笑えない気分
「ただいま」
ドアノブを回しながら聞こえないように声を出した、当然返事はない。
俺はいつも玄関に上がる前に帰ったことを報告するようにしているけど、こんな玄関前で声を出した所で聞こえるはずもない。それはどうでも良くただ帰った後の習慣になってるだけだ。
家では犬も猫も飼っていない、出迎えてくれるような存在はいない為に帰宅時は静まり返ってるのが少し寂しいと感じる部分ではある。
すり寄ってきてくれる動物がいれば疲れた身体も癒されるって感じるんだろうな。
せめて兄思いの妹や弟思いの姉が一人でもいてくれたらどんなに良かったか、弟や兄は遠慮したいけど。
靴を適当に脱ぎ玄関に上がるとリビングに明かりが付いてるのが分かった。
友達がいないことは周知済み、帰宅部ゆえ俺は普段こんな時間に帰ってくることは滅多にない。
門限は決まってる訳ではないけど過保護な親に心配をかけてしまうのは俺としても気が引ける、これは心配りのようなものであり決してマザコンじゃないと思いたい。
「ただいま」
「あぁ、おかえり、随分遅かったじゃないの、どこか行ってたの?」
「ちょっとね......」
「遅くなるんなら連絡くらいしてきなさいって言ってるでしょ」
リビングに入ると母親が視界に入ったので今度は聞こえるように挨拶する。
子供に行先を聞くのは親なら当然だ、当然なのだろうか...... それは別にいいか。
「もうそんな歳でもないっての、あんまり遅くなるなら電話してるよ。そんなことよか父さんはもう寝たの?」
「見ての通りよ、飲・み・つ・ぶ・れ。あんたは帰ってくるの遅いし寂しかったんだから、彼女でも出来たかと思っ――」
俺は母さんの戯言を無視し寝室にて寝てるであろう父親の姿を思い浮かべた。
友達付き合いの多い父親はフラフラと飲み明かし帰ってくることが多く、逆に母親は友達付き合いが少ない。専業主婦である身であり基本家にいる。そして俺も帰宅部で学校が終われば家に直行だ。
群れることが好きな父と母では価値観も違う。そんな俺はたぶん母親似だと思う。
「毎晩毎晩よく酒に飽きないよな。反面教師っていうのか、俺は絶対酒なんか飲もうとは思わないね」
「あんたは炭酸ジュースがあれば良いんだもんね」
「種類にもよるけどね、ってことで早速」
台所に行く、そして冷蔵庫を開き冷えているコーラを一本取り一口がぶ飲みした。
酒なんかより何倍も旨いっ、ゲップが出るのが難点だけど。
「あ、そうそう有真、あんたが見たがってたバラエティ番組録画しておいてあげたわよ」
ペットボトルのコーラ片手にリビングに戻ると母さんから耳よりの情報が入ってきた。
「感謝しなさい、お礼として今度行きたいショッピングモールについて行ってもらうってことで」
「えぇ、嫌だよ。恥ずかしいし」
「じゃあ消去しよ」
言うが早し、母さんは何の躊躇いもなくテレビのリモコンを操作し録画してある番組を消そうと――
「ストップっ、分かった分かった、ついていくから」
間一髪、阻止出来た......
「約束ね、早速見る?」
ふふ、と口元を緩ませる母さん。
ったく年甲斐もなくウキウキと、どっちが子供なんだか。親同伴で祭りに行くのは中学生までだって。
と言いつつ何だかんだで約束を守るんだろうな...... いずれは親離れも検討しないといけないな。
悔しいけど今はまだ親の管理下に置かれてる子供なんだ。
「見る、それと夕飯」
***
あれれ~ おかしいな、あれだけ楽しみにしてた番組の内容が一切入ってこないぞ......
出ているレギュラー陣、ゲスト、番組の流れ、いつもなら爆笑してるのにクスりとも笑えない。
なんだろうな、こう少年ジャップを頼んだのにマルマルコミックと間違えて買ってこられたかのような感覚は......
『あ、俺わかった! つまりこういうことだろ?』
『わたしも分かっちゃった』
『ふふ〇太くん、それは間違ってますよ。彼が言いたいのはズバリ』
『あなたの見解はどうなの』
『バー〇ー、これはどう見たって殺人事件だ......』
『なんやて〇藤! じゃなくてや、それはホンマか坊主』
『なんじゃと、それじゃと犯人はこの中に』
ほうほう、そうなってくると怪しい奴は――
「ってこれ...... 迷探偵コ〇ンだからっ! え、まさか間違えた?」
笑えないはずだ、内容が百八十度違う。
途中から見入ってしまっていたけどこれは騙されない。普通に面白かったけど。
「え? それじゃないの」
「ちゃうわ。アニメとバラエティの違いぐらい分かるだろ!」
思わず関西弁になってしまったやないけ。
何で間違えるかな、ポ〇モンとデ〇モンならともかく、これから見たい番組には丸で囲んどこう。
そうすれば間違えることはないだろう。
今日のは楽しみにしてたのに、ほんと――
最低だよ......
一瞬にして、今日の出来事が蘇ってきた。
つい先ほどのこと。
楓さんが立ち去った後、しばらくして学校を出たものの足取りが重く帰宅するのが遅くなった。
それもそうだ、楓さんに言われた一言は俺に酷くのしかかって、違うか。
彼女に言われる前から決して外すことは出来ない戒めが俺の心に刻み付けられてる。
「ごちそうさま」
「あれ、もう食べないの?」
「うん、録画した奴は消しといてよ」
手を合わせお辞儀をすると、母さんが不思議そうに聞いてきた。
まだテーブルにはいくつかの料理が並んでる。 せっかく作ってくれたのに、今は食べられそうにない。
一気に食欲がなくなったな...... 食欲といえば俺のグ〇メ細胞の悪魔はどんな形をしているのか、まぁ存在しないか。
「食器は?」
「後で洗うからそこに置いていて」
「分かった、じゃあお休み」
後片付けを母さんに任せリビングを出た俺はすぐ自分の部屋に向かう。
風呂はどうしよ、今日はいいか。湯船に浸かる気力もないし。
――そして部屋に戻った俺は本棚から一冊の本を取りだした。




