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二人の姉弟の生活は、決して楽なものではなく、かと言って生きていけないほどの過酷さもなかった。
姉弟に与えられた小屋は小さく、ただ雨風がしのげるというだけの建物だった。しかも集落からは離れており、小屋からはヴァラディオーの寺院の屋根しか見えない。陸の孤島―――ではなく、ハッキリと離れ小島のようだ。
それでも住む場所が与えられた事は嬉しかったので、リア―は文句一つ言わずその小屋に住む事を決めた。
接してしまえば穏やかなヴァラディーランの民たちだったが、それでもリアーたちには一歩線を引いたような関係を保とうとしているのが分かった。リアーたちはそれを敏感に感じ取り、自分たちから輪の中に侵入するような事は決してしない。
それでもバディスはまだ子供で幼いという事だからだろうか・・・子供同士で遊ぶ事は増えたようだ。しかし毎日というわけではなく、そしてこちらから近寄る事は出来なかったので、子供達がリアーたちの小屋までこっそり来た時だけの遊び相手だった。
小さな畑を耕し、二人が食べる分だけの収穫を残して市場で売る。得た収入で日用品を買う。必要最低限の生活。
それでも、石を投げられたり物や金を盗まれない分、まだスリエントでの生活よりは若干気楽だった。
しかし執拗な嫌がらせを受けなかったのはフトラの婆が手を回してくれていたからだろう。リアーは改まって礼を言いには行かなかったが(正しくは長老の屋敷に近づく事が出来なかった)それでも感謝していた。
そんな生活が2年ほど過ぎた。
「・・・亡くなった・・・婆さまが?」
その一報を持ってきたのはバディスだった。子供たちと一緒に遊んでいたのだが、息せき切って帰って来てそう告げた。
「うん、間違いないって・・・亡くなったのは3日前だって・・・」
「―――そう」
誰一人、リアーのもとにこんなに重要な情報を届けてはくれなかった。それはつまり・・・心を許してくれていない証。
「最近誰も遊びに来なかったのは、喪に服していたからなのね」
「・・・そう、みたい」
リアーの静かな憤りを感じ、バディスは逃げ腰になりつつ答えた。
「バディス」
「なに?」
しばらく考えていたリアーだったが、顔を上げ弟の名前を呼んだ。
「婆さまのお参りに行きましょう」
■ ■ ■
「いまさら何しに来た?婆さまが死んで3日だぞ、3日!」
現れたリアーとバディスに向け、フトラは声を荒げて怒鳴り散らした。そして、二人が持ってきた花を投げ捨ててしまう。
「あんなに世話になっておきながら葬儀にも顔を出さず、礼儀知らずにも程がある!はっ、スリエント女の腹から生れた、混ざりものだから仕方ないのかもしれんがな!」
「―――」
久しぶりに見たフトラは、相変わらずスリエントに対し憎しみと嫌悪感を抱き、その捌け口としてリアーたちに罵詈雑言を投げかけた。
「今までは誰もお前等に辛く当たったりはしなかっただろう?それはな、婆さまがお前等を庇っていたからだ!だから、婆さま亡き今、もうお前達を庇いだてする者など居はせぬ。ここの族長は、俺だからな」
フトラはそう言ってにやりと口元を歪ませた。
「どうやって生きてきた?畑を耕し、畑で採れたものを売っていたな?だがこれから先、誰がお前たちの作ったものなど買うものか」
「―――そんな!」
それは今後、リアーたちを保護する者をなくしてしまうという事。
慌てた様子のリアーを見、フトラはますます口元を歪めた。それは醜悪ですらある。
「ひとつだけ、金を稼ぐ方法を教えてやろうか」
そう投げられた言葉に、リアーははっと顔を上げた。するとフトラは、リアーの耳元に口を近づけ悪魔の言葉を流し込む。
「裏切り者と、汚れた腹から生れたお前も、いっそ汚れてしまえば楽になるぞ?」
婆さまが死に、リアーとバディスの生活はさらに悪化の一途を辿った。フトラが町の人間に何を吹き込んだのかはわからない。しかし、確実に街の人々はリアーとバディスを避け始め、そして生活は貧窮していった。
今まで畑で採れた野菜などを買い取ってくれていた者も、もう買わないと言い出し、あからさまにリアーたちを追い返した。
しばらくは少しの蓄えで買い物も出来た(店の店主は嫌そうな顔をしていたが、買い物はさせてくれた)。しかし、その蓄えも底をついてしまった。それでもなんとか、畑での自給自足でなんとか過ごしてきたが、季節が巡り冬が近づくにつれ、畑で採れるものも減り、一日に食べられるものも確実に減ってきていた。
テーブルに出された果実が一つと木の実が数個。それを見てバディスは顔を上げた。
「・・・姉さんは食べないの?」
「わたしは先に食べちゃったわよ。バディス、見てなかったの?」
バディスの言葉に、リアーは笑顔で振り返った。しかし困ったような顔をしたまま食べようとしないバディスを見て、リアーは苦笑をもらした。
「さあ、それを食べたら森に入って、何か食べられるもの探しに行くわよ。二人がお腹いっぱいになれるように。外で先に準備しているわね」
「・・・うん」
リアーはそれだけ言うと、小屋から出て行ってしまった。リアーがいなくなってから、バディスは果実をやっと口に含む事が出来た。
森の中に分け入り、二人は食べられそうなものを探した。しかし凍えるほどに冷たい空気の中で防寒服も無い状態では、とても長時間居られるものではなく、そして果物も木の実も、寒さに比例して数を減らしていっていた。
時折野うさぎが姿を見せるが、二人には追いかける気力などなかった。そして稚拙な罠では捕らえる事も出来ず、二人はただ飢えるしかない状況にため息をこぼした。
―――わたしはいい。わたしは別に死んでもいい。
リアーは、隣で白い息を手に吹きかけている弟に目を向けた。
―――このままじゃバディスまで・・・なくしてしまう・・・
ぎりり、と歯を噛みしめながら、リアーは道に迷った子供のような心境になっていた。
道が見えない。迷い込んだ袋小路のように―――目の前に霧が立ち込めているように。
どうすればいいのか、どうすれば生き延びていけるのか・・・答えが見つからない。どうすればバディスだけでも助ける事が出来るのだろう。
立ち止まっている間にも、体力は消耗し、絶望が増すだけなのに―――わかっているけれど、どう動けばいいのかわからなくなってしまう。
「姉さん!」
「―――え、どうしたの?」
物思いにふけっていたリアーは、バディスの声で我に返った。
「キノコがあったよ。ほら、いっぱいある!」
嬉しそうな声に引かれて近づくと、確かに食用に出来るキノコが群生していた。それを見てバディスは目を輝かせながらリアーを見返す。
「ね、すごいでしょ」
自慢げな声と表情に、自然とリアーは頬が緩んだ。
「うん、凄いわバディス。今日はキノコづくしね」
「うんっ」
二人で笑いながらキノコを採る。その間にも、リアーの心には一つの決意が目覚めつつあった。
―――バディスを守ってみせる・・・たとえ、それがヴァラディオーの教えに逆らうものだとしても―――
数日後、リアーはフトラの元を人目を避けながら訪れた。
「用件はなんだ?」
ニヤニヤと笑いながら言う男に対し、リアーは真っ直ぐに目を見て言葉を吐き出した。リアーが自分のところに来た時点で、フトラには心中が分かっていたに違いない。分かっていながら、それしか選べないのだと知っていながら、この男は下卑た笑いを抑えようともしないのだ。
リアーは吐き気さえ覚えたが、それでも目を逸らさず、顔を上げて声を発した。
「わたしの体を売るには、どうすればいい?」
ご飯が食べられるようになった。
暖かい布団を得た。
冬に備えての防寒もできた。
生活は以前比べて格段に良いものへと変わっていった。
―――しかし、姉弟の間には大きな絶望が生じてしまっていた。
さらにダークは続きます。