その願いは一途
「セヴ。スクワット一万回」
「はい?」
一段高い玉座に偉そうに座っている機嫌悪そうな神様にいきなり命令された。
ここは城の中の王の間。この城自体は売り物件なので主不在の状態だが、今は神様が我が物顔で使っている。
その神様と言えばウサ耳は外しているものの、例の金髪少女の姿をして服は水着のままだ。何やってるんですか。痴女プレイですか?
足を組み替えるたびに女の子の大切な場所が見えそうですよ。
「聞こえないのかな? セヴ。スクワット一万回」
「なんだよ。その『ポチ。お座り』的な言いぐさは」
「ああん?」
確かに、リムが言うとおり超機嫌が悪そうだ。凄む声と表情が恐ろしい。
神様、心狭すぎィ!
「セヴ。スクワット」
「ヤラネーヨ。って、あれれーー」
口で否定したものの勝手に身体が動き出す。
両手を頭の後ろに組んで、腰をじっくり落して、じわじわと立ち上がる。
俺のステータスなら余裕の動作であるが、そこはクソゲー。スクワットを繰り返していくと、両足にたまり始める乳酸が俺の筋肉を傷めつけて苦痛を与える。
「なんなんだよー」
「キミは怠けすぎなんだよ。ここ二カ月間、なにをしていた?」
「え? ふつーに……」
「ブラックデーモンから金をむしり取ってただけじゃないか!」
「ぐはぁ!」
神様は俺の言葉をさえぎってカミナリを落した。
えぇ。比喩のカミナリじゃなくって、本物の電撃な。
ビリビリ。筋肉ビクビク。神様、学園都市三位の称号を与えますよ。ビクンビクン。
それにしても神様、沸点低すぎィ!
「ちなみに、筋肉疲労は乳酸が原因じゃないからな。もし、生き返る事ができたら覚えておくことだ」
「え?」
「キミね。神に隠し事ができると思ってるの? 僕が作った傑作であるこの世界をずいぶんと罵ってくれているじゃないか……」
「はわわ」
さすが神様。すべてをお見通しというわけか。
気をつけろ、斉藤。こいつ、心を読むぞ!
「次にお前は『ンフンフンフンフ。何が可笑しい!!』と言う」
「くっ。完敗だ……」
さすが神様。妙な方向に鋭く尖った俺の知識など余裕で看破してきやがる。しかも、ツッコミの仕方までも俺のレベルに合わせてくるとは。
神様、なんて恐ろしい子……。
「反省が足りぬようだな。バーベル追加。スクワット再開」
「ぐあああああ」
俺の両肩にのしかかるバーベルシャフト。その両端を確認すると100kgと書かれたアイアンプレートが装着されている。
そして身体は自分の意志などお構いなしにスクワットを始める。
ひ、膝がこわれるう。腰、やばいーーー。
「さて、リム。お仕置きをしている間に話を進めようか」
「はい」
リムさん。顔が青ざめてますよ。
そりゃ、怖いですよね。こんな悪魔の所業を目の前にしたら……。
「100kg追加」
「ぎゃー」
こうなったら、無心だ。無心の境地だ。心を読む敵にはこれで勝てるって『友情、努力、勝利』の週刊誌の主人公が言ってた。
スクワット。スクワット。俺はスクワットマシーン。ふんす、ふんす。
「静かになったところで、話を進めよう。その守護天使を復活させよ。と、言うのだな?」
神様は目を細めて鋭い視線でリムを射抜く。
「は……はい。お願いいたします」
リムは緊張した面持ちでひざまずき、守護天使の魂である青い宝石を掌にのせて神様にささげた。
「リムよ。この者が何をしてこうなったか、知っておるか?」
神様が少し顎を上げると、その宝石はゆっくりと浮かび上がり、神様の手へ移動して行った。
「……いえ……」
「この者が禁忌を犯したと、そうは思わないか?」
「……私には、分かりません。偉大な主。神様にしか真実は分かりません。ですが……」
リムの声が恐怖のために震えている。
頑張れ。頑張れ。
「ですが?」
「もし、そうであったとしても、御慈悲を」
「ほお。お前は僕に罪人を見逃せと、言うのか?」
「いえ! 決してそのような事は。私は神様の忠実なしもべです」
リムははっきりと言い切った。
あちゃー。絶対助けたいって思ってるわけじゃなかったのか。ちょっと残念。
「よかろう」
神様は満足げに表情を緩めた。「この者がなぜこうなってしまったか私が調べよう。その間、リムの時間を止めるよ」
「仰せのままに」
リムは深々と頭をたれた。
すると見る間に肌から生気が失われ、そのまま大理石の彫像のようになった。
「目覚めよ。エル」
神様はそう言うと、宝石にふっと息を吹きかけた。
その瞬間、辺りは光に包まれ青い宝石の周りに凝集して人の形となった。
「ありがとうございます。神様」
姿を現した守護天使はリムとまったく雰囲気が違っていた。
褐色の肌。鋭い眼光。長くウェーブがかかった青い髪。
女性らしい肉体を持っているものの、リムより男っぽい雰囲気を感じさせる守護天使だった。
「お前は必要以上に助けてはならぬという禁忌を破った。自分のした事に、申し開きをする事はあるか?」
「ございません」
エルと呼ばれた守護天使はリムの隣に同じようにひざまずき頭をたれた。
言い訳をしようとしない所を見ると、リムが宿屋で言っていた推測――ヴィーヴィを助けるために必要以上に介入しブラックデーモンから救おうとした――が的中しているのだろうか?
「では、お前を消すことにしよう」
深いため息とともに神様の口から出たのは無慈悲な一言だった。
「ちょっ。待てよ! 目の前で死にそうな人間がいたら普通助けるだろうがっ!」
俺の一言でどんなお仕置きが降りかかってこようが、言わずにはいられない。「エルさんみたいな守護天使を人間にしてあげないでどうすんだよ!」
「こ、この方は?」
あ、あの……エルさん。今気づきましたみたいな顔しないでくださいよ。さっきからずっと、ふんすふんすとスクワットして存在感アピールしてたじゃないですか。俺!
「あー。気にする事はない。スクワット時計だ」
「そんな時計ねーよ!」
「200kg追加」
「ぎゃはん」
バーベルの強烈な荷重で関節という関節が悲鳴を上げる。ついでに俺も妙な悲鳴を上げる。
それなのに、身体はスクワットを続ける。生き地獄だ。
「そうですか」
ちょっ。エルさん反応うすっ!
ヴィーヴィ・ハララに比べれば可愛くないけど、死にそうな俺に慈悲は無いんですか?
「神様。最後にお願いがあります」
おっ。キターーーーー!
「なんだ」
「ヴィーヴィ・ハララをお救い下さい」
そっちかーーー。
へこむ俺。もう、やめて。関節のライフはゼロよ!
「分かった。お前の代わりの守護天使はつけよう」
「さらに御慈悲を……あれでは、あの子は不憫すぎます」
涙ながらにエルはすがるように訴えた。
「ほう……。禁忌を破っただけでなく、僕に意見するなんてどういうつもり?」
やばい。やばい。神様の頬、ピクピクして大噴火寸前の様相だ。
神様は怒りに身を任せるように勢いよく玉座から立ち上がると、一歩一歩、怒りがにじみ出る歩調でエルに近づいた。
例えるなら『屋上へ行こうぜ……久しぶりに……キレちまったよ』って感じだ。
「ちょっ。待てって言ってるだろ!」
俺の声を無視して、神様はエルの前で立ち止まり手を伸ばした。
その神様の手は赤い光に包まれている。あれで、守護天使を消し去ろうというのだろう。
「最後の最後だ。言いたいことがあれば聞こう」
「どうかヴィーヴィ・ハララに御慈悲を……あの子をお救い下さい」
エルは震える声で懇願し、観念したようにゆっくりと瞼を閉じた。あふれ出る涙の雫が宝石のように輝きながら頬を滑り落ちて行った。
「やめろーーーー!」
俺は思わず叫んだ。できる事なら飛びかかってでも神様を押さえつけたかった。しかし、身体は相変わらずスクワットの呪縛から逃れられない。
俺の叫びも空しく神様の手はエルの頭を捉えた。
神様の手から赤い光があふれ、エルの身体を包んでいく……。
「合格だよ」
「え?」
「エルよ。お前は人間にふさわしい魂となった。おめでとう」
神様は先ほどまでの怒りが嘘のように柔らかな笑顔でエルの頭を撫でた。
「神様……」
まだ、事情が飲み込めなそうにエルはただただ呆然としていた。
もしかして、人間になるためには禁忌を破らないといけないのか? あんなに散々脅しておいて、こんな結末なんて。神様。意地が悪すぎィ!
「300kg追加」
「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーー」
「セヴ君。リムは良い子だろう」
「ああ、神様よりずっと、素直でいい子――」
「2000kg追加」
「ヒュッ」
もう、悲鳴も出なかった。肺の空気が一気に気道を抜けて行く音が一瞬だけした。
俺は完全にバーベルに押しつぶされた。
折れた大腿骨が腿を切り裂き、脱臼して砕けた膝がありえない方向に曲がった。
しかし、『神の祝福』のため、俺は死ねない。
もう、苦痛なんて言うレベルを超えた。別次元の快楽……な訳ねーだろ! ふざけんな! いっそ殺してくれ!
「リムは良い子すぎる。君が良い方向に持って行ってくれればと、期待しているぞ」
簡単な話、リムに禁忌を破る事が人間になる条件だと言えばいいだけの事だ。
でも、それじゃ、ダメなんだろうな。
「当然だ」
俺の心を読んだのだろう。神様はそう答えた。
そして、視線をベンチプレスで瀕死の俺からようやく状況が飲み込めてきたエルに戻した。
「さて、早速、君の宿る肉体を探すとしようか」
「神様。私をヴィーヴィ・ハララの守護天使に戻してください」
「おやおや。ずいぶんと惚れ込んだのだな。いいだろう」
「それと、ヴィーヴィ・ハララに御慈悲を……」
「それは駄目。それじゃ、意味がないからね」
神様はにべもなく拒否した。
「どうか……あれでは……」
「だめったら、だめ。僕には僕の考えがあるんだよ?」
すがりつくエルを軽くあしらって神様はリムの頭をぽんぽんと叩いた。
彫像のようになっていたリムの肌が瞬く間に生気を帯びて行った。
「よかった。無事で」
リムはキョロキョロと辺りを見回して、エルの姿を見つけるとほっとした表情で言った。
「リムさん……助けて……」
「セヴ様? 新しい遊びですか?」
「そうじゃねーよ! 神様にやられたんだ。助けて」
「魔法で回復すればいいじゃないですか」
あ、その手があるんですね。あたしって、ほんとバカ。
「魔法。全回復」
たちまち修復される俺の身体。
みなぎるパワー。
今の俺なら、『生きているのなら神様だって殺してみせる』って言えます。
あらやだ。神様が熱いまなざしを俺に向けているわ。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
心の中で全力の土下座。
「まあ、いい。またセヴ君とは会えるからね」
なんですか、それ。大予言ですか?
急いで四行詩を書かなきゃ!
深淵の夜に秘密の研究をした
ただ一人、ブロンズのイスでやすらぎ
静寂の中から炎が私に告げる
誰も信じる事ができぬ、夢のような真実を
よし、あと九九個だな。
なんですか、神様。そのゴミを見るような眼は……ご褒美ですね。ありがとうございます。
「じゃあ、僕はこれで帰るよ。頑張ってくれたまえ」
神様はそう言い残すと深いため息をついて姿を消した。
「じゃ、帰ろうぜ」
「そうですね」
主がいなくなった城はそれだけでなぜだか雰囲気が暗くなった。
「あの……」
エルが俺の目の前に立ちはだかった。
「ん?」
俺、なんかまずい事を言っただろうか?
「先ほどはお口添え、ありがとうございました」
「え、ああ。結局、何もできなかったけどね」
スクワットしてただけだし。
「それでも!」
エルは俺の言葉をさえぎるように口調を強めた後、静かに言葉をつないだ。「私なんかを惜しんでくださる心が伝わって来て、とても嬉しかったです。ありがとうございます」
エルはそう言うと深々と頭を下げた。
「いいって、いいって」
うは。めちゃくちゃ、照れくさい。
俺はここから逃げ出したくなった。
「さ、早く帰ろうぜ。君のヴィーヴィ・ハララさんが待ってるぜ」
「はい!」
にっこりと満足げに微笑むエルの顔。
本当に助かってよかった。
ヴィーヴィ・ハララも無事。その守護天使のエルが戻れば彼女は意識を取り戻すだろう。
何もかも元通りだ。
とりあえず、これで俺が蒔いた厄災は回収完了だよな。
明日も自堕落人生をエンジョイするとしよう。今度はブラックデーモン部屋の壁を破らないようにしないとな。