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迷宮の歩き方  作者: Dombom
天人すら久遠を生きず
40/70

迷宮生活12日目その三

今回から似非原稿用紙打ちです。1話からの分も誤字修正のついでに修正します。

彼女が樽を押してゆく。


俺は彼女の背を黙って見送った。


太陽はもうすっかり地平線を超え、世界を白く染めていた。


 牛達は穴から上がってきた後、それぞれつかず離れず辺りに佇んでいる。小牛も含めると合計で12頭か。大きな体の牛が横から照らされ、天空の庭に長い影を落としている。小牛は母牛の乳首に吸い付いている。大人の個体は胃に貯めていた草を反芻していた。

 俺はぼーっと口をくちゃくちゃさせている牛達を眺めていた。日が上って来たおかげか、朝霧は晴れ始め、俺の膝の高さに雲が流れてゆく。耳をすませばかすかな風の音が聞こえた。高山特有の強風が吹きつける音がするが、その風はここまでは届かない。ここは守られているのだ。

 彼女が家の裏手に消えた時、穴の方から何かの足音が聞こえてきた。だが、その足音は弱弱しい。俺は雲が流れ込んでゆくその穴を覗き込んだ。

 待てども待てどもその足音の主は現れない。

「気のせいか?」

 と思った時、のそりと霧に覆われた穴から年老いた牡牛が現れた。弱弱しい牡牛の体は雲が流れ込んでゆく穴の中でまだ見えない。老いた牛は坂になっている大穴から体を半分ぐらい出したところで、座り込んでしまった。老牛にとってこの坂を上りきるのは、いささか骨が折れるらしい。

 座り込んだ老いた牛が、俺の方を向いた。俺は濁った眼の老牛と目が合ってしまった。

「あ、ああ。お帰り?」

 老牛は他の牡牛の様に筋骨隆々としている訳では無い。骨の付き具合から見ると、昔はそうだったのかもしれないが、今は余った皮に艶の無い毛がしがみついているだけだ。

 老牛は座り込んだまま動かない。まるで死んでいるようだが、よく見れば鼻が動いている。ただ眠っているだけらしい。

「なんだかなー。」

 俺は眠ってしまった老牛の横まで歩いて行き、疲れ果てた牛の顔を見る。


 この台地の草と、麦藁だけでは食べ物が足りないのだろう。幸いにもこの台地の下、山の中にある霧の森はやたらと背丈の高い草が生い茂っている。あの場所は落とし穴やら毒蛇やらと危険に満ちているが、ここの牛達の巨体ならばそれほどでもないのだろう。

 しかし、この老牛となればそうはいかない。霧の森と地下洞窟を行き来するあの燕達は、はぐれた個体を容赦なく落とし穴へと叩き落とす。

「あんたは立派だよ。」

 何も知らなければ俺はこの老牛に対して、のろまだとか怠け者だとか全く別の印象を受けていたかもしれない。しかし、今、老いた体でも尚生きるために危険に挑んでいるこの老牛を、俺は尊敬するね。


 ぴくりと老牛の耳が動き、老牛はゆっくりと重い腰を上げて立ち上がった。俺の後ろからカラコロと杖を鳴らしながら、銀の髪を束ねた彼女が歩いてきた。

 彼女は杖を掲げて、杖に付いた鐘を鳴らし始める。

 まだ朝靄の残るこの台地に、カラカラと乾いた音が響いた。あちらこちらで思い思いにたむろしていた牛達は、鐘の音を聞くとすぐに、どの個体が先頭を切るでもなく大人しく牛舎にまで歩いて行った。

 老牛も立ち上がり、残りの坂を上り始めた。

「大変だな、お前たちは。」

 そう俺が声をかけると、老牛はこの程度の苦労ぐらい何でもないさと手を振るように耳を振って牛舎へとのそのそと歩いて行った。


 銀の髪の彼女は俺に会釈し、水の入った大樽を牛舎の方へ転がしてゆく。大きな牛がやっとのことで運べる大樽だ。転がすだけでも相当な労力のはず。水樽を転がして行く彼女の背を見る俺は、去って行く彼女に対して反射的に右腕を出して、彼女を引き留めようとした。彼女が拒もうと、無理にでも手伝おうと思ったからだ。

 だが、当然のことながら俺は差し出すべき腕を失っている。

「・・・。」

 俺は無い右腕の掌を広げ、その手をじっと見つめた。唯そこには虚空があるだけで、俺は去って行く彼女を引き留めることはできなかった。

「無理に、手伝うこともない・・・か。」

 情けない話だが、俺は今、彼女に養われているこの状況に心地よさを感じているのは事実だ。俺の右手で掴めなかったもの、何よりも代えがたいものがここにはある。樹海と洞窟を抜ける中で得られなかった安寧が。

 俺は自らの手で、この平穏を壊すことが怖かった。彼女の言うとおりににしていればいいのだ。そうすれば、俺は辛い思いをしなくて済む。わざわざ藪をつついて回るようなことはするまい。

 俺は背に鐘付の杖を刺した彼女に背を向け、雲より高い山頂の一軒家へと歩いて行った。


「見えろー見えろー!」

 家に帰ったはいいものの、ぶっちゃけ言ってすることもなく暇な俺は、かといって一旦家に入ってしまったせいでまた外に出るのも躊躇われ、悩んだ末に窓際に椅子を動かして遠くの牛舎を見ている。といってもここから牛舎までは二百メートル近くあり、さらに朝霧は晴れたとはいえ時折雲が通るのだ。ここからは牛舎がまともに見えるはずもない。

 窓に張り付き、「見えろー見えろー」と連呼する俺は怪しさ爆発だが、ここは人里離れた山の上。この星の上に警察があるのかは知らないが、いかなる国家権力もこの場所までは及ぶまい!ハハハ!

 それに、真剣に念じれば本当に「見えて」来るのだ。さっきまでは豆粒ぐらいにしか見えなかった牛たちも、今ではそれなりにはっきりと見える。ペトリャスカが言っていたように「強き言葉は力を宿す」らしい。覗き魔まがいのことを通じて分かったというのがいささか不名誉だが、この世界の法則について、少しは分かった気がする。

「俺は不死身だ・・・か。」

 あの戦いの日々、俺は一瞬一瞬生きることに全生命を賭けていた。だからこそ、「生きたい」と願ったあの言葉は動かぬ体を動かし、限界を超えた魂に活力を与えてくれたのだろう。

 だが、同じ言葉を今唱えてもただ空しいだけだ。生きるために必要な努力も無く、実践を伴わず、思いが籠らない言葉は、なんの力も俺に与えてくれはしない。

「もう、必要ないんだ。」

 あの日々を思い出すだけで右腕がうずくようだ。無いはずの部位が痛むというのは恐ろしい。その恐ろしさの根は、俺に深々と刻まれた死への恐怖に端を発しているのだ。だから、もう戦う必要はない。不死身だと唱える必要はないのだ。

「止そう。」

 出来もしないことを考えたところで空しいだけだ。

 俺は再び、牛舎で牛たちの世話をする遠目でもその紛うことなき美しさの彼女に視線を向けた。


 彼女は重い樽を器用に起し、どこかで見たようなポンプ付のチューブを使って牛たちの水飲みに運んできた水を注いでいく。彼女が近づくと牛たちは各々嬉しそうに顔を上げ、その屈強な見た目にからは想像もつかないような人懐っこさで、彼女の顔に頭を擦り付けたり、舌で彼女が差し出した手をなめたりしている。

 一心不乱に母牛の乳を飲んでいた子牛も、彼女が来るや否や母牛の脇から飛び出してくる。はしゃいだ様子の子牛に話しかける彼女は、俺に見せたことのない生き生きとした表情をしていた。

「あんな顔もできるんだねー。」

 俺は彼女からどこか事務的で、大人びた印象を受けていた。しかし、腰を落とし、子牛と同じ目線で会話する彼女は、酷くさびしがり屋で、思いやりに満ちているように見えた。そんな彼女はすっと一度だけ子牛の頭を撫ぜ、隣に一頭分空いた牛舎の空白に頭を下げた。

 ここからは見えないが、彼女の方は震えているよううに思えた。牛舎の一番端にいるのはあの老牛だった。老牛は水を入れに来た彼女の額に、すっと頭を当てそして離れた。

 すべての牛たちに水をやった彼女は、樽の水でさっと顔を洗い、またこれまでのように凛々しい顔立ちになってこちらへ戻ってきた。


 牛舎の脇には四角い牧草の塊が積み上げられている。その中に、使い古された水汲み樽とそれにつながれた荒縄が一組、担ぎ手を待ったまま静かに佇んでいた。


早間龍彦


称号

「????」「怪獣大進撃」「泣きっ面に蜂」「露出狂」「削られる命」「脱落者」「プーさん」


「覗き魔」:無駄に努力をして覗き行為をした


遭遇生物

「清廉の 真龍崇める 古真人アークエルフの巫女」

「誇りある 破岩の 大牛」その他


アイテム

 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪


装備品

麻の衣服 真新しい包帯 木靴

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