童話『冬の塔』
冬融草は春に咲く。積もった雪が消えて無くなる頃に咲く。赤く、赤く咲く。その花片を集めて煮る。煮て取れた真っ赤な汁を飲むと治る。隣に住む老人が「それでどんな病気も治る」と言った。「ミーナの病気もだ」と言った。僕の妹の病気は冬融草があれば治る。
今日も雪が降り続けている。見渡す限り、雪で覆われた白銀の景色。この国の名は、ユアニア。山麓に囲まれ、ユアエンシスと呼ばれていた荒れ地に、いつしか王国が出来た。四季の巡る美しい国。だが、もう十二ヶ月も冬が続いていた。
この国には季節を司る女王が四人いる。春、夏、秋、冬、それらの魔力を持つ精霊達。彼女達は女王の名を称している。国の北側には深い森があり、その中央には高い塔がある。ユアニア国の領民は、その塔を『四季の塔』と呼んでいた。半径が三メートルほどの円柱の塔。最上部には女王が暮らす部屋があるという。そこに夏の女王が居れば、この国は夏になる。夜になっても沈まない太陽。樹々が緑の葉を輝かせ、眩しい。塔に秋の女王が居れば、この国は秋。森にはキノコが生え、ベリーが溢れるほどに実り、天は高く明るく、涼しい風が吹く。そして、今は冬。塔には、冬の女王が居座っている。十二ヶ月も。春の女王は何処にいるのかさえ分からない。
寝台に横になったままのミーナ。寝台と言っても捨ててあった板切れを並べただけのものだ。僕はミーナに雪を食べさせた。指で摘まんで口許へ運んでやる。目は虚ろ、呼吸は荒い。妹は弱々しく言う。
「……冷たくておいしい……」
既に食べるものは無い。ユアニア国の北、森の側、朽ち掛けた小屋で僕とミーナは暮らしていた。両親は死んだ。石工をしていた父は石材の下敷きになってとっくの昔に潰れた。母は肺の病になり、三ヶ月前に死んだ。隣の老人は、母が死んだのは冬のせいだと言っていたが、一人で僕達を育てて来た苦労も病の原因のひとつでは無かっただろうか。
頼るものが何も無い。ならば、僕達のためには、僕がやらなければならない。
僕は夜中、川に沿って歩き、町の中まで行き、家々の食べ物を盗もうとしたが、盗めるほどのものはなかった。どの家にも蓄えが無く、どの家にも死にそうに痩せこけた顔がひとつふたつあった。金持ちの家になら、まだ食べ物があるのかも知れないが、戸締まりがしっかりとしてあって入り込むことは出来なかった。城に到っては衛兵が数人、鋭い槍を手にして巨大な門扉の前に突っ立っていた。弱々しさの欠片も見られない。こいつらは国の領民の分まで食べている。僕は、そう感じた。
隣に住む老人はよく言っていた。
「時のままに任せとけばいい」
そして今朝、死んでいた。多分、餓えによる衰弱死だろう。雪が隙間から入り込む朽ちた小屋で、看取る家族も無く、夜が明けて僕が見付けるまで、一人で苦しんでいたのだろうか。遺体に雪が覆い被さり、真っ白な棺となっていた。
妹は、今も苦しんでいる。高い熱が続き、魘されている。ユアニア国は、もうすぐ潰れるだろうと思った。妹も、そして僕も。みんなで死ねると思うと、少しだけ安らいだ気持ちになる。もう何もしなくていいし、そのことを責める人もいない。
「死んだら苦しさって終わるのかな……」
独り言を放ち、灰色の空を見上げると、降り頻る雪が視界を覆っていた。隣の老人は苦痛から解放されただろうか。僕が視線を下げると凍った川で楽しそうにスケート遊びをしている子供達が見えた。その側では大人達が雪掻きした雪を捨てている。
僕は翌日も食べ物を探して町を回ったが何も無かった。積もった雪に転びそうになりながら、ふらふらと妹の元へ帰る。その途中、大通りに人が集まっていた。僕は人々の声を聞いた。彼等は怒りと期待を混ぜた言葉を口々に発している。
「王様からお触れが出てるぞ」
「『冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう』だって? 上手く行けば褒美に食い物を貰えるぞ。子供に食わせられる」
「王は食い物を溜め込んでやがるに違いない! 町で義勇軍を作って城に攻め込んだ方が早い!」
「それより冬の女王を殺した方が早いぞ!」
「待てよ、ここに書いてあるぞ。『ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない』って。『季節を廻らせることを妨げてはならない』とも書いてあるぞ。それって殺したらダメってことだろ?」
「とにかく冬の女王に会って話をしないことには始まらないだろうよ」
人集りで見えなかったが、どうやら王の勅令が書かれた札木が立ててあるようだ。王は今まで何も手を打たなかった。何もしていなかった。漸く危機を感じたのか、だが、王は自分では何もしない。誰かが何とかしてくれることを期待しているだけ。
領民は食べるものを求め、森に住むトナカイやヘラジカを狩っていたが、その姿は既に森には無い。狩りによって殺し尽くしたのか、餌になる植物が無いために餓死したのか、そのどちらか、或いは、その両方が理由だろう。同じ時期に熊や狼も姿を消した。幾らか裕福な者達は、国の外、海の方へ逃げようとした。漁をして暮らすのだと言い、意気揚々と海へ向かった。魚、海豹、鯨を獲るのだという。大きな橇を用意し、十匹の犬に曳かせた。数ヶ月以上掛けて国を出ようと試みる。しかし、橇で国を出ても道半ばで凍死することが殆どであると、引き返して来た者達は話していた。ならば、歩いて国を出ることなど不可能。深い雪に埋もれて凍った死体になるだけ。町では積み上げておいた薪も尽きた。裕福な者達は、豪華な箪笥や机、椅子を壊して暖炉にくべる。何も無くなると森の樹々を倒して薪にしようとするが、湿った生木では火が点かず、諦める。森の入り口には薪にされ損ねた樹々が多く倒れていた。それも二日も経てば雪の下になる。
だが、冬融草。それ以外のことは、僕にとってはどうでもいい。僕は、森へ向かい雪道を走った。もう一度だけ春が来るなら、二度と冬なんていらない。
僕が殺してやる。冬の女王を。
僕は、白雪で覆われた森へ入った。白樺、樫、松。高く伸びた幹が並び、まるで迷路のようだ。幹の皮は剥がされている。トナカイが食べたのか、人が食べたのかは分からない。落ちてくる雪の塊が僕の頭を掠めた。まるで、僕を殺そうとして狙っているように思えた。ふと気付くと、近くで人の声がしていた。
「……塔は何処にあるんだ……」
「……お願いしたら、冬の女王は退けてくれるさ……」
耳を澄ましてみると森の中は囁きに満ちていた。薄暗い樹々の間をよく見れば、前にも後ろにも人影がある。きっと褒美を求めてだろう。多くの人が四季の塔へ向かっていた。
僕が塔に辿り着いたときには、数人の男達がひとつの大きな丸太を抱えて、その尖端を塔の扉に打ち付けていた。扉は固く閉ざされているようだった。何度も打ち付けたが、扉は壊れることが無かった。その男達が諦めて帰った後で、僕は扉を調べてみた。塔の入り口には樫の木で作った扉があり、鍵が掛かっていた。何人もの人達が強欲さを剥き出しにして現れては、諦めて帰って行く。斧で割ろうとしても、どんな鍵を差し込んでも、扉は開かなかった。塔の壁を登ろうとする者もいたが、石の表面が凍っていて無理だった。松明を持ち、氷を融かしながら塔の半分まで登った者は、指が凍えてしまったために落下した。人々が辺りの雪を踏み固めたせいか、命まで落とすことになった。登らなくても幾日か後には餓えに耐えられなくなるのだから、少しだけ死期が早まっただけだ。人々は、そう言った。
そうして多くの人が現れては諦めた。三日も経つと町に義勇軍が結成された。城には火矢が放たれ、国王軍との激しい争いが繰り返されるようになった。
「戦争を始めるなんて……みんな、幾らかは食べるもの持ってたんだな……」僕は、一人、呟いた。
四季革命。誰かが争いに名前を付け、皆が夢中になった。もう誰も塔へ向かい合わなくなった。僕だけが幾度も塔へ通った。樫の木の扉を叩き、大声で女王を呼んでみる。だが、吹雪に掻き消されるだけ。この国に春を来させるために僕が出来ることは冬の女王を殺すこと。焦りだけが僕を駆り立てていた。小屋へ戻ってみれば、妹はすぐにでも死んでしまいそうだった。何も出来ず、もうすぐ冬融草を持ってくるとだけ伝え、また塔へ向かう。一日に幾度か、それを繰り返した。
翌朝、ミーナの意識が無くなった。呼び掛けても反応が無い。胸に手を当てると心臓は微かに動いている。いや、今思えばもう死んでいたのかも知れない。ただ僕の手の震えを妹の鼓動だと思い込みたかっただけなのかも知れない。怖くて確かめることは出来なかった。
『もともと身体の弱い娘だから……』
僕は母の口癖を反芻していた。革命で壊れた家々からパンの欠片を見付けて食べた。その度に僕は、逃げ出すようにして森へ走った。ふらふらと走り、何度も転んだ。塔の側で怒鳴る。
「冬の女王! 殺してやる! 僕が殺すぞ!」
返事は無い。扉は開かない。
それが数日続いたある日、吹雪の日暮れ。森の入り口に四頭立ての馬車が停まっていた。
僕は、馭者に呼び止められた。
「聞けい! そこの少年よ。お前にお后様から話がある!」
馬車の窓が少し開き、目の吊り上がった女が化粧にまみれた顔を覗かせた。
「お前か? わらわの願いを叶えてくれるというのは……」
何のことか分からず、ただ黙っていると、后だという女は喋り始めた。
「では、ちっぽけな民よ、聞け。わらわは、王の后なるぞ。王の正式な配偶者なるぞ。四季の女王達めを知っておろう? 奴等めは季節の精霊でありながら、王の愛妾なのだ。ある美しい男が、その精霊達から寵愛を受けたことで、この国の王になったのだ。言わば王は女王等めの傀儡であるぞ。王がいるのに奴等めが女王を名乗っていることを、お前は不思議に思わんのか? 民どもは気付いておらんのか? その、ある美しい男とは、貧困地区の生まれであり、今は、わらわの配偶者なるぞ。この国の領域は、四季の精霊達の領域。故に奴等めは、この国では自由。わらわは、悔しくてならない。政略結婚で、わざわざ此処に来てやったというのに。王は、わらわと婚姻した後も城に居ることは殆ど無かったのだぞ……賤民のくせに……」
「……」僕は黙って聞いていた。疲れと餓えで動けなかっただけかも知れない。
お后は言葉を続けた。嫉妬に狂った顔付きで。
「……ちっぽけな民よ。お前、四季の女王達を殺す気はないか?」
「……」元より、そのつもりで此処にいる。
「……もし殺せたならば、褒美を取らせようぞ……そのために必要なものも援助してやろう……」
褒美なんていらない。いや、もしかすると城にならあるかも知れない。
「……冬融草を頂けるなら……」
「……ほお。丁寧な言葉を使えるではないか。誰に習った?」
「隣に住む老人です……」
「賤民も幾らかは言葉を知っておるのだな…。して何だ、トウユウソウというのは? 雑草か?」
「……春になると森に咲く花です……」
「お前は頭が悪いのか? それならば、この国を春にすれば良いだろう? 殺せば良いだろう? 冬の女王を」
后は笑った。そしてお付きの者に合図をして、黒く光る短剣と白い骨を投げさせた。雪の上に どさり と落ちる。
「この国で一番の呪術師に呪いを掛けさせた短剣だ。お前の殺意がお前を導くだろうよ。そして指の骨。それは、四季の塔を建てた魔術師の子孫の指だ。それで塔の扉が開く……」后は大声で下品に笑った。一頻り笑った後で言った。「呪術師が言ったのだ。森の入り口に佇む少年が国を変えるとな。お前のことであろう? まずは冬の女王の元へ行け、そして、殺せ」
いつの間にか雪吹は止んでいた。短い晴れ間。硬く透明な星が、冷たい藍色の空に突き刺さっている。綺麗に瞬いていた。
后の馬車が去った後、僕は森の中央へ向かった。四季の塔へ。暗い森には人影も無く、ただ時折、梢から雪の塊が落ちる音がした。僕は、手にした黒曜石の短剣を見詰める。呪いが込められていると后は言った。白い指の骨。塔を作った魔術師の子孫が町に住んでいたなんて知らなかった。突然に襲われて指を切り取られたのか、或いは殺されてから指を切り取られたのか。ぼんやりとそんなことを考えながら積もった雪を掻き分けて進む。指先は悴んで赤く、感覚は無い。
やがて僕は塔の下に着いた。樫の扉の前に来ると、指の骨を鍵穴に差し込んだ。鍵穴は光を放ち、次いで、僕を招き入れるように扉が開いた。僕は中へ入る。すると扉は独りでに閉まった。僕はいつしか短剣を強く握り締めていた。
冷たく静か。塔の内部は全てが白い石で作られていた。外からの光が差し込む窓は無いけれど薄明るい。右の方に階段がある。塔の壁面に沿って螺旋状にうねり、上へと続いている。手刷りなどは無く、狭い階段。僕は階段を登って行った。左回りが続き、目が回る。そして上へ行くほどに冷気が酷くなる。気を抜けば真下まで落下することになるだろう。
階段の途中には冠が落ちていた。紅葉した蔓と赤い実で作った冠。更に登って行くと青々とした葉と木苺で作られた冠が落ちていた。
どのくらいの時間が過ぎたのか分からないが、いつしか僕は階段を登り詰めていた。氷の扉を開けると、そこに小さな部屋があった。細長い窓が並んだ部屋。そして、いた。
「……あなたが……冬の女王……」
寒い。吐いた言葉さえ瞬時に凍り付き、白く、落ちるように思えた。
塔の階段を上がり切ったその部屋には冬の女王がいた。氷の冠を被っている。冷ややかな瞳。真っ白な肌に真っ白な服を纏っている。そして、冷えきった寝台の上に座り、何者かを抱き抱えていた。部屋の隅には鮮やかな花々を編んだ冠が転がっていた。
「……そこにある冠は誰のものですか?……」僕は聞いた。何故、始めにそんなことを聞いたのかは自分でも分からない。少しだけ、冬の女王に興味があったのかも知れない。
冬の女王は潤んだ瞳で答えた。
「ごめんなさいね。私が他の女王達を殺してしまったの。このひとのことが好きで堪らないの。他の誰にも渡したくなかったの。見て、綺麗でしょう? あなたが頭を垂れるべき王は……」
この人がユアニア国の王であるらしい。既に死んでいるのだろうが、眠っているようでもある。頬には薔薇色が差していた。僕は答えた。
「いいえ、王様を見たのは初めてです……頭を下げた覚えもありません……」
「……そうだったの? あなたは、下賤の者なのね。それでは、このひとの美しさは理解出来ないのかも知れませんね……」
死した王を掻き抱いて冬の女王は涙を流した。それは氷の粒となり、凍り付いた床に落ちて澄んだ音を奏でた。冷たく凍えた王は弱々しく、淡い金髪と白い肌は、まるで少女のようだった。僕は、后に渡された短剣を構えた。
「……王様は、もう亡くなられていたのですか……お触れは誰が出したのでしょう……お后様でしょうか……」
「……いいえ。お触れを出したのは私です。誰かが、この事態を何とかしてくれないかと思ったのです。人間には無理な話でしたね、この国を昔のように戻らせることは……」
「僕は、僕の不安を何とかしようとして、あなたを殺しに来ました……」
「まあ、そうなの? 酷い話ね。これでも私は後悔しているのです……」
冬の女王が、ふうっと息を吐くと、僕の握り締めた黒曜石の短剣が罅割れて、刃先が床に落ちた。女王は優しく悲しい笑顔を浮かべて言った。
「……誰に言われたのか知らないけれど、こんな所まで来るなんて、ご苦労でしたね……あなたには、これをあげましょう」
冬の女王は自分の指に嵌まった透明な指輪を抜こうとした。「私の持つ『冬』が半分だけ、この指輪に籠めてあります。あなたが、この国を『冬』で支配しても良いのかも知れませんね……私には、もうどうでも良いのです……こんな国。……では、ごきげんよう……」
「……何処へ行くのですか?」
「……何処へ? 分かりません……でも、また此処へ帰って来ることもあるかも知れませんね……」
冬の女王は、指輪を抜いた。そして僕に渡した瞬間、女王自身は吹雪へと姿を変え、塔の窓を破り、出て行った。王の遺体を抱えたまま。
僕は窓からユアニア国を見下ろした。何も変わっていない。白銀の国。雪は再びしんしんと降っていた。指輪は冷気を放ち、透き通り、輝いていた。暫し茫然とした後で、僕は塔の階段を掛け降りた。
ミーナに! 妹に指輪を!
精霊である冬の女王の力ならば、妹は治るかも知れない!
深い雪の森を抜ける。町の端で蹲る貧困地区へ走る。僕のたった一人の家族、ニーナがいる小屋へ。
春。柔らかい陽の光。湿った生温い空気。草木が新しい芽を吹く、その微かな音まで聞こえてくる。白樺、樫、松、針葉樹の森。野イチゴを探して一緒に歩いた。足元を覆う柔らかい苔を踏みしめて、明るく白い夜を歩いた。
「今年の春はたくさん採れそうだね。夏になって、秋になれば、もっとたくさん、他のベリーやキノコも採れるね」
「きっと食べ切れないほど採れるよ。その後は……冬か」
「冬になったら雪だるまを作れるね。季節が変わるごとにいろんな楽しみがあるね」
ミーナは楽しそうに笑って細い指で野イチゴを摘む。
今も季節は廻る。僕の記憶の中で。
誰もいないユアエンシスを窓から見下ろした。雪の白銀に深く閉ざされ、人が住むことの出来ない国。僕の居る此処は、高い塔。遥か遠い昔に四季の塔と呼ばれていた。冬は今も続いている。しかし、冷たい空気が妹を蝕むことは、もう無い。苦しみも無くなった。全てが終わったから。『冬』を手にした僕以外の苦しみは、全て、終わった。
僕は眠ると必ず夢を見た。真っ赤に咲く冬融草を摘む夢を。四本摘んで振り返ると、妹が僕の傍で倒れている。胸が凍ったように冷たくなり、僕はいつも、そこで目が覚める。ユアニアの『四季の塔』は、もう無い。此処は、『冬の塔』になったんだ。
『了』