迷宮生活10日目その七
さて、どうしたものか・・・
今の俺はたぶん、幼稚園児のタックルを受けただけで死んでしまうレベルだ。
得意の壁際戦法は使えない。そもそも壁まで歩いて行けないし、鎧竜がこっちへ向かってきている中、そんな時間もない。次は何が来る?薙ぎ払いか、叩き付けか?どんな攻撃をされようとも最早避けようもない。壁際ならまだ何発かは耐えられたのにな・・・
ふと、俺の中に疑問がよぎる。なぜ「壁際」なら何とか耐えられると思えるんだ?
飛び掛かって来た竜が右腕で俺を叩き潰そうとする。俺は何とか動く右足に全神経を集中して後ろに飛び退き、それでも足らない分は剣で受ける。いや、剣だけで受けていては駄目だ。そんなことをすれば皹の入ったこの剣はたちまち折れてしまう。
「剣を」振るのではない。それでは剣と体はバラバラだ。剣は道具では無く、全身が剣と一体化するように。剣身一体となることで剣の皹と俺の怪我を補い合う。
吹っ飛ばされることは考慮済みだ。俺は速度はともかく、方向だけでも何とか調整して飛ばされる。空中でバク転しながら丸まり、そのまま地面を転がって距離を取る。
鎧竜は値踏みするようにじっと俺を観察している。その眼光を浴びているだけで、俺の命は消されてしまいそうだ。もう今の小技も通用しないだろう。何か無いか?助かる手立ては?
もう、起き上がるのも辛い。俺は何とか体を起こしたが、それも体重を背にした岩に預けてやっとと言う所だ。
「ふーっふーっ・・・死なんぞ。まだ、生きて、いる。」
折れた肋骨のせいで腹式呼吸が出来ない。腹から力を出すというのももう限界だ。静かに、どっしりと構える鎧竜を映す俺の目に、四方を囲む壁が見える。
「壁際・・・か」
何故壁なのか・・・と、俺は思う。
今俺が背にしている岩ではなく、壁。壁という存在はある意味絶対的なものだ。壁を背にしている限り、背後から攻撃は受けない。そして、壁に張り付いている限り、壁が邪魔になって大ぶりな攻撃も出来ない。壁を背にすることというのはつまり、自分が攻撃を受ける方向を制限し、なおかつ相手の攻撃を制限するということだと俺は気付いた。
「やっべ・・・壁最強じゃね?」
だけど、今壁は無い。壁まで行けない。巨大な鎧竜は腰を上げ、のっしのっしと一歩ずつ確実に近づいてくる。俺に次は無い。次は無く、頼みの壁も無い。だが、諦めるつもりもない。俺は背に預けていた体重を前にかけ、腰を落とした。
竜は泰然として俺の前に立つ。鎧竜は酷く落胆し、怒りに震えたような様子だ。まるで汚らわしい小虫でも見るような目で俺を見ている。
俺はどうすればいい?もう次は腕の上を超えることは出来ないだろうし、かといって身を伏せて下を抜けようとすればたちまち叩き潰されてしまう。後ろに下がったところであのスピードだ。追撃は避けられまい。引いては駄目だ。防いでも死ぬ。ならば前へ?
俺が鼬の最後っ屁をかますにしても、鎧竜が俺を殺すにしても、どちらにしても後一撃だ。現実に俺は鎧竜が思っている通り、一歩も踏み出せないほど弱っている。だが、チャンスは今しかないのだ。鎧竜が俺が反撃も出来ないほど弱っていると思っている今この瞬間こそに、最後の勝機がある。俺はその一瞬に、俺の持てる体力、気力、その他諸々の底力を動員してこの一撃にかける。それしかない。
だがしかし、どうやってこの最後の一撃を入れる?そもそも、その一撃で俺は何をすればいい?ただ奴をこの剣で叩くだけでは何も起きない。それに例え急所に一撃入れたとしても、俺の相手はあの竜だ。どう間違っても死にはしない。それどころが、彼我の技量差、体力差、瞬発力、判断力どれをとっても圧倒的に俺は負けている。
方や視界の端に御花畑が見えている俺と、岩にもたれかかって半分魂の抜けかかっている俺を見ている鎧竜。どこを狙うかはともかくとして、俺に残された道は前進からの攻撃しかない。ならば、この差を少しでも埋める切り札は無いものか?
ふと俺は壁の原理を思い出す。
確かに前へ前へと進んでいれば、背後からの攻撃は無い。そう考えれば壁は無くとも半分は実現できる。ではもう半分、相手の攻撃可能な範囲はどう制限する?
ふと、まるで降って湧いたかのように俺の脳裏に答えが飛び込んできた。俺は背の猪肋弓に手を掛けた。何だかんだ無茶しても、俺の背にあり続けたこいつならば、耐えられるかもしれない。
―止めだ―
また声が脳裏に響く。俺はその声を聴いて笑った。いや、本当に何とかなるかもしれないと安心したのだ。
鎧竜が腕を振り上げた時、俺は既に前へと飛び込んでいた。龍の腕が前に出た俺を潰そうと軌道を修正する。だが前転から立ち上がった俺は、右足に限界以上の力を込めて地面を蹴った。まるで止まる気が端から無いかのようにまだ進む。竜にぶつかりそうになっても、剣を手に持ち弓に手を掛けたままそれでも進む。
前へ、前へ、ギリギリまで前へ。ズシン!と、竜の腕が大地を震わせたとき、俺は竜の眼前に立っていた。竜の頭自体が邪魔となって、竜の前足は辛うじて俺に当たらなかった。
壁の原理を再現する。俺はその残り半分の答えを、肌が触れ合うほどのギリギリのインファイトの中に見出した。俺の目の前に、鎧竜の顔がある。
いくら速くとも、どれほど反応できても、四足で立つ鎧竜は両足で立ち上がらぬ限り、一本足でしか攻撃できない。ならばその腕の届かない場所、それも突進の助走すら与えないような眼前は、一瞬の間だけ完全な安全地帯となる。
だが、前に飛びだした俺を待ち受けていたのは、びっしりと鋭い刃の並んだ鎧竜の咢だった。鎧竜は俺が眼前に立つや否や、ほとんど反射的と呼べる速度で頭を横に向けて伸ばし、俺を飲み込みにかかった。立ち上がった俺の眼前に、鎧竜の胃へと続く昏い穴が開いていた。俺の左右からその一本一本が俺の首を刎ねるのに十分な歯が、一気に押し寄せる。この顎が閉じるまでに俺が出来ることは何もない。
手加減されていると、俺は思う。この鎧竜が初めから俺を殺そうと思っていたならば、ただ俺に向かって突進するだけでいい。それなのに、わざわざ腕や尾で攻撃してくるなど、まるで俺を試しているようじゃないか?
まあ、結果的に俺はこの竜を幻滅させてしまうぐらい弱かった訳だが、そもそも俺はそういう強さを求めてはいない。俺が欲しいのは、どんな状況でも生き抜くしぶとさだ。俺は俺が生き残るために剣を振るっているのであって、決して何かを殺すために、誰かに勝つために剣を振るっているのではない。
その、剣を振るうためのほんの少しの動機の差に、俺の活路が開けている。
竜の顎が閉じられ、ギロチンの様にぎらつく歯列が迫る。俺に出来ることは何もない。
俺に出来ることはもう、全部終わった後だ。
ビン!と音を立てて鎧竜の顎が止まった。
俺の背にした猪肋弓がつっかえ棒となって鎧竜の噛みつきを止める。猪肋弓はもともと、あの象ほどもありそうな大猪から取り出した肋骨だ。でかいし、樹海基準で乱暴に扱っても大丈夫な位、丈夫だ。俺が竜の懐に飛び込んだ時、鎧竜が何をするか考えていた。
俺の貧弱な頭では噛みつきぐらいしか思いつかなかったが、どうやら賭けは成功したらしい。ギリギリの一瞬前まで、諦めずに背負った弓の角度を調整した俺の作戦勝ちだ。鎧竜が怯んだ隙に、さっと剣を回して逆手に持つ。
鎧竜の顎の力は凄まじい。大猪の弓は俺が全霊の力で引いても、決して至らないほどの彎曲率で歪んでいる。だが、辛うじて折れてはいない。俺にはこの弓が作り出した一瞬の猶予だけで十分だ。俺は弓を踏み台に、竜の顔面へ一気に飛び上がった。
「最期の賭けだ。」
と、静かに呟く。俺は剣を下に突き出し、体重を込めて竜の目へと一気に飛び込んだ。
「すいませんが見逃してはくれませんか?」
俺は龍の鉄板のような瞼に膝を付き、振りおろした剣を竜の瞳の前でぴたりと止めた。
「こんなカスみたいな俺の為に片眼なんて大事なものを差し出すなんて、勿体ないことですよ?」
俺も竜も微動だにしない。数秒が経った頃だろうか?俺の提案に竜が答えた。
竜の唸り声から俺の首飾りが竜の意思を汲み取る。
―痴れ者が・・・―
やっぱ駄目だったかな・・・?
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂・大狼・大カブト・鳳・大軍百足殺し」「食わせ物」「大番狂わせ」「樹海の匠」「魔弓の射手」「悪運」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「一難去って」「先手の極意」「不撓不屈」「死神の忌避」「蜘蛛の糸」「鎧抜き」「惻隠の情」「初心」「お人よし」「受け継ぐ者」「死神」「冒険者」「壁際族」「陽炎の忍」「ぼろ雑巾」
「剣身一体」:まるで剣が体の一部であるかのように扱った
「不退転」:決して怯まず、前へ進んだ。
「厚顔無恥」:恥知らず、身の程知らずの行いをした
遭遇生物
「地底統べる 泰山の 大鎧竜」
アイテム
大猪の牙 火起こし機 水筒 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪 万能ポシェット(謎の試験管 識別票 その他不明) 古びたポシェット(識別票x8 託宣紙x9 謎液の上澄み)
装備品
錆び罅割れた装飾剣 龍爪ナイフ ぼろのマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x2 ひび割れた羊の兜 ぼろの足袋