迷宮生活7日目その七
ワンパターンかもしれませんが、ダンジョンのランダムエンカウントをいちいち描写したら、こうなるんじゃないかと思って書いています。
「オれハ・・・おレハ・・・シなナイ!」
全身がびしょ濡れで、上半身の右側は焼けただれ、右目は光を失ってしまった。呼吸をする度に、ヒューヒューと右頬だった所から空気が漏れる。右耳は耳介を失い、虚ろな穴だけが開いている。右腕はおかしな方にねじ曲がり、指は無い。そのどの部位も肌を失い、ある所は筋繊維が、またある所では血管や神経が、そして骨が露出していた。
紅い湖を背に、俺は立ち上がった。湖面に映る俺の姿は、血の池地獄でもがく幽鬼のようだった。
「おレハ、シナない!オれハ・・・オレハ・・・おレハふヂみダ!!」
俺は大猪の群れを前に立ち上がった。その時、俺の背目がけて、背後の湖面から大鮫が幾重にも並んだ鋸歯を光らせて飛び出して来た。
水しぶきとともにざばりと大鮫が陸に乗り上げ、その大顎で俺に噛みつこうとする。それを俺はくるりと一回転しつつ、左手に避けた。大鮫の突進は水中から飛び出してくる以上、不意打ちには有利だが、読んでいれば避けられないことも無い。
俺は間一髪のところで大鮫の一撃を躱した。俺は可能な限り避けたが、大鮫は巨大だ。その鋭い鮫肌がぎりぎりと俺の右腕を削り取る。だが、俺の右腕は今や感覚がない。
普段ならば痛覚が無いことに恐怖するだろうが、痛みすら気にする余裕のない今の俺は、痛覚を失うほどの怪我に感謝すら覚える。
後先考えずに陸に上がった間抜けな大鮫は、俺を取り囲んでいた大猪の牙に突っ込む形になり、自ら串刺しにされた。
くるりと回った一瞬で、俺は大体の位置を把握した。俺の右側は乗り上げた大鮫が壁となって、死角からの攻撃を防いでくれる。これで俺の前にいる大猪は3体。
樹海と洞窟の湖を繋ぐ大扉は開け放たれ、安全地帯だったはずの僅かな陸地は、今や樹海から俺を追ってきた金猪が占拠している。
湖には大鮫がその背びれを見せ、死した仲間や息絶えた大猪を喰らっている。大鮫達は食べられるものならば何でもいいらしい。
ビクッビクッ!と陸に乗り上げ、頭を串刺しにされた大鮫がのたうつ。その巨体が動くのを合図に、俺は前へ出た。背水を敷く俺の前では、目の前の大猪はむやみに突っ込んでは来れまい。
今まで散々追い掛け回された中で、お前達が自分の手で俺に引導を渡したがっているのは分かっている。ならば、俺を湖に突き落として大鮫の餌にするようなことは出来ないはずだ。
そうと分かれば話は早い。突進を封じられた大猪は、その取り回しの悪い巨大な牙で突いてくることしかできない。
俺は次々と繰り出される3体の猪の牙を、動きを出来る限り抑えるように心がけて避ける。今の俺は正直自分でも立っているのがおかしいと感じるほどだ。動き回るだけの体力も無ければ、素早く動くことも出来ない。見てから避けるようでは手遅れだ。
ならば、俺は出来る限り大猪よりも先に動かなければならない。
先々の先を取るというやつだ。
どれだけ素早く動くことが出来る者でも、「動き出す前」は止まっている。どれだけ力がある者でも、「力を込める前」では無力だ。
確かに俺は貧弱だ。そして、今の俺は棺桶に片足を突っ込むどころか、突っ込んでいないところの方が少ないぐらいに弱っている。
だが、そんな俺でも、見切り、臆することなく前へ前へと進んでゆけば、圧倒的な力の差があったとしても拮抗できる。素早い者は動き出す前に捉え、力ある者は力を込める前に打ち倒す。
瞬間を制することで相手の最も弱い刹那を突き、その刹那に持てる全ての力を注く。僅かでもいい。微かな時間の間でも打ち勝てさえすれば、俺は生き残る道へと進んでゆける。
スッと右大猪が息を止めた。力を込めた一撃を放つとき、生き物は口を閉じ、腹に力を込めて息を堪える。水面を背にした俺は右前へ進み、繰り出された牙をすり抜けた。
大猪の牙は、ほんの瞬きひとつ前に俺がいた場所を正確に捉えている。だが、そこに俺はもういない。俺が一歩下がると同時に丸太のような牙が滑り込み、俺の前で空を切った。左手の大猪が突いて来た時、俺は既に二本の牙の間の隙間に身を入れ込んでいる。俺の前後にレールを渡すかのように二本の牙が差し込まれた。
最初の突きを放った大猪が後ろに飛び退くと、すぐさま左手の大猪が牙の間にいる俺を投げようと、首を陸側に振る。俺はサッと地面に身をかがめて投げ飛ばしを躱し、左側の大猪の返す牙に当たる前に左へ進む。
俺は先ほどまで左手に居た大猪を右手側に、湖を左側にした。この状態では、俺の右側の大猪が下手に動けば、俺を湖に落とすことになってしまう。大猪の前は陸に乗り上げた大鮫が、大猪の左は先ほど引いた個体が邪魔で進めない。右側の大猪は後退することしかできない。俺は、後退する右の大猪から見ての右側を維持しつつ、大猪に張り付くように前進した。
最初に牙で突いて来た個体は、俺の右手の大猪の向こう側で手を出せない状態だ。3体目の個体も下手に突っ込めば仲間に当たってしまう。その隙に俺は3体目の大猪に狙いを定めた。
俺と大猪は3歩陸側へ進む。ここまで来ればと、俺が盾にしていた大猪が後ろ脚を蹴り、その側面で俺に体当たりを仕掛けた。だが、俺は既に手を出しあぐねていた3体目の側面に回っている。体当たりは空しく空を切り、3体目も側面に入られては自慢の牙を使うことが出来ない。また、3体目もさっきの2体目と同様、俺を大鮫が今か今かと泳ぎ回る湖に落とさないよう気を付けているせいで、せっかくの機動力が殺されていた。
俺はゆるりゆるりと大猪達の攻撃を、一撃一撃丁寧に避けてゆく。俺の回避が成立するのは一重に、どの大猪もが一流だからだ。大猪達は、無駄のない美しさすら感じさせる動きで、狙った場所を正確に射抜いてくる。素人の俺が槍を持っても、狙いも碌に定まらなかったのと大違いだ。
大猪達は当然、時折フェイントを混ぜてくるが、俺と大猪は何度も顔を合わせた謂わば「気心の知れた仲」だ。
「ミえル!」
俺は、同時に相手をするのが常に2体以下になるように身を進め、必ず一方の個体を盾にして攻撃を捌いてゆく。
大猪の攻撃は初めは掠りこそしたものの、今は半歩の差で空を切るだけだ。俺は俺が避ける度に、大猪達の焦りと疑いが深くなるのを感じていた。俺は初めの3匹が後方の個体と交代しないように誘導しつつ、3匹の特性を見定めてゆく。出来る限り動かず、出来るだけ体力を消費しないように。
いくら見切っていても、体が付いて行かなければ全くの無駄だ。どれほど僅かな動きにとどめようとも、永遠に動き続けることは出来ない。
「ヒューっ。ヒューッヒュー。」
荒い息が、頬を無くした歯の隙間から漏れてゆく。息が上がってくるのを隠し切れない。大猪の焦り、疑いから生じる迷いが大猪の攻撃から精彩を奪い、俺が避ける隙を作る。その迷いを保つには、猪の相手をしている俺が飄々としていなければならない。
だが、俺にはもう、仮初の余裕を保つ体力がない。地面に縫いとめられたような足を、気力だけで半歩引き摺るのがやっとだ。
「・・・」
もう、あの原生林には帰ることは出来ない。だが、だからと言ってこの湖はどうだ?対岸まで数百メートルもありそうなこの湖を超える手段はない。
空でも飛べれば・・・そう思いつつ、俺は始めに乗り上げた大鮫を背に、大猪の牙を鉛のように重い体を引きずりながら避ける。
「なニ?」
俺の背にしている大鮫の体から、ズボリと大猪と同質だが、遥かに大きな二本の牙が貫通してきた。
「バかナ・・・」
一般的な大鮫よりも一回りも大きい、それこそ小型の鯨ほどもあろうかという大鮫が、全くその重量を感じさせずに軽々と投げ飛ばされた。死んだ大鮫はくるりくるりと回転しながら弧を描いて湖に落ち、巨大な水柱を立てる。
俺の背後には大猪の王、巨大な金の猪が佇んでいた。
ヒヤリと冷たい汗が流れる。まさか力ずくでアレを退けられるとは・・・
右目を失った俺には完全な死角がある。俺自身、この死角に慣れていない。だからこそ死角に大鮫の死骸という壁を置き、その弱点を騙し騙しカバーしてきた。
「クッ・・・」
挫けそうになる心を何とか保とうとする俺。巨大な猪は「やれ」と、群れに向かって短く唸った。
早間龍彦
称号
「????」「怪獣大進撃」「大蜂殺し」「食わせ物」「大狼殺し」「大番狂わせ」「一撃必殺」「大カブト殺し」「樹海の匠」「鳳殺し」「魔弓の射手」「必中」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「喉元過ぎれば」「心眼琉舞」「一難去って」
「先手の極意」:相手の動きを読み切って先手を取り、常に優位に立った。
「常在戦場」:安息の瞬間は無い。
遭遇生物
「水底潜む 大歯の 巨鮫」
「屈強な 金毛の 大猪」
「偉大なる 金剛の 巨猪」
アイテム
大猪の毛皮 大猪の牙 火起こし機 鉤爪ロープ 宝石? 鉱石? 長い蔦 湿気た薪 水筒
装備品
龍爪ナイフ 甲殻の鎧+ 革の小手+ 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x5 大羊の兜 毛皮の足袋