迷宮生活23日目その五
ヤバイ一年超ハヤイ。文字数少ない。
鞄の『開錠』、水コップの『水の出し入れ』、そして成功とは言い難いが金猪の毛皮の『斥力の術』。これらをこなす内に俺の中で今まで「なんとなく」で済ませていた『理力』の流れや調節法が少しだけ分かるようになってきた。
初めは足し算の問題と答えを丸暗記して誤魔化していたのが、『足し算』という『概念』を理解することで、計算して答えを出せるようになる。あるいは最初は押してもらったり、支えてもらったりで『漕いで』いるだけだった自転車が、練習によってバランス感覚を掴み、『走らせる』という次の段階にステップアップするかのように。
本当の意味でその原理を理解しさえすれば、何故そうなるのかや、どうすればそれが出来るのか全て分かるようになる。
俺自身の中で理力はなんとか『感じる』よく分からないモノから、『感じて操作する』ある程度原理の分かったモノへと変わろうとしていた。ただ、丸暗記の段階を過ぎた後も「計算」のステップは残っている。パッと式を見ただけで答えが分かる領域にはまだまだ達していないのだ。
この星に来て初めて理力と言うモノに触れた俺はこれからも常に「意識」して理力を感じなければならないのだろう。それでも・・・
「やっと『壁』を超えたってやつか。」
今までは地面を這いずり回るだけだった二次元人が、上下方向の動きを覚えたお蔭で一気に空の広さを理解したような感じだ。
逆に、見上げれば済むだけなのになぜ今までこんな簡単なことに気付かなかったんだろうとさえ思えてくる。
『理力』に自分の中も外も関係は無いのだ。だから、自分の体を動かすように周囲の理力も動かせばいい。その逆もまた然り。
そう言えば、つい先日までリフリスがいくら理力の理論を説明してくれても、「そうは言っても無理じゃね?」と心の中で理力操作を否定する気持ちが強かったと気付く。
だけど今は「それが出来るし理力とはそういうモノだ」と実感できる。理屈抜きに存在を実感できているのだ。こうなると今まで『理力とはこういうモノ』と思っていた感覚すら一新されるような気分になる。
まあ、調子に乗るのはこのぐらいにしておこう。リフリスを待たせてしまっているしな。
鬱蒼としたと言うほどではないが、何の目印も無ければ容易に遭難しそうな森の中を俺は進む。幸いにもここにはあの扉という巨大な目印があるお蔭で葬送迷いはしない。
ふと、俺の中であの扉に触れた時の感覚が蘇ってきた。
何とか理力の一端を掴むことが出来た今、やっとあの時の感覚の意味が理解できた。
「あの扉に勝つ・・・それがここを出る方法、か。」
さながら蟻が山を動かすようなものだな。
「けど・・・ならば。」
ならば、ここを出るために俺は山をも動かす巨大な蟻になるか、山を吹き飛ばすような術を操ることが出来るようになるしかない。こんなところにいつまでもいたって仕方がないからな。
それとともに俺の中で幾ばくかの希望が生まれてくる。
この迷宮に入れるのは一部の実力を認められた人間だけだと言う。だったらここでの生活をこなし、あの扉を突破できるだけの実力をつけることが出来れば、後は案外トントン拍子で進むかもしれない。
っと、そんなことを思ってたら何か居る。って言うか何かがいる気配がする。
これまでも幾度か感覚的に周囲のって言うか見えない位置に居る生き物や、物の位置や状態が分かることがあった。言葉にし辛いところだが、例え死角に潜んでいたとしても、そこに何があるか分かると言うか『感じる』のだ。
人間だけに限らず、生物、無生物、すべてのモノは存在するだけで周囲に影響を与えている。小石を落とした水面の波紋を見れば、水面《みなも》に何かが落ちたと分かるように、離れた場所に居る存在が周囲に与える影響を読み解き、理解することが出来れば、そこに何がいるのかが大凡ではあるが掴めてくる。
それを頭で行うのではなく、感覚として掴む必要があるのだ。だから、俺自身、なかなかそれを『理解』できなかった。なぜならば、『理力』とは『理解』するものではなく、身を持って『体感』する必要があるものだからだ。
つまりは第六感や予感、虫の知らせといった無意識下で処理されているあいまいな感覚をはっきりとした感覚で捉えること。これが理力を感じると言うことなのだろう。多分。
俺は意識を集中し、木々の鼓動を読み解く。意識が、感覚が拡張されていくのが分かる。樹木の裏に潜んでいるものの息遣いまでが聞こえてくるようだ。
「来た!」
蛇のような身のこなしで樹の影から飛び出てきたのは、兎程度なら軽く一飲みにしてしまいそうな大蜥蜴だった。身をくねらせて木の影を出た後、両前足で地面を蹴って飛ぶ。
俺は左手ですでに手をかけていた剣を引き抜く。トカゲはもう俺に飛び掛かってきている。だが間合いはまだ手にした剣では僅かに遠い。このままカウンター気味にっ!?何か来る!
俺は大トカゲの筋肉の僅かなこわばりを感じた。飛び掛かってきた時とは微妙に異なる感覚。これほどの至近距離なら、今の俺には常に相手の肌に触れているかのごとく、その脈動を感じることが出来ている。
俺は咄嗟に斜め前に一歩踏み出す。同時に俺が一瞬前に居た場所に血のような赤い液体が真っ直ぐな軌跡を描いて通り抜けてゆく。後ろに引けば当たっていた。見れば大トカゲの目、正確には涙嚢に当たる所辺りからそれは噴射されている。毒液の類か?
一方その時、俺の罅割れた剣は一歩踏み出した分だけ早くトカゲの喉笛に食い込見始めていた。俺は一歩分の捻りを加え、このなまくら剣を振りぬく。
剣を通じて大トカゲの鼓動がより鮮明に理解できる。骨の位置までもだ。俺は刃筋を少し返して上に振りぬき、頸椎の隙間に刃を滑り込ませる。すると切っ先が狙い通りの位置を通過してゆくのが分かった。我ながら少し恐ろしい。
「ふっ!」
背後からゴトッ!ボトッ!っと言う鈍い音が二つ聞こえた。振り返ると、トカゲの頭はまだ口をパクパクとさせており、躰の方はまだ体をくねらせ数歩歩いている。
「何とかってところか。」
さっきの瞬間が一番のピークだったのか、集中力が切れたのか、俺の中から熱と言うのが一番わかりやすい感覚、万能感や高揚感が冷め、周囲に広がっていた感覚も次第に薄れて行った。
「いつでもさっきの感覚が使えればいいんだけどな。」
俺は剣を振り、血糊を払った。そしてマントの端を見る。これで残りの血を拭うか?流石に綺麗にしたてのマントで血糊を拭くのはちょっと憚られる。
俺は不思議なコップを取りだし、水で少し剣をゆすぐ。すると、剣の血が当たっていた部分だけ錆が溶けていた。
「酸なのかアルカリか・・・あるいは何かの酵素で酸化還元系か?」
なるほど。このトカゲの血は錆び落としとして使えるかもしれない。けど、これ以上はやめておこう。この剣はもともと刀身自体も錆でボロボロなのだ。下手に溶かすと辛うじて錆で繋がっていたところも崩れかねない。
「さっき目から飛ばしてきたのはこの血か、あるいは・・・直接浴びてたらちょっとまずかったかもな。」
理力を感じて離れた相手の状態が分かると言っても、敵が飛ばした液体の性質までは分からない。もっとさっきの感覚を鍛えれば分かるのかもしれないが・・・理力感知に頼りすぎるのも禁物だな。
そうこうする内、剣先も少し乾いてきた。俺は再びマントの端で剣先を拭った。錆びのせいかすんなりとは拭けないが、マントの方はすこぶる丈夫に出来ているためか、毛が引っかかって抜けるようなこともなかった。
「で、このトカゲをどうするか。」
昼飯として使えるか?あのガイドブックでは・・・俺はパラパラとガイドを広げる。すると、ガイドに示されている図にこのトカゲとよく似たトカゲの絵を見つけた。大きさの方は・・・俺が仕留めた奴の方がこの図の奴よりかなり小さい。俺はちらと顔を上げ、仕留めたトカゲの方を見る。
「この大きさでまだ子供か。」
図のマークを信用すれば、猛毒持ちだが、血抜きして焼けばいけると書いてある。とりあえず血抜きだけして持って帰ろう。
俺は剣をしまい、トカゲの足の付け根を抱え、持ち上げた。反射のせいか、頭を失ったトカゲの足と尾がもがくように動き、それに合わせて首の断面から血が飛び出る。
「なかなか面倒だな。」
俺は血を浴びないようにトカゲを幹が二股になった樹にまで引きずって行き、トカゲをその間に引っ掛けた。
「よいしょっと。」
俺は体重をかけてトカゲを樹の幹が分かれた部分に押し付け、左腕でトカゲの体を引いた。ジャバジャバッ!っと音がして大トカゲの首から血が搾り出される。
「もう二、三回やって水で洗って・・・川まで持って行ったら時間かかるか。鱗も・・・まあいいか。後で革ごとはがそう。リフリスも待っているしな。」
トカゲの首から流れ出た血液はそれなりに多く、木の反対側に流れ落ちた血液は樹に付いた苔や土を溶かしていた。
俺はまだ痙攣するトカゲを背負い、リフリスの待つ共用竈の方へと歩いて行った。
リハビリ気味にちょっとずつやります。