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迷宮の歩き方  作者: Dombom
天人すら久遠を生きず
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迷宮生活12日目その二

朝霧が辺りを覆う。いや、もしかしたら朝霧では無くて標高的には雲海なのかもしれない。しかし、もし雲だとしたらこの温度だったら成り立たないのでは?


「いや、止そう。」


雲より上の標高に居るのに、普通に呼吸できているのがそもそもおかしいのだ。きっとここは何か特別な仕掛けがあるのだろう。俺は歩いてきた道を振り返る。そこにはしっかりした石造りの一軒家があった。


「あの水道系の設備を見る限り、もしかしたらここは日本より技術が進んでいるのかもしれない。」


雲より高い位置の高山を切り開く技術力ですら、地球上には存在しなかった。一目でわからない仕組みで気圧を保ったり、強烈な光線を軽減する方法など論外だ。


「右目と鼻が活きていればな・・・」


あの黒粘菌に溶かされたせいで右目と鼻が潰れている。匂いはほとんど接触していないと分からないし、視界も半分だ。堆肥の臭いを嗅ぎたいわけではないが、この場所の空気をもっと味わいたかったし、この広大な雲の上の景色は両目で見たかった。


「痛っ・・・」


駄目だ。止そう。傷のことを考えるだけで、失ったはずの右腕が痛む。あの地下で感じた恐怖が心の底からずぶずぶと這いあがってくるせいで、息が苦しくなり、眩暈がする。動悸のせいか、胸が苦しい。


俺は草地に膝を付き、頭を付き、左手で早鐘の様に脈打つ胸を抑えた。


「大丈夫だ・・・大丈夫だ・・・」


ここは安全だ。もう、戦わなくてもいいんだ。


情けないと思う。


だが、無理なのだ。


一歩踏み出そうとすれば、そこには確実な死の恐怖が待ち受けている。今度持って行かれるのは何処だ?腕か、脚か?それとも次こそは逃げきれずに死んでしまうかもしれない。俺はここに留まっていればいい。あのエルフさん(仮)も、喜んで世話をしてくれるじゃないか。だから・・・


「これで、いいんだ。」


俺の目の前にはぽっかりと、巨大な穴が大口を開けて開いていた。俺はあの天井と壁に区切られた霧の森へと続く穴から、目を逸らした。




俺は牛舎まで歩いて行ったが、牛は全頭出払っているようで、一頭もいなかった。


「しっかりした造りだ。」


何年も、それこそ何百年も補修を受け、造り変えられてきたような年季があるこの牛舎は、驚くほど綺麗なものだった。俺の鼻が潰れているのもあるが、所謂牛臭さはあまり感じない。


牛舎に限らず、この場所はどこか浮世離れした感じすらするな。


「天国・・・か。」


確かにあの原生林や洞窟は、生き地獄とでもいうべき生き物同士の殺伐とした命の奪い合いに満ちていた。だが、ここは何もかもが静かだ。


「・・・」


しかし・・・と、俺は思う。俺はあの地獄の中でこそ、生きている実感があった。俺はいきなり訳も分からず生命の渦の中に放り込まれ、生き残るために仕方なくその戦いに参加していた。あの中に居る時は心底、戦いというものは嫌で仕方がなかった。しかし、今改めて思えば、あの時の俺は自分の命を己の手で勝ち取り、紡ぐために戦っていたのだ。


だが、今の俺はどうだ・・・


生きるための戦いを放棄して、与えられるだけの生活を望むようになってしまった。自分で生命を切り開こうとせずに、与えられたものだけで満足するのが幸せなのだと言い聞かせている。


「だけど・・・仕方がないじゃないか・・・」


もう、戦いは十分だ。曲がりなりにもあれほどの戦いの中、何とか生き残って来たのだ。誰も俺を非難できまい。俺だって望んで戦ってきたわけじゃない。少しぐらい楽をしたっていいじゃないか。


俺があの家に戻ろうと踵を返した時、雲が流れ込む大穴の下り坂の向こうから、カラコロとあのカウベルの音が聞こえてきた。




カラーン、カラーンと乾いた音がする。小さいが、この音は彼女の持つあの杖から出る物だろう。


俺はぼんやりと雲の流れ込む穴を見ている。唐突に霧で出来た水面が割れ、中からぬっと黒い牡牛が出てきた。


「おうぅ・・・」


てっきり先頭はエルフさん(仮)だと思っていた俺は、予想より早く下り坂の続く穴から出てきた牡牛に驚き、思わず変な声を上げてしまった。牡牛もかなりでかい。まあ、象位あるあの金猪とかに比べればまだ普通か。


俺は牛の進路の邪魔にならないように、大穴の横側へ移動した。




先頭を切った牡牛の後、穴からは牝牛や小牛が次々と出てきた。モー、モーと、牛達がお互いを確認するように鳴き合っている。


5頭の牛が出てきた後、霧に満ちた穴から、彼女が出てきた。革の衣服を身に纏い、銀の髪を耳よりやや上で束ねた彼女は、二頭の一際大きな牡牛と並んで歩いていた。その二頭の牡牛の両側には、水で濡れたあの大樽が結わえつけられていた。


ちゃぷちゃぷと大樽の中の水が揺れる音がする。急な坂を上って来たに頭の牡牛は、水樽の重さを支えるために歩く度に筋肉を盛り上がらせ、草地に蹄の跡を刻んでいた。二頭に伴走していた彼女は、上り坂の出口に待っていた俺に気付いた。俺と彼女の目が合う。彼女はそこで立ち止まり、俺に向けて左胸に手を当て、丁寧にお辞儀をしてきた。


立ち止まる彼女の脇を、残りの牛達が登ってゆく。


「えっと・・・ごせいが出ますね?」


目が合った俺は何と返していいのか分からず、咄嗟に田舎のばあちゃんが言っていた言葉を捻り出した。彼女は返事をしてくれる代わりに、にこりと俺に微笑んだ。軽い挨拶の後、彼女は二頭の牛を座らせ、樽に付けた荒縄を解いてゆく。俺はただ漫然とここに居るのも辛いので、水樽を下ろす彼女に声を掛けた。




「あのさ、ここには君以外の人・・・人はいないの?」


一瞬言い淀んでしまったが、今更ながらだけど彼女は人・・・だよね?神の使いとかそういう系はやめて欲しい。俺はそっち系に対する耐性が無いんだ。


俺がそう尋ねると、彼女は自分の胸に手を当て、頷いた。


「そう・・・なんだ。」


なんということだ。ということは、ここの牛達も、あの畑も、あの家も、すべては彼女一人で維持管理しているということなのだろう。俺は、農家のことは詳しくは知らないが、これは途轍もないことなんじゃないだろうか?


彼女が日々費やす労力を想像して固まっている俺をよそに、彼女は水樽を横に寝かし、押していけるようにしていた。芝生に転がる大樽は4つ。彼女だけで運ぶのはかなり大変なはずだ。片手しか使えない俺でも、樽を運ぶ位は手伝えるかもしれない。


「樽を運ぶのを手伝ってもいいかな?いや、手伝わせてほしいんですけど。」


そう言いつつ、俺は樽の方に歩みを進めた。樽の一つを家の方へ押そうとしていた彼女は、俺に向かってさっと振り返り、とんでもないとばかりに走ってきて俺と樽の間に立ちふさがった。まるで俺を樽から離そうとしているようだ。


「・・・」


俺と彼女の間で奇妙な沈黙が流れる。樽の前で申し訳なさそうな顔をする彼女に、俺は何だか非常に悪いことをしているような気がしてきた。


「ごめん。悪かったよ。でも、手伝えることがあるなら・・・ほら、俺って居候だし。どんどん言って欲しいんだ。」


俺が樽から離れると、彼女はほっとしたように頷いた。背を向けた彼女は杖を背の革紐に通し、押しかけていた樽の前へ戻っていく。




彼女の背を見つつ、俺は額に手を当てて考え込んでいた。


何故だ・・・俺が手伝ってはいけない理由があるのだろうか?それはもしかしたら、彼女が俺と会話しないことの理由と何かしらの関連があるのかもしれない。


ならば、それは何だ?


初めは彼女の宗教的な理由かとも思っていたが、もしかしてそうでは無かったり、あるいはそれもあるが、他の理由も複合しているとしたら?


俺は額に左手を当てている。俺の目にふと網目状に白く硬化した傷跡が入って来た。


「これ・・・か?」


俺のこの謎の硬化現象はもしかしてうつったりするのだろうか?


そう考えればいろいろ合点が行く。


あくまで仮説にすぎないが、俺の症状に付いて何かしらの伝染条件があると考えれば、あの貴賓用の部屋を宛がわれたのも、彼女が俺と距離を置こうとするのも、直接会話しないのも、出来るだけ接触を避けようとするのも合点が行く。


ゴロゴロと樽を転がしていた彼女が、ちらりとこちらを見た。そう心配しなくても、俺は触るなと言われたものには触らない。子供じゃないんだから、俺は自分が知らない危険が存在するということも承知している。素人が下手に精密機械を弄ったせいで、一瞬で数百万の機材が駄目になるというのはよくある話だ。


もしかしたら俺がこの水樽に触れることで、中の綺麗な水が駄目になる可能性もある。せっかくの危険を冒して霧の森から運んできた水だ。俺のせいでその苦労が水泡に帰すようなことはあってはならない。


俺は顔を上げ、彼女の顔を見つめた。せっかく振り返ったのだし、とりあえず確認しておこう。この会話だけで俺のこの症状がうつる可能性があるとしたら、彼女は嫌がるだろう。だが、俺のこの症状が伝染性のものなのだと分かれば、俺の方からも気を付けることも出来るはずだ。




「あ、あのさ・・・」


俺は振り返った彼女を呼び止めた。


「俺って何か病気的なものに罹っていて、それがうつるかもしれないとか、俺のせいで君が何か危険にさらされる可能性ってある?」


俺の問いが良く聞こえなかったのか、彼女はいまいち聞き取れていなかったのかぽかんとしている。


「えっと・・・君が俺と会話しなかったり、俺の手伝いを拒むのは君の身を守るため?」


俺がそう問うと、彼女はしばらく悩んだ後、やや割り切れない様子で首を縦に振った。


やはり、今の俺は病気とかそういうことなのだろうか?


「じゃあ、もう一度聞くけど、俺って何か伝染性の病気とか・・・呪い?的なものに掛かっている?」


彼女はまたもや複雑な顔をして悩んだ後、頷いた。とにかく今の俺はストレートに病気と言えはしないが、それに類するものに罹っているとみて間違いないだろう。


しかし、気になるのは彼女の悩みようだ。俺はそれほど難解な質問をしている訳ではないはずなのだが・・・とにかく、会話とか手伝いを拒むことで伝染を防げるのかどうかは確認しておかないと。


「時間を取らせて申し訳ない。最後に確認するけど、会話や俺の手伝いを拒むのは、俺のその病気的なものの害から身を守るため?」


すると彼女はすぐに首を横に振った。


「え?・・・じゃあ、俺の病気的なのと、君が会話してくれなかったりすることは関係ないってこと?」


今度はあっさりと頷いた彼女に、俺は訳が分からなくなってきた。一体どういうことだ?俺は何か病的なものを持っている、でもそれと彼女の態度は関係ない。いや、あの返事は俺を気遣っての嘘だという栓も捨てられない。だが、あの様子からしてそっちの線は非常に薄そうだ。


何より俺は人を疑ったせいで失敗したことが何度もあるからな。とりあえず彼女の証言?というかジェスチャーを基にして考えると・・・あ、肯定が首を縦に振るとは限らないんじゃ?やっぱり複数の理由が・・・いや、原点に戻るとあの宗教説では結構説明が付くかもしれない。でも、それだと俺のこの症状は・・・?


ああっ!余計に訳が分からなくなってきた。


俺が悶々としている前で、彼女は次の質問が来るのではとじっと待ってくれていた。


「あ、ごめん。ありがとうございました。また何かあったら教えてください。手伝いますんで。」


俺はほとんど動かないし、肘までしかない右腕を何とか動かして、彼女のやっていたお辞儀の真似をした。そんな俺の姿を見た彼女はにこりと笑い、器用に二つの樽を同時に家の方まで転がしていった。




「まだまだ分からないことだらけだ。」


そう思いながら、俺はまだ星の残る空を見上げた。太陽とは反対側に、青白い顔をした月が日の光に隠されまいと足掻いていた。


「あ、日本への帰り方を聞くの忘れてた・・・」


ふと思い出した俺は、ため息をついた。肩を落とす俺の前では、一頭の子牛が下草を食んでいた。


早間龍彦


称号

「????」「怪獣大進撃」「泣きっ面に蜂」「露出狂」「削られる命」「脱落者」


「プーさん」:無職の紐生活


遭遇生物

「清廉の 真龍崇める 古真人アークエルフの巫女」

「誇りある 破岩の 大牛」その他


アイテム

 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪


装備品

麻の衣服 真新しい包帯 木靴

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