Intermission
午後10時を回った、西東京支部の第2会議室。隼人は気鬱だった。真夏の暑さにやられたのだろうか。いや違う。違うんだ。
「「隼人君、つらそうやね」」
「もしかして、こーゆーの、嫌い?」
双子とるいが気にかけてくれるのはうれしいのだが。
「よかったね理佐ちゃん。お仲間が見つかって」
「そのお仲間と一緒に帰っていいですか?」
理佐の顔は既に青い。
「だ め」
そう言って、永田が笑う。実に楽しそうだ。
「あれ? 横田さんは?」
「今日は非番だよ」
「ちっ、逃げたな」
サポートスタッフ同士の会話も、隼人には遠い。
ギギーッ!
「きゃっ!」
第2会議室の扉は油が切れているようで、不気味な音を立てる。今夜は殊更にそれが理佐の耳に響いたのだろう、かわいい悲鳴を上げて隼人のTシャツの裾をぎゅっと握りしめてきた。
「あらら、もう盛り上がってるわ」
「つか、そんな悲鳴出せるんやね、理佐ちゃんも」
「そやから"残念系クール・ビューティー"て言われるんやね」
いつもならここで理佐が双子に反駁するのに、もはや声も出ない様子。
「あの、理佐ちゃん? まだスタートすらしてないよ?」
「……パ――」
「パ?」
「パッケージが怖いの……」
先ほど扉を開けて入ってきたのは、支部長だった。その支部長が鼻歌まで歌いながらDVDを再生機にセットしている、そのソフトとは――
『13日目の金曜日』
今夜は納涼映画鑑賞会。"納涼"なんて付くからには、上映されるのはもちろんホラー。毎年恒例だという話だが、今年はさすがにバルディオールの攻撃が激しくなっていたため、開催が危ぶまれていたらしい。
それがこうして――隼人と理佐にとってまことに残念ながら――無事開催の運びとなったのは、ひとえに先の全国一斉摘発作戦のおかげ。あれきり残党は姿を見せず、オーガすら現れず、実に平和そのものなのだ。
実は意外とホラー好きな人が、サポートスタッフに多い。どうも横田は例外のようだが、そういうわけで若いスタッフが見たことのない昔の作品が毎年上映されるようである。提供者はもちろん――
「さ、始めるわよ~」
ホラー鑑賞歴三十ムニャムニャ年(具体的に問いただそうとしたら、なぜか『メッ』された)の支部長の朗らかな声とともに、再生機とプロジェクターが仕事を始めた。
隼人はホラーが嫌いだ。何が嫌って、なんでわざわざ怖いものを見なきゃいけないのかが分からないのだから、どうしようもない。しかも大画面でなんて。
『欠席者は、その後の打ち上げ会の飲み代を一部負担せねばならない』という理不尽な規定と、理佐に懇願されたため。それが、この鑑賞会に出席している理由なのだ。
理佐はなぜ出席するのか。問いただすことしばらく、ぼそっと『見たくないけど、見たいから』とつぶやかれた。それ以上は何も言ってくれない。
ちなみに優菜は帰省中。彼女は『ホラーは好んでは見ないけど平気』という人らしく、残念がりながら飲み代を払って帰省していったようだ。
(優菜ちゃんが平気で理佐ちゃんがまるでダメ、というのも意外だな)
まあいい。隼人が着ているTシャツの裾を握り締めて、見た目必死にスクリーンを凝視し続けている理佐の口から時々漏れる「ひっ」とか「うぅ」とかいう悲鳴が、存外に可愛いから。
「「うわぁ、エグいなぁ」」
「ここまでやらなくてもいいのにね」
「「いや、あんたが言うな」」
先日のバルディオール・アルテに対する仕打ちのことだろうか、上映開始から続く双子とるいの掛け合いが、スクリーン上に展開されるおどろおどろしいストーリーと見事にアンマッチ。隼人はなるべく掛け合いのほうに意識を集中したいのだが、
「きゃっ!」
犯人と思しき人物が凶器を振るうたびに、ぷるぷる震えるか硬直する理佐。その悲鳴に、隼人の意識はどうしてもスクリーンに引き戻されてしまう。
「なんでそこで2人っきりになるかな」
「せやせや、エッチなんてしてたら無防備になるに決まってるやんか」
「真紀ちゃん、それ、体験談?」
「ふっふっふっふっ」
なんでこの子らは、こんな凄惨な映画を見ながら与太話ができるんだ?
「あ、でね、この役者さんはのちにゴールドグラブ賞にもノミネートされるくらいの人になるのよ」
支部長のオーディオコメンタリー(?)も冴え渡る。
そうこうするうちに、物語はついに佳境を迎えた。行方知れずになった主人公の仲間たちの惨殺体が、次々とスクリーン上にお目見えするようになったのだ。
怖い、そしてなによりグロい。こんなもん見て、ほんと何が楽しいんだ? きゃいきゃい言って見ているサポートスタッフの女の子たちが、隼人には異次元人にすら思える。伊藤も楽しそうだし。
「うっわ! 斧ぶっ刺さってるよ斧! 頭に! すっげー!」
実はあいつのほうがエンデュミオール向きなんじゃないのか。伊藤が女装した姿を無理やり思い浮かべて現実逃避する隼人。この、ある意味理佐を置き去りにした行為が、この後起こった出来事における彼と彼女のリアクションを分けることになった。
バァァン!!
隼人たちの背後で、いきなり扉が開け放たれて大きな音を立てたのだ!
「うぉぉぉ!?」
仰天して大声を上げてしまった隼人はもちろん、不意を突かれた一同は飛び上がる者、隣に抱きつく者、悲鳴を上げる者と大騒動になってしまった。
「おっはよーございまーす! ……あれ?」
騒動の主が元気にあいさつ。それは――
「長谷川さん?!」
海外に行っているはずの、長谷川明美だった。
うわ納涼映画鑑賞会かぁ、と眼を輝かせながらみんなのもとへやってくると、長谷川が差し出したのは大きな紙袋4つ。
「これ、お土産!」
DVDが止められて明かりが灯され、会議室はお土産披露会へと変貌した。
そういえば欧州巡りにいってたんだっけ。隼人とミキマキが相次いで白水晶を手に入れたことに対して、かねてからそれを熱望しながら果たせなかった長谷川は激しく気落ちし、ボランティアを休止して旅に出たのだ。そのことについて隼人に忸怩たる思いはないが、それでも本人を目の当たりにすると、つい目をそらしてしまう。
「また大量に買ってきたねぇ明美ちゃん」
と永田が笑いながら好みの品を物色している。
「どうやってこれ持って帰ってきたの?」
「そりゃもう、えっちらおっちら」
「「バイヤー顔負けやな」」
ひとしきり談笑した後、長谷川は姿勢を正して言った。
「そういうわけで、復活しました。というか、吹っ切れました。よろしくお願いします!」
その言葉に皆で数瞬戸惑って、のち盛大な拍手で迎えた。1人を除いて。
「おーい理佐、いつまでへたり込んでんのよ」
「ははーん、さてはあたしが帰ってきて泣いてるな?」
………………
「? おーい、理佐ちゃーん?」
「微動だにしないんだが」と隼人が不審がりながら近づき、顔をのぞき込んだ。
「だめだこりゃ」
「え?」
「白目剥いてる」
映画のクライマックスに合わせたバックアタックに、心が持たなかったようだ。弾け跳んだ理佐の意識が戻るのに、そこから15分を要することとなる。
所変わって、支部近くの居酒屋。納涼映画鑑賞会の打ち上げは、急きょ長谷川の復帰祝いも兼ねることとなった。
「へー、じゃあもうほとんど捕まっちゃったんだー」
旅に出て以来の動きを聞いて、長谷川はとたんに興味を失ったようだ。
「でもね、なんか敵のお嬢様がこっち来てるみたいなんだよ」
「そうそう、アンヌっていう人なんだけどね、これがまたいかにも――」
「いかにも?」と長谷川が生ビールをこくりと飲んだ。
「隼人君が好きそうなお方でさ」
隼人はいかにも苦そうにビールを飲み込むと、反論した。
「永田さん、なんでそんな話になるんですか」
「あれ? 洋物はお嫌いの人?」
「いやそういう意味じゃなくて」
困り顔の隼人を見て、理佐がこの会話に絡んでくる。もう顔が赤いのは、さっき立て続けにシンガポール・スリングをあおったせいか。
「はっきりしなさいよ! どっちなのよ!」
理佐の一言で、みんな静まり返ってしまった。聞こえるのは、んっんっんっという生ビールを一気に流し込む音……美紀ちゃん?
「理佐ちゃんはぁ――」
ドン、とテーブルに空の大ジョッキを置いて、美紀が理佐を見る目が座ってる。
「何をそんなにオタついてんねんな」
「お、オタついてなんかいないわよ!」
「いーや」とこちらも生ビールを飲み干した真紀が、会話に加わってくる。
「なんでそない余裕が無いん? ていうか、なんで彼女気取りなん?」
(うわー、言ったよ)
(ねーやん、妹に援護射撃入りました)
(この刺身、鯛かな?)
(るいちゃん、ハウス!)
「なんでさ? 理佐はねー、オタついてんのよ」
スタッフ女子の静止など何の役にも立たず、るいが笑いながら言い放って、刺身をぱくつき始めた。
「るい……あなた――」
にらまれようとも、るいは止まらない。
「だってさぁ、かわいい双子が隼人君とデェトするんだもん。そりゃあドキドキバクバク、だよ!」
ネ? るいは理佐にウィンクすると、枡酒を美味しそうにぐびり。
「「なるほど、原因はうちらか」」と双子は考え込む――振り。
「「ま、オタつく程度の愛、ちゅうこっちゃ。ネ?」」
「そのウィンク、む か つ く」
理佐の自棄酒は、どうもシンガポール・スリングと決まっているようだ。隼人はなるべく周囲を刺激しないようにダシマキ卵をほおばる。
「ふーん」と長谷川も枡酒を少し飲むと、理佐の肩に手を置いた。
「理佐ちゃん、辛かったらやめたら?」
また座が静まる。
「べ、別に辛くなんか……」
「いーや」
長谷川は酔っているのか、もうとろんとした目で理佐を見据えている。
「なんかさぁ、さっきから見ているとさぁ、登らなくていい坂道をむりくり登ってる感じなんだよねぇ 」
「なるほど」
それを聞いた支部長の目が光る。珍しく飲み会に参加してきたと思ったらメニューにワインを見つけて、チーズフライをつまみに結構なスピードで飲んでいる。
「長谷川さんが代わってあげる、と」
「いや、ないない」
あっさり。
「あ、そうなんすか?」
「「なんでそこで残念そうやのん?」」
「あなたって人は……」
理佐がまたお代わりした。
「そういえば、納涼映画鑑賞会、どうだった?」
隼人とミキマキに聞いてきたるいは、全く平気らしい。『むしろ、自分なら犠牲者をどーやって痛めるかなー、って考えちゃうから』だとさ。
「怖かったよ。すっげー久しぶりにホラー見たけど、やっぱだめだな」
「へー、もてもて兄やん的には『俺がそばにいるから』じゃないんすか?」
「伊藤君、キモい」
周りの女子から集中砲火を食らって見事轟沈した伊藤であった。永田が伊藤の頭をよしよししながら、
「クライマックスで明美ちゃん登場、グッドタイミングだったね。なんか狙ってたみたいに」
「そ、そんなわけないじゃないですか」
挙動不審な長谷川に、理佐の据わった目が向けられた。
「長谷川さんひどい。ほんと心臓止まるかと思いましたよ」
「いや、あれは絶対狙ってましたよね?」
「「うんうん、隼人君もすごい吠えてたしぃ」」
双子に指摘されて、隼人は反論できず赤面した。
「あー、でもねぇ……」
支部長の頬がほんのり赤い。
「クライマックスで中断されて、残念だわ。……そうだ! 例の人の件が片付いたら、第2回をやりましょ! 次は『死霊の波羅蜜多』がいいかな、それとも――」
「いやいやいやいや」
理佐とそろって支部長を止めながら、隼人は思った。
支部、替えようかな。
るいと永田、伊藤が成り行きを見てけらけら笑ってる。ほかの女子スタッフたちは長谷川の土産話に聞き入り、諦めていない支部長はチーズフライに飽きたらしく、メニューとにらめっこ。
日常、というべきか。あるいは、嵐の前の静けさというべきか。
夏の夜は騒々しいながらも緩やかに過ぎていく。