第8章 バルディオール・エペの襲来(後編)
1.
9時を少し過ぎて、『あおぞら』西東京支部の面々は浅間市南部の港に隣接した倉庫街に到着した。既に行われた横田たちによる偵察によって、敵の展開地点は判明している。倉庫街の西側は不況のあおりを食らって閉鎖されているのだが、そこにある程度開けた空間がある。トラックが多数駐停車できるように造作されたものだろう、幾筋もの白い実線や点線が走るその中に、彼女は1人佇んでいた。
黒を基調とした上着には襟と胸の襞飾りに武器強化系のシンボルカラーである鈍色を配し、いたって地味だ。目を引くのはボトム。ベージュに花柄を散らした、乗馬ズボンのようなぴっちりとしたものを身に付け、黒一色の長靴で引き締めている。いかにも立ち回りを指向したいでたちだが、ルージュたちの目には別の違和感が写っていた。
「なあ……なんか、背中に付いてる気がするんやけど」
用心しながら揃って近づくエンデュミオールたち、その中でも一際険しい表情のルージュに話しかけるグリーン。その指さす先には。
「翼……生えてるよね? あれ」
「もしかして、これから昇天するところとちゃうん?」
「ショーテンする、とはどういう意味なのだ?」
しっかり聞こえていたらしい。真顔で問うてくるアンヌ、いや、バルディオール・エペにどう答えたらよいものか皆が迷っていると、彼女は仕切り直しだとばかりの顔をした。
「まあよい。貴様らを倒してからベルゾーイにでも――おい」
「何よ」
ブランシュに問い返されて、エンデュミオールたちを睥睨していたエペは明らかにむっとした顔をした。
「黒いエンデュミオールはどうした? なぜおらぬ?」
「悪いけど、あいつはヤボ用でね。後から来るぜ」
「なぜ揃っていないのだ!」
ルージュの返答が気に入らない様子のエペは激した。ルージュもすぐさま言い返す。
「こちとらあんたみたいなお嬢様と違って、バイトや学業で忙しいんだよ!」
「そうよ!」とブランシュも加勢してきた。
「ブラックが来る前に、わたしたちであなたを倒してみせるわ!」
「結構」
エペは突然冷めた。腰の剣、その鯉口をぷつんと切ると、ぬらりと剣身を抜き出す。それは優美な容姿のこのバルディオールに似合わぬ幅広にして分厚い代物。いわゆるブロードソードというのだろう、とルージュは昔遊んだRPGの知識から推測する。
「よし! 行くわよ!」
ブランシュも氷槍を頭上から召喚して低く構えると、間合いを詰め始めてしまった。
「ちょ! お前!」
『ルージュ! 当初のプランは捨てて! 全員戦闘開始!』
「ああもう!」
当初のプラン、すなわち『会話で戦闘開始時間を引き延ばして、ブラックたちが到着する時間までの差を縮める』は早速破たんしてしまった。グリーンが釘バット片手に突進し、イエローは早速電撃を放つべく額の白水晶を輝かせる。
(アンヌ、いや、エペ1人か)
ルージュが素早く周囲に気を配っての推測が果たして正解かどうか。西側にある暗がりに人の気配がするような気が――
『ルージュ! 援護!』
本部から言われてルージュは我に返り、火球を作り出して放った。
「ボリード!」
火球2つと、イエローが少し遅れて放った電撃。ブランシュとグリーンがエペに正対して牽制しあっていたため、左右に分かれて放たれたスキルがエペを襲う。わずかに間をおいて一番槍を付けようとブランシュが動いた。
だが、バルディオールの動きはエンデュミオールたちの想像を越えた。
「え?! 飛んだ?」
背の翼を羽ばたき一閃、エペは地面すれすれを立ち姿のまま滑るように後退! それも4メートルほどいったん下がり、火球と雷撃が交点でぶつかって閃光を発した瞬間、また羽ばたいてその上を飛び越えてきた! 光を避けるため顔に手をかざしたブランシュたちは、事態を把握していない。本部からの指示が飛ぶ。
『ブランシュ! 上よ!』
「くっ!」
一瞬の戸惑いから抜け出した白いエンデュミオールが、槍の穂先を十文字に変えて上空のバルディオールを迎撃する。頂点でくるりと前転した勢いそのままに唐竹割りを繰り出してきた敵にカウンターを放ち、最低でもその剣を受け止める――ブランシュの目論見は甘かった。
「やあっ!!」
エペの気合とともに振り下ろされた剣刃に鈍色の光が走り、受け止めるはずだった槍の穂の枝がまるで紙のように切断されてしまったではないか!
「!!」
ブランシュはとっさに氷槍を手放してバク転することで、自身が両断されるのをかろうじて防いだ。二の太刀をブランシュに食らわそうとしたエペだったが、これもまたバク転、いや羽ばたきを加味して後方の空中に逃げる。エペがいた空間を釘バットが薙ぎ、続けざまに彼女を襲った。
「うらうらうらぁ!」
声を張り上げながら得物をぶん回すグリーン。着地したエペへの一見無秩序な攻撃に見え、ルージュは支援を焦った。だがよく見ると、かの剣の使い手にその得物を振るわせないでいるではないか。
(なるほど、あの刃に宿る光は攻撃の時にしか発動しないのか)
常時発動可能ならばあえて剣でバットを受け止め、黒水晶の力で押し切ればいいはず。とその時。
「わっと!」
大振りが過ぎて体勢が崩れたグリーンに隙が生まれてしまった。そこを逃す相手ではない。すかさず左斜め上段に構えて、
「やっ!! ……なにっ?!」
緑のエンデュミオールの細首を跳ね飛ばさんと真横に剣風を吹かせたが、彼女の身体はエペの予測を超えて素早く地を這った。そこへ、
「ライトニング・アロー!」
姉の身体を隠れ蓑に溜めたスキルを妹が発動! 一抱えほどもある太さの電矢が、放電の火花をまき散らしながらも高貴なるバルディオールに向かって一直線に飛ぶ。
バルディオール・エペは動かない。否、背の両翼をさっと左右に開くと、体を捻りながら右の翼を大きく前に振った。
「ぬうっ!」
気合を込めて翼を羽ばたかせたくらいでどうなるというのか。追撃を行うべくスキルを発動中だったルージュの疑念は、目の前で現実と化した。エペが身をよじったことで電矢をくらうはずの右翼の手前で、当の電矢が左へカーブしたのだ!
「え?」
電矢はバルディオールの胸の前を掠めて、そのコスチュームを焦がしながら通過。そして右翼と同じく広げられた左翼の前でまた軌道が曲がり――
「ルージュ! 伏せて!」
ブランシュの叫び声も遅く、まさに電流が走るがごとくルージュに飛び来る電矢。発動間際のスキルを解除し、本能的に両手でガードの姿勢をとるルージュ。だめ、直撃が来る……
「プリズム・ウォール!」
聞き慣れた声、ブラックのスキルを叫ぶ声にほんの一瞬遅れて、ルージュの前にできた光の壁にライトニング・アローが激突! 光壁を粉砕するのと引き換えに、電矢はバチッと大きな断末魔を残して消えた。
「あぁ……助かった……」
「来たな! 黒いエンデュミオール!」
ルージュの安堵とエペの歓喜。そのどちらにも応えず、エンデュミオール・ブラックが倉庫の屋根から叫ぶ。
「くらえ! スライスアロー!」
ブラックの両手から放たれた光の鏃がエペ目がけて飛ぶ。妹の攻撃の余波を避けて後退していたグリーンと、同じく控えていたブランシュが反転攻勢に出たのを援護するため。そして、
「助太刀、参上!」
北東京支部のエンデュミオールが2人、ブラックとは違う方向から疾走してきた。氷雪系の1人、エンデュミオール・リッカは走りながら氷の薙刀を作り出し、電撃系のエンデュミオール・トゥオーノは同じく電流を操って鞭状の長物を振り回しながらエペに挑みかかる。
7対1。絶対的な優勢のはずだった。だが。
エンデュミオール・ルージュは見た。バルディオール・エペが敢然と笑っているのを。
2.
エンデュミオール・ブラックはスライスアローを敵へと誘導しながら、違和感を感じていた。
この状況で、あの人はどう動くのか。どう戦うのか。
それが見てみたい自分と、そんなことお構いなしに倒そうとしている自分と。そんな気持ちの蹉跌なのか。
「……違う」
そうじゃない。この期に及んで、敵の気力が横溢した。まさに体が何倍にも膨れたように見えたその瞬間。バルディオールは剣を肩に担ぐと、前のめりに疾走し始めた。
ブラックの放ったスライスアローなどに構わずエペは突進。それも少しだけ左に弧を描いてブランシュの槍から逃れつつ、一番手近にいたグリーンに襲いかかった。
イエローの連発した電撃を1発だけ右翼に食らったほかは全てかわして、グリーンのバットぶん回しもいなして袈裟掛け一閃。グリーンが剣撃を受け止めようとしたバットごと、その細身を斜めに斬り下げてその場に斃した。
「ねーやん!! こいつっ!!」
激怒したイエローに眼もくれず、その次に近い位置でエペに斬りかかったリッカに対処するかと思いきや、翼を羽ばたかせて全速後退。追いかけてきたスライスアロー――最初に撃ったものは既に時間切れで消滅したため、続けざまに放っていた――を剣で斬り落としながら地面すれすれを立ったままの姿勢で蛇行し、着地した先はルージュの目の前。振り向きざまに横に薙いだ剣先を翼で隠されていたため、ルージュはかわし切れず、腹部を真一文字に斬られてその場に膝を突いた。
「ルージュ! くそっ!」
ブラックがルージュの治癒を優先している間に、追い付いたリッカがエペと交戦。5合ほど打ち合ったものの、脛打ちもある薙刀の攻撃を警戒したのか、はたまたブランシュに加勢されて2対1になるのを嫌ったか。
「黒いの! 今そこに行くぞ!」
エペはその場を切り上げて天高く飛ぶ。
「くらえ!!」
奴が来る。迎え撃つべく、ブラックはラ・プラス フォールトを発動! 先の電撃で右翼の動きが少しおかしく、思っているように飛べない様子のエペ。その胸目掛けた光線は、突如エペが失速したことで目標を失い、虚しく宙を飛び去った。
その失速したエペの墜落先、そこにはトゥオーノがいた。
「まかせて!!」
トゥオーノの白水晶が輝き、両手に電撃の大きな球が形成される。それが完成するのを、エペは手をこまねいて待たなかった。スキルを放とうとしたトゥオーノの眼が驚愕と激痛で見開かれ、すぐに光を失う。イエローの電撃に顔を歪めながらエペが投擲した剣が、トゥオーノの白い顎と喉を貫いたのだ。
トゥオーノの額に付いた白水晶が輝いて変身が強制解除されると同時に、仰向けに倒れた彼女に突き刺さった剣が、白水晶の力で彼女の身から強制排除された。着地するやいなやその刀身を引っ掴んだエペが前転し、ブランシュのゼロ・スクリームをかわす。トゥオーノの身体を飛び越える形になったエペはさっと振り返ると、意識を失ったままのトゥオーノを2つにせんと剣を振りかぶる。
「やめろぉぉぉ!!」
リッカのスキル発動もわずかに遅い。だが、切っ先が真夏の夜空を指した剣は、別のスキルの到来によって振り下ろされることはなかった。
「な、なんだこれは?!」
エペの剣身目掛けて飛んできた青色の物体が、刃も身も包み込むかのようにべっとりと付着。一目見て、そのジェル状の物体が切れ味を無に帰すことを悟ったエペの顔に、この戦いで初めて動揺が広がる。
『みんな! 今だよ! 突撃!』
いつの間に現れたのか、エンデュミオール・アクアが、ブラックとは別の倉庫の上から叫んだ。
我に返ったリッカのスキル発動と競うように、ブランシュが吶喊する。イエローは額の白水晶を輝かせながら、抜け目なくエペの背後に回りこもうと駆け出した。
「アクア、遅い!」
『ごめーん』とアクアはあくまでマイペース。
『なかなかジェルを発射するタイミングが来なくって。アルファ! 今のうちにグリーンとトゥオーノの回収を!』
突然場を仕切り始めたアクアに戸惑う声が通信機越しに聞こえたが、場の北側で待機してる横田の声がそれにかぶさった。
『アルファ、こちらブラボー。チャーリーとグリーンの救助行きます! デルタはエコーとトゥオーノの救助よろしく』
『ちょっと待って! あなたたちは――』
『アルファ』とブラボー――横田が走りながら反論している。
『僕たちも、スタッフなんですよ。あの子たちと一緒に戦いたいんです』
『そーそー』とデルタこと永田も走り出したようだ。
『あんなとこに女の子たち寝かしとくわけにもいかないじゃないですか。エコー、早く!』
その通信を聞きながら、ブラックはうずくまるルージュのもとに降り立っていた。
「大丈夫か?」
「う……ごめん、動けない……」
すぐにブラックの治癒を受けたとはいえ、腹を斬り裂かれて内臓を駐車場にぶちまける寸前までいったのだ。ルージュの体力は限界だろう。
この子も救助してもらわなきゃ。そう通信しようとルージュから顔を上げたブラックは、自分の目を疑った。エペのはるか左手にある暗がり、そこから、何か棒状のものが回転しながらエペ目掛けて飛んできたのだ!
エペはジェル塗れの剣を捨てていた。そのままトゥオーノの攻撃スキルを肩にかすらせながらもかわし、ブランシュとイエローの攻撃も避けつつ動いて、飛んできたブツを左手で発止と受け止めた。
「よし! ご苦労、マルタン!」
それは、
「剣?!」
さっき捨てた剣、いや、今彼女が腰に付けているのと全く同じ鞘の代物。それをエペは抜いた。真新しい剣が、月明かりを浴びて煌めく。
『わ?! 出た! 鳥人間!』
横田と一緒にグリーンを載せた担架を運んでいた長谷川が、素っ頓狂な声を上げた。そう、暗がりからぬっと姿を現したのは、鳥面に鉤爪の付いた手。服装こそ迷彩模様の戦闘服に編上靴だが、それからはみ出た部分は明るめの灰色っぽい羽毛に覆われた、そして何より背中に一対の翼を背負う人外。
「仲間、じゃない、手下か!」とブラックは焦った。現在、ほぼ戦闘不能のルージュを除いて5対2。ルージュを回収してもらわないと、ブラックは彼女の前を動けないので実質4対2なのだ。
その回収班がエペに襲われている。ブランシュとリッカが食い止めているものの、エペの動きは長柄持ちのエンデュミオール2人を相手にして、まったく怯みや焦りのない悠々としたもののように見て取れる。
「くそっ、これじゃ奴だけ狙えない……」
ブラックは歯噛みした。3人はお互いにまとわりつくように戦っている。ゆえに誘導できるスライスアローですら味方に当ててしまいかねない。状況はイエローとアクアも同じようで、動くそぶりを見せたエペの配下、マルタンと呼ばれた鳥人間を牽制するのが関の山だった。
ところ変わって本部。
エペはグリーンの回収班を狙い、おかげで無事トゥオーノを回収してきた永田たちが、本部から少し離れたバンの車内にトゥオーノを担架ごと収容していた。
それを視線の端に留めながら、可奈は唇を噛む。エペの動きはまったく衰えることなく、ブランシュとリッカ、2人相手に一歩も引かない。時たま2人の刃先がエペの体をかすめるのだが、彼女はそれ以上にエンデュミオールたちに傷を負わせている。
唯一勝っている点といえば、ブラックとイエロー、アクアと治癒スキル持ちが揃っているおかげで傷を受けるや治癒が行われることくらいか。傷の痛みで動きが鈍ることはないのだから。
だが、夜になってもまったく涼しくならないこの暑さが、氷雪系の2人には辛いはず。体力の減耗は否めず、このままではじり貧だ。あの鳥人間が動かないのは不可解だが、もしあれが参戦して来たら、趨勢は一気にあちら側に傾くだろう。
その前に、ルージュを。額ににじむ汗をぬぐって、可奈は永田たちに息もつかせずルージュを回収するよう指示を出すと、ふうっと息を吐いた。
(まったく、何が支部長よ。全然指揮できてないわ、私)
その時、リッカの薙刀がエペの剣を熱帯夜の空高く弾き飛ばすのが見えた。チャンスだ! 鳥人間にも動きが見られたものの、アクアが牽制して加勢には行かせない。
「アクア! またあんな形での剣の補給をさせないで! 抑えて!」
りょーかい、といたって朗らかな声が返ってきて、可奈は苦笑した。エペが逃げの一手と決め込んだことで、その猛爪に掛からずにすんだ横田たちも帰還。もう1台のバンにグリーンを載せに行くのを眺めた可奈の耳に悲鳴が飛び込んできたのは、その時だった。
驚いて戦場を中止した可奈の目に映ったもの。それは、本部に背中を向けているリッカの左脇腹を貫く剣先……!
急展開に付いていけない可奈の、携帯が鳴る。可奈は苛立たしげにディスプレイを見て、再び呆然とする。
「アルファ? どうしたんですか?」
グリーンの収容を終えて走り寄ってきた横田が怪訝そうに尋ねてくるのを遮って、可奈は彼を見据えた。
「ブラボー、指揮を取って」
「え? アルファ、あなたは?」
「ちょっと、呼ばれたのよ。ここをお願い」
唖然としている横田と長谷川と置き捨てて、可奈は指定されたポイントへと走り出す。上着の内ポケットに忍ばせていた白水晶を握り締めて。
なぜ? そう、"彼女"が来たのだ……!
3.
エペとリッカに、何が起こったのか。
リッカはエペの剣を空高く、遠くへ飛ばしていた。それもマルタンの居場所とは逆の方向へ。
好機到来と挑みかかった氷槍の穂先は、跳ね上がったエペの毛先を切り飛ばしただけに終わった。
有翼のバルディオールはひたすら逃げた。それも氷雪系のエンデュミオール2人の猛攻を様々な体術を駆使してかわしながら。
すごい。ブラックが敵ながらに感心し、頭を振ってスライスアローを発動した。いや、しようとしたのだが。
『わ! ブラック! 避けて!』
イエローの警句がイヤホン越しに聞こえ、とっさに伏せたブラックの後頭部のすぐ上を、轟音を上げて光り輝く何かが通り過ぎた。
「熱ち! なんだ?!」
それの飛んできたほうを見ると、件の鳥人間が目と肩を怒らせてこちらをにらみつけているではないか。ブラックが後頭部に手をやると、手袋越しの感触からして、少し髪の毛が焦げている様子。
「なんだ今の?」
まだ逃げ続けているエペと視界の端に捕らえながらブラックが訝しがると、イエローが教えてくれた。
『そこの鳥人間がな、いきなり口から光の球吐いたんよ』
そんな芸当もできるのか。ブラックが舌を巻いた時、それは起こった。
『ん? まさか……リッカ! だめ!』
アクアが何かに気付き警告を発するも遅く、リッカの短い悲鳴がブラックの耳朶を打った。
リッカは、左の脇腹をエペに貫かれていた。いつの間にかエペの手に握られていた剣で。
『あれ……さっきの……』
そう、それは、アクアのスキル"ゴーマー・パイル"のジェルによって封じたはずの剣。だが、時間経過によってスキルの効果が消え、剣はもとの姿に戻っていたのだ。
イエローの呆然とした呟きを聞くと同時に、ブラックは疾走した。3段ロッドを腰の後ろから引き抜きざま光をまとわせ、片膝立ちでリッカを刺している体勢のエペに斬りかかる。
「おっと!」
エペは素早く剣をリッカの身体から引き抜くと、そのまま後転して3段ロッドをかわした。そして、
「はぁぁっ!」
後転して地に付いた両足で踏ん張ると、一転ブラックに向かって突きを繰り出しながら飛び込んできた!
「わっ!」
「この!」
ブラックは、勢い余って体勢が崩れたのが幸いしてエペの突貫を食らわずに済んだ。そしてブラックが攻撃を受けたことに怒ったブランシュの槍がエペを左から猛襲する。
「ちっ!」
すかさず右手の剣を振るって槍先を切り落としたエペは、踵を返すと翼を激しくはばたかせて地を這うように飛んだ。右手を前に掲げて早く、早く飛翔した先。そこには。
『アクア! 避けて!』
『え? きゃあ!』
マルタンの口に光球攻撃の兆しが見えたため、そちらに気を取られていたアクアが驚いて身を捩るも間に合わず、彼女の右太ももに太く分厚い剣が突き刺さった。
『ライトニング・スター!!』
イエローがスキルを発動! 巨大な雷の星が、倒れてくぐもった悲鳴を上げるアクアの脚から剣を引き抜こうとして動きの止まったエペに襲いかかる。
「いかん!」と叫んだマルタンの嘴からこれまた巨大な光球が放たれ、エペの少し手前で雷星と激突!
盛大な爆風に吹き飛ばされたのは、倒れ伏していたアクアではなく、突っ立っていたエペだった。もっとも空中ですぐに翼を羽ばたかせて姿勢を制御し、マルタンの傍に降り立ったのだが。
その間にリッカの治癒を終えたブラックは、かがみこんで尋ねた。
「大丈夫ですか?」
中ほどでまとめた長い髪が重そうに揺れる。息も荒い。どうやら彼女も限界が近いようだ。
視界の端で雷光が煌めく。ブラックから10歩ほど離れた所で、イエローがアクアを治癒していた。
『……これは、ちょっとヤバいかも』
アクアがこんな気弱なセリフを吐くなんて。驚いたことで逆に冷静になれたブラックは、改めて戦局を俯瞰する。
戦闘可能なのは、ブラック、ブランシュ、イエローの3人。あちらはエペと、無傷のマルタン。
どうやってこの場をしのぐ? ブラックの巡り始めた思考は、無線通信によって中断した。
『こちらアルファ。みんな、一度しか言わないから、よく聞いて』
支部長の冷静な、しかし切迫感のある声が続く。
『説明終了から10秒後に、支援攻撃を行います』
支援攻撃?
『全員、ブラックのすぐ近くまで、敵の攻撃をしのぎながら退避。ブラックとイエローは敵をできるだけ近くに寄せ付けないように牽制して』
こちらの動きが止まったのを好機と見て、マルタンはエペの左腕に、ポケットから取り出した包帯らしき布を巻いている。
『ブラックは3秒前にプリズム・ウォールを展開。みんなで耐えて。以上』
全員が了解と声を出し、カウントダウンが始まった。今既にブラックの近くにいるリッカはともかく、動きの鈍いアクアが一番遠い。ブラックは、アクアの手助けに動いたブランシュとイエローを援護すべく、スキルを発動した。
「ラ・プラス フォールト!」
胸の前に溜めた光を、両手で左右に引き伸ばして増幅させ、のちL字型に組んだ腕からその光をほとばしらせる。標的はもちろん、手負いのエペ。
だが、こんなアクションの多いスキルを読まれていないはずがなく、エペとマルタンには左右にさっと別れて膨大な光の束をやり過ごされてしまった。光線は彼女たちの背後にあった倉庫の搬入口に激突し、派手な音とともにそれを破壊する。
「ふっ、なかなか強力だな。素晴らしい」
エペがまたも笑った。そして、唇を舐めてのたまう。
「実に食べごたえがありそうだ」
(やっぱ、あの人だな。らしいというか……)
ブラックが場違いな苦笑をしていると、イエローとともにアクアに肩を貸しているブランシュの声が飛んできた。
「ブラック! もう5秒前よ!」
その大声はブラックと、そして当然敵にも届いた。
「ぬ? 何か仕掛けてくるようですよ。お嬢様」
「おお、それはいかんな」
悠然と言い終えて、エペは両翼を広げた。顔をしかめたように見えるのは、翼ににじむ血や焦げた痕のせいか。だがそれに構わず、エペはまた低く、剣を構えてこちらへ飛翔してくる。
「ブラック!」
「よし! プリズム・ウォール!」
3秒前という指示は守れなかったが、光壁が作れる範囲ぎりぎりまで3人の仲間がどうにかたどり着いたタイミングで、ブラックはスキルを発動した。そしてその直後、視界が、いや戦場が白く弾けた。
「 サ ン ダ ー ス ト ー ム 」
あくまで厳かに、そして明朗に。聞き覚えのあるような無いような、その声が遠くから流れてきたと 時に、倉庫街を襲ったのは無数の激甚な落雷だった!
それはエペとマルタンにも叩き付けられたが、彼女らの声にならない絶叫すら聞き取れない。そしてブラックは、光壁が二瞬遅れて砕け散るのを目の当たりにした。
「うわぁぁ!」
光壁をまさに粉みじんにした落雷は、中にいたブラックたちも蹂躙。衝撃と痛みで思考が切断される寸前で、あるいは意図的にか、全てがもとの熱帯夜の闇へと帰った。
「ぐ……う……」
耐え切れず両膝を地に付いたブラック。それでも渾身の力を振り絞って前を見すえた先には、エペとマルタンがいた。エペも片膝を突いて、こちらは頭を上げる力も残っていないのか。傍らの配下は立っているものの、ぐらついている。
「まだや……いくで!」
黄色いエンデュミオールが、脚を震わせながら立ち上がって額の白水晶を輝かせる。
「ぐ……くらえ!」
イエローの身の前に雷の星が形を成す。先ほどのより小さいそれは、しかし今のエペには致命傷となりうる威力を秘めた攻撃。イエローの気合一声、雷星はバルディオールめがけて飛ぶ!
「させぬ……!」
マルタンがもはや光球を打ち出す余力もないのか、よろよろと歩み、エペの前に壁となった。
「マルタンっ!!」
雷星はエペの忠僕の身体を直撃! マルタンは短い絶叫を発したのち、主の足元に崩れ落ちた。
その時、1台の黒いワゴンが、落雷による路面の荒廃にもめげずに猛スピードで突入してきた。それはちょうど彼我を隔てるように停止する。
運転席の男が何事か叫んでいる。身振りからするに、エペを急かしているように見えた。
車の角に凹んだ跡が見えるのは、封鎖を突破してきたのだろうか。その車のドアが閉まる音がして、我に返ったイエローが電撃を放つもわずかに遅く、タイヤはうなりを上げた。
来た時と同じく猛スピードで走り去る車に追撃を放つ気力ももはやなく、ブラックたちは呆然とその後ろ姿を見つめるのみだった。
迅雷の暴力でアクアとリッカは致命傷を負い、変身が強制解除されていた。ブラックとブランシュ、イエローも、感電による傷を治癒し合うのが限界の体力切れ寸前。最後の"支援攻撃"がなければ恐らく敗北を喫していたであろうが、『あおぞら』側にとって苦い結末となった。