迷宮生活8日目その四
ムカデ注意
「俺は弱いよ。今だってなんで生きてるのか分かんねぇし・・・こんなもの貰っても、無駄になってしまうかもしれない。外に出られずに死んでしまうかもしれないよ?」
「でも、貴方は今途方もない試練の中にありながら、ここに立っている。それがあなたの・・・強さの証明なのでは、こほっ!こほっ!・・・ないのですか?」
俺が彼女の口から流れる血を拭おうとするが、少女は良いとばかりに自分の右手で血を拭う。拭き取った血の跡が少女の青白い肌に赤い線を刻んだ。力ない様子とは裏腹に、少女は強い視線で俺を見つめている。
「ちょっ!ちょっと待ってくれ!君は何か勘違いをしているんじゃないのか?俺は、こんなとこに居るのが場違いな位、本当に弱いんだよ?」
ふっと目を閉じた少女は首を横に振った。
「私は貴方ほど、強く誇り高い魂を他に知りません・・・」
少女は長く話していられないのか、少し話すとこほこほと小さく咳をする。
何だ?なんでこんなことになっている?この格好がいけないのか?
「待ってくれよ・・・そもそも俺はこの場所に自ら進んできたわけじゃないんだ。八日前にいきなり訳の分からない樹海に放り出された一般人なんだよ。戦いの心得も、高尚な理念もない。それに・・・」
この少女は何故か、出会って数分しか経っていない俺を高く買っているらしい。俺をどこかの戦士とかと勘違いしているんだろうか?少女の期待を裏切るようで申し訳ないが、俺はそんな高尚な存在じゃない。
こほっ!こほっ!っと少女はまた血を流す。俺が水を飲ませようとするが、首を振って拒んだ。
「それは貴方が、自分の弱さと痛みを知っているからです。そんな貴方だからこそ・・・受け取ってほしいのです。貴方なら・・・」
「・・・」
俺はどうしていいのやら分からない。少女はただ受け取ってほしいと言うばかりで、何故俺なのか、具体的なことは全く教えてはくれない。息も絶え絶えな彼女を前にすると頭がうまく回らない。
「あまりしつこいと・・・女性に嫌われますよ。」
「すまない・・・」
俺が俯くと、少女はため息を吐いた。だが、少し嬉しそうだったのは気のせいだろうか?
「私はもう・・・助かりません。」
少女の口が僅かに動き、俯く俺の頭を撫でた。何やら意を決したらしく、俺が止めるのも聞かず、少女はぐっと力を込めて岩から身を起こした。
「貴方も、もう分かっていたのでしょう?」
分かっていた。いや、分かりたくなかったのかもしれない。少女の死の告白に、俺はただただ動揺するしかない。
「看取っていただけますか?」
看取る・・・俺はその言葉がすぐには理解できなかった。
「なにを・・・一体何を言ってるんだ。」
少女は時折口から血を流している。彼女は誰が見ても弱弱しく見えるはずなのだが、俺はそれでも尚、毅然とした少女に圧倒されそうになる。
「もうだめなのか?」
困惑している俺に、少女はさらに続けた。
「ええ。」
抵抗を止めて自分から死を受け入れる。それは幾度となく死線をさまよい、それでも尚生を求めた俺にとって、許しがたい選択のように思えた。
「諦めるのか?」
と、問う俺に、少女悟ったかのように目を閉じた。
「この迷宮に足を踏み入れた時から、覚悟はできていました。」
覚悟・・・俺が一番聞きたくなかった言葉だ。
「何か・・・何かあるはずだ。君は魔法使いなんだろ?」
「魔法使いにも、出来ることと出来ないことがあるんですよ。」
少女は依然として毅然とした態度をとっているが、その顔色は見る見るうちに悪くなってゆく。
いや、俺だって分かっているんだ。これは俺のエゴだ。俺は単に一人でこの洞窟に居るのが堪えられなくなっているだけなのだと。だから、俺は俺の為にこの少女に生きていてほしいと願わずにはいられない。
そう思う一方で、俺は少女の辛そうな顔を見るだけで胸が張り裂けそうだ。今だって、すぐにでも楽にしてやりたいとすら思っている。
「君は俺がここに来てから初めて会った人間なんだ。俺は君を死なせたくない。だけど、君の辛そうな顔を見たくない。俺は・・・どうすればいい?」
俺がそう言うと、少女はまるで懐かしいものでも見るような顔をする。
「貴方は・・・よく似ています。」
少女はコートのボタンに手を掛ける。だが、今の弱った少女では頑強な作りのボタンは外せなかった。俺は無言で少女の代わりにボタンを外してゆく。
ボタンを捻る。カチリと音がして、ボタンが上下に分かれた。ボタンを外し、コートが開く度に血の臭いが強くなってゆく。少女はコートの下に、血で真っ赤に染まった白いワンピースを着ていた。
血で固まったワンピースには所々穴が開き、数匹のムカデが少女の柔肌に喰らいついていた。
「こんなもの・・・」
俺はムカデを掴み引き抜こうとするが、ムカデは決して少女からその顎を放さない。俺が無理に引き抜くと、少女の苦悶はさらに深くなってゆく。
「すまない。」
俺はムカデを引き剥がしては握りつぶしてゆく。真っ赤なワンピースの上から食らいつくムカデはあらかた潰した。しかし、まだ赤いワンピースの下に動く影があった。俺は少女の顔を見る。と少女は一言、
「構いません。」
と、呟いた。
「すまん。」
と、俺は龍爪ナイフで血に染まったワンピースを首元から下へ裂いてゆく。裂けてゆく絹の音は、さながら少女の苦痛を代弁しているようだった。
「こんなの・・・冗談だろ?」
少女は黙って首を振る。
赤いワンピースに浮かぶ二本の線。俺が少女の両足だと思っていたものは、ブーツと骨を残して無数に蠢くムカデに置き換わっていた。
群れ、螺旋を描くムカデ達は少女の残った肉に喰らい付き、傷口にその頭を埋めては盛んに血を啜っている。
臍周りの絹のような白い柔肌の下には、無数のムカデが肉を食い破って這いまわり、白い肌を透かしてその黒い姿を浮かび上がらせていた。少女の肌が描く滑らかな曲線に、皮膚の下に潜むムカデが不気味な隆線を描いている。
左腕からは生まれたてのムカデが堰を切ったように肌を突き破り、湧き出ていた。
「だって、だってさ・・・こんなのってないよ。嘘だよな?だって、君は魔法を使えるんだろ?この程度の怪我なんて何とでもなるんじゃないのか?」
「・・・」
少女は何も答えない。ただ、首を振るだけだ。
「ほ、ほら!これなんかどうだ?ちょっと萎びてるけど、これを喰えば蟲なんて一発だ!」
俺は荷物を解き、隅に挟まっていた漢方の葉を取り出した。少女は黙って首を横に振る。
「こ、これならどうだ?!ほら!ちょっと草の臭いがきついけど、この石綺麗だろ?この石と鉱石があれば何かでかい魔法が使えるんじゃないのか?」
俺が石を見せると、少女は少し笑った。
「なっ!役に立つんだな?!」
「ええ。水・・こほっ、水を一口。」
「水だな?!」
俺が少女に水を飲ませる間にも、ムカデどもは少女の肉を削ってゆく。だが、ムカデ共は引き剥がせない。下手に剥がせば少女に痛みを与えるだけだし、一匹剥がしたところで待ち構えていた奴が穴をすぐに埋めてしまう。
俺は出来るだけ少女に苦痛を与えないよう、毛皮が血みどろになるのも構わず、少女に毛皮をかけてやる。少女の横に佇む俺は、少女の口元からこぼれる水を拭き、むせないように少しずつ水を飲ませた。
「指輪と石を。」
少し落ち着いた少女は、俺にそう言った。少女がそうしたように、俺は指輪を咥えて外す。俺はすぐに指の無い右手も使って指輪と二つの石を差出した。それを見た少女は短く頷く。
「復唱してください。二つの石を持ちて・・・」
―二つの石を持ちて―
俺の手に載せられた少女の指輪が熱くなる。
「受け継ぎし指輪を」
―受け継ぎし指輪を―
俺の血が二つの石に流れ込むような感覚がする。
「我の心とともに」
―我の心とともに―
指輪も石も熱い。熱い何かが俺の中に入って来た。
「新たなる姿へ」
―新たなる姿へ―
その何かは俺の中から、何か良く分からないが、ひどく胸を締め付けて止まないものを引き出してゆく。
「我に溢るる心を形に」
―我に溢るる心を形に―
俺はこれが少女を救うためのものではないと分かった。俺は少女を前にして泣いていた。頭に被った羊の目から涙がこぼれる。
この少女はこんな時でも俺に、こんな俺の為になるようなことしか考えていない。一体どうしてだ?何故こうまで人に、他人に、君を救えない無力な俺に何かを成そうとしてくれるんだ?俺にはその価値すら分からないというのに。
俺の手の上の3つの素材は熱を帯び、どろりと溶けて俺の左中指に結実した。少女の指に嵌っていた指輪は、一回り大きくなって俺の指に誂えたようにぴったり嵌る。黒かった指輪の宝石は、俺の青く澄んだ石を取りこんで、深海のような深い悲しい群青色になっていた。
俺はまだ情けなくも涙を流していたが、顔を上げた。俺のわがままで、彼女の時間を無駄にしたくない。俺は残り少ない時間、彼女のために使おうと思っていた。
「なあ、今更だが君の名前を聞いていいか?」
「ああ。そうでしたね。」
少女は思い出したように笑った。
「ペトリャスカです。帝国のペトリャスカ。」
「ペトリャスカ・・・俺は龍彦だ。早間龍彦、日本人だ。」
よろしくと、俺はペトリャスカの手を取り、握手した。ペトリャスカの手はもうほとんど動かないし、冷たかった。だが、それでもいい。俺はその手の感触を忘れない。
「私も、こほっ、私もいいですか。」
「ああ?何だ?」
少女の顔は穏やかだった。
「兜を・・・お顔を見せていただけますか?」
「・・・分かった。」
俺は少しためらったが、すぐに大羊の骨の兜を外した。彼女になら傷跡を曝してもいいと思った。
「すまないな。醜いだろ。」
「いいえ。」
少女は少し寂しそうな、それでいて納得したような顔をした。その意味するところは分からないが、俺は少女の気の済むようにしたい。
「最後に一つ頼まれてくれませんか?」
「何だ?」
少女は俺の背後の岩陰を指さした。
「あの陰に、私と同じように、こほこほっ!・・・私と同じように志半ばで倒れた人たちがいます。彼らの遺品を、識別票と宣託紙をギルドへ持って行ってあげてくれませんか?」
俺は岩陰の方を見る。向こうの岩陰からこちらまで、血の跡が尾を引いている。多分ペトリャスカは始めは向こうにいて、俺の矢に付いた蔦に引き摺られてここまで来たんだろう。もう一度彼女の方を向いた俺は、俺の知らないアイテムについて問う。
「すまないが、識別票と宣託紙が何か教えてくれないか。」
すると少女は、何も知らない子供に物を教えるように笑った。
「ギルドカードは掌大の金属プレートです。私のカードはポシェットの中にあります。託宣紙は、それです。」
少女は俺が脇に置いたあのペンダントともドッグタグともつかないそれを指さした。紙というならば、そのペンダントの中にそういうものが収まっているのだろう。
俺は託宣紙を握りしめた。俺は、必ず生きてギルドとやらにこの遺品を届けなければならない。
「俺に出来るかな?」
「出来ますよ。だって貴方は、深淵を征く者のお伽噺そっくりだから。」
少女は動かない腕を動かし、ペンダントを握りしめる俺の手を取った。
お伽噺か・・・こんなところに放り出されて、散々な目に会って、それでも尚生きている。確かにお伽噺だ。だが、それ以前に現実だ。
「深淵を征く者は、決して強くはない。強くは無いけれど、絶対に諦めないんです。例え龍に食べられても、その中から這い出すほどに。」
龍の中から這い出すか・・・それほどのしぶとさがあれば、俺も日本に帰ることが出来るかもしれない。
「なるほど、それはしぶといな。俺も・・・なれるかな?」
「なれますよ。」
少女は年相応に無邪気な表情で心底楽しそうに笑う。
「最後にあなたに会えてよかった。」
少女の呼吸は次第に浅くなってゆく。俺は静かに少女の側に座り、少女の頭を優しく撫でる。はっはっはっ・・・と、ペトリャスカは息苦しそうに喘ぎ、先ほどまで穏やかだった顔が再び苦悶に満ちてくる。
だが、それは唐突に来た。
俺はふっと穏やかな顔色になった彼女の頭を撫でた。
「よく頑張ったね。ぺティー。」
少女は心底嬉しそうに涙を流した。
「ありがとう・・さ・・・」
少女は俺の両腕の中で動かなくなった。
俺は泣いた。死んだペトリャスカの体から這い出してきた子ムカデ共が俺の上を這いまわり出しても、俺の涙は枯れなかった。
ペトリャスカはおそらく、大量に押し寄せてきた大ムカデの、蟲津波とでもいえるような大群に呑まれたのだろう。俺はその時、近くにいたはずだ。俺が登ってきた湖の亀裂から大量の大ムカデが降って来たあの時。もしかしたらあの時、俺が湖からここに登って来ていたら・・・俺は彼女を助けられたかもしれなかった。
俺の右腕にムカデが這い上がってくる。こいつもあの大ムカデの子供なんだろうか。
「くそっ!」
俺は右腕を振り抜き、ムカデを振り落し、踏みつけた。
「お前も!お前も!お前らが死ねばいいんだ!」
俺は目に見える限りのムカデを踏み潰してゆく。
俺はペトリャスカを喰らうムカデを引き抜き、握りつぶしてゆく。
俺はナイフでペトリャスカの皮膚の下に潜むムカデを引き裂いてゆく。
そして俺は物言わぬペトリャスカを抱き上げ、泣いた。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂殺し」「食わせ物」「大狼殺し」「大番狂わせ」「一撃必殺」「大カブト殺し」「樹海の匠」「鳳殺し」「魔弓の射手」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「一難去って」「先手の極意」「不撓不屈」「死神の忌避」「蜘蛛の糸」「鎧抜き」「惻隠の情」「初心」
「お人よし」「受け継ぐ者」
「深淵を征く者」:迷宮の奥を歩き、龍に食べられても這い出てきた(非取得)
遭遇生物
「羨望集める 言霊紡ぐ 呪法少女」
「大挙する 大毒百足の 幼体」
アイテム
大猪の牙 火起こし機 鉤爪ロープ矢 水筒 海淵の指輪 意思読みの首飾り 返話の指輪 万能ポシェット
装備品
龍爪ナイフ 毛皮のマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x4 ひび割れた羊の兜 ぼろの足袋