迷宮生活7日目その九~8日目その一
ここは・・・
俺は死んだのか?
光が満ちた空間。辺りには何もない。
妙な感じだ。
この浮遊感。
なのに暖かく、安心する。
俺に未来を、希望を感じさせる。
俺は前へ進もうと足を踏み出した。
「なんだ?」
俺の体は白い巨大な手に掴まれる。いや、サイズ的には抓まれるというのが正しいか?
振り向いた俺の前には、純白の柱で縁取られたどこまでも続く闇が広がっていた。俺の体はどんどんその闇へと引き寄せられてゆく。
「止めろ!俺は、俺は!」
必死の足掻きも空しく、俺は闇に飲み込まれた。
今や闇に所々青白い光が現れ、巨大な亀裂を浮き彫りにしている。
ズン!という音とともに、なぜかびっしょりと水に濡れた俺の全身に、ビリビリと衝撃が走る。
今のは・・・幻覚?・・・それとも夢?この既視感は一体・・・
左手からピシリと乾いた音がした。ふと見ると、俺の腕時計に亀裂が入っている。亀裂は徐々に広がり、俺の腕時計を白い欠片に変えた。
俺は白い欠片を目で追う。
きらきらと舞い落ちるそれは、さながら雪のように、金色に輝く地面に落ちてゆく。
地面に広がった金の絨毯が動き、俺の体に再び衝撃が走った。
「ドうヤら、し二がみ二モ、きラワレたらシイな。」
巨大な装飾扉に叩きつけられた俺は意識を失っていた。だがしかし、人生何が幸いするか分からないものだな。
振動によって意識を取り戻した俺は、俺のマントが大扉の装飾に引っかかっているのを見た。
他にも装飾の尖った所が体のあちこちに突き刺さっているが、それは問題ではない。
俺は大扉に磔になり、高さ30メートル近い場所で宙吊りになっていた、。
どうやら丁度最高点辺りに到達した時に扉に叩きつけられたおかげで、投げられた勢いは最小で済み、なおかつ地面に落ちずに済んだ。俺の生存へ賭ける執念が天へ通じたのか、俺は即死を免れたらしい。
ズン!という衝撃と、ビリビリという振動が伝わってくる。俺の遥か下に見える大猪達は、先ほどからこの巨大な扉に体当たりして、引っかかった俺を落とそうとしているらしかった。湖に死骸は無く、色はもう元に戻っている。
この扉はあまりにも巨大すぎて、大猪の群れと言えどそう易々とは動かせない。
「カびなソうショくモ、あなガち、バかにハデきンな。」
俺は俺の体重を支えて今まで何度も繰り返される振動を耐え抜き、ボロボロになったマントを見た。格好をつけるだけのつもりで着けていたマントが、まさかこんな風に役に付くとはな。全く、人生何が幸いするのか分かった物じゃない。
装飾を踏みしめた俺は、左頬を掠めていた尖った部分を咥えて体を支え、左腕を貫いている装飾から引き抜く。そのまま体を半回転させ、俺は装飾側を向くとともに左手で上へと延びる部分を掴む。
俺はこの何を象った物なのか、いまいち良く分からない装飾を足場に、顎と左腕、そして両足の力を使って一歩一歩確実に上ってゆく。
俺が起きて扉を上り出したことに慌てたのだろうか?大猪達の突撃の回数が増えてきた。
だが、回数を増やすためにしっかりと助走を付けない突撃など、逆効果だ。
俺は鉤爪ロープも駆使して、失われた体力、足らない筋力を補う。不覚にも気絶してしまっていたが、おかげで僅かだが体力が回復していた。どてっぱらに穴が開いているというのにな・・・吾ながら自分のしぶとさに呆れる。
何より一瞬一瞬に掛ける集中力がずいぶん少なくて済む。そのことが、何よりも俺の負担を軽くしていた。
上を見上げた俺の目には、なるかな天井から湖の上に開くあの亀裂がより近くに見えた。
大量のムカデが降ってきたあの亀裂ならば、きっと何処か新しい場所に繋がっているのだろう。
「のボりきっタのハいイが、サて、どウすルか。」
天井に見える亀裂までは高さで5メートルほど、水平距離で15メートルはある。弓で隙間を狙おうにも、角度が悪い。
「だガ、ソうのンびリしテもいラレなイナ。」
今や大猪達の突進にも、巨猪が加わっている。そのせいか、突撃のタイミングがどんどん最適化されていく。巨大な猪の王は俺が目覚めてからはしばらく静観していたが、俺が登り切ったとみると、突進の列に加わった。
あの巨猪は自分の失態もちゃんと認められるようだ。獣にしておくのは惜しいくらいだよ。
大扉の上は天井までおよそ5メートル、幅は俺が十分に寝ころぶだけのスペースはある。
初めは両側の装飾に蔦を架け、大猪達が諦めるまで耐えようかとも思ったが、大猪達はこの扉の振動に合わせて突進してきている。
共振現象のせいだろうか?今や反対側の扉さえも震えだし、この洞窟に、この樹海に百万の獣の唸り声のようなおどろおどろしい咆哮を上げていた。
唯でさえ体の芯まで響く振動が延々と続いている。立ち上がれば振り落されそうだ。全然頭が回らない上に、ひどく気分が悪い。下の大猪達に吐瀉物の雨でも撒いてやろうか?
何時までもこうしては居られないだろう。のんびりしていれば、騒ぎを聞きつけてあの歩く山脈のような龍まで出て来るかもしれない。
「しナなイかくゴハ、もウとっく二オわッてイルがナ。」
死なない覚悟はもう終わっている。後は、やるだけだ。
俺は蔦を手にし、弓に括り付けた。反対側は俺の胴に巻きつける。
あの時、大木を貫き通したあの一撃をもう一度。恐ろしい威力のあの一撃を再び放つことが出来さえすれば、俺にも光明がある。あの亀裂の先が安全だという保証は全くないが、今更下に降りることは叶わない。
樹海を出る時、蔦をかなり長めにとって来たとは言え、鉤爪ロープの分を合わせても30メートルにも届かない。
俺はこの扉の上から飛び、空中で矢をあの亀裂目がけて放つ。そして、亀裂を抜けた矢の鏃か、矢に結わいつけた鉤爪が引っかかってくれるのを祈る。俺はこの異様な力を秘めた弓と矢を信じる。それ以外にこの難局を乗り切る手は無い。
X=1/2*9.8*t^2
こんな所で大昔習った物理を引っ張り出さなければならないとは、思ってもみなかった。もっと物理をやっとけば良かった。斜め45度に飛び出した時の計算方法すら、忘れてしまっているからな。
天井までの距離は5メートル。最低でも、天井にさえ矢が刺されば一応は助かる。後は天井の亀裂に掴まる所があると信じて、登ればいいか。そう考えると、大雑把に考えて俺が残り20メートルの命綱を使い切るまでの滞空時間は、2秒。
ここからあの亀裂の所まで、水平距離で15メートル。要求される速度は・・・電卓欲しいな。振動で計算もままならない。
大体50メートルを6.7秒・・・俺のベストはぎりぎり8秒台だ。
多分斜め上に飛び出せば、滞空時間を伸ばして足らない速度もカバーできるはず。後は気合だな。
「ヤるか・・・」
俺は這いつくばった状態のまま、弓を左手に、蔦と鉤爪を付けた矢を咥えた。
蔦が切れても、矢が刺さらなくても、俺は遥か下の水面に叩きつけられて今度こそ文字通り粉々だ。
無茶も無謀もいい所だが、このまま扉から落ちて死ぬよりも、降りて猪どもに嬲り殺しになるよりも、諦めて湖の鮫の餌になるよりも、生きるための試みのせいで砕け散る方がずっといい。
下の大猪達は休憩を挟んで何度も交代しているとは言え、俺と何時間もずっと追いかけっこをした後だ。流石に疲労しているらしい。
俺は交代の直前、扉の振動が弱まった一瞬に全力で湖に向かって駆け出した。
飛べたらではない。飛ぶのだ。
一歩踏み出す度に、生々しい傷口から血が噴き出し、痛みが俺の歩みを邪魔してくる。だが、俺は痛みを堪えて歯を食いしばり、咥えた弓を引いてゆく。
ダン!と、力強い音とともに、俺は宙へと飛び出した。その時、再び青さを取り戻した水面が爆発する。
「?!」
この湖に、何か大鮫をも上回る存在がいるだろうとは思っていたが、まさかこれほどとは。
あまりの大きさに遠近感が狂う。湖から飛び出して来たのは正しく湖の主と呼べるほどの蛟。一見した限り、顔は東洋龍に、顔の前から後ろに向かって伸びる、長く鋭い棘をたくさん追加したような感じだ。
だが、この高さではいくらこいつが長くとも、俺に手出しは出来ないはずだ。それに、こんな奴に構っている暇はない。失敗し、落下した俺を喰うつもりなのだろうが、そうはいくか!
チャンスは一度しかない。俺は顎に最大限の力を込め、亀裂に向かって狙いを定めた。
「グひュ!」
唐突に、俺の背に衝撃が走った。俺は何とか弓と矢を取り落さずに済んだが、右頬の喰いしばった歯の隙間から思わず空気が漏れた。
バァン!バァン!と、連続して、俺の背に衝撃が走る。空中でバランスを崩した俺は、下の巨大な碧い蛟が、俺を打ち落とそうと水の塊を噴き出しているのを目にする。
水面から飛び出した蛟は、恐るべき精度で宙に舞う俺に向かって偏差射撃を加えてくる。
大鮫の死骸でも頬張っていればいいものを・・・こいつも俺を狙っていた口だろうか?
ふと、俺は目を覚ました時、全身が濡れていたのを思い出した。あの異様な賢さを持つ大猪が、俺の重さを見誤って投げ損ねたとは思えない。もしかしたらあの時、俺を大扉に縫いとめたのはこいつの仕業だったのかもしれないな。
俺はまるでお手玉でもされるように、大猪達が飛び出しても届かない湖の中心へと運ばれようとしている。
蛟よ、その節は世話になったようだから感謝しておこう。だがな、喰われるつもりはさらさらない。
俺は打ち付けられる水塊で狙いが定まらない中、これまでになく集中していた。蛟のおかげで亀裂がすぐ目の前だ。
貫け!
と、俺は心の中で念じ、引き絞った弓を放った。
俺の放った弓は、宙に舞う水滴を弾き飛ばしながらビョウ!と音を立て、岩の天井にぽっかりと開いた闇の中へ消えて行った。
ヒュルヒュルと俺の命綱は矢に曳かれて亀裂へと延びてゆく。
蛟の曲芸の御陰で、蔦には予想以上の余裕がある。だがもし、矢がこの亀裂を抜けた先、あるいはこの亀裂に引っかからなかったら、俺の試みは失敗だ。
だが、それでもいい。
下では蛟が水を吹くのを止め、静かに落下する俺を待ち受けている。
とうとう蔦が伸び切ったのか、俺の命綱がピンと張った。だがしかし、俺の落下は止まらない。
「シっパいか・・・」
そう思った時、ガクンと俺の体が空中に繋ぎ止められた。まるで「誰か」に手を差し伸べられたかのように。
停止の衝撃で俺の背から湿気た薪の束が落ちた。
蛟の咢は空を切り、バチンと巨大な爪切りのような音を立てて、落ちた薪の束を噛み切った。
蛟はとてもとても悔しそうな眼をして、ざぶりと静かな水底へ消えて行った。
俺はミシミシと音を立ててしなる蔦が切れる前にと、顎と左手だけでなく、全身の力を振り絞って地獄から這い上がるための蜘蛛の糸を上へ上へと登って行った。
「そウいえバ、よケいな二モつは、すテておクべきダッタな。」
そんなもの、ほとんどないがな。と、俺は命が繋がったことに感謝して笑った。
天井になっていた岩盤は、俺が危惧したように何十メートルもあるモノではなく、せいぜい5,6メートルの厚さだった。矢の先は洞窟の岩陰の先へと消えている。
岩肌を登り切った俺は、そこで力尽き、遂に意識を手放した。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂殺し」「食わせ物」「大狼殺し」「大番狂わせ」「一撃必殺」「大カブト殺し」「樹海の匠」「鳳殺し」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「心眼琉舞」「一難去って」「先手の極意」
「不撓不屈」「死神の忌避」
「蜘蛛の糸」:地獄のような場所で助けを受け、命を長らえた
「鎧抜き」:鎧のような守りの隙を貫いた
遭遇生物
「屈強な 金毛の 大猪」
「偉大なる 金剛の 巨猪」
「?」→「深淵飲み込む 水撃つ 巨蛟」
アイテム
裂けた毛皮 大猪の牙 火起こし機 鉤爪ロープ矢 宝石? 鉱石?水筒
装備品
龍爪ナイフ ぼろマント 革の小手 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x4 ひび割れた羊の兜 ぼろの足袋