変態は乙女の秘め事を覗くのか?
ピキィィィィィィンという、甲高い音が頬杖をついていた志記の耳の奥で鳴り響く。
「っ!?」
耳鳴り程度では到底収まらない、絶大な金属音、それは魔の力を振るうものの襲来の知らせだった。半径400mの球、それが志記の魔力探知の範囲の大きさであった。
そもそも、魔力とは人間全てが持っているわけで、しかし科学の発展した世界ではすでにその魔力を行使する術が失われてしまっていた。
ならば、常に異世界で感じていたこの魔術が行使される世界が歪むような感覚は一体なんなのだろうか?居てもたってもいられなくなり、志記は長々とホームルームを続ける教師に奇声を発して立ち上がる。
「んほぉぉぉぉぉ!我慢できません!先生!トイレ、いや、厠へ行ってもよろしいで候?」
「あ?あぁ、なるべく早く帰ってこいよ、あと、候の使い方が違うから、お前補習な」
「そ、そんな!?ぐぬぬ、しかし拙者は溢れるこのパッションを発散せねばならん!しからば教師殿、さらば!」
言うや否や、志記は物凄いスピードと剣幕で、あっという間に教室から出て行く。
残された教師はぽつりと、
「あいつは何かに取り憑かれているのか?」
と、零すしかなかった。
長い廊下には、一人の人間が出たり消えたりと普通ではあり得ない光景が広がっていた。
志記だ。彼の特殊な歩法の一つに、瞬影というものがある。読んで字のごとく、瞬間的に動き、影のようにひっそりと無くなるのだ。一瞬現れては消え、現れては消え、それを繰り返すことで相手を撹乱する歩法だが、今回は別の用途に使っていた。
“人に見つからない”ということが最重要であるために、姿を隠しながら動くことが求められた。故に、この瞬影を使いながら魔法の使用された場所へ向かっていた。
たどり着いた先は屋上。屋上のドアを開けると、そこで、貯水のタンクの上に乗って少女が空に向かって何やら吠えていた。
「いい加減、姿を見せなさいよ!このクソ妖怪!」
一瞬志記は自分のことかと思ったが、その少女が空を見ていることに気づき、観察を続けた。
「あんたたちの目的はわかってる!この学校の下に埋まってる、魂塊石でしょう!?でも残念ね!あれはあんたたちの手に負える代物じゃないの!帰りなさい!さもなくば、さっきのお仲間みたいにしてやるんだから!」
叫びながら、少女は懐から御札を取り出す。
それを敵対行動とみなしたのか、少女の頭上の空間が歪み始め、大きな銅鐸が現れた。
「フン、交渉の余地は無いみたいね。なら、一撃で決めてやるわ!」
そう言い放つと、少女は人間離れした身のこなしで落下する銅鐸を避けきる。
と同時に、人差し指と中指の間に札を挟み、小指と薬指は中に折り曲げ、札を指に挟み込む。
そんな彼女が詠唱を始めると、周りから赤い粒子が飛び出す。紛れもなく、志記が幾度も体験してきた魔法を使う瞬間であった。
「清廉なる焔よ、我が敵の怨を焼きて潔浄なる塵へ還せ【焔浄奥義:浄焼乱鬼龍】」
詠唱し終え、床に御札ごと手をつき技名を唱えると、彼女の周りから凄まじい炎が巻き起こり、それはやがて龍の形を作っていく。
巨大な蛇にも見えなくもないが、ヒゲや顔などの細かな部分まで作ってあったので、恐らく龍なのだろうと志記は当たりをつけた。
その龍は、銅鐸の妖怪を牙でしっかりと捕まえると、空を縦横無尽に飛び回った。
あたり一面に、全てを焦がすような熱波が舞い踊る。
「オ、オオオオオオオオオ!」
流石に妖怪と呼ばれ、青銅の銅鐸であってもこのあり得ない熱量は耐えきれなかったようで、その身をどんどんと溶かしていく。
残ったのは、炎の龍が暴れまわったことによる熱波と、銅鐸の塵が正しく技名通り、乱気流のように立ち昇っていた。
「ま、ざっとこんなもんかしら?」
フンと鼻を鳴らして髪をかきあげる仕草を、志記は知っていた。今朝話をした四人のうちの一人、ツンデレ委員長こと、百瀬 曜 その人であった。
「うーん!お仕事終了!全く!おばば様も人が悪いわ。さて、帰って皆と一緒におしゃべりしよー」
志記は曜が伸びをして振り返った瞬間に、屋上の出入り口の天井へへばりつく。勇者をしていた志記にとって、その行動は造作もないことだった。
勇者をやめて3年になるが、一向に志記の身体能力は衰えることをしない。むしろ、鍛えれば鍛えるほど強くなっていき、今では一流アスリートなど目ではないほどになっていた。
「ふぅ、一体何なんだよ、曜って何者なんだ?」
曜が志記の目の前を志記に気付かず素通りしていったのを確認すると、天井から降り立ち、ぽつりと漏らす。
曜との出会いは高校一年の時だ。彰人と他愛もない話をしているところに突然割り込んできて、そこから今の関係がある。が、出会って1年も経つというの志記は曜や要のことを何も知らなかった。いや、普通、家庭のことを深く聞くのは出会いから1年ではあり得ないことではあるのだが。
「まぁ、関係ないか。俺のせいじゃなかったし、俺は何も見なかった。うん、そうしよう」
志記が何故、力を隠しているくせに屋上まで態々足を運んだのか?それは、自分の通った異世界の道を、無理やり広げて魔物が入ってくることを懸念したからだ。
あの魔物達が侵入すれば、当然人に被害が出るだけでは済まないだろう。
もし、魔物が侵入して、魔法を使って居たのなら、異世界へと渡る魔法を作ってしまった自分のケジメとして、最低限“元”勇者の責務を果たそうと、戦闘態勢で臨んだのだが覗いてみて分かったように、 完全に別件で現代社会ではあり得ないことに、一体の妖怪が跡形もなく消滅させられていた。
「あら、何が無関係なのかしら?」
志記が安堵に胸をなで下ろしていると、不意に後ろから声が掛かる。
「いやいや、いきなり火が出て銅鐸が塵になるとか、考えられ…………な………い?」
志記はギギギッという擬音がつきそうなほどぎこちなく首を後ろへ捻ると、満面の笑みを浮かべた曜が立っていた。
「乙女の秘め事を覗き見なんていい趣味ね、いくら変態でも、ここまで来たら許容できる範囲を超えちゃったんじゃないかしら?」
否。曜は笑ってなどいなかった口の端だけは釣りあがっているが、よく見ると、こめかみは青く血管が浮き上がって、目も阿修羅のような眼光を放っていた。
「や、やぁ、曜さん、こ、こんなところで一体どうされましたかな?」
「今更言い逃れなんてできないわよ!死になさい!【火車】!」
曜は、ポケットから一枚紙を取り出すと、それを志記に投げる。式神と呼ばれるものだ。
紙から出たのは、文字どうり火のついた車輪であった。
「キシャァァァァァァ!」
声を荒げて迫る火車に、人の出せるレベルの全力で逃げる。
「う、嘘だろ、あんなのに轢かれたら一瞬でお陀仏だぞおい!」
「さぁ、いつまで耐えられるのかしら?」
「や、厄日か今日は!?死ぬ!死んでしまいますぅぅぅぅぅ!」
曜との文字通り熱い逃走劇が始まった。