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山を越えて細い道を下り、幾人もの人々と語り、人の暖かさに触れ―――そうして一ヶ月近くかかり、ようやくロドの国に到着した。
「ここが、アエルゴ・・・」
リアーは目を見開いてしまった。巨大な建物が立ち並び、その高さはリアーが今まで見た事もないような、目も眩む高さだ。そして巨大な建物から伸びた、大きな筒―――煙突からは濛々と煙が吐き出されている。
行き交う人々は綺麗な服を身につけ、見知らぬリアーに対しても、屈託なく挨拶してくれた。もちろん、傍にロドがいるからこそではあろうが、それでもリアーにとって、今まででは考えられないことばかりだった。
「すごいのね、アエルゴって・・・」
「リアーもすぐにこの中で一員として働いて、生活していくんだよ」
ロドの言葉は逸る心を更に煽った。
荷物を下ろし、ロドと共に工場の中に一歩踏み入れる。大きな鉄の塊と、大きな響く音。今の段階では、一体何を作っているのかリアーには判断がつかない。
と、通路の奥から独りの男が姿を現した。目尻の下がった小太りの男だ。その男とロドはしばらく話していたが、リアーには言葉はわからない。聞き取りにくい言語―――さすがのリアーもこんな遠くの国の言葉まで網羅していなかった。
話が終わったのか、ロドは振り返ると少し困ったような顔をしながら声をかけてきた。
「さて、わたしの役目はここまでだ」
ロドの言葉にリアーは口を開きかけた。けれど、それより早くロドの言葉が続く。
「ここから先は、この工場の責任者―――この人なんだけどね、グフェールさん。この人に一任される。頑張ってリアー。時々様子を見に来るし、バディスの手紙も持ってくるよ」
紹介されたグフェールは、何事か言いながら手を差し出してきた。握手を求められているのだと無意識に手を差し出すと、強く握り締められた。
「ロド・・・なんて言ったらいいか・・・本当に、ありがとう・・・」
握手から解放され、リアーは言葉に詰まりながらも口を開いた。けれど、ロドは静かに首を横に振る。
「わたしは何もしてないよ。ただ、少しだけ選択肢を増やしてあげただけだ。選んだのはリアーなんだから、わたしに感謝なんてしなくていいんだよ」
それは突き放すようであり、労わるような言葉。
「そろそろ最初の一ヶ月だからね、フトラに入金してくるよ」
「あ、ご・・・ごめんなさい・・・わたしたちのために―――」
「・・・君たちが離れて暮らす事を選んだように、わたしもフトラに金を振り込む事は自分で選んだ事だ。だから、これに関してもリアーが謝るような理由は何一つない。欠片ほどもね」
「けど・・・っ」
「君は今の生活を手に入れ、そのためにバディスと離れてしまった。それは等価交換だったんだと思う。だから今わたしがフトラにお金を払っていても、いつか等価交換で『何か』が手に入るんだと思っているんだよ」
「『何か』が?」
「そう、『何か』が」
ロドの瞳の奥にある光に、リアーは微かな不安を覚えた。
バディスと離れ、そしてロドと離れた。だが、リアーは一人になった空虚感を噛み締める間もなく、この新しい環境に馴染んでいかなければならなかった。
工場で働いているのは、大半が若い女だった。時々男も混じっているが、基本的に女の職場だと教えられた。また、その女たちもアエルゴ出身者はほとんどなく、リアーのように他国から来たもの達が大半を占めていた。
リアーはヴァラディーランでの体験が元で、軽い人間不審になっている自分気づいた。
たった一つの言葉が出てこない。つい、疑ってしまう。
そんなリアーを知ってか、周りの者たちはあまり関わろうとはせず、黙々と仕事を覚え、こなしていくだけの日々が過ぎた。
「あなた、ロドさんに連れてきてもらったの?」
一ヶ月後、グフェールに覚えがいいと褒められ、リアーは職場を変えられた。そこで出会った女に、リアーは突然声をかけられた。
「え・・・えぇ」
「そうなんだ。わたしもあなたと同じよ。ロドさんに地獄から引き上げてもらったの。彼はわたしの恩人なの。きっと、あなたにとっても恩人なんでしょうね」
自分と同じように、ロドに助けてもらった人がいた。
彼の仕事は人材を集める事だと言っていたが、窮地に立たされていた者にしか声をかけない。それは結果的に人助けになっている。
リアーはロドに救われたのが自分だけではないという事実(頭では分かっていたのだが)に、軽いショックを受けた。そして、そんなショックを受けている自分を不思議に思った。
「あなたの過去とか、ロドさんとの出会い方なんて聞かないし興味ないけど、ここで一生懸命働いて評価を上げれば、それがロドさんの評価に繋がるの。だからお互い頑張りましょう。ロドさんに恥をかかさないようにね」
女は言うだけ言うと、手を振って持ち場に戻っていった。その後姿を、リアーはぼんやりと見つめる。
「わたしが働くのは、褒められるのは、ロドのため・・・?」
故郷に一人残してきたバディスの笑顔が凍りついた気がした。
アエルゴを訪れてから半年。ロドは毎月の月初めに一通の手紙を携えてリアーの元を訪れてくれていた。
「リアー。頑張っているらしいね。グフェールさんがすごく褒めてたよ。あんなに覚えのいい子は珍しいって」
新しい職場に移って5ヶ月が経過していた。最初のころは、小さな部品ばかりを作っていたので、何を製造しているのか分からなかったが、さすがに数ヶ月も過ぎるとこの工場が何を製造しているのか、ハッキリと分かってきた。
大砲
銃
兵器の部品
つまりここは、アエルゴの軍事工場だったのだ。
働いている者たちは、何も感じないのだろうか。
秘密めいた工場と、隣接する居住区。
一般の町から隔離された地区。
集められた他国から来た、身寄りのない女たち。
それらが意味するのは・・・最後にはじき出される答えは―――考えただけでぞっとする。
「はい、お待ちかねの手紙だよ」
そう言って渡されたのは、汚れた封筒に入った一通の手紙。リアーはそれを見ると浮かんでいた恐ろしい考えを消し去り、笑顔で受け取った。
「ありがとう、ロド」
彼が一ヶ月一度の支払いをしてくれているのは確かな事実だ。その証として手紙が受け取れる。どんな疑惑があったとしても、リアーはロドに感謝していた。
「2.3日したらまた来るから、その時までに返事を書ける?知り合いがヴァラディーラン方面に行くらしくて、届けてくれると言ってくれているんだ」
「嬉しい。もちろん書くわ」
「じゃあ、また来るよ」
「本当にありがとう」
ロドは忙しいのか、小走りで工場を後にした。リアーは受け取った手紙をポケットに入れ、早く仕事が終わることだけを願った。
定時になり、仕事が終わると皆は慌しく帰っていった。リアーは周りに誰もいなくなると、機械の後に座りこみ、封筒をゆっくりと開いていった。
『姉さんへ。
一ヶ月ってあっという間だね。姉さんがアエルゴに行ってもう半年です。こっちの気候は徐々に冬に近づいてきたよ。今は薪の心配もなく、冬に備えて準備しているところです。姉さんの方はどうですか?姉さんが早く帰ってきてくれるのを待っています。早く、姉さんともう一度暮らしたいよ』
短いけれど、バディスの心境と状況。そして寂しがっている姿が目に浮かぶようで、リアーの心はキリキリと痛んだ。
少ないけれど蓄えも出来た。正しくは隔離されているため使うような場所もないので、否応無しに溜まっていくだけなのだが。ダメだと言われるのを覚悟の上で、一度帰省を申請してみようと決めた―――