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哭門  作者: けい
7/11

7

 リアーの嘆願の声に、それでも首を縦に振ることが出来ないロドは、難しく眉を寄せ、そして口を引き結び立ち尽くしていた。どれほど時間が経っただろう。誰一人身動きできずに―――フトラすら―――ただ時間だけが流れた。沈黙に耐えられなくなったフトラが口を開こうとした瞬間、ロドは顔を上げ、何か0を決意したような瞳をリアーに向けた。


「やはりバディスは連れていけない。それはわたしの判断の範疇を超えるからだ」


 リアーの顔に絶望が広がる。そんな表情を見つつ、ロドは再び口を開いた。


「けれど、わたしの判断の中でできる事もある」

「・・・どういう、意味?」


 リアーは危うく掠れた声を出しそうになった。


「フトラさん、お願いがあります」

「え」


 突然名前を呼ばれたフトラは、心底驚いたようだ。まさか自分が呼ばれるとは思ってもいなかったのだろう。目を開いてぽかんとしている。


「わたしがバディスの生活費を払いましょう。一ヶ月に5万センズ、リアーがこの地に戻ってくるまで。貴方は責任をもってバディスの生活を保障して下さい。彼が怪我や病気。いや、もしくは飢えるなんてことがないように・・・。もし、貴方がこの条件を飲んでくださるなら、アルエゴの使者として、完了後の正式な支援を約束致しましょう。どうです、そんなに悪い条件じゃないと思いますが?」


 その言葉に、フトラは自然と口元を引き上げた。

 一度は切られてしまったアルエゴからの支援話。それは決して損をする内容ではない。その事を知っているからこそ、フトラの顔は笑みを浮かべて醜く歪んでいるのだろう。


「―――ですが、月々の手数料というものが・・・」


 一体何の手数料なのか、フトラは卑しくも更にロドからせびり取ろうと企んだらしい。さすがのロドも、呆れを含んだため息を吐き出した。


「将来に向けての支援だけでは足りないと?」

「もちろん、支援は望んでいますがこっちは町の厄介者を引き受けるんですよ?それ相当の保証がないと・・・」

「つまり、料金の上乗せですか」

「上乗せだなんて、そんな。ロドさんの気持ちだけで充分ですよ」

「・・・では合計で7万センズお支払いしましょう」


 ロドの言葉にフトラの顔が更に醜く歪んだ。7万センズといえばこの時代、決して安くはない金額だ。それだけの金が、何もせずとも転がり込んでくるという。これが笑わずにいられるだろうか。

 しかし、目の前で進んでいく会話に、張本人であるリアーとバディスが取り残されていく。慌てたようにリアーが口を開いた。


「ちょっと待って!わたしはバディスを残して行きたくないと言っているのに、どうしてそれがお金の話になるの・・・それに7万センズって・・・そんな大金、ロドに負担してもらうなんて―――後で返す事も出来ないお金を借りるなんて、わたしには出来ない」


 リアーの言葉に振り返ったロドの視線は、熱く、真剣だった。


「わたしは決して無駄になる投資をしているとは思わない。君が技術を身につけ、それを広めてくれることがわたしの望みだから。それに、月々渡すお金はわたしのポケットマネーだから、気に病む事はない。そうだな・・・わたしが今の仕事をクビになったら、その時はリアーがわたしを雇ってくれればいい。それでいいよ」


 ロドは微笑みながらリアーと、それに重ねられていたバディスの手を取った。暖かくて、優しい温もりだった。

 彼の瞳の奥にあるのは、打算や企てではなく。零れる言葉は偽りではなく。

 信じたい。

 この言葉を信じたい。

 ―――だけど―――

「・・・わたしは、それでも・・・」


 胸の中で荒れ狂う葛藤。それに終止符を打ったのはただ一つの言葉。


「姉ちゃん、いってきなよ」


バディスの言葉に、リアーは心底驚いたようだった。目を瞬き、改めて隣の弟を見る。


「何を言ってるか分かってるの?」

「わかってるよ」


 姉の言葉に対し、バディスは困ったような笑いをして見せた。それは今まで見た事もなかった、少し大人びた表情。いつの間に、そんな表情をするようになっていたのか・・・リアーは驚いたようだったが、バディスにしてみればそれは大きな変化できない。

 ずっと姉が生活を―――弟を中心として―――守るために、その体を弄ばれてきたのを見続けてきた。そんな状態を何よりも受け入れたくなかったのはリアー自身だとしても、何もする事も出来ず、指をくわえて黙認し続けるしかなかったバディスの心中も察して余りあるだろう。

 そんな環境の中で、バディスが自分の存在、立場を深く考え始めたのは必然だった。

生活力のある姉にとって、自分は重荷でしかないのかもしれないと―――

そして、才能ある姉にとって、自分が足枷になっているという事実。リアーはバディスをそんな風に捉えた事などないだろう。けれど、バディスにはそれが苦痛だった。

だから今、こうしてリアーに新しいチャンスの場が提供されようとしているのを喜んだし、そのために自分という存在が邪魔をしてしまう可能性が恐ろしかった。


「一人でも大丈夫だよ。森に入れば獲物がいるし、川にだって魚がいる。水にも不自由しない。ロドさんが金銭面でも保証してくれる・・・いったい何処に不安を抱けって言うのさ」


 そう言いながらバディスはリアーに微笑んだ。

 バディスの言う事はもっともだ。今までの生活を考えれば、金銭面で余裕があるなんて考えられない。リアーがいなくなれば食い扶ちも減り、獲物を必死になって捕らえなければならない量も減るだろう。冬に備えての蓄えすら出来る。

 だが、それでもリアーは不安だった。

「・・・だけど・・・バディスを一人になんて・・・」


 リアーが首を縦に振らないのは、それが一番の問題だろう。自分の目の届かない場所に、たった一人の大切な弟を置き去りにしてしまう恐怖。身近にいれば守る事も、一緒に苦しむ事も出来るけれど、離れてしまえば近況を知る事も出来ず、何があっても助けてやれない。自分の目が届かない間に、バディスの身に何事かが起こるかもしれないという可能性に、リアーは怯えていた。

 しかし―――


「姉ちゃんは心配しすぎだよ。それとも僕はそんなに頼りない?」

「そんなことない。けど―――」


 バディスの言葉に、リアーは慌てて首を振った。

 踏ん切りがつかない。バディスの身の安全を保障する何かが足りない。そう、保証が必要なのだ。「この地」に一人残してしまうために、安心して足を踏み出せる保証が・・・その保証を求めている時点で、強くアルエゴに行こうとしていることに、リアーは気づけない。


「じゃあこうしよう」


 リアーの葛藤を打ち切ったのは、再びロドだった。


「フトラさん。毎月バディスに手紙を書いてもらいます。その手紙がわたしの手元に届いたらお金を振り込みます。あなたへの手数料を含めて―――。届いた手紙はリアーに渡すよ。どうだい?これなら少しだけでも近況を知ることが出来る。今は、これくらいしか方法がないのがもどかしいけどね」


 この時代にはまだ「電話」は存在せず、遠方と連絡方法は手紙しかなかった。そのため手紙を送るための料金は破格であり、他国とのやり取りとなれば、その料金は多額であった。しかし、ロドはそのすべての料金も引きうけようとしているのだ。


「そこまで、してもらえない・・・」


 リアーたちはスリエントにいた経験がある。だからこそ、手紙にどれほどのお金がかかるのか理解していた。


「いいんだ。さっきも言っただろう?将来、わたしを雇ってくれればいいって。将来に向けての些細な投資だよ。わたしは負ける投資はした事がないのが自慢なんだよ」


「・・・」


 ロドの笑顔が眩しい。

 滲む。


「姉ちゃん、行ってきなよ・・・ね?」


 リアーは涙で濡れた顔を上げると、バディスとロドの顔を交互に見た。そして両手で顔を覆い―――


「・・・うん・・・」


ようやく掠れた声を出す事が出来たのだった。



 リアーとバディスは生涯で初めての離れた生活を選んだ。それは激しい葛藤を生み、けれども微かな希望も見え隠れしたスタート。二人の背を押したのは、小さな幸せ。

 ―――二人きりでも、生きていければいい。

 その幸せを掴むために、リアーは旅立ち・・・バディスは小さな小屋に残った。



 決して安易ではない旅路。小さな荷物を載せた馬を駆り、リアーとロドはアエルゴへの道を急いだ。途中、ロドと同業だと言う者たちに出会った。人の良さそうな者もいれば、強面の男もいる。豪快に笑う女や、多くを語らない者も。性格は違えど、みんな仕事仲間なんだとロドは屈託なく紹介してくれた。その中にこれからヴァラディーラン方面に行くのだという者に頼んで、手紙を預けた。まだ旅立って十日も経っていなかったけれど、手紙を届けてくれると言う言葉に甘えて、短いけれど手紙を書いたのだ。

 慌てて書いたので本当に短い一文しか書けなかったけれど、それでも手紙が届けられるというのは嬉しくて、そして少々心配なものだ。


「大丈夫、あいつは約束を守る奴だからきっと届けてくれるよ」


 手紙を預かった男の背中を見送っていたリアーに、ロドは苦笑しながら肩をぽんと叩いてくれた。たったそれだけの事で、肩の力が抜ける。


「さぁ、あと一週間くらいで着くはずだよ。体は痛くない?」


 馬に乗ったロドは、同じように馬に乗ったリアーに向かって声をかけた。馬に載り慣れない者が、こんな長期にわたって乗り続けるのは相当な体力を消耗し、そして精神的にも苦痛のはずだ。けれどリアーはまったく弱音を吐かない。それがかえって心配になるほどに・・・


「大丈夫。小さい頃乗ったことがあるから」


 リアーは乗馬の初心者ではなかった。まず馬に近づく事を恐れない。敏感な馬たちは、相手が怯えていると自らも怯えてしまうのだ。けれど、リアーはそういった初歩の間違いは侵さなかった。それどころか、用意された馬を完璧に乗りこなして見せたのだ。


「それに早く着きたいもの。早く着いて早く学んで、そしてバディスに会いたいの。わたしの辛さなんて、残してきたあの子の事を思えば、大した事じゃないわ」


 そう言うと、ロドの視線を振り払い、馬に鋭く鞭を入れた。

 天性の才能は、ロドに見出されるまでずっと埋もれていたのだ。



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