迷宮生活20日目その三
お手数おかけしました
積もり積もった疲労感がまるでぬるま湯のような柔らかな眠気を呼んでいた。俺は焚火をはさんで座る二人にこれまでのことを話して聞かせることにした。
「何から話したものか・・・」
ちろちろと炎が燃えて細かな火の粉が蛍のように炎に合わせて揺らいでいた。
「俺は・・・」
ぞわりと俺の皮膚に緊張が走る。それは例えば不用意に砂の城に手を触れてしまったがために、精巧な細工が施されていたその城を崩してしまったような感覚だった。思い出そうとした今この不用意な思考が、水面を漂う花弁のように不安定になっていた記憶にとどめを刺してしまったようだった。
疲れのせいで緊張が解けてしまったからかもしれない。あるいは疲労自体が俺の心を弱らせていたのかもしれなかった。
俺は動揺した。俺は俺に関して、リフリスに語った以上のことを思い出せなくなっていた。
「俺は少なくともこの星ではない、どこかから来た。・・・と思う。」
そう、ここ、このエンディオという名の星ではないどこかから来た。それだけは確かにまだ記憶の奥底にこびりついていた。だが、俺は不安になる。では、そこはどこでどのような場所なのだと問われても今の俺には答えられない。漠然としたその場所は俺の妄想に過ぎないと言われても、俺は反論できないことに気付いた。
「・・・とにかく、俺はここではないどこかから来た。異星人だ・・・信じられないかもしれないが、これだけは信じてくれ。頼む。」
気付くと俺は俺の話を聞く二人に懇願していた。ブランとニーファ・・・といったか。彼らはどう思うだろう?いや、きっと俺のことを狂人だと思うに違いない。今の俺の精神状態はまともじゃない。正直言ってかなり動揺している。なにせ、ここに来た直後の記憶すら怪しくなってきているのだ。俺が過ごしてきたはずの二十数年間はあたかも熱いコーヒーに入れられた角砂糖のように跡形もなく溶けてしまっている。そもそも、自分の名前を思い出せなくなっていた時点で異常極まりないじゃないか・・・うう・・・。いや、むしろ、この世界こそが現実で、俺の記憶はただの夢だったんじゃ?よっぽどのことがない限りそれだけの記憶が飛ぶことなどあり得るだろうか?それも、”思い出せない”のではなく”無くなって”しまったと感じるほどに。
「信じよう。」
「え?」
俺は顔を上げた。
「信じようじゃないか。」
動揺を隠せない俺に対して、ブランは落ち着いてそう答えた。
「ほんとう・・・か?」
俺はしぼり出すように答えた。
「ああ。何せここは迷宮、しかも最古の真龍が支配する領域だ。何が起こってもおかしくは無い。星々どころか宇宙系、世界樹をも渡るとされる真龍のことだ、大方君は真龍の寝返りで生じた次元渦孔にでも巻き込まれたんだろう。場所が場所だからね。君が異星人だというのなら、信じよう。もっとも、流石に私でも迷宮の外では信じないだろうがね。」
「あ・・・ああ。ありがとう。ありがとう。」
ブランの言っている言葉はあまり理解できなかったが、ただ彼が心底混乱している俺を気遣ってくれているということは分かった。それだけでも、俺はだいぶ楽になることが出来た。
「それにこう言っては何だが羊頭君、君は僕の目から見ても普通じゃない。」
「それはどういう?」
ブランは確認するようにニーファに視線を移すと、彼女も頷いた。
「君はもしかして、理力が見えていない、あるいは感じていないんじゃないのかい?」
理力を感じる・・・というより力とかに対してのそういう捉え方自体がまだ身についていないという方が正しいかもしれない。
「・・・確かに理力は見えていない。感じているかどうかは・・・分からない。けど、それが何かあるのか?」
リフリスが言うにはそろそろ俺にも理力が見えだしてもいいころだと言っていたが、果たして俺は・・・実際のところ見るどころか感じているかどうかもまだ怪しい。いや、なんとなくこれではないのかと思うこともあるが、明確な感覚としてはまだ捉えることは出来ていなかった。
「ええ。端的に言えば、貴方の理力流は乱れきっています。普通なら、体に深刻な不調が出てもおかしくないほどに。」
ニーファ、銀を極限まで伸ばしたような髪の女性が答えた。
「その、理力流っていうのは、体に害があるものなのか?」
体に深刻な不調が出る?理力とはそんな恐ろしいものだったのか?
「いや、薬にも毒にもならない・・・というのは基本的な話だが、僕たち冒険家にとっては理力流を利用できるようにするのが基本中の基本なんだ。」
・・・俺が聞きたいのは理力流の説明だったな。聞き方がまずかったか。理力流とやらの性質については分からなくもない。世界にあまねく満ちているいろいろな力やエネルギー、それを一緒くたに纏めたものが理力ってやつで、それぞれが複雑に絡み合っている。その状態は例えば一呼吸するだけでも筋肉の動きや吸ったり吐いたりする息の流れとかの力を受けて、連鎖的に反応してめまぐるしく変わってゆく。で、法術っていう奴はその連鎖反応をうまく制御して奇跡のような現象を起こす。非常に高度な手品のように。
そして、理力流とは何か?という疑問に戻ってくるわけだな。字面をとれば理力の流れな訳だから、それが乱れているっていうことは・・・理力が見えていないということになるのか?
「すまん、その理力流っていう所から俺にも分かるように・・・その、何も知らない子供向けレベルで説明してくれ。」
「リフリス君から理力の話は聞いていないのかい?」
俺はぼりぼりと風化しつつある羊の頭蓋骨を掻く。
「いや、習ってはいるんだが・・・俺自身が覚えが悪いのと、何せ異星人だからな。基礎的な知識からして不足してるんだ。」
「そうか、そうだったね。」
ブランは少しだけ納得したような顔をして答える。
「では理力については聞き及んでいるのですか?」
今度はニーファが問いかけてきた。
「ええ。ある程度は。」
と、俺は答える。
「そうかい?こう聞いては何だが、羊頭君の・・・星?では理力という考え方は無かったのかい?」
理力か・・・自然にはいろいろな力があるけれど、効果が同じなら一つに纏めようっていうのが理力の考え方だったか?確か・・・うまく思い出せない。何だったっけ?物学?の大糸充1theo理とか走召string王里ろン・・・
だめだ、まだ思い出せるはずだ。帰るんだろ?帰るところのことを忘れてどうする。大丈夫だ。きっと疲れで一時的に記憶が飛んでるだけだ。思い出せ・・・そう、科学!科学だ。科学には・・・じゅう・・・重力!とか諸々の力を統合しようって話もあったはずだ。けど、旧来の科学は・・・理力の反対だから・・・どっちかっていうと一つの物を要素ごとに、ばらして?考えようっていう方向性だった・・・はずだ。
「地球、うちの星では科学・・・科学という手法を使って自然を理解しようとしていた。科学では理力のように力を統合しようとする考え方もあったが、基本的には一つの物事を細かく分析して全体を掴もうとしていたと思う。だから、理力のように最初からまとめて考えるというような方法はあまりなかった・・・と思う。」
ブランは俺の話を興味深そうに聞いていた。あるいは俺の記憶が怪しくなってきていることから今のうちに聞いておかねばと思っていたのかもしれない。
「なるほど・・・学問は体系化されていたのかい?君の居た場所では知識の独占とかはないのかい?」
「ああ。多分。済まない、その当たりの記憶まで怪しくなってきてるんだ。けど、少なくとも俺の居た国は裕福だったし、誰でも望めばある程度の教育は受けることは出来た。それに、努力次第ではどこまでも学べたと思う。」
「それは・・・魅力的だな。」
ふむとブランは内心嬉しそうな、けれども少し困ったような顔をした。
「だが、君にとってはあまりよくないことかもしれない。」
「それはどういう意味で?」
と、俺は尋ねた。
「ここ・・・というより迷宮の外では、知識や学問は権力者や有力貴族によって独占されているんだ。」
「それと、俺とに何の関係が?」
俺は頭を捻ってみるが・・・知識の独占?
「うん。君は誰もが教育を受けていて当たり前の世界から来たね?だけど、ここはそうじゃない。僕もうかつだったんだけど、知識、特に法術に関わる知識はおいそれと広めるわけにはいけないんだ。」
「なぜだ?」
と、俺は素直に尋ねる。すると、ブランは首を振った。
「誰でも教育が受けられるところじゃあんまり意識しないのかもしれないけど、ここでは知識も財産なんだ。そしてその知識は貴族が独占している。つまり、貴族を通さないで知識を広めたり、貴族が認めていないものが学を持っていたりするとそれは”泥棒”になってしまうのさ。」
なるほど、それは・・・困った話だ。知識も財産・・・貴族が知識を独占しているなら、貴族が認めていない者が知識を持っているはずがないということになる。貴族が認めていない者が知識を得ようとすれば、貴族が秘匿している知識を盗み出すしかないし、権力者の後ろ盾のないものが知識を持っていたらその知識は盗んだものという理屈になるわけか。
つまりは貴族の感知していないところで法術とかの知識を得てしまった俺は、自動的に貴族から知識を奪った立派な犯罪者となったわけだ。
「なるほど、だから理力流の話になると話が逸れるんだな。」
と、俺は皮肉を込めて突っ込みを入れた。
「いえ、それはただ、ブランが話下手なだけです。」
すると、ニーファが答える。
「いや、ごめんごめん。でもとにかくだ、法術とか迷宮に関する知識は特に検閲が厳しいからね。冒険者間での受け渡しは比較的緩いとは言え、勝手に他人に法術を教えたりするのはご法度だ。そこのところは覚えておいてほしい。」
「ああ・・・」
外の世界は知識が制限されている・・・ということは一般人は法術とかの恩恵にあずかっている訳ではないんだな。そういうのが使えるのは力ある者か、あるいは認められた者。それ以外の者が法術を使ったりしたら捕まったりするのだろうか?
「でも、それは不便じゃないか?貴族だけ法術を使って不満は出ないのか?」
と、俺は単純な疑問を呈した。すると、ブランはこともなげに答える。
「うーん。大抵の法術は使えるようになるまでが大変だし、必要なら貴族が認めた専門職に頼めばいい。民草は学ばなくても生きていける。そういう社会が出来上がってしまっているからね。」
「そんなもんか」
「うん。」
職業とか社会制度で固定化されているならそれはそれで変え難いものがあるな。下手に弄れば生産性が落ちたり、大量の失業者が出るかもしれない。異星人の俺が口出しすべきことじゃないのかもしれない。
「例えば、貴族から認められていない者が法術の初歩と言われている『開錠』の法術をつかえたとしよう。するとどうだと思う?」
「?」
「貴族に認められていない者なら信用は無くてもいい。なら、普通の人たちはそいつが勝手に人の家に入って物盗りをするかもしれないと疑うだろう?」
「まあ、勝手に法術を学ぶのが罪だという世の中ならそうなるかもしれないな。法術を備えた時点で犯罪者の色眼鏡で見られる訳だし。」
「うん。それに現実でもそういう輩は真っ当な生き方をしていることが少ないからね。犯罪と世間の目、どちらが先とは言えないかもしれないけど、そもそも民草は多くの場合法術の産物を必要としてても、法術そのものを必要としていることは少ないね。鍵を無くしたのなら鍵屋に行けばいい話だし。」
なるほどと、俺は納得した。言い方は悪いが、ある一定数の知識人や職能を持った専門職がちゃんと居れば、大多数の一般人は無知でも構わない・・・ざっくりと割り切ることが出来ればそれはそれで効率のいい社会なのかもしれない。
・・・しかし、物事には多分例外もあるはずだ。世の中にはどうしても法術が必要な場面があるのではないだろうか?この認めた者以外触れることすら許さない黒いポシェットのように、法術で作った鍵ではなく、法術そのものが必要なものが。
「じゃあ、俺に法術を教えようとしてたリフリスは、というより法術関係の話をしているあんたたちは大丈夫なのか?」
顔を上げた俺は焚火越しに見える二人に向かって問いかけた。パチリと焚火が爆ぜ、俺は枯枝をくべる。
「私たちは問題ありません。冒険団ドラゴンスレイヤーは連合公国の国定クランですし、私たち個人もそれぞれ大公から認定を受けていますから。」
うんうん。とブランは頷いてつづけた。
「そうそう。僕たちは迷宮に入る権利は得たけど、実力が足りない冒険者を指導したりする役目もあるしね。もし羊頭君が誰かにどこで知識を得たかって尋ねられたら、僕らの名前を出すといいよ。」
俺はそんな簡単に名義貸しの様な事をしていいのかと思っていたが、紫の瞳のニーファは少し苦い顔をして隣で笑っているブランを見ている。これまで知識の受け渡し関連で面倒に巻き込まれたこともあるのかもしれない。
「ん?じゃあリフリスはどうなんだ?」
「・・・」
俺の問いに、二人はふと黙りこくった。
「何かまずいことだったか?」
「あ、いや。そういう訳じゃないんだけど・・・ただ、ね。」
「ええ。」
困惑する俺をよそに、二人は何やら目配せをする。
「羊頭君は彼女とどこで出会ったんだい?」
「えっと・・・あれは3日前?まだそんだけしか経ってなかったっけ?でも、それぐらいだな。確か何とかという花を盗んだせいで、赤い子鬼に追いかけられてたんだ。」
やはり、この迷宮での体感時間は引き伸ばされるのだろうか?リフリスと出会ったのももうずいぶん昔のような気がする。
「赤い子鬼に花・・・魂還草でしょうか?」
「ああ。確かそんな名前だったような。」
俺の脳裏にふとリフリスが奪い、そして俺が赤い子鬼達に返還したあの花の姿が浮かぶ。そういう俺をよそに、ブランはなにやら神妙な面持ちで考えを纏めていた。
「まず間違いないね。彼女が”リフリス”だ。」
うんとブランは頷いた。だが、俺には何やらさっぱり分からない。
「”リフリス”?」
「ああ。こっちの話だ。気にしなくていいよ。」
「いや、気になるし、そもそもリフリスは俺に禁止されてる法術を教えようとしていた子供だ。他人じゃない。」
これまでも薄々気づいてはいたが、この焚火の脇で疲れた体を横たえる少女には何かのっぴきならない事情があるらしかった。俺は何となく放っておけない気がして、勝手な仲間意識かもしれないが、俺もその事情が知りたかった。
だが、ブランは急に真面目な、これは素人が踏み込む余地のない問題だという表情で答えた。
「リフリスは君に事情を話したのかい?」
「・・・」
「なら、これは君が出るべき問題じゃない。」
「いや、だけどさ!」
なお食い下がろうとする俺をブランは否定する。
「わかるだろう?貴族以外は持つことさえ禁止されてる法術の知識を得ているどころか、それをあの年で使いこなしてるんだ。さらには曲りなりに人に教えることが出来る・・・その意味が。そしてそれほどの知識がありながら、名乗るべき土地を持たないという事情が。」
「・・・」
俺はこれ以上食い下がれなかった。
「話が大いに脱線しましたね。何の話でしたっけ?」
ニーファが話題を変えると、ふっとブランの顔から険しさが消えた。
「理力流の話・・・の前に羊頭君の話だったね。済まない。」
「団長は熱くなるとすぐ話が逸れますし、口も軽すぎです。自制してください。」
二人が話している言葉は俺にはあまり届かなかった。
リフリス・・・お前は一体何を抱えているんだ?なぜ金貨20枚もの大金が必要なんだ?なぜ貴族しか知らないという法術関係の知識にそこまで詳しいんだ?
「で、どうする?まず理力流の話を聞いてから君の話を聞かせてもらおうか?」
「いえ、団長。理力が見えないのであれば理力流の話をしても意味はありません。それに、かなりの乱れが見られるとはいえ、本人に不調は無いようですし。」
「うーん。それもそうだね。どの道見えるようになれば流れも整ってくるだろうし。術を覚えるにしてもそれからだしね。」
「・・・」
「羊頭殿?」
ふと見上げると、ニーファが返事のない俺を覗き込んでいた。物思いにふけって呼びかけに気付かなかったらしい。
「あ、ああ。そうしてくれ。」
2月終わりから3月初めは少し時間がとれそうです。
不定期になり申し訳ない。