終章 黒雲沸起の幕間劇
1.
8月12日も夜9時を過ぎて、浅間大学の裏山は賑わっていた。火炎が飛び、稲妻が走り、水柱はそこかしこで吹き上がり、すぐさま氷結する。
「なんというか、イリュージョンみたいだね」
見学しにきた長谷川の言に、ブラックは思わず笑ってしまう。
西東京支部のエンデュミオールたちは、先の飲み会を区切りとして、アンヌとの再戦に向けた修練を開始していた。
「ブラック、お前見学か?」
ルージュが一息付いたのだろう、腕組みをしたまま黙って見ているブラックに声をかけてきた。
「違うよ。4人でこの場所、一杯一杯じゃんか。誰かが上がるまで待機してるんだよ」
そっか、と頷いて、ルージュはまた修練を始めた。
(みんな、ちゃんと考えてきたんだな。へこんでたしな、あれ見て)
あれとは、アンヌとの戦闘経過DVDのこと。あのままでは再戦しても意味がない。そう思ったからこそ、こうして熱心なのだろう。隼人も含めて。
エンデュミオール(とバルディオール)は、たとえ即死に至る状況でも即死しない。白水晶の力が変身者の身体を自動修復し、エネルギーを注ぎ込むことで死なないように守ってくれる。もちろん致命傷を負うことによる体力の激耗により昏倒するし、次の日の昼過ぎまで残る倦怠感が体を侵すのだが。
じゃあ実質不死身なのか。否、戦場において呑気に倒れていられるはずもなく、バルディオール・ミラーが真紀に、エペが祐希にそれぞれしようとしたように、無防備になった変身者にとどめを刺そうとする。なにより、回復後の倦怠感は実に嫌なものなのだ。真紀が『二日酔いと乗り物酔いに、男に振られた時のイヤンな感じを全部足して頭をシェイクされたようなもの』と表現していたが、割とうまい例えだと隼人は思う。乗り物酔いになったことはないが。
しばらくして、アクアが上がった。考えていたことは一通りやったから帰る、そう言って変身を解除し、左手を上げるとさっさと行ってしまった。
「大丈夫よ」
気遣わしげな表情をブラックがしていたのだろう、ブランシュが近づいてきた。
「結構前から来てたのよ、るい。いつもの気まぐれじゃないと思うわ」
「そうそう。たまには仲間を信じなさいって」
長谷川がそう言って、空のペットボトルをナップザックにしまい込むと立ち上がった。
「じゃ、あたしもこれで」
ブラックたちの別れの言葉に答える長谷川の言葉が、裏山の林の中に少しずつ小さくなっていく。
「よし、さあやるか!」
ブラックは自分の頬を叩いて気合を入れると、スキルの修練を始めた。
朝のもう一眠りしたい時間に鳴り響く、携帯のけたたましい着信音。しまった、マナーモードにするの忘れてたぜ。隼人はうんざりしながらバイブするそれを手に取り、通話ボタンを押した。
『あ、隼人?』
優菜の切羽詰まった声が聞こえる。どうしたんだろう。もう電話はかけないからって言ってたのに。しかもなにやらバサバサと紙の音が聞こえる。
『今朝の朝刊、見たか?』
「ごめん、俺、新聞取ってないから」
ネットで見るよという隼人のリアクションは却下された。どうやらこの地域のニュースらしいのだ。
優菜の指示に従っていったん通話を切って待つことしばし、彼女から来たメールに添付された写真を見た隼人は絶句した。
新聞を撮影したそれは、携帯のカメラで撮ったのか微妙に不鮮明で、それがなおさら優菜のいう〝大変な事態"を表しているように思える。その内容とは――
『浅間大学の裏山 謎の発光現象!?』
それから5時間ほど経って、隼人のバイト先近くにあるファミレス。昼休憩に入る前にバイトリーダーに断わって、隼人は西東京支部の皆にやや遅れて駆け込んだ。
「んー、ちょっと派手にやりすぎたかな?」
るいがメロンソーダフロートに少しむせながら首をかしげる。
みんなの眼の前に置かれた切り抜きを改めて見ると、その記事はカラー写真付き。夜空をバックに、重なり合う木々の間を稲光や炎らしき赤い光が随所に飛び回っているように見えて、なるほど謎の発光現象だよな。
「この2年間、こんなことまったくなかったのに……」と理佐。暑い中を急いできたからだろう、ぐったりしている。
「まあ、メンツも増えてるし、ね。どーする? しばらく自重する?」
るいの問いかけに、優菜の答えは明確だった。
「帰る」
その、あまりにも簡潔な言葉に隼人は驚いた。
「このあいだ実家に帰った時に向こうの支部の人と会ったりしてたから、連絡取ったら『うちの練習場使ったら?』って言われてさ」
バイトのシフトをやりくりして、行ってみるつもり。優菜はそう結んだ。
むー、という唸りのほうを見ると、るいのほっぺたがぷっくり膨らんでいる。
「どしたん、るいちゃん?」
「おたふく?」
「先越された」
「は?」
実家に帰って修練する、という発表について先を越されたらしい。
「じゃあるいちゃんは居残りで――」
「帰る」
そう言うと思った。天邪鬼は隼人の読みどおりの反応。
「ほな、うちらも帰ろか」
「せやな」
双子がお互いの顔を見合わせて頷く。
「ちょっと待ちなさいよ」
あまりの急展開に驚いたのは、理佐も同じ様子。食べかけのレモンフラッペにスプーンを突っ込むと、双子の説得を始めた。
「そんなに一度にいなくなったら、Aがまた来た時困るじゃない!」
「でも、このまま何もせえへんかったら、前回と同じ結果やで?」
「それはそうだけど……」
まだあきらめきれない様子の理佐に向かって、美紀と真紀は手を合わせた。
「「お願い、行かせて。うちら、どうしてもやっときたいことがあるんよ」」
「何?」
「「紅夜叉丸のお弔い」」
「そっちかよ!」
隼人が呆れて叫ぶと、るいと優菜が吹き出した。
「「あはは、まあそれやこれと、ちょっと試したいこともあるし」」
理佐は結局折れた。隼人は残念そうな理佐に声をかける。
「理佐ちゃんこそどうするんだ?」
「わたしは神奈川だもの、日帰りで済むわ」
理佐は実家の槍術道場へ行くつもりとのこと。
「隼人君はどうするの?」
「んー、俺は……」
「その、もしよかったら――」と理佐がモジモジしだした。
「うちに一緒に来ない?」
卓が、静寂に支配される。隼人は首をかしげながら理佐に答えた。
「北東京支部の人に、場所借りられないか聞いてみようと思うんだけど。理佐ちゃん家に行っても練習できないじゃん。日中はバイトもあるし」
「そ、それはそうだけど……」
(このまま一気に両親紹介イベント発動! やったのに)
(いやまあ、隼人の理屈はごもっともだけどな)
(長野支部の人、浅間饅頭食べるかな?)
(せんげんモナカのほうがええんちゃう?)
(えー、あれ口の中に張り付いて食べにくいじゃん)
「お前らは何を話し合ってるんだ!」
優菜ににらまれて、るいと真紀はぺろりと舌を出した。
「理佐ちゃん――」と隼人は理佐のほうをまっすぐ見た。
「Aさんを何とかしないと、横浜の演奏会に行くどころじゃなくなっちゃうから」
隼人に言われて理佐は唇を噛んだが、やがて目を伏せて頷いた。
そのまま話は昼御飯がてらの雑談に流れ、食べ終わった隼人たちは店を出た。右手を上げてバイトに戻ろうとする隼人を、るいが呼び止める。
「ね、ね、あれやろ! あれ!」
あれって何? と聞き返す暇も有らばこそ、るいは自分の前に右手を差し出した。
「みんなで手と手を重ねて、エイエイオー! って」
「ここで?」
とちょっと恥ずかしそうな優菜。ミキマキはノリノリでもう手を出している。理佐はくすりとして、美紀の小さな手の上に自分のそれを重ねた。
「さ、優菜ちゃん」
「しようがないな、もう」
隼人も手を出しながら促すと、優菜は傍を含み笑いして通る人たちを気にしながら、みんなに倣う。
「よし、じゃあ、優菜の掛け声で」
「あたしかよ!」
「「るいちゃん、いつか誰かに刺されるで」」
「まったく……」
理佐と隼人は顔を見合わせて笑った。そして隼人は心に誓う。
強くなりたい。隼人と同じ決意を心に抱いたこの仲間たちを、そしてこの子を、理佐を守るために。
優菜の掛け声で、隼人たちは拳を青空に突き上げた。
2.
朝日が室内を柔らかく照らす中、アンヌ・ド・ヴァイユーはようやく起き上がれるようになっていた。先の戦闘で得た傷は、急遽来日した妹のミレーネことバルディオール・ブークリエに治癒してもらった。だが、負傷後すぐの治癒ではなかったこと、そして“貴血限界”のため、その回復に時間がかかったのだ。
そもそもの手違いは、敵がアンヌの来日直後に行った一斉摘発によって、治癒スキルを持つバルディオールが一掃されてしまったことにある。摘発とその後の追跡を逃れて潜伏中の変身者たちには、治癒スキルを習得するよう指令を出してある。が、末端の警察官にまで手配書が回っている状況では外出すらままならない。
そう、日本の警察には、伯爵家から手が回してあったはずだ。にもかかわらず、手配書の配布を遅らせることしかできなかった。調略を担当している家臣の話では、伯爵家が鼻薬を嗅がせている"犬"が、少しずつこちらとの接触を断ったり、距離を置き始めているという。
なればこそ、乾坤一擲の勝負を挑んだのだ。『あおぞら』の主力と目される西東京支部のエンデュミオールたちを成敗し、我が伯爵家が絶対的に優勢であることを知らしめる――はずだった。
「おお、アンヌお嬢様! お加減はもうよろしいようですな」
ノックの後、マルタンが入ってきて明るい声を上げたのだが。
「マルタンよ、すまなかった」
頭を下げるアンヌに驚いたのは、マルタンだけではなかった。ベッド脇に座る妹のミレーヌや、部屋の隅に控えていた執事のベルゾーイやメイドまで、目を丸くしている。
「お、お嬢様……!」
「ん? どうした?」
マルタンの発した声があまりにも頓狂であったため、アンヌは顔を上げて微笑んだ。
「わたしが謝るのが、そんなにおかしいか?」
その声は、不遜にも口元を拳で隠して含み笑いをする執事にも向けたものであった。
「マルタンよ、そなたの進言どおり2人で戦うべきであった。わたしの我儘に付き合わせたうえ、怪我まで負わせてしまった。それを謝っているのだ」
「いえ私こそ、お嬢様に禁じられていたにもかかわらず、手出しをいたしましたこと、お詫びを――」
恐懼するマルタンの仕草にまた微笑んで、アンヌはベッドに横たわった。まだ少し眩暈がする。
これほどのものなのか、とアンヌの心の中は複雑に揺れた。
今まで、ディアーブル以外の敵といえば、ジャーマニアの"蜥蜴"どもと数回やり合ったことがあるくらいだった。むろん、後れを取ったことなど一度もない。
先日のあの戦闘。アンヌは終始動き回って敵に己を囲ませず、優位に戦闘を進めた。2人を斃し、3人を地に這わせ、その他の者にも少なからざるダメージを与えたのは確かだ。にもかかわらず、先に戦地から退場したのはアンヌとマルタンだった。
迅雷。あれは、最後に立っていた電撃系の小娘が放ったのだろうか。だとすれば、恐るべき相手だ。バルディオール・フレイムのレポートには彼女についての記載が無く、ミラーが送ってきた報告書には"素人同然"と書いてあった。わずか数ヶ月であれほどの攻撃を、しかも味方の損害すら気にすることなく撃てるとは。
手強いと思う自分と、面白いと思う自分。アンヌはこの二律背反を考察するうち、眠りについた。
次に目が覚めたときはもう夕暮れ。部屋の隅を見やると、まさかずっとそうしていたわけでもないのだろうが、ベルゾーイが直立不動の姿勢で部屋の扉を凝視していた。アンヌの起床に気が付き、執事は彼女に水を勧めてきた。所望した水は程よい冷たさで、まさしく命の水とはこのことを言うのだな、とアンヌが独りごちていると、視界の端で、執事が傍らの内線電話を手に取る。かけた相手は――
「お姉さま。お邪魔いたします」
ミレーヌだった。彼女が部屋に入るため扉を保持した執事が、奇妙な仕草をする。首だけ出して廊下を眺め、満足げに、しかし緊張した面持ちで扉を閉めたのだ。
「どうしたのだ、ベルゾーイ」
「お嬢様方にお話がございます」
主の不審げな瞳をまっすぐ見据えて、執事は話し始めた。
「アンヌ様。戦闘が開始される前の、あのマドモアゼルたちとの会話を覚えておいでですか?」
アンヌは、しばし顎に手を当てて記憶をたどった。
「……思い出したぞ。確か私が、なぜ黒いのがいないのか問いかけたのだったな」
「はい。私は集音マイク頼りでございましたが、そのようにお嬢様は申されました。そして」
ベルゾーイは少し身じろぎした。
「かのマドモアゼルのお一人は、こう返されたのです。こちらはお嬢様と違ってバイトや学業で忙しいんだ、と」
ミレーヌは理解できないという顔をした。
「? それが何か引っかかるの?」
「平民が、我ら高貴なる者に対してする僻みの類ではないか」とアンヌも分からない。
「お嬢様」とベルゾーイは主らに問い返す。
「その平民に、お嬢様のご身分を明かされましたか?」
アンヌは、ゆっくりと首を振る。しばしの沈黙ののち、ミレーヌが眉根を寄せた。
「……こちらの情報が、敵に漏れているというのね?」
「確たる証拠はございません。漏洩元を特定したわけではありませんので」
「となると、先日の秋庭原も……」
黙して頷くベルゾーイに、ミレーヌが続けて問うた。
「マルタンたちを疑っているから、先ほどは話さなかったのね?」
「恐れながら、全てを疑わねばなりませぬゆえ」
「家臣が、我らを裏切っているというのか……」
「あるいは――」とベルゾーイは平板な声で告げる。
「日本人のバルディオールたちの誰かかもしれません」
アンヌの脳内が、焼けるように熱い。裏切り者は誰なのか、なぜなのかという思いと、どうやってそれを探るのかが皆目見当がつかないという焦りと。もともとアンヌはそういった"難しいこと"を考えるのが得手ではない。
部屋に備え付けの電話が鳴った。ベルゾーイが出て、ミレーヌへと受話器を渡す。しばし応対していたミレーヌの顔色が変わったのを、アンヌは見逃さなかった。
「どうした?」
「ディアーブルの攻勢が始まったと、ニコラ殿から至急の連絡です!」
このような時に、とアンヌは唇を噛む。電話の内容は、アンヌとミレーヌ姉妹の即時帰国命令であった。
電話で命令を伝えて、ニコラ・ド・ヴァイユーは通話を切ると、大きく舌打ちをした。
「まったく忌々しい、このような時に……!」
その感想がアンヌと同じものであることを知ったら、彼はさらに品のない舌打ちをしただろう。
「致し方ありますまい。ここを疎かになさっては、ニコラ様の御名に傷がつくというもの。ここで少し、本国を固められませ」
そう言って微笑む異邦人を、ニコラは胡散臭げに見つめた。
この男と知り合ったのは、貿易関係の仕事をしているというふれこみで知人の貴族に紹介されたのがきっかけだった。そこから瞬く間にニコラの個人的な顧問として、今回の日本侵略にまで関わるようになった。もちろん余人には知られぬように細心の注意を払い、ニコラの妻すら"夫の所有するワイナリーに関係する貿易商"という認識しか持っていない。
(まったく忌々しい。黄色い猿め)
問題はそこには無く、大略を共に語れる人材がニコラの家に、いや、伯爵家にいないことである点に、ニコラは気付いていない。
「まあいい。アンヌを使えなくなった時のことを想定して、あの女を送り込んであるのだからな」
「"レーヌ"でございますね?」と異邦人は微笑む。
「ああ、せいぜい引っ掻き回してもらおう」
とニコラは笑うと、異邦人が退出の印に頭を下げたのを見て席を立ち、部屋の角に据えられた瀟洒な小卓にワインを飲みに行った。扉に向かう異邦人が、微笑みを変えた嗤いに気付くことなく。
3.
「もう来月、ですか」と袴田主任参謀は苦々しげに口にした。
彼と共に卓を囲むのは、参謀長と海原家の男性2人。参謀長の屋敷での麻雀にかこつけた愚痴り合いは、月に一、二回の割合で開催されていた。
「まったく、女どもにも困ったものだ」
袴田の対面に座る海原家の男性が口元を歪める。その右手に座る、同じく海原家に名を連ねる初老の男性も同感なのだろう、眉間に皺が寄るのを袴田は見るとなく眺めた。
"海原家の男性"とは言いながら、彼らは2人して婿養子。つまり、鷹取一族の"鬼の血"を引かない、他所人である。鷹取家と海原家、ともに血族を他家に出すことを良しとしないため、その一族と結婚するためには女は嫁に、男は婿に来ることになるのだ。
先の男性が牌をツモ切りしながらボヤキを続ける。
「あのような痴情沙汰を巻き起こしただけでも恥ずべきことなのに」
「まったくまったく」
と次の男性もツモ。こちらはしばし考えた末に手牌から捨てて、しゃべりだした。
「その上逆恨みしてあのような……ええと、なんでしたかな」
「厭離轍鮒の儀」
そうつぶやいたのは参謀長。大して面白くもなさそうな表情でツモり、リーチをかけた。
「参りましたな」という袴田の呟きを対面が受ける。
「袴田君は1万点以上浮いてるだろうに、参りましたとはどういうことかね?」
「この局面の話ではありませんよ」
袴田は降りを選択。参謀長の現物牌を切りながら答えた。
「沙耶様のことです」
そう、彼らがくさしているのは、鷹取家当主候補者である沙耶のこと。来月半ばで、彼女の蟄居処分が裁決で定められた2年を迎えるため、来週末に開かれる一族代表寄合席で処分を終わらせるか否かが議題となるのだ。
彼らが腐っている理由、それは、袴田や婿養子たちはもちろん、血族の最長老たる参謀長すらその場に席を持たぬことである。有体に言えば、"巫女"として妖魔討伐の現場を預かる血族の女性のみが、その資格を有するのだ。
「あのような不祥事を起こした方が総領職に就かれるのは、今後の規律の面から見ていかがなものかと思うわけですよ。そう思われませんか?」
袴田から水を向けられた参謀長は、卓上を見据えたまま軽く頷いた。
「とは言ってもなあ」
と言いながら、男性の1人がツモった牌を見て顔色を変えた。参謀長の顔をうかがいながら、そっと牌を場に捨てる。
「ロン。リーチ一発ピンフ、ドラ1。裏は……うむ、1つ乗ったな。満貫だ」
悔しそうな男性から点棒を受け取りながら、参謀長は彼の言葉を引き継いだ。
「美玖ちゃんはまだ8歳。さすがにあの子の結婚まで待つわけにもいくまい」
鷹取の総領と海原の当主は、予定者もしくは候補者の結婚をもって、その女性に職を譲る。これにより、時には妖魔討伐の前線に立たねばならない総領や当主の年齢を20代から50代に(大抵の場合)限定できる。幼主や老齢の当主が側近に操られることもない。
また先に述べたように、鷹取一族の結婚は一般人より成り難い。『ならば美玖が結婚可能年齢になったら適当な男をあてがって』という、古今東西で繰り広げられてきた政略結婚が成立しづらいのだ。
「まったく女どもときたら」
「そうそう、『沙耶ちゃんにも事情があったんだし』などと世迷言を、うちの妻もほざいておりましたよ」
全自動雀卓に洗牌をさせるために開いた穴に牌を放り込みながら、婿たちがぼやく。どうやら一族の女性たちは沙耶の蟄居解除を望んでいるような形勢だ。袴田は洗牌の静かな音をBGMに、参謀長に囁いた。
「疫病神のこともありますし、沙耶様の復帰はやぶさかではありません。が、何か対策は必要かと」
――「だ、そうです」と海原雪乃はボイスレコーダを止めながら言った。
ここは、鷹取屋敷の一室。総領と雪乃、鈴香の3当主が揃い、ほかには総領の妹が遠隔会議参加システム経由で列席しているのみ。来週末の一族代表者寄合席を前にした、鷹取一族中枢部の非公式会合が開かれていた。
親族の会話を盗聴する。この、総領から特別に依頼された仕事を、海原家の当主たる雪乃は娘の琴音に任せなかった。それはおそらく、諜報という汚れ仕事の中でも飛び切りの汚い仕事を自らの手でなすことで娘を守っているのではないか、と鈴香は推察している。
「困った人たちね」
と総領が溜息をついた。その彼女に、妹である万理の3次元映像が心配そうな顔を向ける。
「寄合出席者の動向ですけど、正直、迷っていらっしゃる方が多うございますわ」
万理の説明によると、沙耶に同情はしているものの、やはり裁定が軽かったのではないかという悔悟の念を抱いている者が少なからずいるとのこと。
(今だ!)
鈴香は琴音からの示唆どおりのタイミングで一同に呼びかけると、おずおずと1通の封書を差し出した。
「それは?」
「沙耶様から、私宛に届いた手紙に同封されていたものです。総領様に渡してほしい、そう手紙には書いてありました」
驚いた顔の総領に事情を説明して、証拠としてその手紙も机上に乗せる。
一瞬躊躇の色を見せた総領であったが、雪乃と万理に促されて、娘からの手紙を開いた。便箋の文面を一瞥した総領の顔が、また驚愕に染まる。
「何と書いてあるのですか?」と問う雪乃に、総領は目を潤ませて答えた。
「寄合席と巫女の合同鍛錬会、そのほか親族が集まる席で、一言お詫びをさせてほしい。……そう、書いてあるの」
今度は鈴香が驚く番だった。手紙の内容を事前に琴音から聞かされてはいないのを差し引いても、まさか、あの沙耶が。2年前の裁定の場で居直るでもなく平伏するでもなく、ただひたすら悲しげな眼をしたまま端座し、黙して語らなかったのに。
ふいに、涙が鈴香の頬を伝った。止める間もなく、止める気もなく、鈴香は泣いた。両手で顔を覆って。
「鈴香ちゃん、どうされたの?」
横に座っている雪乃が驚いている。3D映像の万理も。
鈴香は嗚咽でつかえながらも心情を吐露した。それは、琴音に教唆された『沙耶への同情を買って、できるだけ巫女の総意で復帰させる』という目論見のためではない。
「だって……だって……元はと言えば……うちの兄が……兄のせいで、沙耶様がこんな目に……なのに……」
「鈴香ちゃん」
沙耶の母たる総領の鈴香に向ける目は、あくまで優しく穏やかである。
「ありがとう。でも、沙耶のしたことは許されるわけではないわ」
「さて」と万理が湿った空気を払うように声を上げた。
「このお手紙の件、周知しましょう」
「海原のほうは、私にお任せください」
雪乃も請け合い、話題は移る。フランクの"伯爵"家による日本侵略、それにまつわる各国の反応である。雪乃が話し始める。
「ジャーマニアの"大公"家は『我々は関知しない』とのことです。つまり、傍観に徹するということですね、今のところは」
「ロスクヴァの"プロレタリアートの盾"……じゃなかった、"藩王"家は?」
「そこも中立を守ると言ってきています。ちなみに、エンゲランドの"侯爵"家も」
総領の問いに雪乃が答えた時、万理が声を上げた。
「その"侯爵"家から、フランクへの牽制をしてやってもよいとの連絡が私宛にありました。昨日の夜ですけれど」
「相変わらずね、あそこの二枚舌外交も」と雪乃が苦笑する。
首をかしげる鈴香に、雪乃は説明してくれた。あくまで己の利益のため、時と場合、相手によって言動が食い違うことは、あの国では伝統的な外交戦術なのだと。
その間沈思していた総領は、手元の受話器を手に取ると、どこかへ電話をかけた。
「仁木さん? 私です……例の採掘プロジェクト、ユニヴァーサル・トラスコとの合弁にします。……ええ、手配をよろしく」
通話を終えて、総領は万理のほうを向いた。
「そういうわけよ」
うべなった印に微笑む万理。鈴香はまた分からない。
「ユニヴァーサル・トラスコは、"侯爵"家の傘下企業なのよ。うちの単独事業ではなく合弁にする。つまり、牽制への婉曲的な報酬ということ……」
理解して、鈴香はおとなしく会議が閉じるのを待った。
「次は、ヘブローマからの資金援助依頼の件ですけれど――」
会議はまだしばらく終わりそうに無い。
4.
『ヴィオレット』はほんの一時の閑散期を乗り越えて、かつての賑わいを取り戻していた。
どういう経路で伝わるのか、件のチンピラが撃退されたことは周知の事実として常連客の足を店に向けさせており、隼人もある時には喫茶室の執事として、またある時はレジのヘルプで忙しく立ち回っている。お盆で家族が帰省してきているせいもあるのだろう、いつもよりケーキの持ち帰りが多い気がする。
「もう4時か、早いな」
さすが日本人と言うべきか、この時間からケーキとお茶と洒落込むのは学生くらいのもの。で、レジを終えた隼人はそのお客様、琴音に呼ばれた。
「執事さんって、浅間大学の学生さんでしたよね?」
ええまあ、と答えるのは、別に個人的なことを探られるのが嫌だからじゃない。彼女の眼が、ちょっと引いてしまうくらいキラキラしていたから。
「じゃあ、これって何か知ってることありませんか?」
琴音がカバンからいそいそと取り出だしたるは、あの裏山の新聞記事。
(あちゃー……)
なんでこんな微妙に答えづらいものが出てくるんだ?
「えーとですね、学生寮の奴らが肝試ししてる光じゃないかとか、カップルが夜歩きしてる時の光なんじゃないか、って言われてますけど……」
「学生寮の人やカップルが、こんなド派手な光を出すと思いますか?」
言われて、ぐうの音も出ない。
「これは絶対、オカルトです! わたしには分かるんです!」
「いやオカルトて」
そう言いかけて、じゃあ何と聞き返されると答えられないことに気づく隼人。その実に気まずい表情に気づいていないのか、琴音は拳を握りしめて力強く宣言発布の挙に出た。
「絶対に真相を突き止めてみせるわ! わたしたち、玲瓏舎大学オカルト研究会が!」
「まーた始まった、もう」と鈴香が笑い、説明してくれた。
琴音と鈴香はその研究会の会員で、何か奇妙な出来事があると"出動"して調査をするという趣旨のサークルらしい。というかどうも、まじめに取り組んでいる琴音に仕方なく付き合ってやってる鈴香、という関係の様子。
(さすが海原財閥のお嬢様、なんつーお気楽極楽なサークル活動だよ、まったく)
あの騒動の時に琴音が店に置いていった名刺で、彼女が海原の名字を持つ人だということが分かったのだ。もっとも隼人にはその筋の知識はほとんどなく、『ああ、お金持ちのお嬢様なんだな』程度の認識しかない。それに、隼人の通う大学の文化系サークルだって似たり寄ったりだとは思うのだが。
隼人の苦笑は顔に出たらしい。琴音にはかわいく拗ねられ、鈴香には笑われた。
「まったく、琴音がオカルトそのものなのに――」
鈴香の言葉が終わるのを待つことなく、テーブルの下から聞こえたのはゲシッという鈍い音。
「痛ったぁぁぁい……」
大丈夫ですか、と心配して屈み込みかけた隼人は、動作途中で固まってしまった。鈴香の着ているTシャツは今日に限って珍しく襟ぐりの広いもので、彼女が脛の痛みで前かがみになった結果、隼人の眼はその桃色に輝く胸元に釘付けになってしまったのだ。
(おお、デカイな……! 着痩せなんてもんじゃないぞ、これ……優菜ちゃんのより一回り大きいんじゃないか?)
「執事さんはふくよか好き、と」
真横からの言葉の不意討ちにぎょっとする。すまし顔の琴音が黄色い表紙の手帳に、鉛筆を舐め舐め何やら書いているではないか。というか、今の独り言をそのまま書いてるような。と、いうことは。
「~~~!!」
ぴょこんと起き上がり、真っ赤になって胸元を押さえる鈴香。話題がかわってもやっぱり気まずいままの隼人を、店主の声が救った。
呼ばれて頼まれたのは、お使いである。お得意さん特注のアントルメに使う果物を、青果店まで受け取りに行ってほしいと店主は言った。
「ごめんね、お店にはその人からもう注文が行ってるはずだから」
そう言われて送り出された先は、『ラ・フレール』。先日病院や支部に沙良が運んできた果物籠が、そして隼人たち――半分以上をるいに食われてしまったが――が美味しくいただいた果物がその店のものだった。
暗天に不安を覚えた隼人は店から傘を借りて、『ラ・フレール』へと急いだ。大通りに面したその店に10分ほどかかってたどり着く。店主は『ヴィオレット』の名を出すと、すぐに合点して品物を取りに奥へと消えた。
隼人は店内を見渡す。店主の妻と思しき年配の女性と、その息子だろうか、女性によく似た男性が接客をしているほかに、店員はいないようだ。
(平日の日中だもんな、普通なら図書館とかで勉強してるだろうし。つか、毎日いるわけないか)
「どうかした?」
奥から注文の品を持ってきた店主が、隼人に声をかけてきた。
「あ、いえ、ここで知り合いがバイトしてるんで」
「そうなんだ」
「ええ、坂本っていう高校生の女の子なんですけど」
店主が首をかしげる。
「うちには坂本って子も、高校生のバイトもいないけど?」
呆然と立ちすくむ隼人の背後で、ついに雨が店の軒先を叩き始めた。
『悠刻のエンデュミオール Part.4』 END
最後まで読んでくださってありがとうございました。感想をいただければ幸いです。よろしくお願いします。
さて、『悠刻Part.5』は半年後の公開となります。まだ執筆中ですが。隼人たちそれぞれのリスタート、アンヌとの再戦、ようやっとの横浜デート、そして、レーヌ――お楽しみに。




