序
「〈ブリュンヒルデ〉。君を凍結、放棄する。君は行方不明になるんだ」
「少佐?」
唐突な言葉に、私は指揮官を振り返った。断続的に震える格納庫の床が、いまだこの艦が戦闘の真っ只中にいることを示している。
「戦争の大勢は決した。これ以上君たちが戦う必要はない」
私の目の前にあるのは、人造人間専用のメンテナンスベッドが取り付けられた脱出ポッド。これに乗れと、そう言っているのか。
「少佐、私はまだ戦えます。それに、この宙域には私以外、友軍のアリストテレス級はいません」
「君ならもう分かっているはずだ。もはや残っているのは主機関の停止したこの艦だけ。これもじきに沈むだろう」
「しかし――」
「君の力ならば、恐らくは無理矢理にでもこの艦を本星に帰してくれるかも知れない。それに、機密の塊である君は単独でも帰還すべきだろう。だが、私はもう、君に戦ってほしくないんだ」
「その言葉は、私の指揮権放棄の意思表示と見なしてもよいのですか」
「そうとってくれて構わない」
「アリストテレス級戦略兵器の指揮権移譲には、運用士官、総司令官、将官以上の軍属、計三名の承認が必要です。それが不可能な今、あなたにはまだ戦闘続行もしくは機密維持のための命令を下す義務がある。そのことは少佐ご自身が良くご存知のはずですが」
「分かっているよ。これは命令ではなく『お願い』だ」
「お願い……少佐独自の定義を伴う『命令』の類義語と推測します。説明を要求します」
「命令は、内容の実行を被依頼者に強制するが、お願いは実行の是非を被依頼者に委任する。君が判断するんだ」
「私が……?」
「他は知らないが、少なくとも君には心がある。それはきっと、戦争なんて馬鹿なことに加担するためじゃない。アシモフの夢見た第零則を担うため、そして何より―――――ためだ」
何を言われたのか、分からなかった。単語として聞き取ることはできて、単語そのものの辞書的な意味も知っていたが、なぜそれを、どのような意思で発されたのか、分からなかったのだ。
何度思い返しても、何を言われたのか、答えが出ない。
「最後の命令を下す。自分の心を根拠に行動せよ。指揮官権限において、行動規範は君に委任する」
なぜ少佐がつらそうな眼で、顔に無理に笑みの表情を作っていたのかも。
そうして私は眠りについた。
再び私が目覚めたのは、皮肉にも任務のためだった。
自立遂行最上級任務『天秤』。
【第一項】
【戦闘用人造人間は、同一星系内において、同クラスが同時に二体以上、行動可能な状態で存在していなければならない。】
【第二項】
【ある個体が無秩序な脅威であることが明らかな場合、他の個体はこれを可及的速やかに無力化しなければならない。】
私がいる星系のどこかで惑星を砕く力を持つ人造人間が目覚めたのだ。
識別は友軍、認識コードは私のそれと酷似している。私と同系、つまり女性型だろう。私の知らない後続機、恐らく――実戦投入されなかった〈レギンレイヴ〉。
開発情報を目にしたことはある。あれは最終兵器とさえ呼べるような代物だ。想定どおりのスペックを発揮できる条件こそ限られるが、もしコンセプトどおり完成して機能できるとすれば、狂ったとき恐ろしいことになる。
奇しくも私はそれの影響を最低限に抑えることができるタイプだ。あんなものに対するカウンターもそうはいまい。
周囲を手探りで調べ、脱出ポッドの非常電源を起動する。闇の中に薄赤い照明が点った。周囲は宇宙空間ではないらしく、開閉レバーの安全装置は解除されていたが、押しても引いても反応がない……ポッドの外に出られない。
これは、もしかして。
「――武装申請。クラス‐ゼロ」
――指揮官不在。却下。
「指揮官……少佐」
彼は、任せると言ってくれた。
「指揮官による事前承認。指揮官との分断状況」
――免責条項該当。承認。零格限定解除。
兵装制御を担う『安全人格』が沈黙し、普通のヒト並みに制限されていた能力が解放される。
私自身の記憶や認識を基にして客観的に判断するこのプログラムの前に、私自身も納得のできないウソは意味を成さない。私が自我を失った際も、この『安全人格』は機能を全うし、私を無力な小娘に留めるだろう。
拡張された知覚によって、自分のいる脱出ポッドが地中深くに埋まっていることがわかった。やはり、私が眠ってからかなりの時間が過ぎていたのだろう。人間だったらとうに死んで死体も朽ち果てているところだ。
私の埋まっている土地の周囲に、生き物の気配はない。通信機器が存在する様子もない。地表付近の水分の含有量も少なめだ。恐らくは、人里離れた岩の荒地なのだろう。
ならば、手っ取り早い脱出を図っても問題はなさそうだ。