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畑に植える野菜の苗を買いに、久しぶりに町に下りたときだった。
二人はいつものように商店の主人に嫌そうな顔をされ、町の女たちからは指をさされて辛辣な言葉を投げられた。無遠慮にリアーを建物に引き摺り込もうとする者や、路地の裏に連れこもうとする者、唾を吐く者、罵声を浴びせる者・・・どうあがいても好意的ではない人々の間を走るようにしながら、二人は目的のものを手に入れ、遠く離れた小屋に帰ろうとしていた。
人通りが少なくなった町の外れに着いた時、目の前に見たのは、会いたくもないフトラの姿だった。
瞬間、体が強張り、自然にねめつけるような視線を送ってしまう。隣で楽しそうに歌っていたバディスも、姉の緊張を感じ視線を上げ、同じように体を強張らせたのがリアーにも分かった。
フトラもしばらくしてリアーたちに気づいたようで、顔を向けると口元を歪めた笑いを浮かべた。
―――吐き気がする。
あの下卑た笑いを見るだけで、全身に嫌な汗をかいてしまう。
数秒間動けずにいたリアーだったが、気を取り直してバディスの手を引き、通りすぎようとした。その時になって、ようやくフトラの傍に見知らぬ男がいることに気づくことができた。
そして、ふと視線を止めてしまう。リアーの視線に気づいたのか、男は声をかけてきた。
「こんにちは」
それなりにしっかりとした体格の、けれど優しそうな面持ちの男だった。はっきりとは分からなかったが、中年の男という風ではなく、際だって若いわけでもない。恐らく三十路過ぎくらいであろう。旅装束風の格好をしている。実際、旅人なのだろう。でなければ、こんな地域にまで来る物好きがいるとは思えない。
声をかけられ、驚いたリアーは慌てて強張っていた表情を崩すと、男に向けて軽く一礼して立ち去った。
―――何気なく挨拶をしてもらった事など、何年振りだろう・・・!
たったそれだけの事が、リアーの心を満たしていった。
そして小走りで立ち去っていくリアーとバディスの後姿を見送った男は、フトラに柔らかい笑みを向けた。
「・・・決めました」
「決めたって・・・まさか、リアーじゃあないでしょうね?」
フトラは男の言葉を聞いて、慌てて顔を振り仰いだ。しかし、当の男は狼狽しているフトラなど無視して、リアーたちの背中を視線で追っていた。
「リアーというのですか、あの女性は。どうやらあなたに対して、あまり良い感情をお持ちでないように見受けられましたが」
「それは・・・あの二人が恩知らずにも逆恨みしているんですよ、ロドさん」
男―――ロドに対し、フトラは吐き捨てるように言い放った。それを横目で見ながら、ロドは少し困ったような顔をしただけで、あえて何も言おうとはしなかった。
「あなたに視線を向けている時は、嫌悪をむき出していましたね」
「身寄りをなくしたあの姉弟をここに招き入れてやったのは、わたしと母です。なのに、恩を感じるどころかあの態度。とても、ロドさんの手におえるとは思えません。止めたほうがいい」
リアーとバディスが聞いていれば、あまりにも理不尽な物言いに抗議したかもしれない。しかし、フトラにとってはこれが本音なのだろう。
「けれど、わたしに気づいて表情を改め、礼を持って通りすぎていった。礼儀知らずだと片付けるのもいかがなものかと」
ロドの言葉に、フトラは微かに歯軋りした。しかし、すぐに口元を歪めた笑いを浮かべる。
「・・・リアーの仕事が何かご存知ないから、そんな事が言えるんです」
「仕事?」
首を傾げて問い返してきたロドに、フトラはなんとも楽しそうな声を出した。
「あの女は娼婦ですよ」
リアーとバディスは町から帰ってきて、すぐに畑に苗を植えた。一緒に買った種も植える。これから季節は暖かく―――いや、正しくは暑くなっていく。森の恵みも増え、決して飢えない季節が来るのだ。少し『仕事』を減らしても食べていけるだろうと思え、そう思えることはリアーとバディスの心の負担を軽くしてくれた。
「姉ちゃん、川に魚を捕りに行かない?」
「そうね。行こうか」
バディスの提案に、リアーはにっこりと笑みながら頷いた。
バディスが編んだ篭と網と銛を用意している間に、ついでに洗濯もしてしまおうと、リアーは何着かの衣服を大きな篭に入れた。
用意が整い、小屋の扉を開けようとした時、それより一瞬早く外側から扉が開けられた。思わずびくりと肩を竦める姉弟。
「おっと、驚かせてしまったみたいだね」
そう言って微笑んだのは、先ほどフトラと一緒にいた見知らぬ旅人だった。リアーは体を強張らせ、緊張した。
―――フトラが『仕事』のことを言い、この男は来たんじゃないの・・・?
そんな不安がよぎった。そして今はまだ昼に近い。こんな時刻から『仕事』をしたことはない。
―――朝も昼も夜も関係なく、男に支配されろと言う事なのか・・・っ
言葉にならない憤りがリアーの全身を駆け巡った。
「申し訳ないですけど・・・『仕事』は夜からだから」
そっけなく言い残し、顔色をなくして怯えていたバディスの手を引いて、男の脇を通り過ぎようとした。
「ちょ、ちょっと待って!『仕事』って・・・ああ、違う、違う!」
立ち去っていってしまうリアーたちの後姿を追って、男は慌てて駆けてきた。
「わたしの名前はロド!南のアエルゴから来たんだよっ」
「そんな遠い国に知り合いなんていないわ。人違いでしょう」
「誰かを探しにここまで来たんじゃなくて・・・・・・いや、探してるのは確かなんだけど。とりあえず、君たちにとって悪い話じゃない!わたしの話を聞いてくれないか」
「上手い話は、二度と信じないと決めたの」
「・・・今の生活を、変えたくないのかっ」
「―――!」
それまで言い返してきていたリアーの言葉がとまる。それと同時に歩調も緩やかになった。それを見て、ロドは急いで駆け寄った。そして、リアーの前にまわり込んで真っ直ぐ目を見て言葉を綴る。
「君たちの・・・ハッキリ言おう。君がどんな『仕事』をしているのかは聞いた。そして、フトラさんは言わなかったが、君たちがどんな生活をして、どんなに貧窮しているのかも、住んでいる場所や着ているものを見れば分かる」
「・・・だから、なに?哀れんでくれるわけ?」
リアーは知らず、繋いでいたバディスの手を握り締めていた。汗をかくほどに緊張している、二人とも。
「哀れみじゃないと言えば嘘になるかもしれないが、少なくとも君が『仕事』を辞めたいと願っているのならば・・・わたしには、君を『仕事』から解放してあげられる力がある」
「・・・魔法みたいに?」
ロドの言葉に、リアーは呆れたような笑いを見せた。
「魔法じゃないよ」
苦笑しながらロドは答える。
「実質上の、権力というやつさ」
「権力?あなた、軍の人間?それとも錬金術師とか?」
「残念ながらどちらでないよ―――それにしても、君は錬金術を知っているのか?」
「・・・錬金術の理論とか、そういう勉強はスリエントにいた頃、習った事があるの。それだけよ」
「博学だね」
感心したようなロドの声を聞いて、リアーは不思議と心の奥が少し満たされた気がした。誰からも投げてもらわなかった言葉。悪意のない、嫌味のない、耳にするりと入りこむ賛辞。
「君は礼節や、人を尊敬する心や、学ぶ意思を持っている。わたしはそういう人材を求めてここまで来たんだ」
「人材発掘・・・というやつかしら」
「そう、その通り」
ロドは頭の回転の速いリアーが心底気に入った。
段落空けてみました。
読みやすくなってますでしょうか。