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異形の修道士は花を摘む  作者: かみ
船上ノ旅
32/40

船上の人々

 すっかり魚を平らげたベラとヴィダルが、硝子越しで優美に泳ぐ魚を見に行っている折の事。


「そう言えば……アウロラさんは、先程、階段下にいた私達の元まで転げる様にしていらっしゃった記憶が新しいのですが。何か急ぎの用向きでもあったのでしょうか」


 人懐こそうな笑顔を浮かべて私達を見守る彼女に、今し方思い出して私は問いを投げた。彼女へ食事を頂いている最中に思い出すとは、不躾であったかもしれない。

 食後に水を啜る私の声に、彼女は忙しく大きな目を瞬かせる。如何した物かと首を傾いでいると、瞬かせていた目を大きく見開き、途端に顔を真っ青にした。


「わ、わ、……!」

「……わ?」

「忘れてましたぁ!! 船長のところに乗客リストを持っていくんでした!!! 船長が苦手なあまりついうっかり忘れて……あ、あの! 修道士さま、お金はもう支払い済みですから、ゆっくりしていてどうぞーー!!!」


 食堂に彼女の賑やかな声が響き渡る。それだけ言い残すと、帽子を目深に被り直し、慌てたように食堂を飛び出して行くのが見えた。

 服装からして恐らく彼女の位は、この船の中では高くないのだろう。苦手、と零していた様子からすると、……態と忘れていた、とも聞えかねないが……彼女を引き留めてしまった要因は私にあると言える。

 後程彼女の弁護を図れる機会を探しに行かなければ。


「せんせい、せんせい。アウロラ、さんは、もう来ないのですか……?」

「……どうでしょうかね。今日は、少々難しいかもしれません」

「ミ?」

「あぁ、うぅ。お魚さんのおなまえ、わからないですね……」


 硝子へ背を向け、悄げた風に視線を落とすベラが息を吐いている。私はその背を軽く撫で叩き、被る帽子越しにも頭頂を撫でる。

 食堂内にて給仕を行う方に、テーブル上の皿を片して貰い、広くなった机上へ、私は乗船と同時に貰い受けた簡単な海図を広げる。

 手で描かれたらしいそれは、船の航路ならず近海を把握するのにとても役立つ。大切に保管しなければ。


「ベラ、ヴィダル。それでは、……いま暫くは船の上での旅となります。船がどのような航路を辿って、目的の街へ向かうのか、おさらいでもしましょうか」

「! はい!! ま、まり……あ……号……の……?」

「マリユス・ラ・アル号……と言うそうです。偉大な海の神が操る船、だそうです」

「いだいな……神さま……ですか? 神さまのおなまえが、船の、おなまえなんですか?」

「ええ、はい。これ程までに大きな船だと、名をつけるのが習慣……になっているのでしょうか」

「ミ、ミッ。ミ!」

「せんせい! せんせい、どうしておなまえを、つけるのですか?」


 些細な事ではある物の。ベラは、旅を始めた頃よりもずっと、様々な物への興味を抱いている。

 興味を抱かせた先の説明を出来うるならばしたい所だが、私もまだ知識が多いとは言い切れない。私が嘗て生を全うしていた頃よりもずっと、この世界は進歩を遂げている。

 この船もそうだ。

 切り出した大木を彫って小さな船を作り上げるのが精一杯であった私の村には、否、時代にはこの様な大型の船を造り上げる技術が存在していなかった。

 思わぬ箇所で躓いてしまっている。なぜなに、と尋ねるベラの顔は、とても楽しそうに輝いている。

 如何様な答えを用意してやれば良いかと悩む私が、自らの口許へ手を遣って考えに耽るその最中だ。私達の傍らで、一人の青年が足を留めた。


「いいかい? この船に名前があるのはね、この船が特別だからなんだよ」


 平たい帽子を被り、上等そうなコートを着た茶髪の好青年がにこやかな笑みを携えて私達へと告げた。いや、どちらかと言えば、私へ教えを乞うベラに、代わりに応えてくれたようだ。

 先程食堂を飛び出して行ったアウロラさんと同年代に思える年の頃だ。


「とくべつ……ですか?」

「ああ、そうだよ。僕らを乗せているこの船は、乗組員もいれれば千人は下らない数の人間を乗せてる。とっても大きな船さ。だけど、大きな船はそう易々と幾つも作れない。

 この船だって、作るのには何年もの歳月を掛けたっていうんだ。船を作る技術もいるからね。

 そんな貴重な船に敬意を示して、彼らは名前をつけたのさ。マリユス・ラ・アル号、とっても荘厳な船の名前だよね」

「まりゆす…ら、ある号……」

「そう。偉大なる海の神、マリユスに因んでつけられた名前だよ」

「……なるほど」


 敬意を示して船に名前をつける。ましてや海の神に因んだ名とあらば、航海の無事を祈る意味も込められているのだろう。

 見れば、彼越し、遠目に見えるテーブルには、彼と似た様な格好の男が座っているのが窺える。平たい帽子のつばを持ち、口角を上げながら此方の様子を見ているらしい。

 青年よりも普段着に重きを置いたような……胸元を開けた楽な格好、と、言えば良いか。双眸を細めて見遣ると、帽子のつばを下げて顔を背けている。


「あぁ、すみません! 急に話し掛けて、ちょっと無作法でしたね……!」

「いいえ。私の代わりに、この子へ知識を授けてくださりました。ありがとうございます」

「あはは……とんでもないです!」

 

 男を私の視界から隠すようにか、それとも。推し量る私に声を掛けると、青年はへこへこと頭を下げる。

 隣に座るベラは、教えられた船の名を懸命に繰り返して覚えようとし、ヴィダルはテーブルに広げた海図の上で何やら泳ぐように両手足をばたつかせている。

 見えないのは困るので、ヴィダルを片手で摘まみ上げると、海図の端へと座り直させる。次いで、その手でもう一脚ある椅子を引いた。


「船に詳しい、のであれば。この船の行き先や、寄港する町にも詳しいかと存じます。差し出せる物は、ないのですが……宜しければ、教えていただけないでしょうか」

「えッ! あ……えぇと……」


 私の申し出は斯様に突飛なものであったろうか。

 首を傾ぐ私から視線を反らした青年が、背後を振り向いて何やら周囲を見渡すような素振りをしている。

 何かと尋ねる暇もなく、身振り手振りをした後に向き直り、中途半端に引いた椅子へと彼は座り込んだ。


「連れ合いの人を待たせていたのですけど、良いと言ってくれたんで、僕でよかったら」

「ありがとうございます」

「! ありがとう、ございま、す!」

「ミ……」

「あはは。歓迎をどうも」


 芳しくない反応のヴィダルを置いて、ベラは無意味であろう挙手をしながら、私の言葉を真似て青年へと返す。

 挙手の反動で脱げかけた麦わら帽子を被り直させ、改めて広げた海図へと視線を落とす。


「僕と連れ合いの人は、最初に寄港する町で降りるんですけど、そこまでの航路が一番長いんです。二番目の港についた後は、三回ほど夜を迎えればすぐ三番目の港につきますよ」

「そうなのですか」

「はい。最初の港までが長い分、そこを発つのも数日はかかりますね。食糧の補給、船の整備、何より一番大きな港から乗り込む人もいるんで。その人達の受け容れ準備……などなど。

 大きな港は様々な物の流入量も一番だし、観光にも向いてますよ。一時的に船を下りる人もいますね」


 随分とこの船に乗り慣れているらしい。いつになく真剣に聞き入るベラと共に、私も彼の話を頭の片隅へ聞き留める。

 ……ベラの手指が、最初の港を示す箇所をなぞって、叩く。顔を見ると、その表情は期待に満ちあふれ、降りてみたいのだと言わんとしているのがありありと見て取れる。


「この港ではね、港前広場に幾つも美味しい屋台が並んでいるんだ。色んな美味しい物が売ってあるんだよ」

「……あまい、ものも、ありますか?」

「それはもちろん! 僕が好きなのは、君の掌よりも小さなりんごを使った焼きりんごかな」

「やきりんご……!」

「………なるほど」

「せんせい! やきりんご、食べたいです!」


 いま食事を摂ったばかりであるというに。

 物言いたげな私の表情を察してか、ベラは両手で拳を作ると、椅子に座り直して私へと体ごと向ける。


「やきりんご、きっと、おいしいです! せんせいにも、わたしのやきりんご、あげますよ!」


 わたしのやきりんご、とは。

 未だ見ぬ焼きりんごがいつベラの物になったのだろう。そう茶々を入れることは、控えよう。

 この船へ乗り込む前日も、私の存在を知った人間達がこぞって海遊びでの平和を祈りにやってきては、過剰なまでに金銭を手渡してくれたもので、船代を差し引いてもその焼きりんごなる物は、きっと幾つも買えるだろう。

 ……結果論ではあるが。ベラの集めた貝殻も大いに使ってしまった。貰い受けた金銭の一端を、彼女が使う権利もある。

 ……と思うもので。


「……はい。はい、わかりました。焼きりんごですか」

「わあい!」

「其処でしか飲めないアリーベルオレンジを使ったジュースも美味しいですよ」

「オレンジ……ジュース……!」


 ベラの視線が、抉らんばかりに私へと突き刺さる。


「……そのジュースも飲みましょうね」

「やったー!」

「ミ"ッ!?」


 甘やかしているつもりは毛頭ないのだが、旅の楽しみというものは、幾つかあった方が良い。

 椅子から飛び降り、机の端に座っていたヴィダルを手に振り回すベラに、私は肩を落として長く長く息を吐く。

 溜息にも似た息遣いは、随分と重たそうな吐息を含んでしまっていた。


「……よ、余計な事を言ってしまいましたかね?」

「……いいえ。旅先に楽しみを作る事は、大事と言えるでしょう。船旅に花を添えて頂いたようなものですから、……ありがとうございます」

「あぁ、よかったです!」


 心の底から安堵した様に彼は笑うと、ヴィダルで遊ぶベラへと視線を投げて(まなじり)を和ませる。

 歳の離れた兄弟でも見守るかの如く柔らかな眼差しに思えた。

 そうして、二番目の港、私達が向かう予定である三番目の港、それらの特徴を粗方尋ね終えた頃合いの事だ。

 彼は帽子のつばを上下に揺すり、髪と同色の目を覗かせ、私へと問いをなげかけた。


「あの、つかぬ事を伺いますが……身なりからするに修道士さん、ですよね」


 何処か真剣みを帯びた声の調子に、緩慢に背を正し、私は緩やかな所作で頷こう。


「ええ、はい」

「その子は、貴方の……お子さん、では無い、ですか?」

「……血は繋がっていません。ですが、……親が子を思うように、私もあの子を大切に思っています」


 何か探るような物言いが気がかりに思えた。

 つい語調に訝しそうな声を含んでしまい、私は彼の格好を今一度確認する。……()の、銃と剣が交差する紋様(宵の明星)が、何処かに刻まれていやしないだろうか、と。


「あ、す、すみません! 特別な意味はなくて……船に修道士さんが乗り込んでいるのも珍しくて、ついそんな風に尋ねてしまって。重ねて無作法を働いてしまいました」

「いえ、……いいえ。気を害したわけではありません、どうかお気になさらない様に願います」

「そう仰ってくださると助かります! ありがとうございます。あ……連れ合いを随分待たせてしまいました、戻りますね!」

「そうですか。此方こそ引き留めてしまい申し訳ありません。貴重なお話をありがとうございました。……ベラ、ベラ」

「! は、はい!」

「ミ"ッ、ッ」


 ヴィダルを片手に握り込み、硝子越しの魚をぼんやりと眺めているベラの背中へ声を掛ける。

 慌てて戻ってくるベラは、ヴィダルをテーブルの上へ放り投げると、私の片腕を両腕で掴み、……さながら。背へ隠れるようにして、青年を見上げている。

 立とうとする私を察してか、いいですよ、と、青年は笑って手を左右へ振りながら立ち上がった。


「座ったままで恐縮ではございますが……ありがとうございました」

「ありがとう、ございます!」

「広い船の中ですが、貴方にまた会う機会があれば。その時はまた」

「此方こそ! ……あぁ、あの。僕の名前はノアといいます。修道士さんと、ベラさんだね。またぜひ、船の何処かで会いましょう」

「ええ」


 頭を下げると、颯爽とした足取りで青年は踵を返す。行く先を何と無しに追っていると、先程の男が通り過ぎる彼に着いて行く様に立ち上がり、食堂を後にして行った。

 あまり人をじろじろ見る物ではない。私は、彼らから視線を外し、未だ私の腕にしがみつくベラの頭を撫で遣った。

 象徴的なあの紋様は見当らなかった。それであれ、ここの所怠っている警戒を置いていくわけにもいかない。


「……ベラ。そろそろ私の腕から離れても良いのでは?」

「はい! せんせい、せんせい! やきりんごは、どんな味がするのでしょうか!」

「……りんごの味ではないでしょうか」


 そんな気の抜けた会話を行う食堂の空気は、酷く穏やかだ。



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