迷宮生活10日目その二
天井に開く穴が増えて来た。暗い洞窟に何本か光が差し込んでいる。まるで大嵐の後に裂けた雷雲の合間から、天へと光の階段が伸びているようだ。それとも、地上をさ迷う生き物にとっては、己を地獄へと引き込む悪名高い落とし穴といったところか?
洞窟は再び広さを取り戻し、天井もまた高くなって来た。謎液はまだフラスコの半分ほど残っている。水筒の水も振ってみた限りでは、1/3ぐらい残っている。洞窟の水や生き物に手を付けなければならない程でもない。
何より燃料が無ければ、生食になってしまう。もし、それが原因で感染や腹下しでも起こしてしまえば、この洞窟で身動き出来なくなってしまう。
ペトリャスカの死を目の当たりにしたせいだろうが、大ムカデを見かける度にヒヤリとする。いつ何時大ムカデの行進があるか分からない。せっかくここまで来たのに、地の底へ押し戻された上に、這回るムカデ共に骨までしゃぶり尽くされるなんて、考えるだけで身の毛のよだつ思いがする。
この洞窟を把握しきっていない俺にとっては、少なくとも万全の体調でいる方が、食料を節約するより優先される。何よりまだ謎液にも水にも余裕はあるしな。
それに、怖いのは動物だけでは無い。今のところは小虫一匹居ない道や、僅かでも異臭のする地点には近寄らないようにはしているが、うっかり煙に巻かれでもすれば即昇天ものだ。
洞窟には硫化水素や二酸化炭素が溜まりやすい。高濃度の硫化水素は臭わないというし、死後皮膚が毒々しい緑色になるらしい。緑色とか嫌過ぎるな。
まあ、いわゆる煙に巻かれて・・・というやつは、毒ガスで苦しむというよりは、低酸素のせいで死ぬと聞く。
だったらわざわざ傍迷惑な毒ガスなんか使わずとも・・・話が逸れたな。要するに、いつまでもこんな危険満載の洞窟には居たくないという訳だ。
天井の穴からは僅かな光とともに、丈の高い草が見える。地上はあの草のせいで、先も見えない程の薮なのだろう。
先へ進み、天井の穴が増えるに従って、岩影にちらほらと獣の骨が見受けられた。恐らく薮を進む内に、運悪く草に隠された穴に呑まれ、岩の床面に叩き付けられて死んだんだろう。
そして、その遺骸は回り回って洞窟に住む全ての生き物の糧となる。不毛なはずの洞窟にしては、やけに巨大な生き物が住んで居たのはこういう訳か。
外部から定期的に餌が供給されるお陰で、この洞窟の生態系が維持されているらしかった。
「上に上がっても、一歩道を踏み外せば・・・」
もれなくGo to hellとは笑えない。
はあ・・・と、俺はため息をつく。上の草地がスタート地点で無くて良かった。問答無用の即死地帯と知ってさえいれば、あの穴に落ちることもあるまい。事前情報はまさしく生死を分かつものなのだ。
ぼとりと、鈍い音を立てて天井から普通に大きなニシキヘビだかアナコンダだかが落ちてきた。
「普通に大きい」と言うのは、「地球的な意味」で大きいと言うことだ。巨人の国から帰ってきたガリバーが、同族の人類を見て「小さい」と感じたように、馬鹿でかい生物に慣れてしまった俺にとっては、ボアだろうとキングコブラだろうと十分「常識」の範囲内だ。
毒があるかどうかは知らないが、あの程度のサイズならば「ふーん、そうなんだ。大きいね。」というところか。
天井から落ちてきた不運な蛇は、即死しなかったのかしぶとくも暫くのたうちまわっていたが、すぐに何処からともなく現れた大蛙に一呑みにされてしまった。
カエルが当たり前のように蛇を飲み込んでしまったのを見ると、何とも複雑と言うか、ばつの悪い気分になる。
「俺がああならないように気をつけよう。」
俺はさらに歩みを進めた。
洞窟はいよいよ広さを増してきた。ここは柱がほとんど無く、ドーム状の天井から入る光が幻想的だ。さながら洞窟の中の礼拝堂といったところか。
ただ、俺はこの美しい情景を素直には賞賛出来ない。分厚い壁や、太い柱が満ちていたこれまでと違い、天井を支える柱状の岩が驚くほど少ないせいで、天井が崩落して来ないか酷く不安だ。例え洞窟を出ても、この上は歩きたくない。
観光では無いのだ。先へ進む道は3本あるが、さっさと安全を確認して疾く去ろう。
数十メートル四方のこの空間の真ん中は、石灰化した巨大なごつごつとした岩が占領している。床面はこれまでと異なり、細かい棘があまり無くて歩きやすい。
俺がこのはかなくも美しい空洞を抜けていると、不意にヒョロロロと、風が吹き抜けるような鳴き声が聞こえて来た。
反射的に岩影に身を潜めた俺は、鷹程の大きな燕のような鳥が、天井にぽっかりと空いた穴を器用にくぐり、そして別の穴を通って地上へ飛び出してゆくのを見た。
「何だ?」
草で塞がれた地上の様子はここからでは窺い知れない。
ピョルル!ピョロロロ!と、幾匹もの大ツバメたちが次から次へと穴から現れては、天井から下がる氷柱のような鍾乳石の間をするりと抜けて地上へと帰ってゆく。
まるでペンギンみたいだな。草を突っ切って穴を超える時、大ツバメたちは水面に飛び込むように羽をぴたりと体に付けて、地上と地下の境界を超えてゆく。ある時は数匹が同時に、またある時は連続して。大燕たちは大きな円形のレースを編むような動きで飛んでいる。まるで地上の何かを見えない糸で縫いとめてゆくようなその動きに、俺はついつい見とれてしまっていた。
ヒュッ!っと音を立てて大燕が岩に隠れている俺の上を飛び去る。一瞬の間をおいて、ぴちゃりと俺の毛皮のマントに何かの滴が落ちてきた。
「何だ?」
左手でぐいとマントを引き、雫が落ちた部分を見る。俺の毛皮には赤い染みが出来ていた。
「これは・・・血?」
ハッとした俺は地上と地下を行き来する燕たちをよく見た。その嘴は血に濡れ、怪しく光っていた。ツバメたちの描く円は徐々に狭くなってゆく。その円の中心には、一際大きな穴がぽっかりと開いていた。その穴からぱらぱらと土が落ちてくる。中心の穴に一瞬だが、何かの蹄が見えた。
「おいおいマジかよ。」
大燕たちの死の舞踏は、まるで獲物を締め上げるように急速に収束していった。地上で大燕たちに追い立てられていたもの、その正体はすぐに分かった。
ブオオ!と無念の雄たけびを上げ、一頭の牡牛が穴から落ちてきた。
ドスン!と鈍い地響きが洞窟中にこだました。
立派な角をはやしたその首はあらぬ方向を向き、黒く筋肉質のその体には細かな傷が刻まれている。ピクリとも動かなくなった立派な牡牛の上に、黒い翼の大燕が何匹も舞い降りた。
その体にはあちこち啄まれた跡があり、細かな傷跡からは血が幾筋も尾を引いて流れている。牡牛の目は、両目とも潰されていた。目から流された血の涙は既に乾いていた。恐らく、あの大燕たちはまず真っ先に牡牛から光を奪い、あの鳴き声とその嘴であの落とし穴に追い立てて行ったのだろう。
目をやられ、大燕どもはどこから来るともしれない。その闇の中、あざ笑うようにピョルル!と、燕たちが鳴く。穴に足を取られた時、あの牡牛が感じたのは恐怖だったのだろうか?それとも、自分よりはるかに小さな相手に追い立てられることへの怒りだろうか?それが何だったのか、俺には知る由もない。ただ、俺は本能に従ってどこまでも冷徹に、非情になれる大燕たちに、底知れぬ恐怖を感じていた。
大燕たちは協力して大物を仕留めたと言うのに、大牛にはもう興味がないとばかりに牛の上に止まり、羽を手入れしている。
大牛の体から、血が流れ出てきた。ふと、地底のドーム中央の巨岩が動き出す。
目の錯覚か?と思う暇も無く、中央の巨岩にみるみる命が吹き込まれてゆくように、その何かは首をもたげ、ゆっくりと、だが力強く動き出した。
「また龍か・・・」
俺が巨石だと思っていたそれは、全長15メートルはありそうな頑丈な鎧を纏った龍だった。いや、一般的な龍と言うよりも、恐竜の、特に鎧竜と呼ばれた生物に近いかもしれない。とりあえず、腕立てをした体勢で歩いていないから、でかい蜥蜴とか鰐の類ではないはずだ。
岩のような龍の鎧は、その龍の寿命を物語るような分厚い石灰に覆われていて、本来の形を窺い知ることは出来ない。だが、辛うじて石灰に覆われていない関節や頭の部分から、この龍は本来は光沢ある漆黒の鎧を纏っているらしかった。
龍が一歩歩むたびに、ズン!とあの牡牛が落ちてきた時と同じぐらいの振動が伝わってくる。
龍が起きると、大燕たちはさっさと大きな牡牛から飛び退き、近くの地面から生えた槍のような石筍の先に止まった。どの大燕も、大牛にも龍にさえも興味がないとばかりに毛づくろいをしている。
俺はこんな事態に遭遇してしまって、軽く混乱していた。今の内に進むべきか、それともあの龍に見つからないように息をひそめているべきか・・・あるいは、引き返すべきか。
俺がとりあえず事態を静観している間にも、あの鎧竜は目の前に差し出された供物をバリバリと音を立てて骨ごと噛み千切ってゆく。
鎧竜が一噛みする度に牡牛の体からは血が噴き出し、鎧竜が大牛を咥えたまま首を振って肉を引きちぎる毎に血が雨のように撒き散らされる。数分もしない内に地底の礼拝堂は血の臭いに染め上げられた。
無残にも喰い散らかされた大牛の遺骸は、殉教した聖者のようにひときわ高い石の柱に叩きつけられた。
散々食い散らかした鎧竜は、もう興味はないとばかりにこの地下空間の中央に戻り、以前同様岩のように動かなくなった。
不意に大燕たちが一斉に飛び立つ。
俺が先へと進むべき道が静かに広がる水に濡らされる様に、この地下の礼拝堂から出る道の一つにあの大ムカデが群れを成して流れ込んで来ていた。
「あの燕どもめ・・・なんてことを。」
大燕たちはまるで歓喜に沸くように、大ムカデを捕獲しては壁に叩きつけ、そして次々に地上へ運び去って行った。この空間から出る右側の道は、今や鉄砲水の様に押し寄せてきた大ムカデどもに塞がれてしまっていた。血の臭いに誘われた大ムカデたちがどんどん雪崩れ込んでくる。
「最悪だ!」
俺は寝入った鎧竜の死角を縫うように、未だ安全確認の済んでいない一番左の道へと一目散に駆け出した。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂・大狼・大カブト・鳳殺し」「食わせ物」「大番狂わせ」「樹海の匠」「魔弓の射手」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「一難去って」「先手の極意」「不撓不屈」「死神の忌避」「蜘蛛の糸」「鎧抜き」「惻隠の情」「初心」「お人よし」「受け継ぐ者」「死神」「探検家」
「一撃必殺」+「仕事人」→「必殺仕事人」
「隠形」:気配を殺し、息をひそめて隠れた
遭遇生物
「忍び寄る 蛇呑みの 大蛙」
「油断できぬ 絞め殺す 藪主毒蛇」
「警戒すべき 地底舞う 大燕」
「誇りある 破岩の 大牛」
「洗礼の 大挙する 大毒ムカデ」
「地底統べる 泰山の 大鎧竜」
アイテム
大猪の牙 火起こし機 水筒 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪 万能ポシェット(謎の試験管 識別票 その他不明) 古びたポシェット(識別票x8 託宣紙x9 謎液の上澄み)
装備品
錆びた装飾剣 龍爪ナイフ 毛皮のマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x4 ひび割れた羊の兜 ぼろの足袋




