君との未来を思えばこそ
身の危険を感じたり緊急を要する事態とあってはじっと見ている場合ではなく、気づけば声を出していた。喉の負担さえも気にしてはいられない。
飛んでいた鳥がビックリして急落してくるほどの声量はなくてもこれほどに大きい声を出したのは多分教室での一見以来だろうか。
恋に無頓着、無自覚なら思うことはないだろうが。
理解してなお男女が口を付けることは、嫌われていないという絶対条件を想定すればある程度は好いてるとの意思表示でもある。
ねぶり箸はアレだけど大きい鍋を家族や友達観で箸をつつき合う刺し箸とは違い、回し飲みは唇をつけた箇所に別の人が唇をつけること。物伝いで感じる感覚と、直情的に伝わる感触とではリアルな差はあると思う。
「ねぇピンキーちょうだい」と「ねぇ一口ちょうだい」
同じように手を差し出された場合、言われてよりドキドキするのはどちらか。
そもそもフリスクとミンティアの二強ブランドだから前者のはお目には掛からない物言いだろう。いようものなら別の意味でそっちの例えの方にドキリ、とか考えてる場合か......
“たかが口後が付いた上から自分の口を重ねるだけ”
客観的なら冷静に物事を眺められるんだろうけど主観的だと冷静になんてなれる訳がない。
こちとら大人の雑誌はおろか少女漫画を買うのも躊躇いがあるんだってのに――
という俺の思春期真っ只中の純情心からくる男ながらに腰の引けた情けない叫び。
あまりの必死さぶりには愛美も手を止めたようで、ひとまずは安心する。
「や、えっと、別にさ。不快とかじゃなくて、飲む分には飲む分で良いんだ。それは全然良いんだけど」
恋愛沙汰に疎くとも俺は、向けられている好意に気づけないほど鈍感じゃない。
愛美の言ったことの意味自体は分かってる。ただ頭では理解しているつもりでも気持ちの整理が追いつかないというのか......
「か、間接キスで証明とか言われても、ちょっと頭がこんがらがって、いきなりで俺には何が何だかさっぱり」
「天使......」
「え」
彼女はまたもや俺の言葉を遮ると低いトーンでさらっと告げてきた。
しかしその一言だけでは察せることは難しい、こちらも声をこぼしてしまう。
「朝一緒に登校していた時に言ってたでしょ、気になっている子がいるんだって」
とそれは分かっているようで言葉を紡いでくる。
言い直してくれたことで明確にはなったものの、まだ少し言いたいことが伝わってこないな。
朝といえば恋愛話を振られた時か、名前は出さずにして天使という固有名詞を使った。結局隠す意味なんてなかったけど。さきほど誤魔化そうとしたことにしろ、バレてしまっているなら無駄な抵抗か。
「あ...... あの時は確かにそうは言ったけど。あれはまぁ、ほんと言えば高嶺の花に対する憧れっていうか。めも、あの人は近くで見るよりかは遠くで眺めて然るべき存在というか」
「早い話が、想い人がいても付き合ってるわけじゃないんでしょ」
うっ! 鋭い指摘だ。
まごついた俺の言いまわしに対して簡潔に述べてきた。
ズバリ正解だけど、それを言われると痛いかなって...... ああ。
言いたいことがなんとなく理解出来てきた、違う。
告白めいた発言やら間接キス等の件を信じられずにこっちが話を逸らしただけで伝えたいことは変わってない。
考えてみれば妙に感情込もった台詞だったり、分かりやすいまでの行動の数々は俺を好意的に見てるってことの表し......
「こっちもフリーになったわけだし、ちょうど良い機会かなって思ってたの」
色々と理解してしまうと意識の高まりを感じてしまい声が出せなくなる。
そんな様子で俺が返事をためらっているのを答えだと受け取ってか、愛美はやんわりと話し始めた。
「学校で気の合う友達も出来たり部活にも所属したりして、徐々に新しい環境にも馴染んできてるんだけど、どこか楽しめない自分がいて。それを考えた時に思い浮かぶのはいつも同じ記憶だった。充実した高校生活なのに贅沢だなって自分でも思うけど心が満たされない。どうすればこの心が満足気になるのかは分かっていたんだけど自分の中で踏ん切りが付かなくて...... 彼のことはもちろん好きだったけど付き合ってても胸がもやもやする感じがあってさ、そんな時に久しぶりに顔なじみと再会して気持ちがグッと軽くなったの。自分でも驚くほどモヤが取れた。今だってこうして横にいると安心してる自分がいる、やっぱりわたしは――じゃないとダメなんだって気づいたって言うかさ。というか、初めっから......」
やがて――――語り終えたのだろうか忽然と話すのを止めた。
波が引いていくように声を縮めたせいか最後の方は良く聞こえなかった。けれども、どういう思いで語っているのかは表情を見れば分かった。
順風満帆な日々でいながらも足り得ることはない日常の中に欠けているピース。
ここで敢えて別の人の名前を出す意味はないから顔なじみというのは誰でもない俺のことだ。
彼女はその俺と会ったことで抱えていた悩みは取れたという。もし違っていたら自惚れになるけどこれはもう間違えようはない。俺はそう確信した。
けど気づいたはいいにしてもどう切り出せばいい、どう答えたら......
思考しつつも愛美を見れば思い詰めたように手に持っている缶に視線を落としてる。
それも俺の缶ジュース、ともあれば必然的に唇に目がいってしまう。
しかし行いを止めたことでもうしようとする気はなくなったみたいだ。
正直言うなら愛美みたいな可愛い異性と、って思えば口から火が飛び出る。よりかは《火炎竜の咆哮》を出すイメージが湧いてくるぐらいには嬉しいのだけれども、相手を必要以上に意識してしまえば子供のそれと訳が違う。真に残念に思うけど事実恥ずかしさの方が勝ってしまった......
半歩ほど開けた坂の上で佇む彼女を見上げながらそんな感想を頭に浮かべていたのだが、愛美はそれから目を離すと再びこっちをまっすぐ見据えた。
――刹那、成りを潜めていた俺の心臓は一際大きく脈動する。
さきほどは冗談半分でいたせいもあって悶々としながらもまだ平然としていられたがもう身体の芯まで熱い。さらには激しく踊り、または暴れ狂うように高鳴りをみせる鼓動音に息が詰まるほどの緊張感とめまいも加わってる。一纏めにすれば贅沢極まりない立ちくらみと言えようか。
まだそうと決まってはいないけどこの流れから想像するなら続きを、あの【二文字】を言おうとしている、今度は問いかけではなく直接的に......
意図して身体を動かせないでいる中で、俺は思わず拳を握り締めた。
「っ......」
僅かながらに恥ずかしい経験であったり嬉しく思えるような出来事に遭遇することはあるにしても。幾度かの緊張度合いを数えてみたってこんなこそばゆい気持ちは今だかつて感じたことがない。
これが告白? する方ではなく、される側の心情、なのか。
「あ、えっと、どう言ったらいいのか」
しろどもどろになりつつ、声が裏返らないよう口だけを開こうとしたが。
「何も言わないでっ! そのまま、そのままでいいから聞いて」
力強く発せられた言葉で黙らさせられた。
それだけに互いに意識し合っている状態であるってことが伝ってくる...... もしかしたら俺以上に......
「例え、例え黒真がどれだけその人に惹かれていてもわたしは黒真がっ」
愛美は一度心を落ち着かせるように手を胸に押し当てる。
そして絞り出すように言葉に思いを乗せようと――した、直後。
「と、ところで一つ聞きたいんだけどっ!!」
俺は自ら淡い雰囲気をぶち壊さんばりに水を差した。
面と向かって相手に自分の好意を伝える。
その一言を口に出すことはどれだけ勇気のいることか。
誰かしらの介入や邪魔立てが入ってこないにも関わらず中断させたとあれば無論、中断させられた方は声にならない表情になる。憤りを感じているようなそんな顔だ。
しかし虚を削いてまで止めたのには言い入れぬ訳がある......
こういうことは男から言うに越したことはない、だとか。
気にならないでもないけどそんなことよりも、重要なこと。
「彼は、宗助君の方は納得――」
「くどいっ!」
一喝、というよりは機嫌を損ねさせてしまったばかりに怒り任せな怒号。
物を言い切る前にあっけなく両断された。
もし一方的に、だとしたら。
このことを知ってるのか、そもそも納得してる?
それに、何もこんな形でなくても......
「黒真の言いたいことは分かってる。会ってなかった期間もあるけど、それ以上に長い付き合いだもんね」
諸々のことは口に出さずとも顔に書いてあったようだ。
なればこちらからは言えることはない、俺は大人しく愛美の言葉を待つ。
けれど散々渋らせてしまったせいで気持ちがくすんでしまっているのか、間隔を空けずに愛美が続けて発した言葉は告白ではなく。
「遠慮しなくていいから」諦めを思わす一言。
口元には笑みが浮かんでいて、はつらつとした声で告げてくるも、その表情はから元気と言ったように暗みがかっているのが見て取れる。
というより知る限り愛美が人に心配かけさせたくない時に見せるような顔だ。
俺はそんな彼女に無理に強がっているのだと口を開かない。
ここは口を挟むところじゃない、何より魅せられた......
「わたしと幼馴染以上の関係になることが嫌なら、はっきり言って......」
橙色に染まりゆく坂の下。
凛として冷たい音色が吹き抜けていくように綺麗に響き渡った。
揺るぎなく向けられた瞳からは頑固たる意思がある。
返答に冗談が一つも交じってないことからも真剣そのもの。とても嘘を付いてるようには見えない。本気で言ってるんだ、本気で......
なのに俺ときたらゲシュタルト崩壊だのくだらない理由を付けて逃げ果ようとしただけ...... そういう風に見られるなんて思ってもみなかったから、でも。
愛美の言っていることが本当で合意の上で二人が別れたとしたなら、ここでもし好意を告げたら付き合えるのかも知れない。
ましてやこの状況は俺にとって願ってもいない...... 好機 。
物心ついた頃から想い続けていた相手、いつの日か彼女に告白して恋人関係になること、それは自身でずっと望んできたことなんだ。いやな筈がない。
「――嫌なわけあるかよ」
坂の上から見える夕焼け空。
鮮やかに彩られた景色の中でという絶好の位置取り。最高な場面。
そして、いま俺の目には関係が途切れて以来触れ合うことはないと思っていた女の子が映っている。手を伸ばせば届く距離に、だったら......
―うそつき―
“なんて”考えたらダメだっ......
あれだけのことをしときながら自分だけがのうのうと良いように過ごす訳にはいかないよな。望んじゃいけない、俺が愛美と距離を取った理由を思い出せ。
非力で弱いヒーロー気取りなヘタレ野郎、そんな奴だと守れないと思ったからじゃないのか。大事だからこそ傍にいてはいけないと思い知ったんじゃないのか。それに芽森さんのことだって。
だから今の俺は愛美の想いに応えることは出来そうにも......
「ごめん」
夢や希望等、それぞれの目標を立てて成長させていく一本の木からなる座標図。
言い換えれば知識や経験を積み人生の中で培われていく無限の可能性とも呼ばれるもので。人によっては上手く伸ばせなかったり、枝分かれしていく中で途絶えてしまった道筋を歩むことは容易ではなく。
どういう未来を辿るかは織りなす選択によって変わりゆくもの。
これが未来を見据えた俺の選択。
そう、断りを入れようとしたが。
“コツン”っと、額を小突かれた。
「うーそっ!」
「は? 痛っ......」
衝撃自体は軽いもの、しかし俺の中に貝を模したダイヤルでぶっ飛ばされたようなインパクトが伝った。なぜに? 考えるより早く前を見た。
顔を床に深々に考え込んでしまっていたからだろう、前方にいた愛美は俺のほん目の前に立っており、
「・嘘・に・決・ま・っ・て・る・じ・ゃ・ん・」
そこにいたのは顔を赤らめ胸にもどかしい想いを抱く少女じゃない。
百遍と見慣れたマイペースな彼女らしい、ほくそ笑みがあった。
「うそ......」
「そっ、嘘も嘘で嘘っぱち、もちろん今も関係は良好だから、残念でした~。あっ、ひょっとして本気にしてた? いやさ、あまりにもほら、良い感じの雰囲気が出ていたもんだからちょっと小芝居を打ってみました的な」
驚き固まる俺に向かってワンテンポ遅れのネタバレだとでもいおうか。
身振り手振りコロコロと変わる表情はまるで意地悪気な猫、はたまた犬。
それでいながら結局口を付けることはなく、こちらを意識してないという感じで缶ジュースを返してきた。
今日はいくばかり頻度が多いように思う気もするが「はいこれ」と手渡たされた俺は呆然とその場で思考停止。
悩みに悩んだすえ、真っ当に考え抜いた答えの行先はたんなる悪ふざけ......
「なのに黒真ったら苦味な顔しちゃって」
ふぉんっと、暗く閉じ掛かっていた視界が開けた気がした。
物憂げな瞳の少女はどこに消えたのか、言動から何までもう完璧にいつもの愛美に戻ってる。
「さっきも言ったけど部活の邪魔しちゃ悪いしさ、勉強はそっちのけで練習に没頭してる感じっていうかね。休みの日はしょっちゅう宗助と二人で一緒に過ごしてるよ」
「ああ...... ああぁっ! そっか! うん、だと思った。いやほんと冗談にも程があるって......」
女優顔負けの演技力や表現性の高さ、俺や栄田先生なんてどんぐりの背比べだろう。いやもうね、三流役者が勢いに呑まれて感情を揺さぶられる程度にはすっかり騙されたよ。曰く一流の役者は卓越した演技で周りをたき付けられるという。小中とあった学芸会と比べても雲仙の差だって、当たり前か。
おかげかこっちも緊張の糸が解けたもよう、未だに間接キスのことが頭にありながらも俺は一息つこうと手に戻ってきた缶コーラを口に流し込む。
なんてからかい上手なって感じだけど、俺達は両想いじゃないから違うな。
言われてみれば再会した時デートの待ち合わせに居合わせてるのか。
「ふふ、安心した?」
「そりゃあ、まぁ関係が続いてるなら」
しかしながら一瞬恋愛漫画の主人公にでもなっている気分にさせられた、そんなことあるはずがないのに。仮に自身で勝手に認定していようとも俺みたいな奴に好意を寄せてくれるヒロインがあり得るのかどうかさえ......
どちらにしてもジャスト、確実に三分以上経ってるけど良い夢みれたかよってか。
「それにしても手芸部ねぇ......」
俺が何気にそう呟くと瞬時に反応してきた。
「うん、なに、それがどうかした。リクエストがあれば編んであげるけど」
「あ、いや、ひょっとしたらそっちより演劇とか女優業に向いてるのかもなって思って」
手芸部より演劇部の方が適切だろうと思うけどな。
んで、案外大成したりして、当事者の俺がいうんだ。あの演技力なら文句なしに主役に抜擢されるだろうし。
「うん、はっきりいって向いてるよ」
告白から打って変わり役者話に。
称賛と皮肉交じりの意味で部活変更を薦めてみた結果。
以外にも愛美は「女優、か...... 想像出来なくもないね」とそのことに同意した。
自分でも才能に気づいてるらしく何やら考え込んでる。まさにいま将来の候補に入れようとしているのかもしれない。
――だけれども本当に背中にべっとりと嫌な汗が滲むほどに焦った。
『僕は絶対彼女を泣かせるようなことはしない、君に誓って』
あの誠実な宗助君が愛美に飽きて別の女性と付き合うなんてことはありえない、まず無いと思うけど、けど、万が一でも彼が愛美の笑顔を奪うようなことがあるとしたなら俺は......
「あ、そうそう」
と、そこで荒げた声が耳に入ってきた。
考えを止めて愛美を見ればいきなり「珍しく今日は一人じゃないんだ」と不気味な問いかけ。俺は言っていることの意味が分からず、すぐさま「何を?」と問い返す。
これ幸いにも俺と愛美以外の人影はない、いったい誰のことを差してるのか、ま、まさか。そ、そういう類のものが見えてるとか。だとしたら怖いって...... 愛美に霊感はなかったよな。もしや距離を置いていた間に能力に目覚めたり。
「後ろの人、黒真のお連れさんじゃないの?」
聞くまでもなく、言われて振り返るとギョッとした。
下り坂の後方――なんとも信じられないことに《スクープの匂いを嗅ぎつけた》誰かさんが人知れず電柱の陰に隠れていた......




