迷宮生活8日目その三
傷付いた描写が続くと心が痛みます。
「エステルーテ リラ ロパーロ?」
少女は黒いフードの中から絞り出すように、その乾き切った唇を開く。今にも消え入りそうな声だ。意味はさっぱり分からない。だが、俺はこの少女が目を覚ましたことが、何とも言えないほど嬉しかった。
「言ってることは分からんが、とりあえず水だ。水、分かるか?うぉーたー、えー、アクア的な。」
衰弱した少女は明らかに脱水を起こしている。俺がインフルエンザに罹って死にかける思いをした時そっくりだ。俺は大団栗の水筒を振って見せ、キュポッと栓を抜いて一口飲んで見せる。俺の意図が通じたのか、少女はわずかに頷いた。
俺は飲み口を拭って少女の脇に座り、頭を起こして少しずつ飲ませてやる。
「こほっ!こほっ!」
「お、おい!大丈夫か?!」
水を飲ますのは不味かったか?俺がおろおろしていると少女は首を振り、そっと水筒に触れた。もういいということなのだろうか?俺は水筒を離して栓をした。弱っている時には何事も少しずつにしなければいけない。
少女は起きた時から小さく荒い息をしていたが、今は少し落ち着いている。
「アークツス セニディアト エクウスィ」
「・・・ありがとうって言ってるんだったら嬉しいんだけどな。悲しいが、何言ってんのか分かんねぇ・・・」
痛々しいほどの衰弱を見せている少女だったが、その顔には僅かな笑みが浮かんでいた。少女は手を動かすのも辛そうだったが、何とかその手を体をすっぽりと覆った外套の首元に持って行き、何かを指さした。少女の右手の指には漆黒の指輪が輝いている。
「コートの中に何かあるんだな?」
こくりと僅かに少女が頷いた。羽織物とは言え女の子の服を開けるのは抵抗感があるが、俺は意を決して金属製のボタンに手をかけた。
「開ければいいんだな?」
少女は声に出さないが、そういうことなのだろう。いや、発声するのも辛いのだろうか?金属製のボタンは上下の二つのパーツを合わせ、捩じって留めるようになっていた。俺はブランドとかは詳しくはないが、こんな複雑でちょっとやそっとじゃ外れないような作りのコートなど見たことが無い。もしかしなくてもオーダーメイドなんだろうな。
俺が四苦八苦しながら少女の外套の首元のボタンを何個か外すと、少女はもう十分だと頷いた。コートの中には大粒の赤い宝石をあしらった首飾りと、そして何と表現していいのか分からないが、金色のペンダントともドッグタグとも言えそうな首飾りが見えた。
少女は赤い宝石の首飾りに手をかけた。赤い宝石は高そうな金っぽい装飾に嵌め込まれ、その左右に紋章を切った指輪のようなものが鎖に通されていた。
「リ エム」
カチリと鍵が外れるような音がした。首飾りに指をかけた少女は、何やら呪文っぽいものを唱えた。少女はちゃりちゃりと鎖の音を立てるその首飾りを握り、震える手で俺に差し出した。
「着ければいいのか?」
俺は足りないコミュ力を最大限引き出して、この弱った少女の意志を汲み取ろうとした。そうだと言うように、少女は首を縦に振った。
少女は首飾りも持っていられないらしく、落としてしまいそうになったが、落ちそうになったそれを俺は受け止めた。さっと出した左手に、大粒の首飾りが落ちてくる。
俺のグロテスクな姿は出来るだけ見せたくない。俺は毛皮の包帯を巻いた右腕を見せないように、右腕をマントごと持ち上げ、その上に首飾りを載せた。中央の宝石の左右の指輪が落ちないように気を付けて、俺は自分の首に鎖を渡してゆく。
俺は飾りの部分を持って上を向き、鎖を重力に任せて落とす。飾りを顎で挟み、鎖を辿って左手を後ろに回した時、俺はふとこの首飾りがおかしいことに気付いた。
「・・・留め具が無いんだが。」
留め具があったとしても片手で結ぶのはかなり難しいだろうが、そもそも留め具が無ければ着けられないんじゃないのか?俺は留め具の無い首飾りの鎖の両端を抓んで 少女に見せた。
少女は心配するなと首を横に振り、首飾りに触れてまた呪文のようなものを唱え始めた。
「エムリ フレミオ・・・ごほっ、ごほっ!」
「おい!大丈夫か?」
良くなったと思っていたが、まだまだ予断を許さないらしい。つつーっと少女の唇から赤い血が流れる。痛々しい。俺は血を拭ってやり、水筒を見せた。少女の顔は一層青白く、血の気が引いている。
「無理するな。飲むか?」
俺はこくりと頷いた少女に、少しずつ水を与えた。一体何がこの少女を駆り立てるのかは知らないが、この少女は明らかに無理をしている。俺は既に無理にでも出口を聞き出そうという気持ちを失っていた。だが、少女は無理を押して俺に微笑みかける。どうしても続けなければならないらしい。
一息ついて落ち着いた少女は再びその口を開いた。水を飲めば少し楽になるらしい。その声は先ほどより幾分か力強いように感じた。
「エムリ フレミオ エムリオ プレグラ」
指輪の黒い宝石が少女の指に淡く輝きだす。
「ワルム エニ キツェ ワルニ トリオプリラ」
今度は俺の首に巻かれた少女の首飾りの赤い宝石が光り出した。大丈夫なんだろうな?爆発したりしないよな?
「ワルム イェイス エニ へリオ テルート」
光は宝石から鎖にまで広がり、そして収まった。
「エムリス」―結べ―
俺の手の中でカチリと音がした。
「え?」
俺は鎖の端を握っていた左手を見た。切れていたはずのその両端は、今や初めからそうだったとでも言うように繋がっている。
手品・・・だよな。魔法とかやめてくれよ。
少女の口が開く。だが、声は聞こえない。一瞬の遅れの後、声が頭に直接響いてきた。
「・・・ますか?」
日本語?テレパシー的な感じで気分が悪い。初めの部分は聞き取れなかった。
「わたしの ことば わかりますか?」
「何とか。ちょっと慣れないけど。って俺の言葉は分かる?」
この首飾りは翻訳機?なんだろうか。
「ええ。フェリオン語の・・・返話の指輪も・・・付いていますから。」
少女は時折息苦しそうにしながら、首飾りに通された指輪を指さした。なるほど、これが返話の指輪というらしい。
・・・本格的に頭が痛くなってきた。フェリオン語?返話の指輪?
「その首飾りは・・・本来は魔法戦用なんですが・・・うまく行ったんですね。よかった。」
魔法戦・・・俺は左手で羊頭を抱えた。
ごほっごほっ!っと、少女は再び口から血を流す。どこか内臓を痛めているのかもしれない。一刻も早く連れ出さなければ。
「一刻も早く治療できるところへ行かないと。行けそうか?水は要るか?」
水筒を見せる俺に、少女は首を振った。
今すぐに背負って行くべきだろうか?どうしたものかと思案する俺に、少女は再び右手で指示を出した。俺が掛けた毛皮を退けてよく見れば、コートの右の腰ほどに黒いなめし革のポシェットが見えた。ポシェットの側面には、試験管のようなものが一本刺してある。俺はそのポシェットをコートのベルトに留めていた留め具を外し、少女に見えるように持ち上げた。
「これか?」
ええ。と頷く少女は次に、胸元の金色のペンダントのような、ドッグタグのようなものに触れた。
―解 結合―
さっきは分からなかった呪文の内容が分かる。これが魔法戦用の首飾りとやらの効果だろうか?少女は今度はその金色のペンダントを俺に差し出してきた。
そのペンダントは中に何かを入れてあるようだったが、開け方が分からない。そもそも人のペンダントの中身など覗く趣味はないがな。
「これも持てばいいのか?」
「ええ。」
少女は何処か痛むのか、眉間にしわを寄ている。だが、俺が心配そうな態度をとるとすぐに、無理にでも笑顔を作ろうとしているようだった。
嫌な予感がする。
俺がペンダントを受け取ると、少女は口元に右手を持って行き、指輪を咥えた。
「おい、さっきから一体何をするつもりなんだ?」
俺が問いかけるのも無視して、少女は大粒の黒い宝石を嵌め込んだ指輪を外し、その手に乗せた。
「差し上げます。」
「こんなん貰えねえよ!貰っても嬉しくねェ。一体どうしたっていうんだ!」
一体何のつもりだ?儀式的なことをするのか?俺に一体何を期待しているんだ?
「もう、持っていられません。」
少女は俺ににこりと微笑みかけた。俺はいたたまれなくなってきた。受け取った指輪は、とてつもなく重い気がした。
ごほっ!っと少女は血混じりの咳をする。咳の度に少女は、痛みからかのけ反るように体をこわばらせる。今や、少女の呼吸音はひゅーひゅーと笛が鳴るようで、如何にも辛そうだ。
「大丈夫か?」
と、聞く俺に、少女は首を横に振った。
「てを。」
という少女に、俺はポシェットとペンダント、そして黒い指輪を載せた左手を差し出した。
「エムリ フレミオ・・・うっ!」
顔をしかめる少女の口からは、血でうっすらとピンクに染まった泡が出ている。俺は少女が首を振るのも構わず、ゆっくりと水を飲ませた。
「すいません・・・貴重な水を。」
「気にすんな。今は気が弱っているだけさ。すぐに良くなるって。」
俺はフードの上から少女の頭を撫でた。まだその名さえ知らない少女は、醜い姿の俺に屈託のない笑顔を向けてくれる。
―強き 言葉は 力を 宿す―
少女の呪文に俺の手の上の指輪が再び光を放つ。
―我 に 従え 我の 指輪 と 物入れ―
指輪から光がポシェットにまで流れ込んできた。
―我 譲る に 彼に お前達を―
二つの品物の光が収まってきた。
「カリオフィレ」―護れ―
なんだか落ち着かない。まるで俺の手にした指輪とポシェットにまで、俺の血が流れ込んでゆくような感じだ。首飾りも今さっき渡されたばかりなのに妙になじむ。
「なあ、何をやったのか良く分からないが、どうしてここまでしてくれるんだ?」
魔法的な・・・多分魔法なんだろうが、その魔法を使った名も知らぬ少女はぐったりした様子で、だけど確かに笑った。
「貴方はこれまで戦ってきた。今も戦っている。そしてこれからも。」
「・・・」
「そして、貴方は強い。だから。」
俺は・・・弱いよ。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂殺し」「食わせ物」「大狼殺し」「大番狂わせ」「一撃必殺」「大カブト殺し」「樹海の匠」「鳳殺し」「魔弓の射手」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「一難去って」「先手の極意」「不撓不屈」「死神の忌避」「蜘蛛の糸」「鎧抜き」「惻隠の情」「初心」
「お人よし」:人助けの為ならば貴重品でもつぎ込んでしまう
「受け継ぐ者」:連綿と受け継がれて来たものを受け継いだ
遭遇生物
「羨望集める 言霊紡ぐ 呪法少女」
アイテム
大猪の牙 火起こし機 鉤爪ロープ矢 宝石? 鉱石?水筒 闇の指輪 意思読みの首飾り 返語の指輪 万能ポシェット
装備品
龍爪ナイフ 毛皮のマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x4 ひび割れた羊の兜 ぼろの足袋