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迷宮の歩き方  作者: Dombom
迷宮とは・・・
61/70

迷宮生活21日目その三

7/12 前話共に少し加筆改稿しました

16 無理に変えたところが合うように修正

29 一部回想に移行

 前に見える人だかりはざわついていた。中には人の叫び声の様なものも聞こえる。迷宮の内と外を繋ぐ扉が閉まりかけている。

 扉が閉まることは確かに恐怖だ・・・特にこの迷宮を抜け、さらに別の迷宮から元の世界へ帰ろうとしている俺にとっては死活問題となる。帰りたい・・・その気持ちだけが俺を動かし、ここまで連れて来たんだ。それを否定されるのは恐ろしい。

 しかし、まだ俺にはあの扉に触れさえすれば、下層と同じように扉を開くことが出来るはずだという希望が残っていた。

 いや、希望はあると言い聞かせていた。

 そうでなければ潰れてしまいそうだ。

 これまでずっと耐え忍んで、苦痛を、恐怖を克服してやっと見えてきた出口が・・・閉まってしまうなど耐え難かった。

 俺は無意識のうちに俺自身を欺き、大丈夫だと言い聞かせていた。

 あのうんともすんとも言わなかった扉が『開け』の一言で開いたんだ・・・今回も大丈夫さ。何を心配しているんだ俺は、ばかばかしい。と。

「羊さん?大丈夫ですか?」

 と、リフリスは俺の異変を感じ取ったのか心配そうに声をかける。

「ああ。元気だよ。」

「そうですか・・・」

 俺はリフリスに応えるが、リフリスは何とも煮え切らない返事をした。

 俺は大丈夫だ。大丈夫でなかったら他にどうすればいいんだろうか・・・


 俺たちは迷宮の扉へ向かって進んでいる。だが逆に、俺には扉自体が俺をこれ以上先に進ませまいと近づいてきているように思えた。

「止めてくれ・・・」

 扉自体も上が霞んで見えるほどに大きいのだが、それ以上に複雑な彫刻が施された扉自体が異質な存在感を放っていて、どこまでも高く広がる壁のような印象を与えてくる。

 扉は閉まりかけている。扉の隙間はもうほとんどなく、僅かな外の陽光が差し込んでくるばかりだ。

「あれじゃ通れそうにない!閉じ込められる!」

 と、ブランは走っている俺たちに聞こえるように叫ぶ。

「止めてくれ・・・閉まらないでくれ!」

 しかし・・・ズゥン!

 ぞわりと背筋が寒くなる。

「あっ・・・」

 閉まった?そんな馬鹿な・・・ウソだろ?

 きっと幻覚だ、そうだろリフリス?と、俺は同意を求めるようにリフリスの方を見ようとした。

「そんな・・・扉が閉まるなんて。」

 だが・・・その否定の言葉はリフリスのものだった。

 否定されることはなかった。

 否定してほしかった・・・これが現実でないと。

 その時、俺の中で何かがキレた。

「あ・・・ああ!ああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!オオオオアアアアアアアア!!!」

 ブランとニーファ、そしてリフリスは俺の異変に一瞬動きが止まってしまう。

 なぜ・・・なぜここまで来て!なぜこうも俺ばかり!!

「ゴアアアアガアアガアアア・・・!!」

 俺は叫び、目の前の現実を見ていたくないとばかりに目を掻き毟る。俺の手入れのなされていない汚れた爪はしかし、顔を掻き毟ることなく被っていた羊の骨をなぞるだけだった。

 俺は崩れ落ちるように膝を折り、俺を閉じ込めるような限りある天を仰ぎ、涙にむせいで叫び続けた。それこそ・・・獣のように!

「落ち着け!羊頭君!」

「落ち着いてください!」

「羊さん!」

 出たい。こんなところからは出てしまいたい!今はそれだけしか考えられない。

 ここを出さえすれば、俺はまた自分を取り戻せる。

 だから、止めないでくれ!俺を行かせてくれ!その後なら何でも言うことを聞くから!

 俺は・・・俺は!三人が俺を押しとどめようとするが、感情が解き放たれた俺はこれまで出したことの無いような力で同行者たちを振りほどき、一目散に駆け出そうとした。

 叫び声が聞こえたせいだろうか?人々が皆俺の方を向いているのが見える。俺が近づいてくるのを見た人々に動揺が走るのを感じた。

 幾人かは扉を叩き、ある物は剣を構え、またある者はいつでも術を使えるようにと法具に理力を込めだす。

 俺は彼の人たちの動きが、反応が、場の理力を高めてゆくのを感じた。悲鳴が聞こえる。俺に対してか、閉まる扉に対してか・・・

 だが、俺は止まらない。いや、止まれなかった。

 扉が閉まり、恐慌状態に陥った人々の下へ、地獄の底から湧いてきた悪魔のような叫びに恐れおののく人々の下へ。

「ああぁ・・・」

 出口が・・・

 出口は、幾層もの小世界と外界を隔てる隔壁は決して開くことは無い。手を伸ばす俺に見向きもしない。無慈悲にも。


 騒ぎの声が大きく聞こえてくる。

 ちりちりと舞う宙を埃が静電気が束ねられて一本の線に、そして束になってゆくような感覚、そしてそれは

パァン!

「ぐっ!」

 骨を被った俺の頭に向かって放たれた何かが、俺を吹き飛ばした。

「羊さん?!」

 何か来ると思った時には既に何らかの攻撃が当たった後だった。

 出処が分からない。術の特性か、はたまた別の理由かどこから飛んできたのか全く分からなかった。

 何より、術に主体性が感じられなかった。撃ったものと作ったものが別であるようなちぐはぐな感じだった。

 だが、感知出来ないなりにも野生の勘か、それとも今までの経験が反射となって体に染みついていたのか、俺は僅かながら体をそらしていた。俺に向かって飛来してきたナニカは俺が頭に被っている骨に当たって斜め後方に弾かれた。しかし、ほとんど直撃を受けた俺もそれが弾かれた方向とは逆向きに地面を転がる。

「クッ・・・何が」

 感情の爆発は、爆発力こそはあったものの、今はもう無い。

 極限状態のストレスがある意味発散されたことで、俺はリフリス達の声も聞こえないような暴走状態からスイッチを切り替えるように冷静さを取り戻した。

 これまで幾度も危機的状態に陥りながらも冷静に対処してきた経験、そして一度折れてしまいながらも再び立ち上がることが出来た俺の精神力の積み重ねのお蔭だったのかもしれない。

 ザッザサ・・・とバウンドした後、いくらか引きずられるようにして俺は地面の上を滑った。俺はぶれる視界の中、なんとか膝をつき前を見据える。対策を講じなければ・・・

 追いかけてきた三人が俺に追いついてきた。いや、俺が吹き飛ばされたせいでやや追い抜くような形になっている。

 驚いてこちらを振り返り、心配そうな顔を見せてるリフリス。ブランとニーファは俺を視界の端に映してはいるが、扉の方を見ていてその表情は窺い知れない。

 そして俺の幾らか前方に杖を構え、キザっぽくワザとらしく斜に構えたような男が一人。下卑た笑みを浮かべる青年は、扉の前で立ち往生していた集団の先頭に立ち、杖をこちらに向けつつ挑発的な態度で何かを叫ぶ。

 まるで彼が集団の守護者であるように、そして俺という混乱の原因を裁く懲罰者のように。

 弾き飛ばされた羊頭が渇いた音を立てて落下した・・・マズイ!

「ぐぅっ!」

 ドゴン!と鈍い音を立てて俺の体が再び浮く。

 ちりちりと今度は鳩尾の辺りにざわつきを感じた。その時には既に、またしても俺はさらに後方へ吹き飛ばされた後だった。

「ごほっ!ごほっ!・・・」

 速い!これでは防ぎようが・・・

 強烈なボディーブローをかまされたように俺の肺から空気が搾り出される。空中を舞う俺は一瞬意識が飛びそうになる。

「がっ!」

 俺が意識を手放しかけた時、人通りが多いせいか下草の少ないざらついた地面が俺の体をしたたかに打ち付け、俺の意識に重力を思い出させる。

「くっ・・・はぁはぁ・・・」

 出口の方からずいぶんと押し戻されてしまった。距離にして合計十メートルと少しほどだろうか?

 息が出来ず意識がはっきりしない。それと同時に先ほど食らったナニカは着弾した部位から徐々に俺の体に浸透し、麻酔でも書けるように俺の自由を奪ってゆく。

「マズイな・・・」

 うつ伏せに倒れ、痺れる体を左腕で支え、やっとのことで俺は前を見る。そこには俺を食い殺そうと飛び掛かる異形の獣のように、縦に裂けた咢を持つ巨大な迷宮の扉がギラツイタ陽光をその口から吐き出しながら聳えていた。

 それは罠にはまった哀れな子羊を見下す悪魔の笑みに似ていた。

「何だ?扉が少し開いて?」

 なぜ?扉は閉まってしまったはず?

 何故開いている?

 半ば錯乱した俺は、あの扉が何らかの術を放ってきたのかと思った。しかし、それは間違いだった。

「ジルヴェ・エモトニ・レモリオ・ギルベット・プラウレ!―麻痺・音を超えて・丸・強く・何度も―」

「!?」

 咄嗟に丸まった俺は空中に打ち出される。

「ガッっぐ!」

 バンバンバンとまるでボーリングの玉でもぶつけられるかのような衝撃に、かろうじて構えていた俺のガードは空しく弾かれ、無様に宙を舞う。その時やっと俺はさっきから俺に杖を向けているくすんだ金髪を流した男こそが、何らかの術で俺を攻撃しているのだと理解した。

「うっおお!」

 咄嗟に俺は罅割れ、今にも砕けそうな剣を振りぬく。手にした剣から異質な何かを切り裂いた感覚が伝わってきた。切り裂かれた何かは俺に当たるも、何故か大した衝撃は伝わっては来なかった。

「おおお!」

 振りぬいた勢いに任せて体を回し、勘を頼りにいくつかの不可視の衝撃球を切り落とす。

「・・・ぁ」

 が、決死の抵抗が成功したことで生じた安堵が致命的な隙を生んでしまった。剣を振りぬき、伸びきった体はさらに続いた連撃には脆すぎた。抵抗空しく俺の意識はあっけなく刈り取られた。


「・・・さん」

 ・・・

「羊さん!」

「!!」

 よく知った人間の声はどんな時にも、深く沈んだ意識を強く引き上げる力があるようだった。

 ハッとした俺は咄嗟に体を起こそうとする。不覚にも気絶していたらしい。

「羊さん!良かった。」

「・・・何が」

 しかし、力を込めた体は痺れるばかりで、俺は死に掛けの芋虫のようにもぞりとしただけだった。ただ、麻痺しているお蔭か、体の痛みはさほどでもなく、あれほどの衝撃を食らっていながらも、何故だか骨折は避けられているようだった。装備品も、剥がれずに済んでいる。

 混乱は収まっていない。何をされたのか、どういう意図があってこんな目に遭わされたのかは理解できなかった。しかし、慌てても仕方がない。俺は僅かではあるが徐々に体の痺れが取れていくのを感じつつ、周囲を見回した。

 俺の右隣にはリフリスが立て膝をつき、その杖はやや淡く光っている。俺はその光に少し安心感を覚えた。ちりちりと這うように俺の体を流れる何かを、その光を伴った何かが少しずつではあるが解いていっているらしかった。

 ふと見ると、リフリスは最初の一撃で弾き飛ばされたであろう羊の頭蓋骨と幾ばくかの”包帯”を抱えていた。

 ハッとした俺は何とか動く左手で顔を触った。

「・・・」

 どうやら俺は、焼け爛れた顔に多数の白片が埋め込まれた醜い”素顔”を晒しているらしかった。

 剣は・・・と俺は片方だけ残った左の眼球を必死に回す。数撃分だけ俺を救ってくれた剣は俺の左前方に転がっている。

 そして人が立っていた。それも、沢山。ここに来てからほとんど人に出会わなかったせいで、これほどの人数に俺は反射的に恐怖心を抱く。

 俺と素顔をさらした俺に寄り添うリフリスを取り囲むように人だかりができていた。

 人々は得体のしれない者への好奇心と恐怖感をないまぜにしたような表情で、数歩離れた位置から広く俺たちを取り囲んでいた。

「目覚めたぞ!」「どうする?」「気味が悪い。」「化け物め。」「だれか早くアレを殺せ。」「なんなんだアレは?」「見たことがない。」「おぞましい」「人に化けて・・・」「さっきの叫び声は奴か。」

 集団は大体が軽装でローブを纏っているものも多い。しかし、そのどれもが機能的であり、華美ではないがしっかりとした装飾が施されている。男女比は男の方がかなり多いようだ。だが、その男たちでも持っているのはせいぜいが杖で、目に見える武器を所持している者は少なかった。

 時折剣や大きな盾を装備した者たちもいるが、彼らは大抵身なりのいい軽装の人間に付き従うように立っていた。

「大問題ですよ。これは!あの勇名轟くドラゴンスレイヤーともあろうものが、まさか怪物の脱出を手引きしていたとは!」

 大仰な声を張りたてている者もいる。

 よく見ればさきほど俺に対して執拗な攻撃を仕掛けていたあのくすんだ金髪の青年が居た。大げさな身振りで誰かを糾弾している。その相手は身なりのいい人間ばかりの集団の中ではやや浮いて見えた。

 ・・・ブランだ。

「彼は・・・怪物なんかじゃない!」

 歯を食いしばりながら押し殺すように抗議するブラン。人だかりを背にした青年は馬鹿にした様子で手にした指輪を見せびらかすように両掌を広げて見せた。

「彼?”彼”ときましたか?聞きましたかみなさん!”彼”ですよ!あの怪物を!」

 人だかりはざわつき、青年に同調するようにブランを侮蔑の目で見据えた。

「叫び声を上げ、扉から逃げることも出来ない私たちを襲おうとしたこの獣が・・・彼?」

 なぜあのような獣を庇うのだと、人々のブランに向ける視線は冷たい。

「あーあーあー。これだから下民は。獣の中に居すぎると人と獣の区別もつかなくなるとは・・・」

「人は見かけだけじゃない。話を聞いてくれ。」

 ブランの握りしめた腕は怒りの獣を力ずくで抑えているかのように小刻みに震えていた。

「ヒトじゃあない。アレは断じてヒトではない。ヒトならばなぜ扉が拒絶するんです?」

 ブランの顔が一層険しくなった。そして、何とか搾り出すように青年の問いに答えた。

「・・・我々の推測では10年前のようにヒドラの侵攻が」「ヒドラ!ヒドラときましたか!」

 が、それは途中で遮られる。

「ではそのヒドラはどこにいるんです?みなさん、そんなものが見えますか!」

 そう言うと青年は俺の方を杖で刺し、道端に転がるゴミでも見るような目で俺を見据えた。

「アレが近づいたせいで扉が閉まりかけ、我々はこの迷宮に閉じ込められそうになった!そしてあの悍ましい化け物を排除した今!扉は再び開き始めている!アレが原因でなくて一体何が黒幕だと?!白々しい!」

 ・・・俺が?俺のせいで扉が閉まった?俺を出さないために?

 俺への糾弾に耐えきれずブランは苦し紛れに言葉を発する。

「この迷宮に入るからには不測の事態に対する備えがあるはずだ。迷宮に入るからには」「閉じ込められても仕方がないと?」

「聞きましたか!みなさん!この!公国認定ギルドの長ともあろうものが!怪物のためならば私たちは死んでもいいと!良くもそんなことが言えますね!」

 しかし、それはさらに事態を悪化させただけだった。

 そうだそうだ、ひとでなし!と、青年の言葉に乗せられた群衆が口々にブランを責めたてる。ブランの頬に流れるのは怒りの汗だろうか、目元は濡れてはいないが、俺にはそれが悔し涙に思えた。今にも殴り掛かりそうになっているブランを背後から影のように抑えるニーファも冷静そうに見えてその紫の瞳は怒りに燃えていた。

「化け物を優先して人は切り捨てる!知っていますか!彼らドラゴンスレイヤーは帝国有数の貴族の子女をあろうことかこの迷宮で見殺しにした!」

「そんなことはありえません!」

 影に徹していたニーファもついにこらえきれずに表に出てしまった。

「おや?これはこれは・・・」

 と、青年は値踏みするように粘ついた視線でニーファを見る。

「そうですねぇ・・・私だって信じたくはなかった・・・けれどあんなものを見せられちゃあねぇ!!あんな悍ましい化け物は黒衣の賢者でも知りえないでしょう!」

 再び青年は俺の方を見る。大げさにマントをはためかせ、群衆の視線を俺に誘導して。

 ・・・こいつは何を考えているんだ?

 俺の中で怒りよりも疑念がよぎる。

 俺は俺が気絶している間、ブラン達とあの金髪男がどういうやりとりをしたのかはよく知らない。そのおかげか俺は幾分冷静で居られた。俺にとってまだ危機は去っていない。それどころか、目の前で捕まえた獲物をどう料理しようかと手ぐすねを引いて待っている状態だ。

 だが、何故そうするのか?邪魔ならば一思いにやってしまえばいい。

 遠距離から一方的に俺を嬲ったかと思えばとどめは刺さず、かと思えば俺を取り囲んで逃がさないようにしている。しなかったのか、あるいは何かできない理由があるのか・・・ただ、何かマズイということだけは確かだった。

 ならば、リフリスだけでも・・・巻き込まないようにしなくては。

「リフリス、ありがとう。」

 と、俺は小さく呟き、震える手足に活を注いで立ち上がった。

「離れていてくれ。」

「でも!」

「頼む。」

 俺はまだ震えが残る手でリフリスを後ろへ追いやる。

「・・・」

 地の底から這い上がって来た幽鬼のように、再び立ち上がった俺の姿は周囲の人だかりを無意識に一歩引かせた。

 青年は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに先ほどのような意地の悪い笑みその顔に貼り付けた。

「みなさん見てください!あの化け物を!人間を迷宮の化け物から守る扉に拒絶されたあの呪われた姿を!あれだけの術を浴びせてもいまだに滅せぬ怪物を!」

「・・・」

 物言わぬ俺に、周囲はざわつく。青年の先導によって観衆は一体となって青年に賛同し、俺に向かって不快感をあらわにする。

 青年が一言一言発するたびに集団のざわめきが増してゆく。俺の疑問はそこだ。何故わざわざ煽る必要がある?あるいはこれが狙いなのだろうか?

「いたいけな少女をだまし!周囲の信頼の厚いギルドも利用し!この迷宮の監獄から抜け出そうとする害悪!放置するわけにはいきません!」

 と、青年は煽る。俺はなんだか莫迦らしくなってきた。迷宮の動物に比べて人間は何と面倒な生き物なんだろう。

 だが、扉が閉まって混乱している中、俺が叫び声を上げたせいで人々を不安にさせたのは事実だ。

「俺が化け物かどうかはどうでもいい。俺を吊し上げようとする理由も大体わかった・・・だが、少し待ってくれ。俺に」

 俺は弁解の余地をと、言おうとするが、青年の放つ大きな声にかき消される。

「おお悍ましい!見ましたか、みなさん!この獣は人の言葉を模倣する!」

 静かに返す俺に、青年は先ほどからの調子で話し続けた。

「錯乱して大声を上げたことは謝る。皆さんを混乱させて本当にすまないと思っているんだ。」

「・・・」

 ざわついていた周囲が一瞬だが静まり返った。俺の言葉が通じたのか?

「みなさん!騙されてはいけません!奴の言葉を聞き入れればあの少女やドラゴンスレイヤーの面々のように奴に取り込まれてしまいますよ!」

「・・・」

 こいつは何がしたい?

 この体に燻る術の雑多な感じのする残り香と、こいつの術具から感じる理力の感覚はややズレがある・・・が、状況からして先ほど俺に攻撃を仕掛けてきたのはおそらくこいつだろう。

 俺としては、出来るだけ穏便に済ませたい。

 この地の獰猛な生物達と違い、相手は人間だ。

 酷いことをされたからといって理由も聞かずにやり返してはいけない。おのれの不幸は決して免罪符にはなりえないのだ。

 俺はそれこそが人間であると思う。相手もそう考えているかどうかは別だが・・・

 だが、何を言おうと青年が張り上げた声にかき消されてしまう。論理勝負ではないこの場では・・・あのわざとらしい青年がペースを握っている。特に俺の方は負い目があるし、主導権が奴にある限り何を言っても逆効果だ。

 俺は癒着した硬い唇を噛みながら、奴が話を続けるのを聞くしかなかった。

「話が通じる!ただそれだけで信用していいでしょうか?ある程度の狡猾さを備えていれば言葉を模倣し、獣でありながら人間を利用することを覚えるでしょう!恐ろしいと思いませんか!みなさんもこの化け物の本質をご覧になったでしょう!これは正に邪悪そのものだ!」

 青年は再び大げさな身振りで人ごみの中から一人の男を呼び出した。鎧を着たその男、いや、立派な鎧を身に付けている割には情けない様子がぬぐえない。しかし、プライドだけは鎧と同じく立派そうだった。

「ほら見てください!この哀れな冒険者を!あの化け物のせいで危うく足を失いかけた彼を!」

 と、青年はマントを広げ、男の鎧の左足部分がひしゃげているのを指差した。

「私があの化け物に気付き、門の前から退けていなければどうなっていたか!危ないところでした!それを奴は、悪びれもせずに我々に牙をむく機会をうかがっている!」

 あの群衆の中で聞こえた悲鳴はそういうことだったのか?

「この野郎よくも俺の足を・・・」

 青年は煽動を続け、周囲は殺せと沸き立つ。鎧の男は俺に対して怒りを抱いているらしかった。逆恨みか、それとも誘導されていることにも気付いていないのか、どちらにしても頭が悪い。

「人にかみついた動物を殺す権利はその人にこそあると思いませんか!人を傷つけた下等生物はその人によってこそ処刑されるべきです!」

 そうだ!そうだと群衆は叫ぶ。

 俺はリフリスに下がっているようにと指示を出した。

「でも、羊さんはまだ麻痺が・・・」

「大丈夫さ。大方あいつは閉まっていく扉を見て逃げだそうとしたけど、結局扉に挟まっちまったような間抜けだ。なんとかなる。」

 俺はおぼつかない足取りで何とか前に進み出る。ブランとニーファは加勢には来られない。二人を止めるように、周囲の沸き立っている有象無象とは毛色の違う何人かの実力者らしき者たちが牽制していた。

 仕方がない。どういう背景があったとしても、あの青年が言うように俺が扉に近づけば扉は閉まり、離れたり、俺が弱れば開く。そういうことだ。

 俺と扉の間に直接の因果関係があるかどうかは別として、検証のしようがない今はそれが正しい事実であると言わざるを得ない。

 それに・・・と思う。

 ブランとニーファはこうなることに気付いていたのではないか?

 あの二人は俺の理力流に興味を持ち、そして正そうとした。けれど、結局は理力流はほとんど弄っていないと言っていた。少なくとも、俺の身に何か尋常ならざる事態が起こっていると思っていたのではないか?

 だからこそ俺があの青年の攻撃を受けるのを見逃し、その結果を見定めようとしていたのではないか?

 ・・・いや、考え過ぎか。

 あの二人の、青年に向けた怒りは本物だった。それに何より彼らはこの迷宮に入る者達の安全を守る立場にある。あえて感情を押し殺し、立場を守ることで多くの人が救われることもある。ならばブランとニーファが俺を見定めようという目的があったとしても、それは悪意からではなく、むしろ疑いを晴らしたいという心からの行動であったと信じたい。

 体は痺れ、周囲は取り囲まれ、支援は無く、逃げられそうもない。最悪この場にいる全員を相手にして勝ち残らなければ・・・どちらにしても覚悟が必要だ。憎まれようと蔑まれようと、ここで終わる気はさらさらない。

 視線を戻した俺は鎧を着た男を見る。背は俺よりやや高いか?その目はどうだ?プライドと恐怖と怒りとがないまぜになり、ある種の混乱した熱気に支配されているように思える。

 扉が閉まっていくと言うのは確かに俺が悪いのかもしれない。今のところ状況証拠としてはだが・・・とは言っても、それに挟まったのは自分のミスじゃないのか?

 幸いなこと・・・と言っておくか。どうやらこいつは俺の見た目に恐怖心を覚え、俺の出自に疑念を抱いている。

 得体のしれない俺に恐怖を抱いていながら、自分のミスを認められない。無様をさらしたのは自分のせいではないと自分に言い聞かせ、過ちを、恥を認めない。だからこそ俺に挑まざるを得ない。

 ならば俺も受けざるを得ない。いや、あるいはそれがあの青年の狙いなのだろうか?

「お前は扉が閉まらないように身を挺して防いでいた・・・って訳じゃなさそうだな。」

 体はまだ痺れている・・・ならば俺もこいつを誘導しにかかるしかない。

「なんだと!」

 俺を見下ろすように男は近づいてくる。なんだ、元気じゃないかと俺は内心愚痴を言う。そして俺は鎧を着た男にだけ聞こえるように挑発した。

「逃げようとして挟まったのなら・・・お門違いだ。臆病者の対価は自分で払え。」

「言うに事欠いて!貴様ぁああ!お前のせいで!俺の足が!こぉの化け物がああああああ!!」

 俺は傍目にくすんだ金髪の青年を見る。あの青年は動かない。何を企んでいるのかは分からないが、さっきより力の高まりは感じるものの、あの術の嫌な気配は感じられなかった。介入しない気か?いや、今は目の前のこいつに集中しろ。

 鎧の男は剣を構え突進してくる。力の入らない体でもこれだけは出来る。指一つ動かすのも億劫な疲労困憊になりながらも、あの緑色の子鬼どもを投げ飛ばしたあの時を思い出せ。

「ふっ!」

 滑るように半歩だけ横にスライドしつつ俺は鎧男にすれ違うように前へ。俺を真っ二つにせんと振り下ろされた剣先は右腕に仕込んだナイフで滑らせ、俺の左手は鎧男の胴のやや下に吸い付くように合わせる。

「ッ!」

 分かる!手を通して俺は趣味の悪い鎧を着たこいつと同じ重心系に乗る。俺は麻痺の残る体から僅かずつ力を集め、束ねる。

 拡張された理力を見通す目は俺の拙い技を洗練させてくれていた。五感を通して辺りの秘められた力、俺の周りを流れるエネルギーがはっきりとわかる。

 押す。投げるのではなく、ただ相手の重心の下に滑り込み、僅かばかりの力で重心を押す。

「なっ!」

 うまく返せた。例えるならボールを投げつけられた壁のように、俺は鎧男の力を吸収し、別方向に打ち返した。鎧男は面白いように吹き飛び、ガシャンと嫌な音を立てて周囲の観衆を巻き込んでブザマに倒れた。全身全霊の全力疾走から硬い壁にぶつかったようなものだ。意識は持つまい。

 ・・・なんとか凌げたと、痺れが残る体で安堵する。奴が挑発に乗らない性質だったらうまくいかなかっただろう。いや、そういう人間だったら最初から襲ってこなかったかもしれないが・・・

 だが、結果的に言えば俺はおとなしく打ち据えられていた方が良かったのかもしれなかった。

「なんと」「恐ろしい」「怪力か」「人ではない」「外法だ」

 周囲のざわつきがより一層強くなる。未満でしかなかった恐怖が顕在化し、その恐怖がさらに俺への嫌悪感を引き出してゆく。

「見ましたか!みなさん!麻痺した体であの重厚な鎧を着た戦士を掴み、無慈悲に投げ飛ばす怪力を!明らかに人のモノではない!この化け物は裁きを受け入れるどころか本性を現し、人に牙をむきました!この化け物が麻痺のくびきから解かれ、真の力を取り戻せば人をその手で軽々と引き裂くでしょう!このような危険な生物をのさばらせていいものでしょうか!」

「・・・」

 さっきの剣士をかませ犬にして、最後は自分でシメる気か。

 リフリス、ドラゴンスレイヤーは俺に騙された哀れな被害者・・・そのシナリオだけは感謝しておこう。

 だがこの先・・・どう凌ぐ?俺の技は奴に見切られているのか?

加筆していったら際限なく文字が・・・


称号

「追放者」


新規遭遇生物

「悪噂の 衆愚を弄す 煽動家」


アイテム

○海淵の指輪+ ○意思読みの首飾り ○返話の指輪 ◎刻雷竜のアイテムボックス(謎の試験管 識別票 ウサギの毛皮 大猪の牙 火起こし機 水筒  猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x2 その他不明) ねたつく古びたポシェット(識別票x8 託宣紙x9)


装備品

麻の衣服 龍爪ナイフ 金猪のマント 革の小手 金猪の足袋


落し物

錆び罅割れた装飾剣 ひび割れた羊の兜 包帯

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