どこの誰かも知れぬ者に(3)
風情に乏しいながらに今の心情を表すとしたら。
まるで時間が止まったかのように感じるほどの静寂だろうか。
飄々に芯の通った冷やりとした声は芽森さんとも愛美とも違う。
耳奥にまで伝わり響きゆく声でも、降り積もっては消える雪のような仄かな声色だった。
―あんたなら気持ちを尊重出来る奴だと思えたから―
『尊重出来る――気持ちを』
『奴だと思えたから――あんたなら』
そんな彼女の言葉が幾度も鏡にぶつかり合い脳裏に反射する度にも。
遠く近く、立ち呆けては頬に当たる風が優しく流れいてる。
秒数にして1分にも満たないのだろうが体感的には10分もの立ち棒けにある感覚。
俺にはそれほどまでに長く感じて......
「――――色々と話が脱線しちゃったけど結局提案を呑んでくれる流れでいいの」
幸甚と彼女に見とれるでなし。
独りでに浸っている内にか、いきなりの問答が投げ入れられた。
「へっ......」
カオ◯シ云々。
正気に戻った所で吃音、どもり癖は消えてはくれない。
「あ...... ああ、うん。テストの事にしろ、本人を前にしてそんなことを言われたら断れないというか、別段断る理由もないって事でも」
だもんで慌てて返事を返す、と......
「黒真乃、あんた今携帯の所持は?」
「えっ、いい、い、一応......」
「じゃあ、そっちの番号登録しておくから桁言ってくれる」
「ああっ、うん!」
ポケットからスマホを取り出すなり投げ入れられた言葉。
突として、どもりに次いで声が上擦った。
俺にとってはオリンピック並みの頻度だと思わしきほどに聞き慣れていないそれの意味。4年に1回あるかないかの出来事。
このご時世人類に欠かせない人から人へと伝達であり、コミュニケーションツールに必須とも言える連絡先の交換事項で。それでいながら。
友達がいない奴がいざ「番号教えてよ」なんて聞かれた日には、応じる声にも一層気合いが入るというもの。
楓さんからの言われが信じられないんだけれども。
幾ばかりボーっとしていた反動も手伝ってか。
物の反射的に鞄に手を付けようかとした、その前に――
「それと...... はいこれ」
さも返事を見越していたかの如く小さな紙切れが差し出された。
「あたしの番号も渡しとくから」
「え、アドレスじゃなくて携帯のばん......」
「何か問題ある?」
「えっと、問題というか、その」
「ラインないしメールでのでやり取りより、こっちの方が早いと思っただけ。深く考えてくれずとも悪用される危険性を感じるなら教えてないから。どうせ一度掛けたら連絡先が表示されるだろうしね」
こっちが言わんとしている事もお見通しでいらっしゃる。
警戒心がないのか、いやあればこその物言いなんだ。
と、紙を受け取ったタイミングでまたもや耳に嬉し――――うんと驚愕とする言葉が。
「だから、別に掛けてきてくれても構わないんだけど」
まさかの許し...... が出た。というか。
電話に許可制もないんだろうが動揺が隠し切れない。
取り急ぎついでなメールアドレスではなく携帯の連絡番号、その果て。
俺から楓さんに、電話を掛ける、なんてことを......
「ところでさ。あんたの好きな〘食べ物〙は?」
「えっ、す...... ? ぐ、ぐ、グラタンかな」
「あたしはパエリヤ」
「なら〘趣味〙だったり楽しいと感じるものと聞けば?」
「漫画を読んだりアニメを観る、こと」
「あたしは雑貨屋巡り」
「次に〘習慣〙としているものは?」
「休みの日限定なら散歩とか」
「あたしは日々のランニング」
流々と急な出来事に気が落ち着かないでいる中で。
楓さんは俺から目線を外しつつも。
幾つか質問を問えば自身も同じように答える。
兼ねてから思っていた通り趣向が合わないなとありつつも初めて知る情報だ。
片やフランスだがスペインだかの外国発祥の料理、身体向上を高めるランニングと健康な身体を維持するウォーキングでも似て非なるもの、ってあれ? 意外にも共通点があるような......
が、興味本心から何を聞かれているでもない。
「”こんな風に”...... お互いに用がない限りは話す理由もないでしょ」
ただ単に会話することへの意義について。
親が寝静まった後や、いない隙を見て内緒でこそこそ。
男同士の要件は手短に女同士の長通話はスポーツ観戦している事にあらず。
ましてや夜な夜な異性と電話し合うなんて行いは恋人同士がすること。とは限らないか、でも。
「...... そうだね」
彼女の言い分にもっともだと。
頷いた俺は鞄中から携帯電話を取り出せども何ら驚かれることもなし。
新旧の機種同士でも通話が可能なんだ。
対面にてお互いに番号を交換し合う姿勢を取る。
先に俺が手渡された番号に従って登録を済ませば。
次は楓さんの番だけど、先程の楓さん同様いちいち口で言うのは面倒なので手っ取り早く携帯を差し渡す......
「――んっ」
登録を終えた合図、短い掛け声と共に携帯が手元へ返却された。
しかし相手が相手だ、顔を上げたその祭には恥ずかしくも視線が重なって...... 他意があるやなし。こんな間近で見られるとついつい顔に熱が込み上がってくる。
一方で楓さんはそこはかとなく安心したのだろう。
見るから愉快気な音符が頭上に浮き出たかの様。
要約してここまでの会話中で初めて表情が和らいだ、かと思えば。
「交渉成立って事でとりま、学校が終わり次第合間合間で確認の連絡入れるから」
意気揚々に口元を尖らせた後。
スマホを持つ手からこじんまりとしたVサインを備える。
そのついでか言葉の最後には「ヨロぴくっ」と若干古めかし――大変可愛らしい...... お茶目な語尾を入れて締めくくって見せたり。
昨日今日で印象がガラリと変わるとまではいかないにしてもだ。
芽森さんの事になるとこうも人柄が表に出て来るというのか、一面を知れば知る程って...... 別に何とも思わないけどもっ、楓さんと口を交わす時は決まって心配性の有無だったりするもんな。今の今だって――
「...... 何立ち止まってんの」
「ああっと、並んで歩くのは不味いかなって」
用が済んだとなればその場から退散せんとし。
事も何気に歩き出そうとした楓さんだったが俺の方は思考を巡らせていたものだからか呼び掛けられた、ものであるからして「と、とりわけ楓さんが嫌じゃなければ――なんてのは違くて......な、並んで歩いてたりしてるとアレだしで間を置いてから行こうかとっ」
軽く錯乱状態から。
そんなこんなで咄嗟の理屈から忙しくも言葉を促せば。
先程の微笑は気のせいだったのだろうかと見間違うばりに。
「そっ」
返す刀に笑みはなく。
淡泊な返事と共に彼女は綺麗な、金染の髪をたなびかせる。
男子以上にこと頼り気のある背中は見る見るうちに遠のいていった......
***
勉強を教えてもらう代わりに芽森さんの手助けをするという取引き。
そんな思わぬ形で楓さんの、女子の連絡先を知れたとはいえども。素直には喜べないのはどうしてか。
芽森さんを思う楓さんの気持ち、海音君を想う芽森さんの気持ち。
楓さんは俺が芽森さんに惹かれている事を知り得た上で協力を頼み入れてきた。
...... 《大事な友達が誰と恋仲になって欲しいのか》
友人視点でいえば。
異性を見る目がない人の感性や論理感、または危機察知のない楽観思考は普通とは言い難く。そこで心配してしまうのが周りの評判通り良くは思われていない人と恋に落ちる事。
二股を掛けられたり利用された挙げ句に泣きをみるのではないか、友達なりの気遣いともいうべきもので。少なくても自分が知らない異性と付き合うに至ってしまうのは些か歓迎し辛い。
だからこそ視察的に見て素面を知っているからこそ、安心して隣を任せられる相手を選んで欲しいのだと。
連絡先の交換ともなれば。
あいうえお基順の並びで一番始めに来るであろう登録名。
画面を操作し目を落としてみるも表記は真っ白、だけどしかと記憶してる。
『あんたは友達がどこの馬の骨とも分からない奴と一緒になって欲しい?》
そういう人がいるという【過程】なんかじゃない。
正直言って未だに複雑な心持ちではあるけど――
「俺にだって、そう思えるような相手がいてるから」
平常運転とはいえ。
主導権を握られる、もしくは先手を取られてか、
どもり台詞がいつも以上に多いのが何とも言い難いです......
そもそもに会話劇が。。。




