迷宮生活8日目その五
岩陰の向こう、そこは挑戦者たちの墓場だった。
と言っても、ここまでに至った人間は数少ないらしく、俺の前には数人分の白骨死体が何かの獣の骨に交じって転がっている。どれもこれも年代がバラバラで、もう崩れて砂になってしまったもの、風化して触れるだけで砕けそうなもの、かなり年代が経っていそうなもの、「比較的」最近のものなど、それぞれがそれぞれの旅の終焉を物語っていた。
俺は円形になった岩陰の片隅にペトリャスカを横たえた。
俺は白骨死体の間に潜むムカデどもを潰し、散らばった遺品を集めてゆく。
ペトリャスカが託宣紙と呼んでいたペンダントは、大抵遺体の首元に掛かっていた。俺は遺体を崩さないように慎重にペンダントを外す。俺は外した託宣紙を岩に囲まれた小さな円の真ん中に並べてゆく。
「足りない。」
崩れた死体でも、大体首があったであろう辺りに託宣紙は転がっていた。俺は最後の一人の首辺りを探すが、肝心の託宣紙は見つからない。ふと見ると、託宣紙の金の輝きが遺体の手のあたりに見えた。この遺体の主は託宣紙を握りしめたまま死んだのだろうか?
識別票はどんな金属でできているのかは知らないが、欠けたり傷が付きこそすれ、錆びてはいない。託宣紙も埃を被っていることを除けば、何故か新品同様の輝きを宿していた。
「1,2,3・・・7,8枚。これで全部か。」
金属製のプレートの識別票と金色の託宣紙の数を数えた俺は、ペトリャスカの託宣紙も合わせてポシェットに入れようとした。
「・・・開かない。」
ポシェットは開かない。
「下手に弄れんよな。」
ペトリャスカのポシェットにはランドセルに付いていたような、あの回して留めるタイプの留め具が付いている。俺は留め金を回そうとするが、いくら力を込めようともうんともすんとも言わない。壊してしまっては元も子もないし、なによりこれはペトリャスカの遺品。乱暴に扱うことは出来ない。
「さっきの譲渡の魔法っぽいの、失敗してたんじゃ・・・」
俺はがっくりとうなだれる。一生懸命やってくれたペトリャスカには悪いが、俺にはこれを持つ資格がなかったのだろうか。
「はぁ・・・」
と、ため息をついた俺は指輪とポシェットを見る。ポシェットはともかく、指輪の使い道がさっぱり分からん。
遺品をポシェットに仕舞えないのなら仕方がないと、俺は無念にも散って行った者たちの遺品を漁る。下手に触ると埃が舞い散ってしまう。死体あさりは気が引けるが、致し方ない。
これは使えるのでは?と、俺は魔導師だったっぽい遺体の高級そうなローブに目を付けた。だがそのローブも寄せる時潮には勝てなかったのか、触れた途端にボロボロと崩れ去ってしまう。崩れたローブの陰から、くたびれた大き目の革のポシェットと、その口からあふれ出るように飛び出したフラスコが出てきた。
薄緑色の液体が入ったフラスコは、いかにもポシェットから出てきたような形で岩の床に転がっている。しかし、大きさ的に明らかにそのポシェットに収まり切るようなものではない。
「何だこれ・・・」
俺は二本のフラスコとくたびれたベージュのポシェットを拾い上げた。俺はもしかしたらこのポシェットは四次元ポシェットなのかもしれないと、ポシェットの中に手を突っ込んでみた。
「まあ、ふつーの袋だわな。」
試しにフラスコも押し込んでみるが、くたびれたポシェットの端がポロリと欠けただけで、結果は変わらなかった。
「無いよりましか。頂いていきます。」
俺は遺体に礼をして、くたびれたポシェットに識別票8枚とペトリャスカのも含む託宣紙9つを仕舞った。ポシェットにはまだ余裕がある。スペースとしては謎液の入ったフラスコぐらいか?
俺はキュポン!と一本のフラスコの栓を抜いた。フラスコの中の薄緑色の液体は、長年放置され続けたためか4/5の上澄みと1/5の色の濃い部分に分かれ、そして澱が溜まっている。
「殺虫剤とか農薬じゃないよな?」
農薬自殺は三日三晩苦しんだ挙句、意識を取り戻して「もう自殺はしない」と決めた時に死んでしまうと聞いたことがある。うっかり飲んでしまったでは済まされない。
俺は恐る恐るフラスコの液の臭いを嗅いでみる。
「栄養ドリンク?」
懐かしいようなあの薬品臭いチープな匂い。フラスコからはそんな匂いがしていた。俺は緑の液を少し口に含んで墓場から離れた。しばらく歩く間、液体を舌の上で転がしてから洞窟の段々畑の側に吐き出した。
「味は・・・薄味の栄養ドリンクだな。」
舌の上で転がしたのは味を知りたいからではない。毒が無いかを知りたいからだ。そもそも味に関して俺の舌に期待はできない。俺はそのまま数分突っ立っていた。
しばらく経ってもあの薬品臭さは抜けないが、舌は痺れては来ない。とりあえず微量で効くような即効性の毒はなさそうだ。俺は恐る恐る一口だけ謎液をあおった。
「何の変哲もない栄養ドリンクだよな・・・」
俺は洞窟の壁面や岩から出る薄暗い青い燐光にフラスコをかざしてみた。明らかに消費期限は切れていそうだが、世の中には寝かせるほどいい飲み物もあるくらいだ。ましてやここは年中肌寒い洞窟の中。保存状態はいいのかもしれない。
何よりも、一口飲んだ途端、まるで胃の中から全身に活力がみなぎるような感覚。もしかしてこれは、世に言う「回復薬」なのではないだろうか?
気が付いたら一口どころか、どんどん飲んでいた。
「げふっ!・・・ごちそうさまでした。」
謎液の半分ほど飲んだところで、何故か知らないが俺は満腹になった。この液体は一粒3万キロのあの大豆と同じような効能があるのだろうか?是非とも日本に持って帰りたいものである。
下の液はどうなっているのだろうと、俺はフラスコを振ってみた。すると途端に、きついアルコールと強い薬品の臭いが立ちこめてきた。
「くさっ!」
俺は思わず指の無い右手でマントの裾を鼻に押し当て、フラスコに栓をした。どうやら飲めるのは上澄みだけらしい。下の液はもしかしたら保存料とかが分離したものなのかもしれないな。そう思った俺はもう一つの方の謎液から下の液と澱を捨てることにした。
上澄みが混ざらないように、慎重に新品の方のフラスコの上下をゆっくりとひっくり返す。下の液と澱がうまく栓の方まで下りてきたら、栓を抜き、地底の段々畑に向かって不要な液を流して捨てた。
「地味に環境破壊のような気もする。」
数年、あるいは数十年かけて溜まった段々畑の鉱水が、俺のせいで心なしか緑色っぽくなったような気がした。俺はフラスコに栓をし、岩陰の墓場へと戻る。
「この剣、拝借していきます。」
俺は遺品の中からまだ使えそうな剣を拾う。他の遺品は軒並み錆びついたり崩れたりしているが、この剣はまだ錆が芯にまでは達していないらしい。遺品の中には鎧だっただろう金属板やら盾やら転がってはいる。しかし、鎧は肝心の金属板が薄すぎるし、もろい。何より保護面が申し訳程度しかない。盾も小さすぎて、平均すれば鍋の蓋ぐらいの大きさだ。
遺留品には油やら蝋燭的なもの、劣化したロープ、それに予備の衣服だっただろう布きれ等、日用品はえらく充実している。その割に、ここで倒れた冒険者たちは軒並み軽装過ぎるほど軽装だ。盾や鎧にはペトリャスカが血でその手に描いていたようなのと同じような紋様が掘られているが、この文字的なものが何か役に立つのだろうか?
「装飾は良いが、全体的に出来が悪いよな。」
そうなのだ。どの装備も装飾だけはきちんとしているが、その反面作り自体は非常に粗末だ。俺ならこんな装備でこんな危険地帯には踏み込みたくない。俺にしたらここは戦車で進んでも不安な位だ。
ここから入口までの道のりの困難さは俺には分からない。だが、彼らはその軽装さとは裏腹に、現にここまで辿り着いている。この装飾にも、多分意味はあるのだろう。
「俺はこの世界には向いてないな。」
と、今更ながらに思う。俺はペトリャスカの遺体に一礼した。この世界の常識が無い俺には、君のしてくれたことを十分には生かせそうにない。
「さらば英霊よ。安らかに眠れ。」
俺は白骨死体とペトリャスカの遺体を一纏めにして、遺留品にあった油と一本目のフラスコのアルコール的なのを振りまいた。
盾に使ってあった木材を火種に、俺は9人の遺体に火を放った。
洞窟で火を使うなど非常識極まりないが、俺はここで息絶えた先人達をどうしても弔いたかった。
遺体に手を合わせ、謎液の御陰ですっかり元気になった俺は、足早にその篝火を後にした。
めらめらと揺らめく炎が、青くほの暗い燐光に満たされた洞窟を赤く染めてゆく。
炎が燃える円形の岩の窪地の周りには、無数の岩が薔薇の花弁のように渦巻いている。この岩々の螺旋は、洞窟の両端から獲物を呑み込みつつ押し寄せる大ムカデの大群が、何万何億回とここでぶつかりあって来たために生じたものだ。
炎によって周りの空気は吸い上げられ、あたかも竜巻のように炎を天井へと伸ばしてゆく。岩々の間を擦れる空気が、雄叫びのような雄々しい音を立てる。
その焔は、さながらこれまで暗い洞窟を彷徨って来た魂が天へと昇ってゆくようで、赤々と照らすその光は、俺に洞窟の上へと延びる崖とも亀裂ともつかぬ道を示してくれた。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂殺し」「食わせ物」「大狼殺し」「大番狂わせ」「一撃必殺」「大カブト殺し」「樹海の匠」「鳳殺し」「魔弓の射手」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「一難去って」「先手の極意」「不撓不屈」「死神の忌避」「蜘蛛の糸」「鎧抜き」「惻隠の情」「初心」「お人よし」「受け継ぐ者」
「死神」:彷徨える魂を天へと導いた
遭遇生物
アイテム
大猪の牙 火起こし機 水筒 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪 万能ポシェット(謎の試験管 識別票 その他不明) 古びたポシェット(識別票x8 託宣紙x9 謎液の上澄み)
装備品
錆びた装飾剣 龍爪ナイフ 毛皮のマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x4 ひび割れた羊の兜 ぼろの足袋