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1992年の長い1日

作者: よしたろう

 俺は体の左側を下にして横向きに寝ることにしとる。なぜなら、その方がその逆の何倍も体にええって、雑誌に書いとったからや。


 だから、今もそのようにして寝とったわけや。


 そしたら、すぐ傍で物音がしたんで目が覚めた。音がした方を見たら、若いヤンキー風の男が2人がおって、しゃがんで俺のカバンを物色しとった。けど、2人は俺が起きたんに気付いたんか、素早く俺の傍を離れよった。


 お前ら誰や?ていうか、ここどこやねん?


 目の前には薄暗い通路がある。カバンのチャックが開き、その横には、赤と白の手旗と警備員の上着が無造作に散らばっとる。俺は目をしばしばさせながら、左手を冷たく硬い地面につけ、ゆっくり体を起こした。頭が重い、酒が胸をグルグル回っとる、なによりめっちゃ眠い。


 けど、事態は緊急性を要する。俺は警戒心を持って2人のヤンキーの方を見た。俺の身長は180cmで、わりと大きいこともあるんか、大学3回生20歳の今になるまでヤンキーに絡まれたことは1回も無かったけど、ついにその時がきてもうたみたいや。


「こんなとこで寝とったら危ないやんけぇ」


 緊張して身構えとったら、丸刈りで細身の方が、若干の笑みを伴って言うてきた。意外と友好的やったんで少しホッとした。


「気ぃ付けなあかんでぇ」


 さらに丸刈りが、俺を気使う言葉を続け、すっかり油断した俺は、「はい」と、うつむき加減でひどく酔っ払った口調で言った。


「なめとんのかコラ!」


 すると、丸刈りが急に声を荒らげて言い出した。これはマズイ。


「すいませんっ」


 俺は可能な限り心を込めて謝った。


「こっちは気ぃ付けな危ない言うたっとんねやろが!」


「すいませんっっ」


 一層心を込めて謝った。


「分かったらええねや分かったら」


 そうしたら、2人は意外とあっさり立ち去ってくれた。

 

 なんにも分かっとらんかったけど、とりあえず助かった。

 

 ひとつ息を吐いて、改めて周りを見渡した。電車の高架がすぐ横にあって、前方の暗闇の向こうに上り階段があった。すぐにここがJR元町駅やと分かった。腕時計を見ると(1992年に携帯電話はほとんど誰も持っていない)2時20分やったけど、問題はなんでこんなとこで寝とったかいうことや。

 

 昨日の夜って、どうやったっけ?


 久しぶりに、高校時代の友達2人と飲みに行ったけど、途中から記憶があれへん。友達の家に泊めてもらうっていう話しやったんやけど、どうやら逃げられたらしい。それはまあええわ、これまでもそんなことが何回かあったし、頭の片隅ではそうなる気もしとった。そんなことより、朝8時から警備員のバイトがあるけど、どうしよう?財布の中を見ると230円しかない。友達の家に泊まるつもりやったから、警備員の服装一式は持ってきてはおんねんけど。

 

 なんにせよ、こんなとこにおってもしょうがないから、とりあえず警備員現場の長田駅に向かうことにし、カバンに手旗と警備員の上着を直した。一体、どれくらいの距離があんねや?細かくは分からんけど、1時間30分くらい歩けば着きそうな気がする。途中公園のベンチで寝ながら、8時迄に長田駅に着けばええやろ。しばらく歩いたら、公園があったんで、ベンチで寝ることにした。


 ポツ、ポツ。ポツ、ポツ。


 俺は体に雨が当たるのを感じて目が覚めた。何時や今?腕時計を見たらまだ3時20分やった。よりによって雨なんか降りやがってと、俺は恨むように空を見上げた。けど、なんにせよこんなとこで寝とる場合とちゃう、屋根のあるとこに行かなあかん。


 というわけで、屋根のあるベンチを求めて歩いとったんやけど、そんなもんあれへん。しゃあないから歩き続けて、公衆便所を見つけたんで、そこの多目的トイレに入って洋式便座に座って寝ることにした。腕時計を見たら4時、長田駅はもうすぐやし、今から3時間30分はここで寝れるていう計算や。


 そやけど、そんなところで座って寝て、グッスリ快眠というわけにはいかん、物凄く眠くて疲れとんのに浅くしか寝れん。何回も腕時計を見たけど、ちょっとしか時間が経ってへん。俺はどうやったら寝やすいんか試行錯誤して、いろいろな体勢を試みた。そのうち、ひとつの塊のように体を密着させたら比較的ええんちゃうかという結論に達した。けど、どんだけ眠りにくかろうと足を組むんだけは避けた。なぜなら、どっかの整体の先生が、足を組むと体が歪むって雑誌に書いとったからや。


 なにかと悪戦苦闘したけど、しばらくしたら寝入っとったみたいで、気付いたら7時10分やった。俺は街が活動を始めたざわめきと光を感じることが出来た。


 さて、これからどうするか?


 俺は手の爪の側面を揉むマッサージをしながら考えた。なんせ、帰りの電車賃230円しかない。このままバイトに行ってもうたら、昼飯も食われへんし、朝の日課である膝抱き運動も出来んから、ただでさえ変な体勢で寝とんのにひどいこと体が歪んでまう。でも家に帰ってもうたら、ヤンキーから死守した警備道具が、せっかく持って来たのに無駄になってまう。それに、ここの警備会社は弟から紹介してもらったとこやし、いつでも都合の良い日に働けたからこれからも続けたいし、いい加減なことをする訳にはいかん。


 耳引っ張りマッサージを終えた頃に答えが出た。俺は警備員の服に着替え長田駅に向かうことにした。


 さて多目的トイレから出て、いざここはどこなのか確認してみると、長田駅に15分もあれば着きそうな場所やった。嫌がらせのように降っとった雨はすっかり上がって綺麗に晴れとった。体の節々は痛いし胸やけも酷かったけど、しっかり覚醒しとるし警備のバイトくらい出来るやろ。


 途中公園で、大量の水と、持ってきとった梅丹10粒とビタミンCの錠剤1粒を飲んで、長田駅の待ち合わせの場所に着くと、警備会社のよく焼けた髭の兄やんがおって、今日のバイト内容を説明してくれた。


「バス停に車が入って来んように見とって」


 実に簡単明瞭、「分かりました」と俺は返事した。


「俺がここの現場に入った時はあっこの喫茶店からバス停を見とるんや。自分もそうしたらええねん」


 兄やんが快活に笑うと前歯が1本無かった。指差す方向にはビルがあり、そこの2階に喫茶店があったが、230円しかない俺には天竺より遠い場所に見えた。

 

 いざバイトが始まってみると、まったく時間が経たへん。向こうの方に大きなアナログ式の時計が見えるんやけど、ついそればっかり見てまう。ほんで、まだ5分しか経ってヘん、とがっかりして、また5分後に時計を見てまうっていう、その繰り返しや。だいたい、バス停に車なんか1台も入って来うへん。なんにもすることがないっていうんは意外と辛い、そもそもこの仕事は必要あんのか?緊張感もないので、そのうち眠なってきた。立ちながら寝る練習をし、ちょっと寝れたっぽいなんてことをしとったら、70歳くらいの夫婦が俺に近付いて来て、婆さんの方が聞いてきた。


「すいません。私ら淡路島の息子のところに行きたいんですけど、どうやって行ったらいいか息子に電話して聞いてもらっていいですか?」

 

 えっ俺が電話すんの? と思って周りを見渡した。電話するっていうてもなあ(ひつこいようだが1992年に携帯電話はほとんど誰も持っていない)、公衆電話なんてどこにあんねや?しょうがないから2人を連れて、公衆電話を探すために商店街に向かった。


「私らもういろいろ分からないことばっかりで、警察の方を頼りにせなしょうがないんです」


 婆さんがニコニコ笑いながら言うた。爺さんもニコニコしとる。ところで警察って?どうやら、俺は警官と間違えられとるらしい。


「私ら花山町から来たんです。2年振りに息子の家に行くから楽しみで」


 さらに婆さんが続けたが、花山町てめっちゃ近所やんけ、淡路島はまだまだ先で海も超えなあかんのに、ほぼスタート地点で行き方が分からんようになったばかりか、息子への電話すら警官に頼む始末で、よう息子の家に行こ思ったな。


 しばらく歩くと、公衆電話があったんで、婆さんから貰った紙に書かれていた電話番号を押した。ところで、俺はなんと名乗ればええんや?警察か?けど、そんな嘘付いて後にバレた時、経歴詐称で捕まるんちゃうんか?それに警察からの電話やったら、息子ビビってまうやろうしな、どうしよう。


「すいません、あの、ご両親様から頼まれて電話させてもうてる者なんですけど、なんか、あの、ご両親様がですね、行き方が分からないそうで、息子様に聞いてほしいということなんです」


 俺は両親に電話を頼まれたただの人になることにした。


「ああっそうなんですね!すいませんすいませんっ、ありがとうございます!」息子は凄く感激しているようやった。「今どちらですか!?」


「長田駅です」


 ほぼスタート地点や。


「それでしたらですね、まず舞子駅に行って、そこに高速バスの乗り場がありますので、五色バスセンター行きに乗ってですね、途中の郡家というところで降りるんです。そこで電話をくれたら迎えに行くと伝えて下さい」


 俺は言われたことをさっき貰った紙に書いた。


「ごしきバスセンター行きに乗って、ぐんけというところで降りるんですね。分かりました。ではちょっと電話を代わりますんで」


 そして婆さんに受話器を渡した。婆さんもこれから会える喜びが爆裂しとるように見えるけど、この人に舞子で高速バスに乗るなんてことが出来んのか?そもそも舞子に行くにしても、地下鉄で新長田に行って、JRに乗り換えなあかんねんで、それすら出来んのとちゃうんか。まあでも警察に聞けばなんとかなるか。


「ありがとうございます!さすが警察は頼りになりますねえ」


 電話を終えた婆さんが、何度もお辞儀をして言うた。


 俺はどうもどうもと頭を下げ、バス停に向かった。こんなことをしとるうちに、車が入って来とったらえらいことや。


 バス停に戻ってみたら、幸い車は停まっとらんかった。それからも警官と間違えとるんか、ダイエーはどこや、マルイパンはどこやと2回聞かれたけど、特に何事もなく12時になり、朝の髭の兄やんが俺の昼休憩の交代要員としてやって来た。


 「どないやった?喫茶店行った?」


 兄やんに聞かれて、「はあ」と俺はちょっと笑って曖昧に返事した。喫茶店どころか、昼休憩に食べ物を買うお金すらあれへん。


 まあしゃあない。俺は近くにある公園で水をガブ飲みして、ベンチに座って靴と靴下を脱いだ。足の指の裏とか間とかが、物凄く白くふやけとった。昨日、雨が降った中歩いて、夜通し靴を履きっぱなしやったわけやからな、そりゃこんなことにもなるわ。それから俺は、警備員の上着を脱いでそれを枕代わりにし、ベンチで横になった。やっと横になれたから、朝出来んかった膝抱き運動をいつもより多くし、続いて足の指を開いたり閉じたりする体操をし、少し寝ることにした。目を瞑るとニイニイゼミの鳴き声が聞こえてきた。そういえば今年初めてセミの鳴き声を聞いたな、7月10日か、もう夏や。 


 休憩を終え午後になっても、相変わらず車は1台もバス停に入って来んし、時間は一向に経ってくれんかったけど、朝には絶望的に程遠くあると思われた終わりの時間が近付いてくるということもあり、些か快活な気分になってきとった。


 15時をまわり夕方近くになると、風呂桶を持った人が目に付くようになってきた。どうやら近くに銭湯があるみたいなんやけど、風呂桶持って銭湯行く気満々のくせして、俺に銭湯の場所を聞く人が2人相次いだ。俺は銭湯の場所を知らんかったので、「分かりません」と答えたけど、果たしてそれで良かったんか?と、少し経ってから思った。


 あの人たちは例の如く、俺を警官やと思って銭湯の場所を聞いてきたと思われるけど、「僕は警官ではなく警備員なんで分かりません」と答えへんと、警官のくせになんと無知なのかと、市民における警察への信頼が低下してまうんちゃうか?この様子やと、これからも銭湯の場所を聞かれると予測されるが、どうせやったらちゃんと銭湯の場所を答えたい。朝の婆さんはあんなに喜んでくれとったしな。俺は警官としての役割を全うするべく派出所に向かうことし、こんな格好で派出所に入るのことに少し抵抗を覚えたが、入って銭湯の場所を聞いた。


 意を決し、せっかく知った銭湯の場所であったが、結局4時30分までに1人しか聞いてこんかった。まあ、1人でも警察の面目を保てたんだから良かったことにしよう。


 もうすぐやっとこのバイトも終わりや、と大きく伸びをし、腕を交差させ、左右に体を傾けるストレッチを行っとった時、意気揚々と軍歌のような音が聞こえてきた。


 軍歌はどんどん大きなって、こっちに来んかったらええのになぁと思とったけど、期待虚しく裏切られ、右翼の車は道路を隔てたバス停の正面に停まり


「警察なんかなんも怖ないねんぞ!!」と俺に向かってスピーカーで言ってきた。


 げっ、最後の最後でどエライのんが間違っとる。


 逃げるか?


 けど逃げてもうたら、弱腰ヘタれ警官め、と右翼は嘲笑い、事務所に帰って仲間に武勇伝を話し、その後クラブで酒を飲みながら女にいかに警察が軟弱かを語り、警察の面子は見事に潰れるやろう。


 それがどないした。


 俺はとっとと逃げた。

 


 


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