迷宮生活11日目その三
「ここは・・・」
正真正銘の太陽が辺りを照らしている。
広い。
空がこんなにも広いものだったとは。
空は青く澄み渡り、どこまでも見渡せる。空気が、風が清々しい。ここは遥かな山の頂上らしく、下には雲海が広がっていた。俺の足元は短くそろえられた草が一面に茂り、雲が俺の膝をくすぐる。何故か高山特有の気圧とか強烈なはずの日光は気にならない。気温も普通だ。また何か特別な仕組みでも働いているのだろうか?
山の頂上らしいここは、半径100メートルほどの円形の台地になっている。ここは山を切り取って作ったらしく、俺の後ろには自然の山の残りが切り立った崖となってそびえている。
ここは山の中に削って作ったあの祈り場の、前庭のような場所らしい。ふと見れば、薄雲の向こうには牛舎があり、地下に居る時に天井から落ちてきたあの牡牛と同じような顔をした牛達が大人しく並んでいる。
この円形の台地の真ん中には山の中へと続く下り坂が大きな口を開けていて、雲は絶え間なくそこへ流れ込んで行っている。あの霧の森の霧は、この雲海から供給されているのだろうか?
「おお・・・ぱねぇ。はんぱねぇ。」
後ろには雪をかぶった山の頂がそびえ、目の前には柔らかな草が広がる牧草地・・・何よりも、見渡す限りの青空。
俺はあの箱庭から解放されたのだ!
「うっほほーい!」
俺は諸手を上げて牧草地に飛び出した。肩にかけていた麻のマントがはらりと落ち、俺は風と一体化する。
「フリー―――!ダアアアアアああぁああム!」
外だ外だと俺はくるくる回る。
「うおっ!」
調子に乗りすぎたせいか、左足がもつれて俺は草地にうつぶせに倒れ込んだ。
「うへへ・・・」
若草のにおいがする。思えば辛く長い日々だった。
ゴロンと俺は太陽を見つめ返し、左手をお天道様に向けて伸ばす。
サクサクと草を踏む音がする。ふと見ると、エルフさん(仮)が、俺が振り落した麻布を持って俺の脇に立っていた。
「あ・・・すんません。」
俺は跳ね起き、さっと麻布のマントを羽織った。
「見てた?」
俺が聞くと、彼女はニコニコと笑いながら頷いた。もっと遊んでいいですよとばかりに手を胸に当て、お辞儀してから一歩下がった。
「いや、いいです。今のは忘れてください。」
あまりの嬉しさに年甲斐も無くスッパで走り回ってしまった。しかも、彼女にがっつりその姿を見られて・・・ああ、穴があったら入りたい。あ、あるじゃん穴。あの雲が流れ込んでいく下り坂。
俺は身振り手振りで今のは忘れてくれと懇願するが、彼女は余計ニコニコと笑うだけで何も言わない。外に出られたことにがよっぽど嬉しかったのねーって感じの視線で俺を見てくる。
言葉がまるで通じていない・・・そしてそんな目をしないでください。
俺は再びあの首飾りが欲しいと訴えた。
何度目かのジェスチャーの後、ようやく俺の意思を察してくれたのか、彼女は杖を牛舎とは反対側の薄雲の向こうへと向けた。
俺が頷くと、彼女は歩き出し、俺もそれに付いて行った。
裸足で草を踏みしめていると、ふと気になることを思い出した。
今の俺の扱いはどうなんだろうか?やっぱり生贄なのかな?いずれお供え物として竜の前に引きずり出されるんだろうか?そして、彼女には仲間がいるんだろうか?
生贄扱いならば、機を見て逃げ出すだけだ。だが何よりも、ここが何処で、日本に帰るためにはどうしたらいいのか。そういう情報は少しでも引き出しておかないと。
とにかく、優しくされたからと言って油断は禁物だ。ここは一見平穏だが、俺にとっての注文の多い料理店である可能性もある。ホイホイと指示に従っていたら、気付いた時には煮えた油に飛び込む直前まで行ってしまうかもしれない。
あのニコニコ笑っているエルフさん(仮)がいつ何時俺を刺し殺してくるかわからないのだ。
酷い人間不信になってしまったものだと思う。だが、こればかりはどうしようもない。俺はこの星に付いて何にも知らないことは確実だ。
台地の端には細かい紋様が刻まれた柵が巡らされ、切り立った山肌が見下ろせる。その一角に、小さく質素だが、しっかりした作りの一軒家があった。
エルフさん(仮)は入口に立ててある先端に丸い輪の付いた鉄柱に杖を刺し、石段を登った。彼女は戸を開け、手招きして俺を招き入れた。
「何でお辞儀?」
俺が扉をくぐる時、彼女は左手で戸を支え、右手で胸元を抑えて軽くお辞儀していた。
「・・・」
彼女はさっきから一言もしゃべらない。耳が聞こえていないという訳でもなさそうだし、祈り場の扉を開ける時には呪文めいた言葉を小声で呟いていた。口が利けないという訳でもないのだろう。
やっぱりあれかな?宗教的な?
俺が生贄だから喋っちゃいけないとか、夫以外の男性と喋ってはいけないとか、そういう決まりでもあるのだろうか?
これは、困ったことになりそうだ。俺があの首飾りを得てこの女性と意思の疎通ができるようになっても、彼女からは何の情報も得ることは出来ないのかもしれない。
ここから逃げ出すとすれば、断崖を降りるわけにもいかないので、あの霧の森を抜けなければならないだろう。
そうなれば土地鑑のある彼女に対し、常にあの落とし穴に気を付けなければならない俺は圧倒的に不利だ。物騒な話になるが、もし生贄にされそうになったら、彼女を打倒すほかあるまい。
ふぅ・・・と、家の奥に進む彼女を見送った俺は扉の前でため息をついた。
「生贄じゃなくて、ただ純粋に助けられただけだと思いたい。頭から人を疑ってかかれば、何にもならないしな。」
奥から戻ってきた彼女はスリッパ的な履物と大き目の平たい籠を手にしていた。その中には、着替えの衣服らしい麻布のシャツと所謂指貫タイプのズボン、そしてあの指輪と首飾りが入っている。
俺のスーツのズボンや龍爪ナイフやひび割れた剣、その他諸々は何処にあるのだろう?
とりあえず言葉が通じなければ仕方がないし、紳士としては今の格好は高度すぎていけない。俺はわざわざ傅いて衣服を差し出してきた彼女から籠を受け取り、さっさと着替えることにした。
こう丁寧すぎる扱いを受けると、やっぱり俺はただ行き倒れていた人という扱いではないらしい。あれか?生贄の俺の身柄は神様にあるから、粗末に扱ってはいけません的な?
そう思うと少し鬱になるが、俺はさっさと気を取り直して指輪に手を掛ける。
左の中指に指輪をひっかけ、後は口でくわえて嵌めた。首飾りを手に取った俺は、頭から鎖を通して首に掛けようとした。
「鎖・・・みじけぇ」
鎖が短すぎて上からじゃ掛けられない。そういえば、あの時ペトリャスカさんは一旦鎖を外してから俺の首にこれをつけてくれたよな?
俺は首飾りの鎖を持って、エルフさん(仮)の方を伺うと、彼女は静かに頷いた。どうやら彼女はこれを何とかすることが出来るらしい。っていうかそんなにガン見しないで下さい。
「トホホ・・・」
こんなことならもっと鍛えておくんだったと後悔しつつ、俺は麻製の衣服に手を掛けた。
俺は動かない右腕に四苦八苦しつつ袖を通し、痛めた左足に悪戦苦闘しながらズボンを穿いた。
「うし!じゃあ、お願いします。」
と、俺はエルフさん(仮)に首飾りを渡した。彼女は俺から首飾りを受け取ると、静かに「リ・エム」と唱えた。そういえばペトリャスカさんも、同じ呪文を唱えていたなと思い出した。
首飾りの鎖の真ん中が、どういう訳かカチリと外れた。俺はじっと目を凝らしてよく見ていたが、どう見たって鎖の輪っかがすり抜けているようにしか見えなかった。一旦開いて外れて閉じるなら、鎖の輪っかには切れ込みが入っているはずだ。だが、この鎖の輪は完全だ。切れ込みは入っていない。
「不思議だな。あ、すんません。」
エルフさん(仮)が俺の首に手を渡し、首飾りをかけてくれる。顔が近い。胸も近い。なんだか石鹸のようないい匂いもする。俺は思わず生唾を飲み込んだところで、彼女は「エムリス(結べ)」と唱え、さっと身を引いてしまった。
ああ、やっちまった。俺ってば本当に初心の最低野郎だよ。肩を落とした俺は、ぼーっとエルフさん(仮)を眺める。均整な体つき、凛々しい顔立ち、液体なんじゃないかと錯覚するほどなめらかな銀の髪。そして、女性にしては背が高い。いや、この身長が標準なのだとしたら、男はどれぐらい背があるんだろうな?
まあ、そんなことはどうでもいい。首飾りを付けた今、確認すべきことは他にある。
「俺の言葉は通じてる?」
こくりと彼女は首を縦に振った。とりあえず首飾りはうまく機能しているらしい。
次に俺は、当面一番気になっていることを聞いた。
「俺ってさ、もしかして生贄扱いだったりする?」
俺の言葉に彼女は驚いたようだったが、すぐにとんでもないとばかりに首を横にフルフルと振った。
「生贄だからあれこれ世話を焼いてくれたんじゃないんだな?」
と、俺が聞くと、エルフさん(仮)は間髪入れずに首を縦に振った。
「あー!よかったああああああ!
あああ?!」
よっしゃあ!と俺は右腕をぐっと引いてガッツポーズを取った。その瞬間、バキッ!っと音がして右腕の肘から下が砕けて落ちた。
「・・・」
ごん!と、音を立てて床に落ちる俺の右前腕。
「え?」
その断面は他の傷口と同じく、白く硬化していた。
「ちょ・・・ちょっと。え?」
俺が現状を理解しきれていない間に、俺の右腕は見る見るうちに姿を変えてゆく。白く硬質化していた部分が、僅かに残っていた肉の部分を飲み込んでゆく。俺の右腕の肘から先だったモノはあっという間に白い板状の塊になってしまった。
その板状の白い塊も、あれよあれよという間にピシリ!ピシリと皹が、亀裂が入り、白い砂のようになってしまった。
「え?なにこれ・・・なんだよこれえええええええええええ!」
俺は砂になってしまった腕を必死にかき集め、肘にその灰を掛けては戻れ戻れと叫ぶ。だが、砂になってしまった部分はもはや数秒前の姿など忘れてしまったと言わんばかりに何の反応も示さない。
跪いて砂を握りしめる俺を、俺の前に立つ女性は死に掛けの病人を憐れむような目で見ていた。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂・大狼・大カブト・鳳・大軍百足殺し」「悪運」「食わせ物」「大番狂わせ」「樹海の匠」「魔弓の射手」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「先手の極意」「鎧抜き」「初心」「受け継ぐ者」「死神」「冒険者」「壁際族」「陽炎の忍」「剣身一体」「不退転」「底抜けの阿呆」「泣きっ面に蜂」「不死身」「露出狂」
「削られる命」:気付かないほど少しずつ、だが確実に命は削られて行っていることに気付いた
損傷部位
頭部:右半分(酸による溶解と白い硬質化)、右目(失明)
上肢帯:右肩(酸による溶解と白い硬質化)、傷跡(白い硬質化)
腕部:右肘下(欠損)右腕(酸による溶解と白い硬質化)左腕(大ムカデの噛み跡と白い硬質化)
腹部:傷跡(白い硬質化)
脚部:左足(アキレス腱亜断裂)傷跡(白い硬質化)
背部:傷跡(白い硬質化)
遭遇生物
「清廉の 真龍崇める 古真人の巫女」
アイテム
海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪
装備品
麻の衣服 真新しい包帯