迷宮生活10日目その三
「くそ!このなまくらが!」
地底の礼拝堂からなんとか大ムカデの大群に呑まれずに先へ進むことは出来た。だが、あの開けた場所から溢れてきた大ムカデが背後から追って来るだけじゃなく、俺が進んだ道にもかなりの数の大ムカデが這いまわっていた。ここには天窓は無く、再び暗い洞窟の中を進まなければならない。光源は再び壁面の燐光のみという訳だ。暗がりから飛び出してくる黒い大ムカデは闇に溶け込むせいで、気付くのが遅れてしまいがちだ。
キィーン!と、音を立てて拾った剣が弾き返される。大ムカデの甲殻は鈍い金属光沢を放っている。強度ではあの原生林の大蜂に遥かに及ばないが、それでもこの古びた剣には荷が重すぎた。殻に当たった時の感触で分かる。俺があの樹海で何気なく使っていた龍鱗剣でさえ、この放置されていた剣に比べればとんでもない切れ味だ。あの鱗製の盾にも剣にも何度も命を救われた。なんだかんだ言っても、あの巨大な赤龍の鱗の御陰で今の俺があるようなものだ。
「やっぱ実力云々言っても、いい道具じゃねーとダメだな!」
切れない剣を持つと、自ずと太刀筋や狙いに気を配らなければならない。この場ではただでさえ周囲に気を配らなければならないのに、剣の扱いにも気を配らなければならないなんて。
洞窟の道を駆けながら、俺は飛び掛かってくる大ムカデの殻の隙間を何とか見定めて剣を突き出した。切っ先は大ムカデの鎧のような殻の隙間をするりと抜け、古びた剣が大ムカデを串刺しにする。腹を貫かれてもなお俺に向かって来ようとする大ムカデがその足を、その顎を動かしもがく。俺は左手で剣を突き出し、大ムカデを串刺しにしている。次の個体が飛んでくるのを見た俺は、ムカデを付けたままの剣を右に引き、そして左上へと振り抜いた。
ぶん!と剣が唸る。剣に突き刺さった大ムカデは遠心力で前に飛ばされ、空中で飛び掛かって来た次の大ムカデにぶつかった。カン!と、乾いた音を立てて墜落する二匹の大ムカデの脇を俺は駆け抜けた。
どうやらこのエリアは道が網目状になっているらしい。出来る限り迷いたくはないが、勘で進むしかない。俺の行く手には何本もの道が分かれ、大ムカデが隊列を成して右へ左へと分かれ道を進んでいる。大ムカデどもは基本的に蟻と同じように前の個体の後を追うが、振動や熱に反応して俺に飛び掛かってきているようだった。
そしてこの網目状のエリアこそが大ムカデの巣という訳らしい。どうりで洞窟の中で大ムカデどもにほとんど出会わないわけだ。普段はあの大燕の来ないここに居て、定期的に洞窟の中へ雪崩れ込んでゆくと。
一匹一匹剣で受けてゆくのは得策ではない。力押しでたたき切れば、この錆びた剣の方が折れてしまいそうだ。剣は最低限飛び掛かってくる大ムカデの軌道を逸らす程度に留める。後は体捌きで何とかしよう。
俺は飛び掛かってくる大ムカデどもを、出来るだけ体力を使わないように歩いて躱す。ムカデどもの隙間をスルスルとぬけていると、ふとあの大猪軍団にリンチされた時のことを思い出して泣きそうになった。あれに比べればこんなもの、遊びみたいなものだ。
とにかく、大ムカデどもを刺激してはいけないのだ。一匹一匹は捌けたとしても、鉄砲水の様に押し寄せられればどうしようもない。俺は淡々と先へ進んでゆく。道を見失う恐怖を押し殺しながら。
「何だ?」
キーン!キーン!と剣が岩を打つような音がする。音は俺の左手の上へと続く道から聞こえてきた。俺はもしかしたらと思い、その道を選んだ。
道を進んだ先に、T字路が交差している。そこで、大ムカデの群れ相手に踊る複数の影があった。
「人?人だ!ひとだああああああああああああ!」
俺が見つめる数十メートル先、そのT字路の交差で、幾人かの男女が押し寄せる大ムカデの大群と戦っていた。彼らは大群に応戦しつつ、T字路の右から左へと撤退しているようだった。
生きた人間に遭遇できたのがあまりにも嬉しくて、俺は後先考えずその集団に向かって駆け出した。駆け出した時には既にあのパーティーは大ムカデに押されて左側に消え、ここの通路からは見えなくなってしまった。だが、洞窟に反響して向こうの集団の声は聞こえてくる。
「業火を!お願い!一番でかいの!」
「無理だ!多すぎるしこの洞窟じゃ力が霧散してしまう!」
「火種だけあればいいの!ぶっ放して!」
「撤退と言っただろう!止めろ!キャスカ!」
人だ!やった!と駆ける俺が通路を抜けきるか切らないかという時に、通路の向こう側を巨大な火焔が通り抜けてゆく。
「熱っつ!」
炎が通るなんて予想もしていなかった俺は、その強烈な輻射熱に思わず驚き、通路を出そうで出ないギリギリのところで立ち止まった。火焔は大ムカデの集団に一気に迫る。
「火?魔法?それに何だ?壁面が?!」
その瞬間、壁面の青白い光が急に力を増した。大ムカデの集団を一気に焼き尽くさんと迫る火焔は、いきなり水を浴びせられたように急速にしぼんでゆく。その焔が消えるか消えまいかという時、通路の端まで来ていた俺の目の前を何やら丸くて黒い物体が通り抜けた。
「え?」
ボゴン!と洞窟を震わせる振動がしたかと思うと、俺は吹き飛ばされ、駆けてきた通路へ押し戻された。あまりの出来事に受け身も取れず、俺はどさりと床に叩きつけられた。悲しいことに、もうこの衝撃にも慣れっこだった。
「おぼろろ・・・」
爆弾・・・か?頭が引っ掻き回されたようで、耳がキンキンする。視点が定まらず、足元がふらついている。俺は何とか立ち上がろうとしたが、体を支えきれずに膝を付き、そのまま胃液を洞窟にぶちまけた。
最悪だ。せっかくここまで地を這い、身を引きずって何とか生きながらえてきたのに、危うく全てが水泡に帰すところだった。今の一瞬、もう少し前へ足を踏み出していたら、間違いなく爆風で死んでいた。向こうは俺の存在を知らなかったはずだ。これは事故だ。事故なのだが・・・何とも言いようのない怒り、腹立たしさが湧いてくる。動物に殺されるならまだしも、人に始末されるのは一番嫌だ。
「全く、なんて奴らだ。」
いや、奴と言うべきか?あの爆弾を投げた女め。なんて非常識な奴だ・・・通路の壁に身をもたせ掛けた俺は、震える手で水を飲む。まだ視界に星が舞い、眩暈がする。衝撃波ばかりは兜でも防げない。
何時崩落してもおかしくない場所で、爆弾を使うとは。リーダーっぽい人が止めようとしたらしいが、多分女だと思われるあの声の主は止めなかったらしい。しかも、さっきの爆発が刺激となって、大ムカデの群れが次々と通路の向こう側へと雪崩れ込んでいく。
さっきまでは地面を覆うぐらいだった群れが、今では目も当てられない量になっている。全くもって莫迦としか言いようがない。俺が爆発に巻き込まれたのは・・・俺の不注意もあるから仕方がない。同じ人間の、それも相手が思慮のある者だと勝手に思い込み、油断したのが悪かったのだ。
爆風のせいか、それともいきなりこんな仕打ちを受けて滅入っているのかは分からないが、とにかく気分が悪い。少し休まなければまともに動けそうにない。
そもそもが間違い、勘違いだったのだ。彼らは味方ではない。
そして、味方になろうはずもない。
俺は毛皮の包帯を巻いた右腕を見た。そして左手で顔の傷跡に触れる。傷跡自体は直接は見えないかもしれない。だが、俺は怖い。この姿で出て行って、受け入れられなかったら?
「醜い俺が仲間を求めたからこうなったのかもしれんな。」
なにせ俺は、神様って奴にひどく嫌われている。死神でさえ俺を迎えには来たがらないだろう。仲間など求めなければよかったと後悔するくらいなら、仲間など不要だ。どうせ俺は余所者だし、日本に帰ってしまえばそれが縁の切れ目だ。ならば、下手な縁など不要。俺は帰るために生きてきた。これからもそうだ。
それはそうとして、あれだけ派手にやったんだ。果たして彼らはさっきの一瞬で上手く脱出できたのか?
「くっ!余計なことを!」
「ごめんなさい!だけど!この先にはあの子が!」
「もうこれ以上は無理だ!団長としてこれ以上の独断は許さん!」
「でも、あの子は!たった一人で!」
「撤退と言うのが聞こえんのか!彼女は納得して脱退したんだ!団員でないもののために犠牲は払えん!」
「でも、でも!」
「くそ!数が多すぎる!」
撤退は駄目だったらしいな。
気分の悪さも謎液を呑めばすっと引いてゆく。謎液様様だな。俺は謎液のフラスコを片手に、通路の向こう側を見る。あの5,6人のパーティーが大ムカデを引き付けてくれている御陰で、こっちは静かなもんだ。彼らは頑張っているようだが、通路を埋め尽くすほどの大ムカデが押し寄せているのだ。じきに圧力に負け、大群に呑まれてしまうだろう。
これがこの洞窟、ひいてはあの樹海から続く場所の掟だ。
自分の命は自分で守らなければならない。少しの油断が己の命を絶つ。この場所は法も倫理もない。守ってくれる社会が無い以上、能無しは死なねばならない。
そして何より、油断しなくても死は容赦なく訪れる。己の身を守れぬものに他人の身を案ずる資格はない。
「だのに・・・俺は一体何やってるんだろうな?」
俺は大猪の肋骨からとったあの弓を構え、矢を咥えていた。
生き延びるためには奴らを囮にして抜けるのが得策なんだろう。もともと奴らがまいた種だ。それに俺は漫画的な熱血漢ではない。後先考えず自分の弱さも知らずに、困っているから助けに行くなんて莫迦なことはしないはずだ。自分には何が出来、何が出来ないのか承知しているはずだった。
・・・だが、俺ってばホントバカ。死ぬほどお人良しなせいだろう。見過ごせないんだよなー。例えそのせいで俺が死ぬとしても、命の大切さを一番よく知っている俺だからこそ、助けざるを得ない。幾度も死線をくぐってきた中、俺は生きていることが何よりも幸せなのだと感じていた。ならば、彼らにも彼らの生があり、俺もそれを守りたいと思ってしまう。
計算論じゃない。体が動いてしまう。格好をつけるつもりじゃないが、彼らを助けて俺も助かる。それがベストだ。俺は右腕に括り付けた龍爪ナイフを見た。これがあれば、あの大ムカデの殻など紙切れ同然だ。何とかなるかもしれない。
自らを窮地に追いやるなんて、俺も狂ってきてるな。ここ数日命の危機に合っていないからかもしれない。酷いパンチドランカーになってしまったものだ。最早病気だな。
「蟲津波か・・・生き残れるかな?」
俺はこれからすることをきっと後悔するだろう。ならば、やってみようじゃないか。
左手に力を込め、咥えた矢に最大の力を込める。狙いはあの大ムカデの群れだ。通路の左に消えたあの一団の姿は見えないが、向こうではあの女が団長とかいう人と言い争っている。こっちは死を覚悟してでも助けてやろうと決心したところなのに、こんな状況で言い争う暇があるとは・・・平和だな。
羊の兜の奥で俺はふっと笑った。俺は静かに目を閉じる。再び開いた時、世界は無音だ。俺の目には大ムカデの群れしか映らない。
蹴散らせ!
そう念じ、放った矢はゴウ!と轟き、空気を切り裂くのが見えるほどだ。大狼の牙を鏃に、虹色の鷲の羽を付けた矢は、通路を抜けるギリギリになってまるで意志があるようにギュウとほぼ90度右へ曲がった。飢えた大狼が空を舞う翼を得たように、矢は獰猛な音を立てて大ムカデの群れの中に突っ込んでいった。
ベキベキ!ミシミシ!とミキサーで硬い殻を砕くような異様な音がする。俺の矢は大ムカデの群れに隠れ、俺が助けた彼らの目からは見えないだろう。いやむしろ、彼らは何が起こっているかさえ分からないかもしれない。だが、別にそれでもいい。助けてやったぞなんてわざわざ言いに行くような恩着せがましいことはしない。
「奴らの動きが?!ファルケ!キャスカを黙らせろ!撤退する!」
「了解!」
俺の放った矢で大ムカデの群れが崩れた一瞬を、あの団長とかいう男は見逃さなかった。爆弾娘は気絶させられたらしい・・・なんて言ったらいいんだろうな?ご愁傷様?
俺は見えぬ彼らの撤退を支援するためにもう一発矢を放つ。俺の放った矢は大ムカデどもを喰い散らかすようにバリバリと音を立てて進む。今や大ムカデの群れは完全に標的を俺に変えていた。T字路を右から左へと進んでいた大ムカデの群れは、方向を変え、俺のいる方へ押し寄せてきた。早く引かなければ呑まれてしまう。次の矢をつがえる暇はなさそうだ。
俺が弓を肩にかけ、剣を手に駆け出した時、通路の向こう側から声がした。
「誰かは知らぬが感謝する。ご武運を!」
「さっさと行け!」
そう叫んだ俺は、地下の礼拝堂へ戻るべく、足元の岩を蹴った。あそこならば広い分、圧殺だけは避けられるはずだ。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂・大狼・大カブト・鳳殺し」「食わせ物」「大番狂わせ」「樹海の匠」「魔弓の射手」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「一難去って」「先手の極意」「不撓不屈」「死神の忌避」「蜘蛛の糸」「鎧抜き」「惻隠の情」「初心」「お人よし」「受け継ぐ者」「死神」「探検家」「必殺仕事人」「隠形」
「大軍百足殺し」:「洗礼の 大挙する 大毒ムカデ」を50匹以上殺した。
遭遇生物
「洗礼の 大挙する 大毒ムカデ」
連合公国認定クラン「ドラゴンスレイヤー」の皆さん
団長、魔法使い男、爆弾娘(剣士キャスカ)、ローグ(ファルケ)、剣士(数が多すぎるさん)
アイテム
大猪の牙 火起こし機 水筒 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪 万能ポシェット(謎の試験管 識別票 その他不明) 古びたポシェット(識別票x8 託宣紙x9 謎液の上澄み)
装備品
錆びた装飾剣 龍爪ナイフ 毛皮のマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x2 ひび割れた羊の兜 ぼろの足袋