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迷宮の歩き方  作者: Dombom
天人すら久遠を生きず
47/70

迷宮生活17日目その三~18日目その一

 決まったと、少女はそう思っていた。緑の光弾がゴブリンを倒し、私は野蛮な追跡者から逃げ切ることが出来るのだと。そう思っていたのに・・・だけど、そうはならなかった。

 少女の前に現れた影、いきなり杖を蹴り飛ばしてきたその何者が、すべてを台無しにした。少女の必殺の法術は発動しなかった。

「え?ちょっと、何するんですかぁ!!」

 少女はあまりのことに反射的に叫んでしまったが、彼女はすぐにそれを後悔した。

 のそりと起き上ってきたのは、擦り切れた毛皮を纏った獣。その頭の肉は風化して白骨化し、ひび割れた骨をさらしている。白骨化したその眼窩はただただ暗く、まるでその骨の中に闇を無理やり詰め込んだようだった。地獄から這い上がってきたようなその姿は、少女に恐怖心を植え付けるのに十分だった。

 ぞくりと背筋が凍るような恐怖が喉を締め付けるようにうまく声が出ない。小柄ながら大男以上の力を誇るゴブリンを、曲りなりとは言え三体も相手にしていた彼女が弱いわけではない。彼女も勇猛果敢な冒険者の端くれだった。そして迷宮を探求し、研究する好奇心旺盛な彼女に、人の手が入った地に関して知らないことはなかった。

 けれど、こんな生き物は見たことがなかった。朽ちた骨の頭を持ち、罅割れた剣を持つその存在は、さながら悪夢という名のおとぎ話の中に住む架空の存在のようだった。だが、それは確かに彼女の目の前にいたのだ。

 砕けた頭蓋を持つ生き物はゴブリンの仲間かとも思ったけれど、そうではない。彼女が倒そうとしていたゴブリンもこの謎の存在に怯えているようだった。

 ぬっと顔を上げたその存在は、彼女が気が付いた時には既に懐にまで入って来ていた。あっと言う間すらもなく懐に入られた彼女は、骨の頭の奥に潜むものを目にする。

 その朽ちた眼下の奥にギラリと光る真っ黒な目に見据えられたとたん、彼女は磔にでもされたような錯覚に陥った。彼女はこの存在が纏っている強烈な何かに背筋が凍りそうだった。

 叩きつけるように、一切のごまかしなく現実だけを見据える目に射抜かれた時、彼女は叫ぶことも出来ず、何をされたのかも分からず、ただ薄れゆく意識の渦へとのまれていった。




 パチパチと焚火の音だけが聞こえる。昏い森に焚火の火だけが揺らめき、木の合間に二つの影を伸ばしていた。

「結局目にしたのは、あのちっさいおっさん達とこの子だけか。」

 カリカリパリッ!と緑の星の実を噛み切り、シャクシャクと頬張る。

「それにしてもよく眠る。」

 よほど疲れが溜まっていたのか、俺が気絶させた緑髪の少女はすーすーとあどけない寝息を立てて無防備に眠っている。俺が巻いてやった蒲団代わりの毛皮を握りしめ、ごわつく金の毛並みの間に顔をうずめるようにしていた。

「とお、さま・・・」

 などと時折寝言を言うこの娘は一体何なのだろうかと思う。羊の頭の眼窩を通して見るこの少女は、ただ髪の色が異常であるという点を除けば普通の子供と変わらないようにしか見えない。

 だが、その一方でこの小娘は知性豊かなあの小人たちを平気で殺せるような危険な術を使い、小人たちが大事にしていた花を盗んでいる。俺はこの子供が見た目通りの無邪気な子供であるのか、それとも目的のためには手段を択ばないような歪んだ存在なのか判断がつかなかった。

「まあ、敵対するならば戦うし、そうでないなら仲良くすればいいか。」

 シャッコ!パリポリと果実を頬張りながら眺めていると、緑髪の少女が身じろぎした。いい加減目が覚めたようだ。揺らめく焚火の影がもぞもぞと動く。俺は緑髪の少女がゆっくりとその目を開くのを見た。彼女は「はぁあぅ」とあくびをし、眠たげに眼をこする。

「目は覚めたか?」

 びくっと、その手に毛皮を抱えたままの彼女の体が揺れる。恐る恐る振り向く彼女は、俺の方を見るなりまるでお化けでも見たような様子で飛び上がった。

「ひっ!!」

 と、少女は短く叫び、俺の方を向いたまま器用に手足を動かして逃げるように後ろに下がった。冷静を欠いているらしいなと眺めていたら案の定、木に頭をぶつけている。後ろを見ないからだ。

「腹が減っているだろう?食え。」

 ヒュッと俺が投げた青い果物を、少女は「ひゃっ」と驚いた声を出しつつも反射的に受け取った。人間不思議なもので、急にものを渡されるとそれが何かを確認する前に反射的に受け取ってしまうものなのだ。緑の髪に赤い焚火の光が踊り、角の欠けた羊頭の影が、暗い森にぼやけた影を投げかけていた。

 少女は手にした実と、俺の顔を交互に見比べながら目を白黒させている。毒でも入っているのかと心配しているのだろうか?そう思った俺は、食べかけのその実を少女の前でかじって見せた。彼女は俺が食べたその実を食い入るように見つめている。そして、何を思ったか懐から手帳を取り出し、地面に置いたその実を一心にスケッチしだした。

「・・・」

 何やってんだ?と、思って眺めている間に、少女はまるで新しいおもちゃでも与えられたかのように、嬉しそうに、そう、それこそ嘗め回すような視線で俺が放り投げた果実を見ていた。手にとっては回し、掲げ、焚火の火にかざし、振ってみてはまた眺めている。

 そして散々眺めた後、懐からおもむろに果物ナイフを取り出して果実を二つに割った。

「あっ!わあ~!すごい!」

 と、何やら嬉しそうな声を出す少女は、切り出した半分を匂ったり舐めたり眺めたりかじったりしながらまた何事か手帳に書き込んでゆく。何やら熱中しているようで、こっちのことなどもうすっかり眼中にないようだった。

「おい。」

「ちょっと待ってください。今いいところなんです。ってうわぁあ!」

 一心に切り口の星形を見ていた彼女がふと、俺の方を見る。俺はと言えば何とはなしに勝手に盛り上がっている彼女を覗きこんでいた。彼女が顔を上げるとその目の前に俺の顔があった。

 

『・・・』

 お互い見つめあったまま、黙っている。俺の方は別にこの少女が何者であっても構わない。ただ、日本に帰る手がかりを持っているかいないかそれだけだ。

 長い間一人ぼっちで過ごしてきたせいか、この過酷な環境下に毒されすぎたのかは知らないが、俺はもう他人を見てもそれほど嬉しいと思わなくなっていた。多分、偶然とはいえ爆弾を投げつけられたせいで死に掛けたり、良くしてくれた人だったのに、何故か俺と一切の会話を持とうとしなかった人にしか会わなかったせいかもしれない。

 なによりも、何としても日本に帰ると決めてからはそれほど人恋しいとは思わなくなっていた。ここがどれほど寂しかろうと、日本に帰れば一歩足を踏み出すだけで他人なんていくらでもいる。帰りつきさえすれば寂しい思いをしなくて済むという思いが俺を支えているからだった。

 俺はじっと少女を見つめていると、少女の方は初めは怯えていたようだったが、俺とにらみ合ううちに何かいてもたってもいられなくなったようでおずおずとその口を開いた。

「貴方は何なんです?ゴブリンの仲間なんですか?」

「ゴブリン?ゴブリンってあのちっさいおっさん達か?」

 ゴブリンと聞けばなんだかこう緑色で醜い顔で痩せててっていうイメージが脳裏に浮かぶ。だが、話の流れ的にはあのムキムキのちっさいおっさん達のことなんだろう。

「ええ。」

「いや?別に。」

 そう答えると、緑髪の少女は頷いた。少女は何やら自信を取り戻したようで、さっきよりも威勢よく話し始める。


「何故じゃまをしたんです?そもそもあなたは人間ですか?それともお化け?」

「はぁ?どう見ても人間だろ?」

 と、俺は左腕を広げてみせる。マントが翻り、下の麻の服が焚火の光を受けてちらちらと揺れた。怪訝そうな顔をしていた少女だったが、翻ったマントの下を見ると一転して食い入るような目で俺の服を見ている。変な奴だ。そういう趣味でもあるのか?

「それを言うならお前こそ何なんだ?人間か?髪の毛が緑色だぜ?」

「し、失礼ですね!私は人間ですし、これは地毛です!そんな馬の骨みたいな頭をしている人に言われたくありません!」

 さっきまでのおどおどした様子はどこへやら、少女はやけに突っかかって来る。ショートヘアの髪を手にして、ほらよく見てみろとばかりに差し出す。そして俺の被っている羊頭を指差した。

「お前莫迦だろ?」

「え?」

 俺はぐっと羊頭に手をかけると、それを見た緑髪の少女は一歩後ろに後ずさった。

「これは被り物に決まってんだろ?それにこれは角が折れてるが、れっきとした羊の頭だ。」

 と、俺は大羊の頭蓋骨を少しずらして見せた。外しはしない。包帯ぐるぐる巻きの姿は見られたくもないし見せたくもない。被り物の下、中の人の正体なんて実際はなんてことないことの方が多い。だけれど、人は隠されたもの未知のものを目にするとき恐怖を感じる。

 少女が一歩引いた時、俺はふとそうだったなと己の姿を思い出したのだった。初対面の相手に俺の姿を晒すこともあるまい。そう思った俺はとりあえずこの骨の頭が兜代わりであるということを知らせるだけにとどめた。

 手で兜をずらすと、少女はあっと短く声を出し、自分の勘違いを恥じるようにうつむいた。

「もしかしてお前、俺が化けもんだとでも思ってたのか?」

「だ、だって。人間が野蛮なゴブリンの味方をするわけがないじゃないですか!」

 ゴブリンはどうやらあの角つきの小人達のことであっているらしい。だが、野蛮とは何だろう?俺は彼らのことなんてほとんど知らない。けれど、奴らは奴らなりの信義を持ち、死者を弔う情も、互いに会話し、連携して敵を追い詰めるだけの知性もある。人間と何も変わらない。

「野蛮・・・ね。」

 俺は少女から離れ、焚火のそばに座った。箱庭と言えど夜は普通に寒い。腰を下ろした俺を見た少女も日のそばに腰を下ろした。

「どうしてあの花を盗んだんだ?」

「あの花?え?」

 一瞬首を傾げた後、少女ははっとした様子でベルトの脇を探る。そこはあの瓶が留めてあった場所だ。そこにはもうあの花はない。

「な、無い!コンコンソウが魂還草が無い!」

 あわあわと辺りを見回す少女に、揺らめく炎に枯枝をくべる俺が答えた。

「当然だ、あの花は俺が子鬼たちに返したからな。」

「え?返した?」

 と、俺の方を向く緑髪の少女をよそに、俺は焚火の手入れをする。

「な、なんてことを・・・魂還草ですよ!コンコンソウ!」

 座ったり立ったり忙しい彼女をよそに、俺はじっと火を見つめる。

「で?それがどうした?」

 少女はわたわたと身振り手振りを交えながらまくしたてた。

「ど、どうしたって・・・貴方だってあの花の価値はご存知でしょう?深薮の貴婦人ですよ!?それをみすみすその価値も分からないような獣に差し出すなんて、いくら貴方がこ、う、き・・・」

 すっと、少女の喉元に錆びつき細かい皹の入った剣が突き出される。驚く少女に俺は背から抜き放った剣を向けていた。少女の言は、俺にとって不快な言葉の羅列だったからだ。今にも砕けそうな剣でも、少女を黙らせるのには十分だった。


「お前は自分が何をしたのかこれっぽっちも分かっちゃいない。あの花はな、あの小人たちが死者への手向けとして供えたものなんだよ。それを野蛮だの獣だのと・・・恥さらしもいい加減にしろ。この墓荒らしの盗人め。」

「え?」

 と、まの抜けた声を上げて少女はあとずさり、ぺたんとしりもちをついた。俺はというと、目の前の少女にほとほと幻滅していた。いや、幻滅を通り越して怒りを感じていた。こいつはきっと人間以外の動物はすべて獣に過ぎず、人に従うべき存在だと考えているのだろうと。

「同じ人として情けない。」

 急に振ったせいか、ぴしりとまた一筋細かい亀裂が剣に走る。俺はまだ慣れない手つきで少女を見上げたまま剣を鞘へと戻した。

「あ、あの・・・その話は本当ですか?」

「本当だ。奴らから直接聞いたんだから間違いない。」

 と、答えた俺を少女が見上げていた。焚火の火が少女の小さな影を森の中へと伸ばしている。

「まさか、ゴブリンは獣ですよ?話せるわけがないじゃないですか。」

「だが、現に俺は話したし、お前を見逃してくれるように交渉もしたぞ?彼らは知性があるし、死者を弔う情だってある。」

 まさか、と少女は呟く。だが、じっと俺の姿を見た彼女は不意に納得したように答えた。

「そんなことたぶん誰も・・・すいません。私ったら駄目な子です。ゴブリンがその・・・賢い生き物だったなんて思いもよらなかったんです。それにまさか、魂還草がお供え物だったなんて知りませんでした。ごめんなさい!」

「・・・」

 え?どういうことだ?緑の少女は俺に向かって頭を下げていた。俺は困惑しつつも、少女に問いかけた。

「まさかお前、あの花が供えものだって知ってて盗んだんじゃなかったのか?本当にあのおっさん達は獣だと思ってたってことなのか?」

「え、あっはい。単に奥地に咲く貴重な花としか思っていませんでしたし、ゴブリンがそんな生き物だったなんて知りませんでした。というよりも、多分そういう事情があったなんて誰も知らなかったと思います。」

「はぁ?知らねーも何も・・・一体どういうことなんだ?」

 訳が分からなくなって来たぞ?勘違いがあっては面倒だし、とりあえずこいつの話を聞いてみるか。少女の方も、そうかだからゴブリン討伐は人気が無いんだ・・・と一人で納得してはぶつぶつ言っている。

「まあ、落ち着いて話し合おう。」

 そう言った俺は緑の果実を二つ取り出し、少女に座るように促した後、詳しく話を聞くことにした。




「で、要するにだ。話をまとめるとこういうことか?」

 少女の話を聞く間に齧っている内に、掌に余るほどだったあの中空の実は今や小石ぐらいになっていた。

 緑髪の彼女の話によれば、曰く、あの青紫の花―魂還草―コンコンソウというらしいあの花はとても珍しいもので、この叡智の迷宮のように、人の立ち入らない奥地にだけ咲く非常に貴重な花なのだという。

「魂還草はそれはそれは珍しくてですね、球根つきだと一輪なんと20帝国金貨もするんですよ。」

「どれだけ凄いのか分からんが、凄いんだろうな。」

 ぐいっと水筒から水を一口飲む。あの川の湯冷ましはなんというか「薄い」なと思いながら、俺は少女に水筒を差し出し、「飲むか?」と聞いた。

「いえ、私のがありますから。」

 と、ベルトから革製にしてはややつやがない小さなボトルの口を開け、一口飲んだ。あの容量では一杯分もあるまい。水筒にしてはやけに頼りなさげだな。

「で、そんな高いもん誰が買うんだ?」

「それは貴族の奥方様だったり、貴族の御曹司が恋人に送ったりするんですよ。」

 へぇと、俺は相槌を打った。

「その花が子鬼の墓の上に手向けられたものとも知らずに、な。」

「そうですね。そう思うと滑稽というか皮肉というか。」

 クスクスと少女は笑う。ふと、俺の中で止まっていた感情が動き始めたのに気付いた。どうやら怒りや悲しみ、恐怖といった原始的な感情は別として、こと「楽しい」という思いは、たった一人殺伐とした環境にいる時にはなかなか湧いてこないものらしかった。

 それにしても、貴族・・・か。どうやらこの地にも趣味の為に、あるいはその財力の証として大枚をはたいて珍しい花を買うような人種がいるらしい。ただし、そいつらはただ金持ちだというだけでなく、社会的に保障された階級制度の上に生きていると。

 面倒だな・・・ここには、彼女が言うにはここは「叡智の迷宮」というらしいが、この場所にはそんな面倒な階級制度なんか存在しない。それを言うなれば社会すらない訳だが、貴族だなんだと社会制度が目に見えているような場所より、この場所は気楽な日本に近い気がした。


「で、今までその花を持ち帰ろうとする輩がちっさいおっさん達に襲われる理由は分かっていなかったと。」

「そう、そうなんですよ。私としてはその花の匂いがゴブリンを呼ぶのだと思っていたんですよね。」

 ふーん。と答えながら、俺は手の上で転がしていた最後の一切れを口に放り込んだ。横目で見ていたが、少女は二つ目の方を口にすることなく、こっそり脇の小袋の中へしまっていた。そんなに欲しいならもっとやるのにとも思ったが、明らかにサイズオーバーしている緑の実がスポッと小袋の中へ消えてしまったのに気を取られて言い出せなかった。

 俺が少女の方を見ると、少女は何事もなかったかのように座っている。彼女がこっそり実をしまったことには触れない方がいいのかもしれない。素人目には速すぎて分からなかっただろうが、変に鍛えられすぎた俺の動体視力はごまかせない。見てはいけないものを見てしまった様で少し気まずかった。

 タイミングが悪いな。俺がペトリャスカからもらったあの開かないポシェットのこととか他の道具のことは後で聞くことにしよう。

「つまりだ。お前さんはその仮説を立証しにあのなんたら言う花を取りに来て、案の定襲われたと。」

 えへへと頭を掻く少女は続ける。

「私ってほら学者じゃないですか。好奇心には勝てないっていうか・・・って聞いてます?」

「いや、全く。」

 俺は改めて学者先生を眺めた。彼女の装備については用途も含めてさっぱり分からない。その装備で十分なのかは俺には判別できない。彼女が使った法術とやらもそうだ。俺には何の知識もないから評価できない。だが、彼女自身はどう贔屓目に見たってただの少女に過ぎない。

 はっきり言って彼女は甘い。その甘さのせいで下手をしたら今頃は、頭から脳みそと髄液を垂らしながらあの岩石地帯で物言わぬ者の仲間入りしていたかもしれないのだ。そう、俺がたまたま通りかからなければ。

「俺が言うのもなんだが、お前、あのまま死んでいればよかったかもな?」

 少女の顔がさっと曇った。


「・・・それは一体どういう意味です?」

 俺の一言にカチンときたのか、少女は俺をにらむ。

「無知は時として罪になる。そして自分が無知であると知るということはとても難しい。」

「この辺りで私が知らないことなんてありません!」

 そう言うと少女は文字と絵がびっしりと詰め込まれた手帳を開けて俺に見せた。だが、俺が言っているのはそういうことじゃない。

「自分の力量も測れないのに調子に乗りすぎだと言っているんだ。人の命はそう軽いもんじゃない。今回は俺がいたから助かったものの・・・もっと命を大事にしろ。」

 俺がそういうと、少女はフッと意地悪そうに嗤う。

「無知を知ることは難しい・・・ですか。なるほど名言です。なら、その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。」

「何?」

 どういうことだ?


 フフッと、笑った少女が俺を再び見た時、その顔はひどく歪んで見えた。俺は一瞬、目の前の少女がまるで別人と入れ替わったかのような錯覚にとらわれたほどだ。そして少女は、先ほどまでの熱に浮かされたような口ぶりから一転して冷めた口調で続けた。

「あの花一輪で一体何人の子供が買えると思いますか?」

 何だ?買うとは一体どういうことだ?

「10人は買えますよ。人の命なんて、安いんですよ。」

「一体何の話を・・・」

 俺が話を飲み込めないまま、少女は話し続けた。

「私が、私がどれだけ苦労してDランクになったと思っているんですか?私が魂還草を取りに行く危険性を知らないとでも?ふふっ・・・貴方には分からないでしょうね。ええ、そうでしょうとも。平気で星砕きの実を口にして、魂還草の価値を知らないほどに世間知らずで!グリンブルスティの毛皮を羽織り、エルフの衣を纏えるほど裕福な貴族のお坊ちゃんには!」

「何を言っているんだ?俺は貴族なんかじゃ・・・」

 急に声を荒げた彼女に不覚にも圧倒された俺は、何のことやらさっぱり分からない。その中で、とにかく彼女が俺に腹を立てているらしいということだけは理解できた。

「ええそうでしょうとも、木端貴族がそんな装備を揃えられる訳がありませんからね。貴方様はどうせどこぞの王族なんでしょう?お忍びで迷宮に『遊びに』いらしたんでしょうよ!こんなもの恵まれたって、命を救われたって、嬉しく・・・ない。」

 怒気を含んだ罵声が響く。パキン!と薪が爆ぜる音がした。俺は俺の何が彼女の地雷を踏んでしまったのかは分からない。だが、分からないなら聞こうじゃないか。どうやら彼女は多分に勘違いしているようだし、俺もそのグレンデルだか何だかの話も詳しく聞きたい。

 怒っている彼女に対して俺はどこまでも冷静だった。


「・・・で?お前はどうするんだ?」

 と、俺は座っている俺と同じぐらいの目線に立っている少女に問う。

「貴方が死ねというなら死にますよ。」

 ふてくされたように答える彼女だったが、その答えのお蔭で俺は何がいけなかったのか大体知ることが出来そうだ。

「さっきはあんなことを言って悪かったよ。死ねばいいなんてめったなことを言うんじゃなかった。」

 俺は少女に頭を下げる。すると、少女の理解されないことからくる怒りが引いてゆくような気がした。

「いえ、出すぎたことを申しました。ですが、育ちのいい人には分からないこともあるんです。」

 毒を吐ききってキレイになったのか、少女には先ほどまでの勢いはなかった。

「育ちがいい・・・か。」

 確かに俺はこの地の王族やら貴族やらなんかではない。だが、日本人だ。ただ日本人であるというだけで、それこそ歴史上のへたな王侯貴族よりも遥かに高等な教育を受け、上等な飯を食い、快適な生活を送ることが出来る。それはある意味、地球規模の社会において貴族階級に等しいとも言えるのかもしれない。

「そうだな・・・確かにそうかもしれない。だがな、俺は別に王侯貴族でも何でもないんだよ。」

「でも、貴方は普通では手に入らないような貴重品ばかり身に纏って、っ!」

 そう言いかけた少女を前に、俺は欠けた右腕を見せた。

 ひっ!と声にならないほど短い悲鳴を上げた少女を前に、俺は話し始めた。

「普通じゃ手に入らないような物を俺は手に入れて来たんだよ。もっとも、その価値なんて知りもしないがな。」

 少女は龍爪ナイフを括り付けた俺の右腕を食い入るように見ていた。俺は俺の腕を確かめるように、肘から先のない右腕を胸の前まで持ち上げた。

「樹海の奥に放り出された俺の話、聞いてみるか?」

 少女はやや青ざめた顔で俺の方を向き、しばしためらった後頷いた。どうやら好奇心には勝てないというのは本当らしかった。




「で、なんとか樹海を抜けた俺は、ムカデの大群に襲われて息絶えようとしていたペトリャスカという少女からいろいろ貰い、ついでにそこで息絶えていた人たちから剣やらを失敬して、爆発に巻き込まれたり鎧竜に襲われても何とか生き延びた。そして洞窟を抜けて死にかけていたところを耳の長い美人さんに拾われてプー太郎生活を満喫し、立ち直って今に至る。おおざっぱにいえばこんなもんか?」

 話している内にいろいろと思いだしてくるもので、あれやらこれやら今思えば大変な目にあって来たなと思う。ふと見ると遥かなる天井に光が差し始めていた。ふと横を見ると、緑ちゃんは俺の話を熱心に書き留めていた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいね。今爆弾の話のところですから。」

 シャカシャカと鉛筆を滑らせるような音を立てて、メモ帳の上で羽根つきのペンがひとりでに踊っている。緑の髪の少女はその手帳を手にしたまま目を閉じ、何やら集中しているらしかった。随分大変な自動書記だなと、俺は笑う。

 放り出されてから今までの話を続けていたら、時間が嘘のように吹き飛んでゆく。それだけの体験を俺は経てきたのだった。

「いいさ。時間ならいくらでもあるし、忘れたところがあったら聞いてくれればいい。俺の方は俺の方で聞きたいことはまだまだ山ほどあるしな。」

 というと、少女も微笑む。

「あ、それはありがたいです。こんな貴重な話をお聞かせいただけるなんて思ってもみませんでした。」

 日が出て来たのに安心した俺は、何やら今までの疲れが出てきたようで眠くなってきた。木に背を預け、うとうとしていた俺に、少女は静かに話しかけてくる。

「あの・・・先ほどはすいませんでした。」

「なにがだ?」

 と、俺は恥ずかしそうにそっぽを向く少女を見る。

「いえ、その・・・思いっきり勘違いした挙句にやつあたりしてしまって。」

「いや、よくあるよ。気にしなくていいんじゃねーの?」

 薄目を開けて見ると、少女は何かしら言いたげな様子だったが、どうやらさっきの大ポカといい、なにといい、気まずくて言い出せないようだった。

「そういや、名前を聞いてなかったな?」

「あ、はい。そうですね。申し遅れました、私の名はリフリス。名乗る土地はありませんが、この国、連合公国の出です。羊さんはどちらの方ですか?この国や帝国の出ではなさそうですが。」

 リフリスね。なるほど、覚えやすくて結構だ。だが、それはいいとして、

「羊さんって、なんなんだよ?」

 と聞くと、少女は笑う。

「いえですね。初めはその頭は馬だと思ったんですよね。ほら、馬だとエクウスの戦士じゃないですか?でも羊だっておっしゃったし、お名前をお伺いしていないしで・・・」

「あー。面倒だから羊さん(仮)ってことにしてたと。」

 俺も心の中では緑の子とか緑髪ちゃんとか散々呼んでたからあいこだな。しかし、また新しいギョーカイ用語か。参ったね。

「すいません。」

「いいよ。仕方ないし。後、敬語もそれなりでいいんじゃないかな?別に俺って偉くないしね。」

 偉い偉くないに関わらず、ここは死ぬものは死ぬし生きる者は生きる。強いものは生き残りやすいがそれだけだ。強さも偉さもここでは関係ない。この場所は結果が全てなのだ。人が定めた価値が通用しない世界で、そんなものに拘っていたって関係がない。俺に出来ることは、せいぜいそこ―結果―に至る過程を大事にするぐらいか。

「そうですか?でも羊さんはどう見たって年上ですし、それに人生経験が豊富ですからね。自慢していいですよ?私が尊敬する人なんてほんの一握りしかいないんですから。」

「ありがとさん。まあ、それはいいとして俺か、俺は日本の・・・日本の・・・」

 チュンチュンと朝鳥の鳴く声が森に響く。森の響きが俺を包んだ時、俺はふと恐ろしくなった。


「俺の名前って、何だったっけ・・・」

 俺の名は知らぬ間に奪われていた。

日 日立ヒ

十月J   ノ三


称号

「????」「怪獣大進撃」「大蜂・大狼・大カブト・鳳・大軍百足殺し」「悪運」「食わせ物」「大番狂わせ」「樹海の匠」「魔弓の射手」「敵の敵は味方」「受け継ぐ者」「死神」「冒険者」「陽炎の忍」「不死鳥」「泰山不動」「覚り」「武芸者」「剣士」「磁石いらず」「博愛主義」


遭遇生物


「名うての 叡智求める 緑術師」


アイテム

大猪の牙 火起こし機 水筒 海淵の指輪+ 意思読みの首飾り 返話の指輪 万能ポシェット(謎の試験管 識別票 その他不明) ねたつく古びたポシェット(識別票x8 託宣紙x9)ペレット状の食料 星砕きの実


装備品

麻の衣服 包帯 錆び罅割れた装飾剣 龍爪ナイフ 金猪のマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x2 ひび割れた羊の兜 金猪の足袋

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