迷宮生活10日目その五
洞窟の奥へ押し戻されました。
俺は目を閉じ、耳を塞いで大ムカデの群れの流れに身を任せた。体を丸めていても、膨大な数のムカデがチキチキと顎を噛み合せ、その硬い殻を擦れ合わせる音が聞こえる。ゴオオ!と、どうすれば起こるのか分からない轟音が響き、俺の体を響かせる。
流れに抵抗はしない。もし抵抗すればたちまち圧力に負け、四肢を持って行かれるだろう。渦巻く奔流の中で俺は金猪の毛皮のマントを何とか体に巻きつけ、ぶつかってくる大ムカデから身を守る。そうしなければ俺の肌に大ムカデの棘が幾千、幾万もの傷を刻んでいただろう。
俺は荷物を抱え、ダンゴ虫のように丸くなってただただ耐えていた。流れに翻弄され、体がぐるぐる回る。上も下も分からない。時折尖った岩が体を抉ってゆくが、果たしてそれが天井から生えた鍾乳石なのか、それとも地面から伸びる石筍なのか、俺には分からない。
これまでのことはもう、どうでもいい。今はただ、必死に耐えるだけだ。何分だ?いや、何時間と言うことはあるまい。この程度、あの黒粘菌の時に比べればずっとましだ。そう思えばこんな状況でも正常な神経を保っていられる。
ふと、大ムカデの流れが遅くなり、俺の体が天井のでっぱりらしきところに引っかかって止まった。目を閉じている俺には良く分からないが、俺の下を大ムカデの群れが通り過ぎてゆく。引っかかったおかげで俺の体はやや安定し、平衡感覚が戻ってくる。
「こっちが下か。」
俺が上だと思っていた方は重力的に下だった。俺は岩か壁に引っかかったのだろうか?だが、まだ安心はできない。大ムカデはひっきりなしに俺の上を通り抜けてゆく。
低い、唸るような重低音が次第に収まり、次第にそれが大ムカデの足音の集まりだったと聞き分けられるほどになってきた。大ムカデの数も丸まった俺の上を歩く個体が判別できる程度にまで減った。もう少しで大行進は収まりそうだ。
「痛ってえええええ!」
いきなり俺の左ふくらはぎに激痛が走った。俺はあまりの痛みに飛び起きてしまう。大ムカデが俺の左のひざ下の、ふくらはぎのど真ん中にその牙を喰い込ませていた。俺は必死にムカデを振り払おうとしたが、大ムカデはぐいぐいとその牙を食い込ませるばかりで全く離れない。
「この虫がぁ!」
俺は股ごしに右腕の龍爪ナイフでふくらはぎに喰らい付く大ムカデの体を、頭から尾まで一直線に裂いた。流石と言うべきか、龍爪ナイフは大ムカデの体を紙切れのようにあっさりと真っ二つにした。
「くっ!毒抜きなんて分かんねーよ!」
パカリと大ムカデが二つに割れ、それに伴って二本の食い込んでいた牙も抜けた。傷跡からは血が途切れることなく流れ出ているが、毒抜きとか大丈夫なのか?またここも白く硬質化してしまうんだろうか?
だが、毒抜きだとかそんなことをする余裕はなかった。
「くっそ!こうなるよな!」
大半は通り過ぎてしまったとは言え、まだ大ムカデの行進は終わっていない。下手に動いたせいで、俺は辺りに残っていた大ムカデを引き付ける形になってしまった。
俺は飛び掛かってくる大ムカデの頭を龍爪ナイフで切り飛ばす。やはり、これだけの切れ味があれば太刀筋を気にしなくてもいい。こればっかり使っていたら自分に剣の才能があると錯覚してしまいそうだ。
だが、たかがナイフ一本で乗り切れる状況でもない。俺の前から大ムカデが飛び掛かってくる。俺は大ムカデに背を向けてしゃがみ、タイミングを見計らって背にしていたあの古びた剣を抜いた。
大ムカデは俺の上を飛び越えるか飛び越えないかと言うギリギリの軌道で俺に突っ込んでくる。だが、大ムカデは俺に当たることはない。大ムカデはちょうどその時、俺が背から引き抜いた剣の腹に乗り上げた。錆びた剣はグラディウスとでもいうべき幅広の剣だ。剣幅はそれなりにある。
「おらあ!」
俺はボールを投げるようなフォームで剣を振り抜き、剣に載せた大ムカデを投げ飛ばした。
逸らせるものは剣で逸らし、躱せないもの、懐に入られたものはナイフで切り裂いてゆく。天井からはまたあの大燕が大ムカデを捕らえては消えてゆく。大燕達の掃除が終わるまで、このまま押し切られずに耐え切りさえすればいい。なん乗り切ることが出来れば、あの一団の進んだ道を辿ってこのしみったれた洞窟ともおさらばだ。
俺は右手に括り付けた短刀と、左手にした大剣と言うには少し短い剣の二刀流で凌ぐ。錆びた剣は剣捌きが下手な俺でもそれなりに扱いやすい。しかし、大部分は地下へ消えてしまったとはいえ、大ムカデはまだ地面を埋め尽くすほどいる。
「ちょっと・・・きつい!」
右腕は白く結晶化していて自由に動かない。体に取りついた大ムカデは左手で払わなければならない。すると当然飛び掛かってくる大ムカデを捌き切れなくなってくる。結果的にもっと多くのムカデに懐まで入られてしまう。ひどい悪循環だ。
羊の骨の兜が俺から出る熱気に満たされた。体捌きで躱せるものは躱してきたが、左足がだんだん痺れてきた。噛まれたところは赤くなってパンパンに腫れている。
俺は俺が流されるのを止めてくれた大岩に背を預け、得意の壁際戦法をとる。大ムカデは頑丈すぎるせいで、下手に踏みつけた所で潰れやしない。うっかり踏みつけてしまえば逆に足を取られてしまう。大ムカデを踏まないように、そして噛みつかれないように。背後からの脅威を無くしておくことで、左足が動かなくなったとしてもまだ余裕はある。
大ムカデの殻は堅い。だからといって右腕のナイフだけに頼るわけにもいかない。俺はこれまで以上に集中して左手の錆びた剣を振るった。だが、ただ剣筋に注意して振るうだけでは、鎧の隙は突けても切り裂くことは出来ない。
幾匹も幾匹も次々に向かってくる大ムカデを相手にしていると、何の剣の心得もない俺にも見えてくるものがあった。手の力だけで振るう剣には何の威力もない。だからこそ、素人の扱う剣は驚くほど切れない。もっと全身の力を集め、遠くの筋肉からも力を集約して足りない筋力を補い、そして体重を乗せて振るわなければ・・・このムカデは切り裂けない。
気が付けば俺は反射的に体全体で剣を振り、腰を入れて切り付けていた。全身で剣を扱うせいか、それとも剣が体になじんできたのか分からないが、とにかく剣が軽く感じられた。たった三日間だけとは言え、俺は寝ている間以外ほとんどの時間この剣を振い続けてきた。俺の太刀筋は付け焼刃に過ぎない。だが、それでも刃が無いよりはずっとましだ。
俺も次第に足が動かないハンデと大ムカデの攻撃に慣れ、何とか拮抗できるまでにはなった。だが、体力が持つかどうかギリギリだ。全身で剣を振るうとは即ち、普段使っていない筋肉まで動員することだ。いきなりそんな慣れないことをしたせいだろう。次第に体の中心が疲労でズシリと重くなってくる。
「体力なんて高尚なもんはねえが・・・気力とその先にあるもんはたっぷりある!」
一匹捌く度に細かい擦り傷が一つ俺の体に刻まれる。一太刀振るうだけで俺の体が軋む。だが、なんてことない。樹海で味わった恐怖、絶望に比べればこんなの苦労の内にすら入らない。そして、例えこの先にあの死ぬような思いをした日々を上回るようなことがあったとしても・・・
「なんてことはない!」
俺は自分のしぶとさだけは死んでも信じられる。
俺が大ムカデを切り裂き、次の個体に備えて構えを取る。左手の剣をフェンシングの突きを繰り出す前の様に胸の前に引いて構え、右腕は構えず下ろしておく。どうせ動かないので噛まれてもいい左足を前に、重心はやや後ろに。
左足が動かないのと右腕の可動域が狭いせいで、この構えは半ば苦肉の策と言った所だ。俺が意図したわけではないが、気が付くとこうなっていた。飛び掛かって来た大ムカデは重心移動とともに左に引いた剣で突き殺し、撃ち漏らした個体や、捌き切れなかった個体は自由にさせて置いた右腕のナイフで仕留める。防御は考えない。俺に防御をしている暇はなかった。
「終わり・・・か。」
俺の足元は綺麗なものだが、一歩踏み出せば周りは大ムカデの死骸が軽く山積みになっていた。
「って!痛って!」
戦っていた時はハイになっていたせいで気付かなかったが、よく見れば前にしていた俺の左足はひどいものだった。
噛み傷は二つ増え、擦り傷もひどい。まあ、擦り傷に関しては全身の何処も同じようなものだ。明日になればこの傷も硬化するのだろうか?一応関節は守るようには努力したが、もしかしたら満足に体を動かせるのは今日限りかもしれないな。
「ふぅ・・・疲れた。」
俺は背後の岩に背をもたせ掛けようとした。だが、そこには岩は無い。
「うわっと!何だ!?」
バランスを崩したが、ブンブンと腕を回して何とか立て直した。
振り向いた俺の前には、眠りから目覚めたあの鎧竜が、お楽しみはこれからだとばかりに佇んでいた。
大ムカデの圧力が下がったのは、俺がこの地底の礼拝堂まで流されたからだ。広い場所に出たせいで、俺を押し出す大ムカデが相対的に減ったためらしい。つまり、この地底の礼拝堂の中央に位置する大岩とは、眠っていた鎧竜だったのだ。
天井から降りてくる大燕は、まるで俺を迎えに来たかのようにその黒い翼で舞っている。
「大したことなんてあるじゃねーか。」
誰だ大したことないなんて言ったやつは?
俺は丸太のように腫れあがった左足を何とか引き摺り、その場から飛び退いた。俺が築いた死骸の山は鎧竜の尾で一撃のもとに粉砕された。これまでよりは条件がましとは言え、ここの状況を切り抜けるのは骨が折れそうだ。まだ、天に召される気はこれっぽっちもない。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂・大狼・大カブト・鳳・大軍百足殺し」「食わせ物」「大番狂わせ」「樹海の匠」「魔弓の射手」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「一難去って」「先手の極意」「不撓不屈」「死神の忌避」「蜘蛛の糸」「鎧抜き」「惻隠の情」「初心」「お人よし」「受け継ぐ者」「死神」「必殺仕事人」「隠形」
「探検家」+「命知らず」→「冒険者」
「壁際族」:壁際戦法、背水の陣を多く用いた
「害虫駆除」:毒を持つ蟲を数えきれないほど殺した
遭遇生物
「洗礼の 大挙する 大毒ムカデ」
「警戒すべき 地底舞う 大燕」
「地底統べる 泰山の 大鎧竜」
アイテム
大猪の牙 火起こし機 水筒 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪 万能ポシェット(謎の試験管 識別票 その他不明) 古びたポシェット(識別票x8 託宣紙x9 謎液の上澄み)
装備品
錆びた装飾剣 龍爪ナイフ ぼろのマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x2 ひび割れた羊の兜 ぼろの足袋




