業をこなしているアナタについていってしまったのが俺の運の尽きですからね。それ、確りと覚えますよ」

「よろしいよろしい」


 皮肉を込めた言葉にも動じず笑い飛ばす調子へ、ますますと不機嫌そうにノアは閉口した。

 相反して機嫌の良さを表すかの如く、ハーマンは鼻歌を口ずさみながらベッドの上の鞄を開く。ごちゃごちゃと物が入り乱れて入っているが、勝手知ったる手腕で目宛ての物を幾つか取りだした。

 古びた羊皮紙、羽根ペン、没食子を用いて作った自家製インクを入れた小瓶。両手に抱えたそれを小さなテーブルへ移す。


「修道士と女の子、とは別だがな」

「?」

「妙なイキモノが居ただろう、ノア」

「……あぁ、たしかにいましたよ。ボタンの目と、白黒の布で作られた妙な生物が……」


 立ったまま机へ向かうハーマンは、雑に置いた羊皮紙へインクをつけた羽根ペンを走らせた。背を向けられながら話し掛けられるノアはと言えば、ベッドの上に胡座を搔いて受け答えに耽る。

 今にして思えば不思議な生物だった。だがノアは、修道士に気取られまいとして、あの生物をあまり注視していなかった。


「あれは、魔女の遺物なんだ」

「…………魔女の遺物、ですか?」

「そうだ。最後に行われた魔女狩りは、今から大凡二百年前とされている。……今では迷信として語られている精霊の類いが、人間に接触したという記録も同じくらいに途絶えたな。

 二百年前に台頭した奴等はそれだけ、世界に良くも悪くも影響を与えたって事だな」

「……先生。ハーマン先生。確かにあの生物は奇妙でしたけれど。魔女とか精霊とか。もう遙かに昔の話ですよ、そろそろ追い掛けるのは止めたらどうです?」

「はっはっは!! ノアにまで時代遅れ呼ばわりされるとは、自分の評価も地に落ちたものだ」

「アナタが時代遅れとはいいませんよ。亡霊騒ぎはよその街の噂として流れてきますから。でも、魔女や精霊はちょっと……少なくとも、ご近所さんに話したら失笑される類いの話題です」


 呆れた様子で続けるノアの言葉を受け流しながら、ハーマンは引き続き羊皮紙にペンを走らせている。

 目を光らせて遠くから観察していたあの生き物を忘れないうちに、羊皮紙へと書き写しているのだ。単純な形ながら、白い布と黒い布を複雑に切り貼りされたような容貌、ボタンの目。隣に人間の手の平を書いて、大体のサイズ感を思い出せるようにする。抜かりは無い。

 懸命なハーマンの背中を見て暇を持て余すノアは、徐にベッドへ横になる。枕元に鞄を置くと、両腕を頭の下にやって室内の天井を眺めだした。


「……ノア、あのイキモノだが」

「ヴィダルと言うそうですよ」

「ヴィダルか!」

「はい。アウロラさんと彼らが話している時に聞こえてきて」

「あぁ、お前の想い人の……」

「違います!!!」


 声を張り上げて否定するノアに、あからさまに肩を揺らしてハーマンは笑った。違うと告げたわりに顔へ熱を注ぐノアだ、どうにも信用に値する表情には思えない。

 一年ほど前に乗船した際、彼女と偶然同じ航海で乗り合わせたノアは乗組員のアウロラに淡い感情を抱いたのだ。幾度も乗船を繰り返して顔と名前を覚えて貰え、喜びに浸るノアはなんとも初初しい。ハーマンには平然と悪態を吐くノアだが、彼女を前にすると借りてきた猫のように大人しくなる。つまりはそういう事なのだ。

 一人うんうんと頷き、甘酸っぱい青年の恋心を冷やかして満足感を覚えながらも手を動かすハーマンであったが、間もなく羽根ペンをテーブルへと置き直した。

 インクが垂れないことを確認し、ヴィダルと名を添えた羊皮紙を両手に持ち上げる。


「不思議生物図鑑の最新ページ、できましたか」

「お陰様で仕上がったよ。うーん、数年ぶりに作ると、腕が鈍って仕方ないね」

「良かったですね」

「へっへっへ」


 態とらしい笑い声に、ノアはハーマンの背中へ「いー」声に出しながら口をいの字にして向ける。意味の無い所作は、舌を出さないだけましだろう。

 机の端に書き込まれた羊皮紙を寄せ、ベッドの上に置きっぱなしである鞄を取るべく半身翻す。


「さて。最新ページが乾くまで、インクの量産でも……」

「頼みますから、この前みたいに、零したりしないでくださいよ」

「だあいじょうぶさ、以前のはちょっとした不可抗力みたいなもので……」

「どうだか……」


 ふすりと鼻を鳴らすノアに、ハーマンが頬を搔いて誤魔化し笑いを浮かべた刹那。

 勢い良く開いた扉の音は唐突に部屋へ響き渡り、焦燥を含んだその声は唐突に二人の鼓膜を揺るがした。


「探偵さんいますか!!!」

「!! あ、アウロラさん!?」

「やぁアウロラ。事件でも起きたのかい?」


 息を切らしたアウロラが、二人が寛ぐ部屋の扉を開け放って飛び込んできたのだ。

 ベッドを降りながら焦りを隠せないノアの声が裏返り、陽気で飄々としたハーマンの声が緩やかに続く。慌てて走ってきたのか、息切れによって咳を二回ほど繰り返した後、アウロラは大きく頷いた。


「それも、殺人事件なんですよぉ……!!」

「……優雅な船旅に殺人、ねぇ」

「! 場所、場所はどこですか!?」

「食堂です!!! とにかく、すぐ来てください! 急いで!」


 急かす彼女の声に切羽詰まった物を感じ、ノアとハーマンは部屋を出て食堂へと向かうアウロラの背中を追い掛ける。

 食堂は、つい先程、賭けを興じる二人が出てきた場所だ。

 なんだどうしたと騒ぎ立てる人集りを掻き分けて、アウロラとノア、ハーマンの順に食堂へと足を踏みいれた。


「!」


 魚が優美に泳ぐ硝子箱の前には一人の女性が倒れ込んでおり、その傍らには顔を青ざめさせて座り込む女性と男性がいた。どうやら同じテーブルで食事を楽しんでいたらしい。

 食堂の入り口に近いテーブルには、一組の老夫婦が不安げに顔を曇らせながら席に着いた侭でいる。

 そして、倒れ込む女性の頭と向き合う様にあるテーブルには、先程賭けの対象としていた"修道士と女の子"がいた。亡骸を見せない様にと、女の子を腕に抱いて顔を背けさせている。

 食堂の調理場へ続く扉の前には、訝しげな顔をする白い服装の青年が立ち竦む。


「これは……」

「あ……あの……!」


 給仕に励んでいた女性が、泣きそうな顔をしてノア達の元へと駆け寄ってきた。


「人が、人が……!!」


 懸命に言葉を重ねようとする彼女だが、直ぐに、わあぁ、と堰を切ったように泣き出してしまった。

 まだ年若い彼女を、アウロラが慰める様に肩を抱く。ただならぬ気配にノアは固唾を飲み下し、ハーマンは双眸を細めて彼らを見渡した。


「ハーマン先生……」


 息を詰めるノアに、険の残る面持ちをどうにか和らげると、ハーマンは空咳を零しながら帽子のつばを持って直す。

 食堂に居る人間一人一人を吟味しながらも、倒れ込む女性の元へ歩み寄って屈む。頸部へ手を添え、口許に指を添え、手首を握る。

 完全に此の女性が絶命している事を確認すると、再び立ち上がって硝子箱へと背を向けた。食堂全体を改めて見渡し、深い呼気を一つ落とす。一瞥を向けた先の修道士が、アウロラが給仕の彼女へそうしている様に、幼い少女の背を撫でているのが見えた。


「……自分はしがない探偵ですが。夕食前には、事件を片せるよう尽力しますよ」


 緊迫した室内で、ハーマンの穏やかな声が空気を震わせた。

 見知らぬ修道士を賭けに使った罰にしては、随分と身に重いものだ。

 胸中、ハーマンは悪態を吐かずには居られなかった。


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