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迷宮の歩き方  作者: Dombom
深淵はかくも無常/無情なりき
17/70

迷宮生活7日目その六

血を滴らせながら落下する俺の上着。中に入れた大蜂が上手く錘になって、綺麗な放物線を描いていた。それは図ったように、俺を囲んでいた大猪の前に落ちようとしている。


血濡れた上着が下草に触れた時、上着は包んだ大蜂ごと黒い巨大な影に呑まれた。


あの粘菌だ。


俺に並走していた金猪は、いきなり目の前に突っ込んで来た黒い影を慌てて避けようとした。だが相手の粘菌も、俺の上着を飲み込んだそのままの勢いで大猪に突っ込んで行く。


巨大な黒い粘菌には知性どころか本能すらない。あるのはただの条件反射だけだ。だから利用できる。そして、感情の無い粘菌は何よりも残酷だ。




「ビッ!ブヒィイイ!!」


べちゃりと、生々しい音を立てて、輝く金毛が黒い粘液に呑まれた。


仲間の猪も、あの巨大な金色の王も、この予想外の事態に動揺して吠え合っている。


ジュウジュウと白煙を立てて、黒い粘菌が大猪の顔面を、薄皮を容赦無く溶かして行く。呼び水となった俺の上着は既に溶け去り、中の大蜂も細切れになっていた。




「ブオオ!ブグオォ!」


身体の前半分を黒い粘菌に覆われた金猪が、息苦しさと肉を焼かれる痛みにのたうちまわる。


粘菌に溺れて死ぬか、肉を焼かれて死ぬか。いずれにせよ、このままではあの大猪は確実に死ぬだろう。


右腕を少し焼かれた程度であれほどの痛みだ。今大猪が感じている痛みは、想像を絶するに違いない。


だが、俺には同情の余地は無い。同情とは常に強者、余裕のあるものがするものだ。仲間が巨大粘菌に呑まれて、金猪の群れが動揺している今しか、この包囲を抜ける好機は無い。




痛みと苦しみに叫びのたうつ金猪。その周囲の個体は思わず後ずさり、包囲網が崩れる。


大猪はのたうちながら俺の方へ進んで来る。俺は他の個体が追い付く前に、飲み込まれた大猪の脇をすり抜けようと走り出した。もう、金猪の顔は崩れだしている。息絶えるのも時間の問題だろう。


扉まで後僅かだ。巨猪がしまったとばかりに猛然と迫るが、もう遅い。すれ違うようにしてこの不運な大猪を躱し、このまま突っ切る!


「ブグオォ!」


「な?!」




「ぐおっ!」


べちゃりと音を立てて、俺は地面に叩きつけられた。右腕にずきりと鋭い痛みが走る。皹でも入ったかもしれない。


一瞬だった。俺が満身創痍の大猪の脇を抜けようとしたその時、黒粘菌にのまれた大猪が咆哮とともに最後の力を振り絞った。猪の体が身震いし、その体が淡い光を帯びて輝き出す。金色に輝く雄々しい猪から、黒い粘菌の塊がばしゃりと弾き飛ばされた。


大猪の群れが、赤龍の火焔に突っ込んでいった時と同じだ。どうやら、金猪の体が輝いた時、不可視の斥力、所謂バリアのようなものが出るらしい。幸いにもその時、俺はほどんど金猪の背後に回っていたから、跳ね飛ばされた粘菌は浴びなかった。


すれ違いざま俺はあまりの出来事に驚いて金猪を見る。金猪はまるで俺が見えているかのように急転換し、俺に突っ込んできた。


「嘘だろ!」


慌てて飛び退き、両手をクロスさせてガードしたが、金猪の一撃には何か強い意志が篭っているようだった。直撃は避けたが、咄嗟のガードは甘く俺は無様に吹き飛ばされた。




そして、俺は地面に背を打ち付けた。そういう訳だ。


「・・・」


弱った体から繰り出された出鱈目な一撃だったが、俺を門から遠ざけるには十分だった。痛みを堪えながら、俺は右腕を庇いつつ立ち上がった。ねたりと嫌な感触がする。


俺を吹き飛ばした大猪には、顔と呼べるものはもうほとんど残っていなかった。鼻は溶け落ち、瞼は焼け、頬は炭化して血のにじんだ歯が見えている。その眼は白く濁り、何も映してはいない。


だが満身創痍の大猪は、確かに俺を見据えていた。その眼には確かに誇りの炎が宿り、群れの中の唯の一匹に過ぎないはずのその姿は雄々しく、また何よりも勇猛に見えた。


大猪は何も語らない。しかし、俺には今にも息絶えそうな大猪が「この程度の小細工には屈しない。痛みで、我らの誇りを挫くことは出来ぬ。」と言っているように思えた。




力を出し尽くしたのだろうか、俺を吹き飛ばした大猪は静かに膝を着き、ゆっくりと倒れて息絶えた。俺はその誇りある姿を黙って視ていた。大猪の群れも、巨大な金猪の王も黙ってその姿を最後まで見ていた。




俺と猪の王の目が合う。さっと門に向けて走り出す俺、一拍置いて駆け出す巨大な大猪。先手は取った。だが、体を輝かせて迫ってくる巨大な金猪の方が圧倒的に速い。俺が先に門に着けるかどうかは五分五分だ。




それにしても、あの猪の王が俺に先手を譲るとは・・・あの光を出すのには溜めが必要なのだろうか?だが、どんな理由があろうと、せっかく得たリードを俺は無駄にしない。


門に向かって駆けだす俺は、その門の直前で息絶えたあの金猪の影から、ゆらりと黒いモノが立ち上がるのを見た。


「しぶといな。」


あの強酸を吐く巨大な黒い粘菌だ。


弾き飛ばされた黒い粘菌は、飢えた獣のような獰猛さで息絶えた大猪を再び消化せしめんと飛び掛かった。




だが、それをあの巨大な輝く猪の王が遮る。


猪の王は、門へと逃げる俺を無視して急に方向を変え、息絶えた仲間を喰おうとする粘菌を吹き飛ばした。


「何?!」


弾き飛ばされた黒い粘菌は、まるでその粘性など全くなかったかのように、猪の王に一片の欠片も付けずに吹き飛ばされた。樹海の壁に黒い粘菌がべしゃりと叩きつけられる。


猪の王に吹き飛ばされた黒い巨大な粘菌は、壁面をずるずると滑り落ち、今までの獰猛さが嘘のようにピクリとも動かなくなった。樹海を区切るあの壁は、粘菌が放つ強烈な酸も全く寄せ付けないようだ。




おかしい。


あの黒い粘菌をこちらに向かって弾き飛ばしてくるならともかく、死んだ仲間を庇うために今まで散々狙っていた俺を見逃すとは。


もう俺は門に手が届きそうなところまで来ているというのに、なぜこうも簡単にあの巨猪は俺を見逃したのだ?




「熱っ!」


その時、俺は今更になって俺が犯していた致命的なミスに気付いた。







ぽたり、またぽたりと俺の背にした金猪のマントの右裾から、黒い液体が落ちる。


「これは・・・まさか・・・」


首元に火の粉でも当たったような焼け付く痛みが走る。


「俺は何から肉を獲った?」


俺は右腕が痛むのも忘れて、さっと子の葉で包み蔦で縛った肉を、そう、黒い粘菌が噴き出してきた「あの死体」から取った肉を背から下ろした。


何故大狼は金猪の死骸を、肉が詰まった極上の餌を避けなければならなかったのか。それはこういうことだったのだ。


肉塊を縛っていたはずの蔦は途中で焼け切れ、肉も、それを包んだ木葉もその先には付いてはいなかった。




俺が嬉々として切り取った肉は、僅かだが初めから饐えた臭いをしていた。つまり、俺はあの恐ろしい黒い粘菌が潜んだ肉片を抱えていたのだ。黒い粘菌の芽は肉塊の中で、さながら時限爆弾のように時を刻んでいたのだ。


何より決定的だったのは、あの息絶えた大猪の最後の一撃だ。あの執念の一撃が、肉塊に潜んでいた黒い粘菌を炸裂させる決定打となってしまった。


金猪の毛皮は酸にも強いようで、破裂直後に露出部を溶かされることは避けられた。しかし、今はその強さが仇となっている。俺は黒い粘菌が静かにマントを上って来るのに気付けなかった。




油断すれば死ぬ。油断しなくても死ぬ。


それが、この森の掟だと気付いた時には遅すぎた。


黒い粘菌は俺の体温に引き寄せられるように、マントの上をにじり寄り、俺の右肩に集まっていた。巨大な猪の王は俺を見逃したのではない。ただ、「逃げられない」と知っていただけだ。




「ぐうううああ・・・ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


黒い飢えた粘菌が兜の隙間、鎧の隙間から容赦なく滑り込み、俺の肌を、俺の肉を焼く。


「ああああああああああああくっそがあああああああああああああ!!!」


ジュウゥ!と、俺は右手が焼かれるのも構わず、右肩のマントの上から俺の顔へ、俺の肩へ入り込もうとする粘菌の塊を掴みとり、投げ捨てようとした。


「な?!ぐああああ!!」


だが、粘菌塊は二つに分かれ、俺の右腕をも溶かし始めた。




「あああああああああああああ!!!」


熱い熱い熱い熱い!


黒い粘菌は容赦なくその強酸で俺を焼いてゆく。焼けただれた肌が兜に張り付く。俺はあまりの痛み、あまりの熱さに錯乱し、顔を、咽を掻きむしる。だが、俺の右手は既に掻きむしるべき指を失っていた。


最早、粘菌がどこまで広がったのか分からない。


息をしているのか、それともしていないのか、一瞬しか経っていないのか、それとももう何時間も経ったのか分からない。


俺は生きているのか?このまま死んでしまうのか・・・







朦朧とした意識の中、ジュアッ!と唐突に何かが粘菌に覆われた首筋を流れる。ほんの一瞬だが痛みが和らぎ熱も引く。急に酸度が下がったせいで粘菌の動きが鈍った。俺は一瞬の平静を取り戻す。


水筒の一つが酸で溶け、地面に這いつくばっていた俺の顔に水が滴り落ちていた。


「ミズ?!みずヲ・・・」


俺は辛うじて塞がっていない左目で周囲を見る。痛覚神経も焼けてしまったようで、激烈な痛みはもう無い。




金猪が俺の周りを取り囲んでいる。だが、今探すべきは・・・扉だ!!


「あっタ。アったゾ・・・」


涙を流すべき右目はもうない。







そこから先は、はっきりとは覚えてはいない。必死の思いで扉に体をねじり込み、湖に飛び込んで粘菌を洗い落とした。ふと気が付いた時、俺は洞窟の湖のほとりに倒れていた。


大扉は開け放たれ、水面みなもは真っ赤に染まり、水面から放たれる光が洞窟を暁色に染めている。牙に串刺しにされた数匹の大鮫と、噛み傷だらけの息絶えた金猪が一匹。水面にぷかりと浮いていた。


俺は陸上では金猪に、湖上では大鮫に取り囲まれていた。

早間龍彦


称号

「????」「怪獣大進撃」「大蜂殺し」「食わせ物」「大狼殺し」「大番狂わせ」「一撃必殺」「大カブト殺し」「樹海の匠」「おおとり殺し」「魔弓の射手」「必中」「影無き追跡者」「悪運」「敵の敵は味方」「喉元過ぎれば」「心眼琉舞」


「一難去って」:次々と敵が現れた。


遭遇生物

「万人怯える 鋼鉄溶かす 黒粘菌」

「屈強な 金毛の 大猪」

「偉大なる 金剛の 巨猪」


アイテム

大猪の毛皮 大猪の牙 火起こし機 鉤爪ロープ 宝石? 鉱石? 長い蔦 薪 水筒


装備品

龍爪ナイフ 甲殻の鎧+ 革の小手+ 猪肋弓 魔の矢(狼牙+虹の羽)x5 大羊の兜 毛皮の足袋

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