迷宮生活15日目
あれは・・・俺?
真っ白な空間に俺はいる。いや、真っ白な空間にいる俺を俺は俯瞰している。空中から自分を眺めるなんて妙な気分だ。白い空間にいる俺は立ち止まり、いじけたように膝を抱えて座っている。
何もかもが白く塗りつぶされた空間がふと揺らぐ。揺らぎは見る見るうちに大きくなる。いや、あれは大きくなっているというよりも、こちらに近づいてきている?
白い世界に住む巨大な、途方もなく巨大な何かは白い背景と同化してその全容は捉えきれない。だが、確実にこちらへ近づいてきている。何ぜかは知らないが、背筋が泡立つような嫌な感じがする。このままでは下でいじけている俺が呑まれてしまう。
だが、膝を抱え、死んだ目をしている俺は背後から近づく何かに気付かない。
「さっさと走れこの野郎!」
宙に浮いている俺は、地面でへたり込んでいる俺に向かって叫ぶ。だが、下の俺は微動だにしない。あの阿呆は、何かは知らないが途方もない存在が近づいてきているのに全く気付いていないらしい。
「もう、だめか?!」
姿の見えない何かは、強烈な威圧感を放っていた。それが近づくたびに白い傷跡がえぐられるように鋭い痛みが走る。俺の体は空中で縫いとめられたように動かない。巨大な存在は地上にいる俺ではなく、宙にいる俺を捉えていた。
白い世界にぴしりと黒い亀裂が縦に何本も走る。縦の亀裂は、縦に横にどんどんと広がり、ついには横一直線につながった。まるで何かが口を開けているかのようだ。宙に開いた口に俺は引き込まれてゆく。
「食われる?!」
訳の分からない存在が宙に浮く俺を飲み込もうとした時、ぐいっ!と、俺の体が後ろに引っ張られた。
ふと見ると、下でいじけていた俺が立ち上がり、力強い足取りで再び歩み始めていた。
俺の体は俺を捉えていた何かから解放された。俺はその白い何かに飲まれずに済んだ。下の俺が一歩踏み出す度に、俺の体は巨大な存在からぐんぐんと遠ざかってゆく。
「助かった。また、飲まれるのかと思った・・・」
朝日、ではないが辺りが明るくなってきた。木の上で休んでいた俺はさっと装備を整え、下に降りる。
「妙な夢再び、か。」
あの高原でうじうじしていた時は見なくなっていた妙な夢が、再び戻って来ていた。
「この夢も、また何か意味があるのかもな。」
そう思えば、気味の悪い夢でもまだましに思えてくる。要は捉えようだ。
「よいしょっと!さあ、行きますか。」
羊頭を被り、金のマントを背に巻く。鎧竜の口を止めたせいで少しひしゃげてしまった弓と、皹の入った剣を持つ俺は、霧の森を進み始めた。
餞別にと、彼女に渡された麦と牛乳でできた甘いチーズのようなものを食べつつ、俺は生い茂る草をかき分けて進んでいる。乳粥を煮詰める内に麦の澱粉が分解されて甘くなったものを固めたという所だろうか?素朴な味がどことなく俺に安心感を与えてくれる。
半ば喧嘩別れのような感じで彼女と別れた俺だったが、とにかく彼女には大恩がある。返す機会があれば、また恩返したいものだ。
進むにつれて霧自体は薄くなってゆく。だが、草は俺の胸近くまで生えているうえに、森の木々が邪魔だ。霧があろうとなかろうと、どちらにしても遠目は利かない。それにところどころ、
「っとあぶね。」
ところどころ地下の洞窟へとつながる落とし穴がある。うっかり落ちでもしたら大変だ。
俺は昨日から一昼夜かけてまっすぐに森を進んできた。普通こんな鬱蒼とした森を歩けば、方向感覚を失い、同じところをぐるぐると廻ってしまうものだろう。しかし、今の俺には何と表現していいか分からないが、進むべき道がわかるような気がした。
ガサガサと音を立てて俺は進む。辺りにはパッと見ただけでは何もいなさそうだ。だが、警戒は怠らない。この場所には少なくとも俺を締め殺そうとしたあの蛇や、大きな牛を洞窟へと叩き落とし、鎧竜のえさにしたあのツバメもいる。いつ藪の中からそれらが飛び掛かって来るか分からない。
「あ、そうか・・・あの牡牛はあの空いた牛舎の。」
ふと気になっていた線がつながった。
なぜ普段は山頂にいる銀の髪の彼女が、死にかけの俺を見つけたのか。それは多分、あの大ツバメに取り囲まれ、群れから離れてしまったあの牡牛を探しに来たせいだろう。
結局牡牛はツバメどもの手にかかり、洞窟に叩き落されて息絶えたわけだが、そのおかげで俺は山から下りてきた彼女に助けてもらうことが出来た。
「ありがとうございました。」
俺は歩いてきた方を振り返り、手を合わせた。合わせることは出来ないが、気分的にはそういう感じだ。あの空いた牛舎にいた個体、そして、あの老牛の犠牲のおかげで俺は今、ここに立っている。霧の中から俺たちを追っていたもの、それは何かは分からない。あの老牛はもう先が長くはなかったとはいえ、彼は俺のために命を張ってくれたのだ。
彼らだけではない。あの洞窟の奥で息絶えていた人たち、そしてペトリャスカ。俺が命を奪い、そして食らってきた生き物たち。俺は数多くの犠牲の上に生かされている。俺が迷わずに進めるのも、彼らの後押しのお蔭かもしれない。
「人は一人では生きていけない。」
言葉だけでは知っていた。だが、それを実感するのにえらく時間がかかったものだと思う。俺は左手を張って顔の前まで上げ、しばらくの間感謝を捧げていた。
「で、お前らはどこまでついてくる気なんだ?」
目を開き、地に刺した剣を手に取った俺は、藪の中に向かって呟いた。すると、待ちかねたとばかりに、藪の中から虎が三頭、草の海から滲み出るように現れた。グルルと喉を鳴らし、三頭はゆっくりと俺の周りをまわり始める。だが、俺は別に何とも思わない。勝てば俺が生き残る、勝てなくても生き残る。結局はそれだけだ。
「一つ言っておくが・・・俺は弱いぞ?」
戦いの最中で会話してはいけない。吐く息とともに力を出すならいざ知らず、息を止めて腹に力を込めるべき時に声を出すなど、自分から攻撃のタイミングを相手に渡しているようなものだ。
基本的には。
俺の正面の一匹が好機とばかりに飛び掛かってきた。そのとき既に俺は前進している。俺は左手のグラディウスで虎の爪から身を庇い、飛び掛かる虎の下をすり抜けるように躱した。
「弱い俺は常に全力だ。手加減はできない。」
俺に躱された虎は着地に失敗し、草地を無様に転がる。仰向けに転がった虎の白い腹は赤く染まり、俺の金猪のマントの陰から血の滴がしたたる。俺はマントの下に隠した右腕を表に出した。肘から先のない右腕に括り付けた龍爪ナイフには、べったりと血がついている。背後から気配を感じた俺は、ヒュッ!とナイフを振りぬき、血糊を落とす。そして左足をわずかに前に出し、軸足を入れ替えた。
俺は手を振りぬいた勢いを加算して体を捻り、右足を振り上げる。俺の体重と遠心力を載せた右足は、背後から飛び掛かってきた二匹目の横っ面に吸い込まれた。回し蹴りを食らい、ギャッ!と二匹目が一瞬ひるむ。俺はその隙に身をかがめ、全身をばねのようにして飛び掛かり、三匹目に対してとび膝蹴りを食わした。回し蹴りの時に辺りを見回していた俺の左目はしっかりと、飛び掛かろうとする三匹目の姿をとらえていた。
時間差で飛び掛かってきたのが仇となり、三匹目の下あごに俺の蹴りがめり込んでゆく。ゴッ!っと鈍い音を立ててカウンターを食らった虎の体がのけぞり、ぶつかった俺は体重差もあって後ろへ跳ね飛ばされた。
「あっぶね!」
ごろごろと受け身をとる俺は、唐突に現れた落とし穴のギリギリ手前で止まった。この霧の森は地下洞窟の上にある。地下から這い上がってきた俺だ。落とし穴の存在は重々承知している。
さっと立ち上がった俺は、虎たちの様子を見た。最初に切り付けた一匹以外は単に怯んでいるだけで深刻なダメージは負っていない。まだまだ二対一、あるいは三対一で相手が有利なのは変わらない。
だが、「こいつとは関わりたくない。」と、一瞬でもそう思わせることが出来ればこちらの勝ちだ。頭への一撃が効いたのか、傷を負っていない方の二匹は完全に俺を見失い、戦意を喪失している。
俺は三匹の虎が体勢を立て直す前に、足早に先へと進んだ。
「って!痛ってぇ!」
なんとかかんとか足を引きずって俺は森を進む。
正直慣れない蹴り技なんてするんじゃなかった。手癖、足癖が悪いのも考え物だ。
「虎の頭硬すぎるだろ。」
特にとび膝蹴りを食らわせた右ひざが痛い。俺は虎の顎骨を甘く見ていたらしい。
「もっと牛乳のんどきゃ良かったな。」
ふっと、俺は思い出したように笑う。
「やっと、いつもの調子が戻ってきた。」
長かったな。そう後ろを振り返る俺の前に、あの霧の森がある。俺の前には開け放たれた大扉があり、その先はまだ天井が続いているものの、俺の前には開けた平原が広がっている。その先には森が見えるが、どちらかといえば林程度だ。そしてなんと、嬉しいことに、ここから先には小石を敷き詰めた道まであった。
「出口は近そうだ。」
俺は水筒の水を一杯飲み、遥かな天井まで続く大扉を見上げた。今日はこの扉の陰で寝ることにしよう。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂・大狼・大カブト・鳳・大軍百足殺し」「悪運」「食わせ物」「大番狂わせ」「樹海の匠」「魔弓の射手」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「先手の極意」「鎧抜き」「受け継ぐ者」「死神」「冒険者」「陽炎の忍」「剣身一体」「不死鳥」「泰山不動」「覚り」
「後手の極意」:相手の攻撃を誘導し、その隙を突いた
「重心機動」:自分の重心を正確にとらえ、瞬時に最適な動きを取った
遭遇生物
「信念の 森に溶け込む 大虎」
アイテム
大猪の牙 火起こし機 水筒 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪 万能ポシェット(謎の試験管 識別票 その他不明) ねたつく古びたポシェット(識別票x8 託宣紙x9)
装備品
麻の衣服 真新しい包帯 錆びひびわれた装飾剣 龍爪ナイフ 金猪のマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x2 ひび割れた羊の兜 金猪の足袋