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迷宮の歩き方  作者: Dombom
天人すら久遠を生きず
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迷宮生活13日目その一

 早朝銀の髪の彼女は、昨日と同じように牛たちを連れて霧の森へと出て行ったらしい。日が昇るよりも早く牛たちとともに下に降り、牛たちに草を食べさせるとともに生活に必要な水を汲んでくる。

 俺が起きた時には既に日は登っていて、彼女は裏口の階段の上で上水用の樽を取り換えたところだった。裏口から屋内に入った彼女に 俺は「おはよう」と挨拶する。にこやかに笑う彼女は俺に向かって「おはようございます」という代わりに胸に手を当てて、俺に一礼する。俺が身振りで顔を洗ってもいいかと聞くと、彼女は勿論と頷いた。

 汲み上げられてきたばかりの水はキンと冷えていて、俺の目を覚まさせてくれる。顔を洗い、手を洗った俺は席に着く。すると、彼女が皿を出してくれる。彼女は俺の後に手を洗い、土間になったところにある暖炉と一体化した不思議な形の竈で乳粥を焚いている。座っている俺に炊き上がり、蒸らされた乳粥をお椀によそってくれるのだ。

 コトリと置かれた厚底の皿の上で、麦の乳粥が湯気とともに素朴な匂いを漂わせていた。彼女はどうぞと俺に食べるよう促し、祈りをささげ始める。テーブルをはさんで彼女の前に座る俺は手を合わせて一言。

「いただきます。」

 そうして俺は木匙で乳粥を掬い、口に運んだ。


 俺がここに来て早いもので3日。初日は夕餉に一杯、昨日は朝と夜に二杯、そして今日・・・朝食はやはり乳粥だった。自然の中で育った麦と牛乳は単に美味しいだけじゃなく、何とも奥の深い味がする。

 生まれてこの方こればかり食べていても、食が貧しいとは思わないだろう。

 だがなぁ・・・養ってもらっておいて、図々しいことこの上ないが何かこう、他に無いものだろうか?正直言って現代日本人の感覚からして、いくら美味しいとは言え毎食乳粥というのはある意味拷問に近い。ふとした瞬間に思い出す和食のあの醤油出汁の匂いがたまらなく懐かしい。

 視線を感じた俺はハッとして顔を上げた。俺の目の前で乳粥をとる彼女の手が止まり、彼女の濃紺の両眼が俺をじっと見ている。

 「あ、ああ。おいしいよ、ありがとう。」

 ふと考え込んでいたせいで手が止まっていた。彼女は俺が少しでも不快そうな顔をすると、すぐに叱られた子犬のような顔をする。俺は少しずつ溜まっていた不満をさっと隠して笑顔を取り繕い、慌てたように乳粥をかき込んだ。

 乳粥が嫌だと?何を莫迦なことを考えているんだ俺は・・・霧の森に出るどころか、あの穴から続く下り坂に足を踏み出すことすら出来ないくせに。養ってもらっている分際で何を贅沢なことを考えているんだ。俺は彼女の厚意に甘えてやっと生きていけるのだ。これ以上を望むなんて贅沢だ。

 とは言っても、俺は顔に出やすいし、どれだけ隠そうとしても態度に出てしまう。莫迦だから。

「ごちそうさまでした。ありがとう。美味しかったです。」

 俺がそういうと、彼女はほっとした顔をした。俺は手を合わせ、空になった皿を流し台へと持って行った。


 朝、牛たちを連れて水を汲み、森を抜けて戻ってきた彼女は、昨日の朝のように髪を耳の上で束ねている。華奢という訳でもないが、筋肉ダルマでもない彼女が軽々と鋤をふるう姿は、見ていて不思議な気持ちになるものだ。初めて彼女を目にしたのがあの祈り場だったから、俺の中での彼女の第一印象は凛々しい巫女さんなのだった。巫女さんが畑を一生懸命に耕しているのを見ると、なんだか複雑な気分にならざるを得ない。第一印象はそう簡単に変わるものでもないらしい。

 俺は畑仕事をする彼女を少し離れたところから見ている。彼女は飯時以外ずっと働いている。俺の方はというと、隙を見ては手伝おうと試みてはいるのだが、彼女に悉く止められている。彼女は一々困った顔で申し訳なさそうにいそいそと俺を止めに来るのだ。

 居候生活3日目にして彼女に余計な気苦労をさせたくない俺は、彼女の生活に関して不干渉を決め込んでいる。俺を養ってくれている彼女の機嫌を損ねでもしたら、俺は生きてはいけない。霧の森には少なくともあの毒蛇や狡猾なツバメたちがいるのだ。体を静かに蝕む白い傷痕から目をそむけていないと、すぐにでにも俺は死の恐怖に押しつぶされそうになる。今の俺には、かつてそうしたように再び剣を握り、傷つきながらも生きてゆく道を歩む勇気はない。その道は、今の俺には遠すぎる。


 彼女は早朝に霧の森へと水汲みに出かける。帰って来たかと思えばさっと朝餉の支度をして、水道用の重い樽を木製の滑車で取り換えたり、牛に水を与えたりしている。一通りの作業が済むと乳粥が炊き上がるころだ。彼女は起きてきた俺とご飯を食べると食器を洗い、牛たちと畑仕事に出る。ここの麦は年中実がなるようで、畑のあるところでは刈取りを、またあるところでは芽吹かせた種もみを撒いている。

 刈り取った麦は茎がついたまま天日干しにされて乾燥させられる。干されて数日経った麦は歴史の教科書に出てくる千歯こきのような櫛状のものに通される。そうした後、麦束をしばりつけた綱を引く牛の力で脱穀されるのだ。

 この台地はそう広いわけではない。そしてこの細かい輪作の中、収穫され脱穀される麦の量もそれほど多くない。人一人を養うために要求される耕地面積は実際のところ、かなり広いのだ。俺がいなかった頃でも、そうそう余裕はなかったはずだ。となると俺がいる今、ここの生産能力はギリギリなのではないだろうか?俺は俺を養ってくれる彼女に要らぬ苦労を強いていると思うと、いたたまれなくなってくる。

 だが、彼女はそんな俺に心配せずともよいとただ笑うだけなのだ。


 彼女は脱穀された種もみを麻袋に詰め、納屋まで持ってゆく。納屋の中には木製のよくわからない機械があり、彼女は袋一杯の種もみを機械に入れ、機械側面の重そうなハンドルを延々と回している。

 すると、機械の中からファンが回るような音とともに脱穀された麦ともみ殻が出てくる。俺が機械に触れようとすると、彼女に止められた。俺は基本的にここの道具類には触らせてはもらえない。当然と言えば当然か・・・この人力だがやたらと完成度の高い機械がなければ、麦粥を食べることはできない。素人の俺が下手に触って壊しでもしたら大変だ。駆動音から推察するに、この機械の中では何枚かのプロペラのようなものが回っているらしい。中に入れられた種もみはその羽にあたってはじかれ、その衝撃でもみ殻と中身に分かれるようだ。機械の中からはきっちり4食分、二人が一日二食できるだけの麦が出てくる。よくできた機械だと感心する。そして無駄なくそれだけの量を収穫できる彼女にも。


 日中彼女は休まず働いている。俺はやることもなく、ただ漫然と一生懸命働く彼女を観察しているのだ。ぼーっとしている内に日は空の高いところに昇っている。

 彼女は器用に藁束や、霧の森から持ってきたらしい草束を立方体に纏めて牛舎の陰に積む。そして、束ねられ、熟成されたものは牛たちの餌として出されるのだ。牛の糞を片付け、藁やもみ殻、暖炉の灰で堆肥を作った彼女は、日が陰り始めた頃、樽のきれいな水で身を清める。そして今、白装束に着替えた彼女は、日が真っ赤に染まる夕方頃まで、山を切り出して作った祈り場で祈りを捧げているのだ。


 「すごいよな・・・」

 パッと見にはどこか物語の生贄が着ていそうな、白い巫女装束に着替えた彼女が祈り場へと入ってゆく。その姿を見送った俺は、いつの間にやら彼女が沸かしてくれた湯で体を拭っている。

 彼女の一日の生活は、計算し尽くされたように無駄がない。どういう原理かは知らないが、この山頂の高原は住みよい環境が整えられている。とはいえ、こんな僻地で一人で暮らしてゆくのは並大抵のことではない。彼女の生活における一挙一動にはすべて意味があるのだ。

「もしかしたら今やっているお祈りも、ここの気圧を保ったりするためだったりして。」

 流石にそれはないだろうが、ここは俺の常識が通じる場所ではない。もしかしたら本当にそうかもしれないと思うと、俺はますますわからなくなってくる。

「なぜ、こうも良くしてくれるんだ?」

 俺に対し、一言も口をきいてくれない彼女を前に、この疑問は解決できそうにはない。ならば、とりあえずこの謎は置いておくことにする。その上で、俺は考える。俺はそんな彼女の為に何かできないものだろうか?俺はただ漫然と養われているだけでいいのだろうか?何かした方がいいのかもしれない。

「いや、どうだろうな?」

 ふと椅子から立ち上がりかけたところで俺は止まった。

「迷惑にならないだろうか?」

 テーブルに手をつき、これからのことを考える。何をするにも俺を止めようとしてきた彼女だ。俺が何かをすれば彼女はきっと迷惑がる。無駄のない生活を送る彼女のことだ。俺が余計なことをすると、それは何かは知らないが取り返しのつかない事態を呼び寄せることになるのかもしれない。

 彼女の俺に対する扱いは異常だ。忌避されているのか、丁寧に扱われているのか全く判別できない。その原因はここでの生活のためか、宗教的なものか、はたまた別のものか・・・だが、結局はそれも推測にすぎない。動くべきか、動かざるべきか、それは俺が決めることなのだ。

「悩んでいてもしょうがないか。」

 俺が何か提案しても、彼女はきっと困った顔をして拒否するだけだろう。ならば、できるだけ彼女の迷惑にならない範囲で、俺の出来ることをしたい。

 そう決めた俺の行動は早かった。


 「物乞いみたいでなんだかみっともないけど、実際そんなもんだしな。」

 俺は脱穀機の周りに落ちていた集めそこないの麦を拾って回る。なるだけ新しいものを掌一杯に集めた俺は、家に戻って殻つきの麦をよく洗った。

「秘儀!火おこしー。」

 暖炉の燃料は薪だ。耳の長い彼女はよくわからない方法で火を起こしているが、俺には蔦と木の棒でできたこの火起こし機がある。クローゼットの中に収められた森を回っていた時の装備品の数々。その中からこれを引っ張り出すのは少々苦労した。なにせ、あの恐怖の日々を思い出させるものを見るだけで、背筋が寒くなり、足が震えてきますからな!ははは・・・はぁ。

 それは置いておいて、この燃料も山頂の平原をうろうろしていた時に拾った小枝だったりする。薪は使わない。勝手に麦を拝借したり、薪を使ったりと彼女の生活を圧迫するような真似はしない。水の件は・・・許容範囲だと思いたい。


 「うほほ・・・これこれ!」

 フライパンと鍋の中間的な銅鍋で麦を煎ること10分。黒くコーヒー豆のような感じになった麦からはいい感じの香ばしいにおいがしていた。煎りたての麦はほんの一掴みしかないが、十分だ。

 厚底フライパンを火から下ろし、代わりにポットに水を入れて沸かす。沸騰したら焙煎した麦を投入!しばらくすれば、水の色があの特有の水あめ色になってゆく。

「出来た・・・日本の心、その名は麦茶。」

 来た来た来た!この香、この味!まさしく麦茶!使っている麦の種類が違う気がするが、そんな細かいことはいいのだ。急いでこれを冷やさねば。

「あの人が帰ってきてしまうからな!」

 夕日は赤く染まり、沈むまでそう間はない。あと少ししたら、彼女が戻ってくるころだろう。あのリアルな龍の彫刻がある祈り場から戻ってきた彼女は、さっと着替えて夕飯の用意をするのが常だ。

 一握りの麦で沸かした僅かな麦茶を木製のコップに注ぎ、俺は彼女の帰宅を待つ。できるだけ少ない水で食器を洗い、暖炉の灰を堆肥に撒いた俺は、そそくさと裏口を通って山頂の家へと帰った。


 俺が動ける中で精いっぱい作った麦茶を飲んだ時、彼女はどんな顔をするだろう?喜んでくれるだろうか?それとも、余計なことをするなと怒るだろうか?期待と不安が入り混じった気持ちで、椅子の上で正座して待つ俺は、ふと思う。

「・・・拾った麦で作った麦茶を飲ませてよいものだろうか?」

 まずそこからか・・・そもそも麦茶なんて得体のしれないもの、彼女はほいほいと飲むだろうか?

「あばば・・・」

 俺が目の前で毒見をして見せるか?しかし、極論すればごみから作った飲料を、恩人である彼女に飲まそうとしている俺は、めちゃくちゃ失礼なことをしているのでは?でも、俺が出来るのはこれぐらいしかないし、少なくとも彼女に喜んでもらおうと努力したのは事実だし・・・俺が軽く頭を抱えていると、表の戸が開いた。

 家の奥のテーブルにまで、赤く長い影が差しこんでくる。戸に向かって振り向いた俺の前に、白い肌と白装束を夕日の朱に染めた彼女が立っていた。


「あ、お、お帰り。」

 いつもはそそくさと自室に入って着替えてしまう彼女だが、さすがに家の中に籠った煎り麦の匂いに気づいたらしく、ゆっくりと俺の前まで歩いてた。

「あ、あのさ・・・」

 彼女はなんでしょうと俺の目を見る。夕日に照らされたその姿は、扉の陰になって日の当たらない場所にいる俺には眩しすぎて直視できない。

 呼び止めておいて目をそらしてしまうとは情けない。だが、彼女の美しい姿を見ると、自分の醜い姿が嫌になってくる。それに、彼女に隠れてあれこれしていたのだ。悪いことではないとは思うが、妙にやましいことをしていたような気になってくる。

 だが、ここまで来てしまったのだ。後には引けない。俺は生唾を飲み込み、まだ淹れたてで熱い麦茶の入った木のコップを二つ、頑張って左腕で持った。

「ひ、一つ持ってくれるかい?」

 上ずった声で俺はコップを一つ、彼女に渡した。彼女は俺の左手からすんなりと俺からコップを受け取った。だが、コップから立つ湯気、麦茶の匂いを嗅ぐと僅かだが彼女の顔が曇る。

 案の定、第一印象は良くないようだ。だが、ここで引いていては意味がない。

「落ちていた麦の種を煎って煮出したんだ。薪も木の枝を使った。できるだけ君の迷惑にならないようにしたつもりなんだ。」

 怒っているのだろうか?彼女の顔から血の気が引いてゆく。コップを渡した俺の意図を察したらしい。この一杯の麦茶を作るために俺がした行いを卑しいと軽蔑しているのだろうか?そしてそんなものを飲まそうとしている俺を。でも、でも飲んでくれればおいしいはずなんだ。


 「勝手なことをした俺を怒っているのは分かるよ、でも俺はお世話になっている君に飲んで欲しくって頑張ったんだ。ほら。」

 唖然とした様子の彼女を前に、俺は麦茶をあおった。

「香ばしくっておいしい・・・よ?」

 彼女は俺を止めようとした姿勢のまま固まっている。茫然自失といった様子だ。

 淹れたての麦茶の入ったコップが彼女の手からすり抜け、彼女の白装束に薄茶色のシミを作ってゆく。彼女の眼には涙があふれ、その顔には自責の念が浮かんでいた。

 コン!ころころと、麦茶入りの木のカップが床を転がった時、彼女はぼとぼとと涙を流しながら泣き崩れた。

「え?ちょ、ちょっと!?」

 なんだ?いったい俺は何をしでかしてしまったんだ?俺の行いはそんなにも悪いことだったのか?

 最悪のパターンだ。俺は一番やってはいけないことをしてしまったらしい。だが、なぜ君が泣くんだ?俺が悪いことをしたのなら、俺を叱ってくれ、俺を正してくれ!俺に教えてくれ!いったい何がまずかったのか。

 先ほどまで凛々しかった彼女の顔は涙にぬれ、今や酷く幼く見えた。

「ごめん・・・俺が悪かった。だから、そんな風に泣かないでくれよ。」

 彼女は泣き崩れたまま動かなかった。俺はどうしたらいいのか分からず、ただ茫然としているしかなかった。


 赤く輝く夕日が沈み、辺りは暗くなってゆく。

早間龍彦


称号

「????」「怪獣大進撃」「泣きっ面に蜂」「露出狂」「削られる命」「脱落者」「プーさん」「覗き魔」


「助長」:余計なことをして何もかもを台無しにした


遭遇生物

「清廉の 真龍崇める 古真人アークエルフの巫女」

「誇りある 破岩の 大牛」その他


アイテム

 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪 火起こし機


装備品

麻の衣服 真新しい包帯 木靴

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